第6話 宰相ニール、アリスの電撃訪問を受ける。
手持ち無沙汰で机の上の整理をしていたら、不意に城内が騒がしくなった。
ついにレジスタンスの侵入を許したようだ。
――おそらくこれが最終決戦になるだろう。
しかしながら、もう私に出来ることは何一つとして残っていなかった。
無理な姿勢で固まってしまった腰をトントンと叩きながら大きく伸びをすると、今度は机を磨くことにした。
――やはり停戦期間中、女王国が中立派領主たちを根こそぎ奪っていたのが大きかったのだろうな。
私は机を磨きながら、そんな詮無いことを取り留めもなく考えていた。
女王はどちらにつくかまだ決めかねている彼らに、こちらでもレジスタンスでもなく、女王国に乗るという第三の選択肢を突き付けた。
女王国はどちらが勝ってとしても上手くやっていけると、停戦の仲裁をしたことで証明して見せたのだ。
この内戦は女王の協力を取り付けた陣営が勝つ。
誰もがそう思ったに違いない。
更に言うならば、わざわざどちらか勝つのかを見極めなくとも、ホルスのように初めから女王に付いておけばリスク無く領地は安堵される。
それを悟った目端の利く領主たちは一も二もなく女王国に乗ると表明した。
結果として彼女の目論見通り、強大過ぎる第三極が出来上がったという訳だ。
停戦が明けると、女王国は何の躊躇いもなくレジスタンスに合流した。
その後の戦況は予想するまでもなかった。
敗因を挙げるとすれば、やはり女王とメルティーナを同時に敵に回したことだろうか。
だが今更それを嘆いたところでどうしようもない。
アリシア女王を恨むつもりは毛頭なかった。
彼女の最善は女王国の最善であり、かの国民の最善だ。
国を率いる者として当然のことをしたまでであり、むしろ即座にその決断が出来る彼女は国家元首の鑑だと言えるだろう。
私に出来たことといえば、こんな私に従うことを選んでくれた者たちを無傷で下らせ故郷に返すこと。せいぜいその程度だった。
そして先日私の意図を十分に理解したコール将軍が、全ていい様に取り計らってくれたとの報告があった。
もう心残りはない。――いや本当はあるのだが、もう知ったことではない。
セカイが私を選ばない以上、私がセカイの為にしてやらねばならないことなど何一つない。
私は綺麗に磨き上げた机の光沢具合に満足すると、引き出しを開けて隠し持っていた毒のビンを取り出した。
私は改めてこの慣れ親しんだ執務室を見渡した。
宰相の部屋としてはいくら何でも狭すぎる。だが私はここで数十年の時を、それこそ人生の大半をこの部屋で過ごしてきたのだ。
――私にとってはこれ以上ない死に場所だろう。
口煩い甥っ子もいない。
彼には別任務を与えておいた。……ここまで私に付き合う必要などない。
一族の秘密は教えていないが、それでも何かを感じてくれたのか納得したそぶりを見せた。
今頃は私の命令に疑問を持ちながらも、せっせと準備をしていることだろう。
兄上は本当にいい息子を持ったものだ。
フリッツに指示した別任務とはあくまで最悪の場合に備えてのことだ。
全く意味がない可能性もある。……むしろそちらの方が遥かに高い。
もし懸念していたことが起きなかったとしたら。
そのとき私は一体何を思うのだろうか?
人生を懸けてまで、友を失ってまで守ろうとしていたことが、トチ狂った先祖によるただの戯言だったとしたら?
世間の者たちは私たちを、代々妄言を信じ続けて帝国を混乱に陥れた愚かな大悪党一族だと嘲笑うに違いない。
……そして私はその声に耐えられないだろう。
私の心はそんなに毅くはない。
結果を知るのが怖い。
だから私は死を選ぶ。――死ぬことに一筋の活路を見出す。
私は大きく深呼吸をして覚悟を決めた。
そしてこの期に及んでまだ震える指に少々呆れながらも、慎重にビンの蓋に手をかけた。
次の瞬間、破裂音と共に私の後方の窓が開け放たれた。
部屋内に突風が吹き、机の上に綺麗に束ねておいた報告書類が舞い散る。
ビンを片手に慌てて後ろを振り向くと、そこにいたのは以前会ったときのような軽装のアリシア女王だった。どうやらカギごと蹴り開けられたらしい。
「……相変わらず貴女は神出鬼没だな」
「えぇ、それが信条ですから」
彼女が例によってあの余裕の笑みを浮かべながら、窓枠に立っていた。
風に煽られて外へ落ちてしまったら、どうするつもりなのだろうか?
……それならば、一気に戦況がひっくり返るかもしれない――。
私が不用意にもそんな危なっかしい彼女に気を取られていると、音もなく後ろから近付いてきた誰かに毒ビンを取り上げられていた。
振り向けば、パールとか言った少女がビンを大事そうに両手で持ち、私に恭しく一礼する。
「……もしかしてその毒を呷って、死に逃げるつもりだったとか?」
女王が私をどこか嘲るような目つきで睨んできた。
「……何とでも言うがいい。もう私に残された仕事などない」
「――代々の言い伝えが嘘かもしれないと、……それを知るのが怖いのでしょう?」
ズバリ心中を言い当てられた。
思わず何を! と反発しかけて詰まる。
……まさか! この娘? ……知っているのか?
混乱する私を尻目に女王は窓枠から軽やかに飛び降りるとソファに腰かけた。
楽しそうに笑っている。そして生意気にも視線だけで私に座れと命令してきた。
――どうせ毒は取り上げられてしまったのだ。
私は観念して彼女の向かいに座ることにした。
「――私がレジスタンスに飲ませた主張を考えてください」
どうやら女王は私の疑問に答えてくれるつもりらしい。
彼女の提示した条件。――皇帝は排除しない、絶対に殺してはならない。
何度もレジスタンスに言い含めたらしい。
「もし私が貴方と同じコトを考えているとしたら? ……何か見えてくると思いませんか?」
女王が不敵に笑った。
……もしかして本当に知っているのか?
妹すら教えてもらえなかったことだぞ?
秘密主義の一族の人間の中でも、ごく僅かの者しか知らない秘密を!
私でさえ、このことを知らされたのは妹が出奔した後だった。
それをこの娘が知っているとでも?
だが、……もしもそれを知った上で、ここまで立ち回っていたならば――。
「初代皇帝の血による魔王封印の維持。……貴方たち一族は愚直にもずっとその為だけに動いていたのでしょう?」
彼女の言葉が私の疑問に対する答えだった。
衝撃の余り、何も言えず黙り込んだままの私の眼を見つめ、今度は彼女が問いかけてきた。
――まるで私という人間の器を量るかのように。
「……仮に皇帝の首が落とされ、一族の言い伝え通り魔王が復活したとして、そうすれば宰相殿は今までの人生は無駄ではなかったのだと、ようやく心の平穏を取り戻すことが出来るのでしょうか?」
「まさか!」
私は反射的に声を上げた。
……しかし本当にそうだろうか?
――もう知ったことか。
その言葉の奥には私の考えなど理解しない者たちに罰を与えてやりたいという、そんな浅ましい思いなど全く無かったと、本当に言い切れるのだろうか。
私の逡巡などお見通しなのだろう、女王はクスリと笑声をもらすと続けた。
「そうですね。それは為政者として一番考えてはいけないことです。『そら見ろ! 私の言った通りではないか! もう終わりだ! これがお前たちの招いた結果だ!』なんて荒廃したセカイを見渡しながら自らの正当性を叫んだところで何の解決にもなりませんし」
「……当然だ。我々は最悪を回避するために手を打ち続けないといけない。たとえ杞憂でも最悪に備えて動くべきだ」
私の嘘偽りない心からの言葉に、女王は我が意を得たりという表情を見せる。
「では、宰相殿もすでに手は打っておられると考えてもよろしいのですか?」
「あぁ、甥のフリッツに指示は出してある。……ということは?」
微妙に引っ掛かる言い回しだった。
私の問いかけに彼女は笑顔で頷く。
「はい、私も信頼できる将軍に指示を出しております。……それと勝手だとは思いましたが、コール将軍もお借りしました」
そうか。……やはりこの娘は想像通りの人間だった。
「……貴女のように頭の切れる人間が、本気でこんなおとぎ話を信じているのか?」
どうしてもそれが気になった。
一族の私でさえ信じていないのだ。遠く離れた他国の人間ならばなおのこと。
「いいえ。全然。全くもって。……ですが、何か起こってからアタフタしたくないですし。……それとも宰相殿はみっともなく慌てふためく姿を民衆に晒したい類の方だったりします?」
そう言い放つと女王はイタズラっぽく笑うのだ。
その姿が妹と完全に重なった。
おそらく彼女自身、心の底から魔王が復活するなどと考えていないのだろう。
それでも、こんなこともあろうかとキチンと準備していたのですよと、誇らしげに高笑いしたい人間なのだ。
――それでこそ『アリシア女王』だ。だから彼女は今ここにいるのだ。
私程度の人間では相手にならないのも仕方ないだろう?
こんな状況にも関わらず、何故か笑いが込み上げてきた。
「――そうですね。正直に申し上げましょうか」
女王が目を閉じて天井を見上げた。
――口元だけに凄絶な笑みを浮かべながら。まるで誰かに聞かせるかのように。
とは言えこの小さい部屋には、私と側付きの少女しかいないのだが。
「私はこの国、そしていずれはセカイを手に入れるつもりです」
別に驚くべきことではない。
むしろそれ以外は考えられなかった。
「……ですが、それは魔王やモンスター、戦争や貧困によって荒廃したセカイではありません」
そして力のこもった視線でこちらを射抜く。
彼女の後ろに控えていたパールという娘も、一言も聞き漏らすまいと真剣な表情で聞き入っていた。
「これ以上戦争をするつもりもありません。……もう充分に女王国の力は示しましたから。あとは裏から仕掛けていけば、何とでもなるでしょう」
確かに今回の戦争で女王国は帝国人に対して圧倒的な軍事力を見せつけた。
それに今更裏工作などせずとも、すでに我が帝国は女王国によって絡め取られているも同然だ。
「皇帝の血を絶やすつもりもありません。それを後世に継ぎながら帝室そのものを緩やかに女王国の支配下に置いていくつもりです」
気の長い話だが、はじめから彼女はそれを狙っていたのだろう。
だからレジスタンスにその条件を突きつけたのだ。
聖王国を乗っ取ったときも王族は殺すことなく、今も生かしていると聞いている。
おかげで速やかに女王国へと権力の委譲が進んだという。
これこそが女王のやり方なのだろう。
「宰相殿はもうこの国ですることは無いと仰られましたね? それならば女王国に来ませんか? 私が貴方に仕事を与えましょう。何せこれからの女王国にはやらなければいけないことが山積みなのですから。私が責任を持って貴方の能力を活用致しましょう」
そういうと女王は嫣然と微笑むのだった。
「……だが、もう間に合わないかもしれない」
こうして話している間にも陛下の首が落とされているかもしれない。
「それは安心してもいいと思います。シーモア殿には私からの伝言を届けてあります。……必ず宰相殿を生かして目の前に寄越すから、それまで何があっても皇帝を守りなさいと。……彼はそれを了承しました。今も彼は貴方が現れるのを待ちながら必死で戦っているはずです」
後ろのパールが大きく頷いた。
きっと彼女がその役割を買って出てくれたのだろう。
厳戒態勢の城内でシーモアに伝言を届けるのは命懸けだったに違いない。
それでも、この少女はセカイの為に任務を果たしてくれたのだ。
そして今もシーモアは私を信じて戦っている、と。
私の心に何か熱い思いが蘇ってくるのを感じた。
今になって逃げようとしていたことが恥ずかしくなってくる。
死ぬのはいつでも出来る。
だから今は今しか出来ないことを――。
「……了解した。謁見の間に急ごう」
私は勢いよく立ちあがった。
扉を開けて部屋を飛び出そうとする彼女たちを呼び止め、私は壁際の本棚をずらした。
そこ現れたのは隠し扉。その先にあるのは皇帝の私室へと繋がっている通路。
これこそ前皇帝陛下の信頼の証だ。
「こちらのほうが早い」
本来この部屋は歴代宰相の執務室ではない。
私は宰相になる前からずっとこの部屋を使ってきたのだ。
宰相に就任してからも、部屋を離れることを許して貰えなかった。
深夜残っている仕事に打ち込んでいると、本棚の奥からノックが聞こえるのだ。
棚をずらし扉を開けると、いつもそこに笑顔の陛下がおられた。――差し入れを持って。
……『あの日』以降それは途絶えてしまったが。
それでも部屋を移せとは言われなかった。
今でも深夜仕事をしていると、そのノックの音が聞こえるような気がして胸が締め付けられそうになる。
崩御の間際、陛下は私の目を見てこう仰った。
幼いあの子を頼む、と。……この国を頼む、と。
今こそ私は陛下との約束を守る時だ。
私はその気持ちを胸に駆けだした。




