第8話 クロード、皇帝に剣をブッ刺す。
「……どういうことだよ!」
皇帝の身体に痣があるだなんて思っていなかった。
アリスと宰相の出まかせだろうと。
あんな魔王復活だなんて嘘っぱちで大人が騙される訳ないってことを、ここにいるみんなに見せつけてやるつもりだったのに。
『痣などただのハッタリに過ぎん。彼奴は皇帝を殺させない為にどんな手でも打ってくると、先に伝えておいただろう?』
「……ッ、……わかっているよ、そんなコト!」
――アリスはそういう女だ。
それは僕たちが一番身に染みて分かっていることだ。
バトラーさんが追いやられ、ヴァイスさんは口封じさせられた。
ロレントさんは丸め込まれて、もう役に立たない。
おそらくテオドールさんや教会の人たちもみんなアリスの手の中に――。
『何を迷っている! 早くするのだ! ようやくここまで来たのだぞ! 早く、アリスの野望を打ち砕け!』
「……チッ!」
思わず舌打ちする。
さっきから神の声がうるさい。
何度も何度も皇帝を殺せ皇帝を殺せと、しつこい。
その一方でロレントがアリスが宰相がシーモアが、他の者たちがやめろやめろと騒ぎ立てる。
……本当にイライラする。
「……うッ……」
苛立ちのせいで思わず力が入ってしまったのか、ずっと黙り込んでいた皇帝が呻き声をあげた。それを聞いた宰相が言い含めるような猫撫で声で話しかけてくる。
「話せば分かる。……とにかく一旦皇帝陛下を放してくれないだろうか?」
まるで人質を取って立てこもる罪人を宥めるかのようだった。
事実、彼はそのつもりで僕を説得しようとしていたのだろう。
……話せば分かるだって? 何だよそれ?
お前こそ宰相のクセに、魔王なんていう存在するかどうかも分からないモノを信じ込んで、この国を歪ませてきた張本人だろうが?
そんな人間が、さも僕のことを乱心した人間として扱おうとするなんて。
幾ら何でも冗談がキツ過ぎるというモノだろう?
周りを見渡せば、みんなも僕のことを頭のおかしい人間を見るかのような目つきでこちらを眺めていた。
……だから、僕は正常だって!
頭がオカシイのは平気で魔王などと言い放つアリスと宰相の方なんだって!
「みんな、僕の言うことの方が正しいんだ! ……どうして信じてくれないんだよ!?」
僕は彼らの視線に耐え切れず、全力で叫んだ。
トパーズは彼らと一緒になって「やめろ、皇帝を放せ」の合唱に参加していた。
ルビーも控え目だが、取り敢えず落ち着くように促してくる。
サファイアも僕の味方をする訳でもなく、心配そうにこちらを見つめていた。
――パーティのみんなも僕の言ってることを信じてくれない。
……何でこんな風になってしまったのだろう。
今まで一生懸命頑張ってきたのに。
誰にも後ろ指を差されることのないよう、今まで真っ当に生きてきたのに。
あの養成学校の襲撃があって、何も出来ずに逃げ出すことしかできなかった僕。
そんな自分の不甲斐なさに打ちひしがれていたとき、モンスターに襲われているレスター君を見つけた。
彼を助けたその瞬間、僕は初めて『聖騎士とは何なのか?』という自分自身に対する問いかけに答えを見出すことが出来たのだ。
マインズ町長のアンドリューさんに想いを託され、ギルドで仲間を集めて王都へと陳情に向かった。
その後、東方3国では偉い人たちに粗雑な扱いを受けたけれど、それでも平和の役に立つならばと、頑張って彼らの命令を聞いた。
帝国に入ってからも困っている人たちの為に戦ってきた。
レジスタンスに加入して、与えられた任務を文句も言わず確実にこなしてきた。
神の声が聞こえるようになって、自分のやってきたことは間違いではなかったと感じることが出来た。
そして神の言うままに、勇者としてかくあるべしと王道を歩いてきた!
――それなのに! 何故こんな風になってしまったんだよ!
いつの間にか周りは敵ばっかりじゃないか!
……これじゃ、まるで僕一人だけが悪者みたいじゃないか!
マール神はアリスが悪いと言っているのに!
僕もその通りちゃんとみんなに神の言葉を伝えてきたのに!
なんで誰も信じてくれないんだよ!
『……早く皇帝を殺すのだ。迷うな! 我を信じろ! アリスの思い通りになってもいいのか?』
神が頭の中に直接声を叩き込んでくる。
さっきよりも大きい声で。ガンガン響いてくる。
――本当にうっとうしい。
「……だから! ……僕はそんなことが、聞きたいんじゃないって!」
マール神はそればっかりだ。
ただ『殺せ』と! ただ『アリスの思い通りにするな』と!
ひたすらそれだけを繰り返してくる。
――理由もなくヒトを殺せる訳がないだろう?
僕にだって道徳心ぐらいはあるのだ。
マール教でも「みだりに人を殺すべからず」と言っておきながら、一方で自身は殺せ殺せと平気で言い放つ。
神がそんなに自分勝手でいいのか?
バトラーさんの立場ならば、皇帝が邪魔だという理由がある。
だからといって皇帝を殺すというのは間違っているが、辛うじて理解は出来る。
だけどマール神は、何故こうも僕に皇帝を殺させようとするのだろうか?
何の理由もなく僕に皇帝を殺せと伝える訳がないはず。
絶対に何かあるのだ、絶対に!
だけどそれを言えば僕は皇帝を殺さないと考えているのだ。
一度そのことに疑問を持ってしまうと、僕の心の奥底から際限なく神に対する不信が湧き上がってきた。
「頼むから冷静になってくれ!」
――トパーズが叫んでいるのが、どこか遠くで聞こえた。
……冷静だよ。僕は今、すごく冷静だ。
久し振りに冷静に物事を考えることが出来ている。
だから静かにしてくれ。
「皇帝陛下を殺してもアリスの立場は変わらないぞ!」
――ロレントさんも叫んだ。
……あぁそうだね。
本当にその通りだ。僕も今まさにそれを考えていた。
むしろ、皇帝が居ない方が、アリスは女王としてやりやすいだろう。
冷静になれば誰でも分かることだ。
――皇帝を殺したところで、アリスの野望は打ち砕かれない。
その考えに辿り着いた瞬間、皇帝を捕まえている腕から力が抜けた。
皇帝は僕の迷いを見て取ったのか、拘束が緩むと身体を捻って抜け出そうとする。僕はそれをどこか遠いことのように感じていた。
――だが、次の瞬間、僕は彼女の叫び声で我に返った。
「――お願い! どうか皇帝を解放して頂戴! もし何か待遇に不満があるなら私が何とかするから! 貴方だけ仲間ハズレにしないわ! ちゃんと貴方のことも女王国が面倒を見てあげるから!」
アリスが悲壮感の漂う表情でこちらを見つめながら叫んでいた。――心の底から僕を憐れむような目で。
次の瞬間、皇帝を絞める腕に力が戻った。
「……ふざけるなッ!」
お前は、本気で僕がそんなことの為に駄々を捏ねていると思っていたのか?
今の境遇に不満があって? 大きなお世話だ!
冗談じゃない!
この僕を馬鹿にするのも大概にしろ!
……もうマール神の意思なんて関係ない!
ただアリスの思い通りにコトが進むコトが、それだけが許せなかった。
「そんなことの為に皇帝を殺すんじゃない! セカイはお前のオモチャじゃないんだ!」
『そうだ! アリスの言うことに耳を傾けるな! ヤツは魔女だ! 魅入られるぞ! 早く殺せ! 早く皇帝を殺すんだ!』
「お願いだから! 私たちの言葉に耳を傾けて!」
なおもアリスが叫んだ。
そのヒロイン気取りの悲鳴が酷く耳障りだった。
――私たち、だって?
なんだそれ? お前、ナニサマなんだよ!
絶対にお前の思い通りにはさせないからな!
『早く! 早く! 殺してしまえ! アリスの言うことなど聞かなくていい!』
マール神が上ずった声で何度も殺せと命じてくる。
頭がどうにかなってしまいそうだった。
……ちくしょう! ちくしょう! チクショウ! チクショウ!
お前ら、よってたかって好き勝手なことを言ってんじゃねーよ!
アリスもトパーズもルビーもサファイアも、ロレントさんも宰相もみんなみんなみんなみんな!
……マール神、テメェもだ!
「クソ! テメェら、この俺に、……やいやい言うんじゃねぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
俺は叫びながら剣を振り上げた。――ロレントさんからもらった剣を!
一斉悲鳴や罵声が飛び交う。
知ったことか。……知ったことか! ……知ったことかァァ!!!
俺は渾身の力を込めて、皇帝を後ろから――。
――ブッ刺してやった。
皇帝が小さく悲鳴を上げ、ゆっくりと力なく崩れ落ちていく。
宙を掴むかのように指を動かしていたが、やがてそれも動かなくなった。
……やった!
ついにやってやった!
テメェらの思い通りになると思うなよ、クソが!
ざまぁみろ!
広間は完全に静まり返っていた。
俺は清々しい気分で周りを見渡した。
こんなに心地いい感じになったのは本当に久し振りのことだった。
全員揃いも揃ってこっちを見つめながら、マヌケ面を晒してやがる。
余りにも滑稽だったので笑いが込み上げてきた。
「ハァ? ……なんだよ? 魔王が復活するって? バカじゃねーのか? 何を頭のオカシイこと言ってんだよ、テメェ――」
俺の言葉を遮るかのようにゴーン、ゴーンと大きな音が鳴り響いた。
教会のそれとは違う、どこか禍々しい鐘の音。
ほんの先程まで遠くまで見渡せそうな青空だったのが俄かにかき曇り、空の色は一面紫に染まっていった。
いつ鳴り終わるのか分からない、ずっとずっと鳴り響く鐘の音。
どこから聞こえてくるのかとバルコニーの先に目を凝らせば、水平線の向こう何かが見えた。
……島なのか?
そこにあるあの建物のようなモノは……城、だろうか?
あんなモノは無かったハズなのに。
ようやく鐘の音が止んだ。
何が起きているのか分からないまま、誰も口を開こうとしない静まり返った部屋内で、一人宰相が呟いた。
「……おそらくあれが魔王城だ」
この場にいる全員が水平線の先を見つめていた。




