第10話 レッド、心からの忠誠を誓う。
アリシア陛下に一喝されたパールは、一度もこちらを振り返ることもなくバルコニーの下に飛び降りていった。だからその姿を見送る陛下の目が優しいモノに変わった瞬間を、彼女が見ることはなかった。
陛下は再び厳しい表情を作ると、いまだこの場に残り続ける私を睨みつけた。
「……まさか、私にまで去れとは仰いませんよね?」
それに対して私は笑みをもって返す。
私自身、不思議と皆のように彼女に対して恐怖を感じることはなかった。
むしろ穏やかな気持ちで陛下と向き合っていた。
初めて陛下に会ったときのことは一生忘れないだろう。
目的の為ならば何でも出来る人間の目をしていた。
事実、その為には自分を崇拝する無垢な少女に手を汚させることも躊躇わなかった。そんな彼女の中に底知れない怖さを感じた。
近衛騎士として付き従うようになってからも、その気持ちは変わらなかった。
――全ては目的の為。彼女の中にある明確な目的の為。
彼女はそれだけを見据えて逆算しながら動いているように見えた。
確かに彼女の力、先見性、交渉力によって国は豊かになった。
この虐げられ続けた我が国数百年の歴史は一体何だったのかと思える程に。
だが残念なことに陛下の目的はそれではなかった。
国が豊かになり民に笑顔が増えていくのはただの副産物でしかなかったのだ。
私は本能でそれを理解していた。
彼女の目的は何なのか?
何の為に国を欲しがったのか?
それが分からない内は彼女に気を許すことが出来なかった。
そんな警戒感を解消してくれたのはブラウンだった。
彼は普段こそあのような感じだが、意外と頭の切れる男だ。
戦勝の宴の中でそんな彼と二人きりで話す機会があったのだ。
その中でようやく陛下が何を見据えて動いているのか、おぼろげながら知ることが出来た。――彼女は自分の才を試したかったのだ、と。
それからは私も少しずつではあるが陛下の言動を楽しめるようになってきた。
激しく、それでいて穏やかに過ぎていく毎日。
陛下が一つ手を進める度に、女王国を取り巻く環境が大きく変化していく。
彼女はときに堅実に、ときに相手を嘲笑うかのように、ときに狂気に取り憑かれたように、まるで感性に任せて演目に手を加えていく舞台監督のようにセカイの枠組みを作り変えていった。
自分がどれだけちっぽけな存在かを思い知らされるような、それでいて自分の中の何かが解き放たれていくような不思議な感覚。
自分では到底成し遂げられないようなことを平然とやってのける彼女に、爽快感を覚えていた。
そんな陛下の姿をずっと側で見てきた。
家族のように大切な仲間たちと一緒に。
それでもなお、私の中ではいつまでも陛下に対する不安に近い何かが、ずっと心の奥底で燻っていた。――本当に陛下を信じても大丈夫なのだろうか、と。
そういう意味ではクロードの口走った『セカイの敵』という言葉は実にしっくり来たのだ。なかなか上手いことを言うモノだな、と。
そして昨晩のこと――。
「お呼びでしょうか?」
帝都の貴族屋敷を間借りした臨時宿舎。
ここにいるのは私を含めて本当に信頼できる僅か数人のみ。
私は陛下に呼び出され、部屋を訪ねた。
中にいたのは椅子に座ったままのアリシア陛下たった一人。
彼女の身の回りを世話するクロエさんも今回はイーギス待機組だ。
一応山猫も部屋のどこかで護衛しているはずだが、基本的に任務中の彼女たちは人数として数えないことになっている。
「……こちらに来て、座りなさいな」
陛下は珍しく私に視線を合わそうともしなかった。
いつもは目を覗き込み、こちらの頭の奥まで探ろうとするのに。
少し元気がないのだろうか?
それとも最終決戦を前に気負っているのか?
……そのような初々しい可愛げがまだ陛下に残っていたのか?
普段の私なら噴き出してしまいかねないところだが、それは流石に失礼だと息を飲み込んだ。私が無言のまま腰掛けるのを見届けてから、彼女は独り言を呟くかのようにゆっくりと話し始めるのだった。
「……あのときの約束を覚えているかしら?」
何のことだかサッパリ分からなかった。
この唐突さはいつも通りだった。
彼女は小さく笑みを浮かべる。――憂いのある表情そのままに。
「もし私が民に仇なす存在なら……という話よ」
彼女がフォート公を討った時のことだ。
そのことならば、もちろん覚えていた。
「そのときは私が責任をもって陛下を斬る……という話ですね?」
確かそのようなことを言ったと記憶している。
「そう、それよ。……おそらく明日、その答えが出ると思うわ。……そのときが来たら、貴方も覚悟を決めなさいな」
……もしかして何かを迷っているのだろうか?
それとも何か重大な見落としでもあったのか?
今まで完璧に先読みしていた彼女らしくもない。
「……それだけよ。どうしても今、貴方にそれだけは伝えておきたかったの。……もう下がっていいわよ」
結局陛下は一度も私に視線を向けることはなかった。
そして今日、私は陛下が隠し続けていた本性を目撃することになった。
感情をむき出しにしながら怒鳴り散らし、癇癪を起こしていた。
一国の女王として取り繕おうともしなかった。
だけど女王国民はそんなことで彼女に幻滅したりはしない。
我らの陛下は本気でセカイの頂点を狙っていたのだ。
改めてそれを思い知った。
――あの大陸の辺境にある貧しく搾取されるだけのどうしようもない水の公国を足がかりに。
彼女は公国を奪取する前の決起集会で、国を奪う、民を奪うと宣誓したのだと聞いていた。
私に簒奪者と罵られようとも彼女は笑顔でその言葉を受け止めていた。
国を奪う為、セカイを手に入れる為ならば平気な顔で相手を出し抜く。
レジスタンスから貰えるモノだけを貰って国力を蓄えておきながら、平気で二枚賭けをする。
被害を抑える為ならば敵である宰相とも交渉する。
その悪辣さはすでにこの帝国でも知られていることだろう。
陰でどんな風に呼ばれているのかも想像に足りる。
それでも陛下は国と民だけには誠実だった。
口元を歪ませ憎まれ口を叩きながらも、自分の臣民だけは絶対に守り抜いた。
それに彼女は確かにセカイを求めたが、それは豊かで平和なセカイであって、魔王の脅威に晒され混迷したセカイではない。
――だから今回も最悪に備えて動いていたのだ。
どれだけ荒唐無稽なおとぎ話であろうと、たとえ自分も含めて誰一人としてそれを信じていなくとも、民に災厄が降りかかる可能性があるのならば彼女は絶対に無視することはない。
それこそが真の女王、真の覇者である彼女の彼女たる所以だった。
私は女王国が誕生したあの日から今までずっと彼女の側にいた。
そしてこれからもそう望み続ける。
今更私の気持ちが揺らぐことはあり得ない。
私は今日、ようやく知ることが出来たのだ。
――忠誠とは課せられた役目ではなく、心の底から湧きあがる衝動なのだと!
忠誠を誓う相手が存在するということは、何と幸せなことなのだろう!
私は陛下の為にこの命を捧げたいと、初めて強く強く願った。
私の表情から決意を見て取ったのだろうか、陛下は溜め息を一つ零した。
「……レッド。貴方の仕事は何かしら?」
彼女の口から出てきたのは落ち着いた声。
いつもの女王陛下としての声だった。
今こそ騎士としての務めを果たす瞬間。
「――近衛騎士として主の盾となることです」
嘘偽りない心の底から湧き出てきた言葉。
私の人生で最も晴れやかな瞬間だった。
「……主の名は?」
「もちろんアリシア=ミア=レイクランド女王陛下です」
私は彼女の目を見つめてそう返答した。
「……まだ、私を陛下と呼んでくれるの? こんな浅ましい野望を抱いて、散々貴方たちを振り回してきたこの私を……?」
私は黙って一礼した。もう言葉など必要ない。
「……そう。……それが貴方の出した答えなのね。……よろしい。ならば貴方の命は私が預かるわ」
ようやく陛下の表情に笑顔に戻った。
いつものちょっと斜に構えているような笑顔ではなく、初めて見る類の笑顔。
使い古された表現だが、まるで花が咲くかような乙女の笑顔。
全てを包み込むかのような、真に忠誠を誓った者だけに見せる、そんな風に思わせるような笑顔。
私はこの笑顔を守る為に命を使おう。
それは国と民を守ることと同義だ。
私はその為に水の公国で生を受けたのだと、今確信した。
「……ははっ! どうぞ好きにお使いください。我が命尽きるまでお供致します!」
私は一気に剣を鞘から抜いた。――赤く光る刀身に忠誠を乗せて!
こんなにも誇らしい。
これぞ近衛騎士の本懐だった。
「……4対2で勝てるとでも思っているのか? 俺たちは強いぞ?」
今まで黙っていたクロードが静かに口を開いた。
――確かに厳しいだろう。
数的な不利もあるが、魔法使いのルビーはキャンベル殿の姪、そして狩人のサファイアはパールの姉。
彼女たちを殺してしまう訳にはいかない。
その上で四人全員を叩き伏せるというのは非常に厄介だ。
そんなことよりも、むしろ彼女たちをこちらへ引き込むほうが簡単だろう。
おそらく陛下も真っ先にそれを考えるはず。
その手練手管は他の人間の追随を許さない。
横目で彼女を覗えば、無言のままじっと相手方を見つめていた。
――厳密にはトパーズを。
以前、陛下自らが出向いてトパーズを勧誘したことがあった。
「そのときが来たらもう一度問うからそれまでに決めておけ」と言い残しその場は退いたと聞いている。
そして、それが今なのだろう。
再度にして最後の勧誘。
これで物別れになるのならば、もう敵同士なのだと。
トパーズは陛下の射抜くような視線を数秒間受け止めると、困ったような表情で天を仰ぎ、小さく溜め息をついた。
そして無言のままゆっくりとこちらに歩いて来る。
「……おい!」
トパーズの突然の裏切りに唖然としたクロードが声を掛けるも、彼は歩みを止めない。女性二人は呆然と彼の後姿を見ていた。
やがてトパーズは中間地点付近で足を止めると、仲間たちに振り返った。
「……クロード、……何故皇帝を殺した? あれ程皆が止めたのに! アリスの言うように魔王復活の為か? 我々パーティはお前に騙されていたのか? ……神は今、何と言っている? 答えろ!」
トパーズが低い声で問いかけた。
これがクロードに対する最後通牒だろう。
「……聞こえないんだよ! さっきまであれだけ俺の頭にうるさいぐらい響いていたのに! ……今は何も聞こえないんだ!」
それに対してクロードはそう叫び何度も首を振るのだ。
「……そうか、分かった。……もういい」
トパーズは深呼吸すると残り半分の距離をこちらに向いてゆっくりと歩く。
そして陛下の隣に立った。
これで3対3だ。
「ルビー……キミはどうする? 私と一緒にこちらで戦ってくれないだろうか?」
トパーズが静かな、それでいてどこか甘い声で彼女に尋ねた。
これで10章が終了しました。
この章だけで何万文字と書いておきながら、ストーリ的にはあまり進んでいませんね(笑)。
その分残り2章で徹底的にバラ撒いた伏線を回収するつもりです。
……その前に断章を挟みますが。
それではこれからもよろしくお願いします。




