第2話 ゴールド、一筋の光明を見つける。
「――なんということだ!」
私は部屋に戻るなり、目に触れた置物を乱暴に持ち上げると、そのまま足元に叩きつけた。
何事かと慌てて部屋に入ってきた執事は、その光景を見て全てを察すると無言で掃除を始める。
私はそれを眺めながら、椅子に腰掛け天井を見上げていた。
あまりにも酷い。最悪だ。まさかこんなことになるとは。何故? どこで、何を間違ったのか? ――見事にそういった類の言葉しか浮かんでこない。
それ程、今日の会議は酷いモノだった。
あの女王の主人面ときたら! 思い出すだけで忌々しい。
あれではまるで我々は女王の臣下のようではないか!
女王国ごとき木っ端勢力が何故あのように大きい顔をしていられるのか。
しかも我が帝国の故郷とも言えるイーギスを女王国の前線基地とし、由緒ある王城を女王国軍の宿舎替わりとして使いたいなど、と。
挙句『レオナール殿下は女王国の邪魔にならないよう、速やかに別の場所に移動せよ』とまで。
ロレントもロレントだ!
何故あのような横暴な振る舞いを許すのか?
あれではレジスタンスは女王国の言いなりだと認めるようなものではないか!
テオドール夫妻も完全に女王の配下となり果てていた。
――妻のクロエなどは堂々と女王の横に座りよって!
下級貴族共も私たちを見下すような目をしてこちらを見ていた。
「……このような屈辱!」
私は目についたグラスを床に投げつけた。
今日の会議では意見すら求められなかった。
そもそも最初から存在しないモノとして扱われていた。
もはや我々上級貴族はレジスタンスにおいて、全く必要とされていない勢力にまで落ちぶれてしまった。
――栄えある帝国貴族の誇りを守る為にも、これ以上女王国に好きなようにはさせられない。
それは分かっているが、女王にはヴァイスの件で借りを作ってしまった。
だから表だって批判することも許されない。
どうすればいい? 私も女王のいいなりになるしかないのか?
――否!
このままでいい訳がない!
だが女王に対抗する為にはどうしても力が必要になるのだ。
ヴァイスはもう死んだ。ロレントは頼りにならない。貴族仲間や私兵団は期待できない。
もう私の手に残っているのは彼らだけだった。
今日の会議後の空気に何かを感じていたのか、私の呼び出しにクロード君も時間を置かずに姿を見せた。
私はいつものように愛想を振りまく気にもなれず、挨拶もそこそこにして早速本題に入ることにする。
「――何としてもレオナール様を皇帝に。それ以外に私たちに残された道はありません」
クロード君も沈んだ顔で同意した。
どうやら彼自身も相当厳しい立場に置かれているようだ。
トパーズは女王本人から勧誘されている。
ルビーは女王国の重鎮キャンベルの姪だという。
サファイアも、女王の側近で今日の会議にも出席していた小娘の姉だという。
そんな彼らに引き替え、彼は何度も女王の機嫌を損ねていた。
女王の敵だと認識された人間の未来は明るくない。
それはもはやこのセカイの常識となっていた。
――そういう意味では私たち二人は似た者同士だった。
不意にクロード君が中空を仰ぎ見た。例によって神の声だろう。
しばらくすると彼は無言のまま頷いた。
「……マール神は何と仰られたのです?」
「……必ず皇帝を殺せと。皇帝さえ殺せば僕たちの道は拓けると。……絶対にアリスの思い通りにさせるなと」
「そうでしょうとも!」
やはり神はこちらの味方なのだ。
まだ負けたわけではない。
しっかりしないと。弱気は最大の敵だ!
何としても皇帝を抹殺し、レオナール殿下をその座に即位させる。
改めてそれを誓い、その場は解散となった。
――だが、このままでは足りない。
クロード君には悪いが彼だけではどうも心許ない。
彼が帰った後、私はしばらく椅子に凭れながら物思いに耽っていた。
もう少し何か、突破口になりそうな別方向からのアテが欲しい。
何か。……何か。もっと直接的に女王に一撃を喰らわせるような何か。
そのようなことを取り留めもなく考えていると執事が来客を告げた。
「今は誰にも会いたくない。帰ってもらいな――」
名前も聞かず追い返そうとしたが、一瞬頭の奥に痺れのような違和感が走る。
落ちぶれた私をわざわざ訪ねてくる人間だと?
悲しい話だが今の私は何の価値もない人間だ。
そんな私に用があるというのは――。
「……どちら様だ?」
私は声を抑えて執事に尋ねた。
「その……ケイト=ターナー嬢でございます」
その瞬間何かが嵌まったような気がした。
「お目通りしていただき、ありがとうございます」
ケイトは部屋に入るなり丁寧に頭を下げた。
以前のような強気な態度はそこにはなかった。
緊張しているのか随分と表情が硬い。
「これはまた、珍しいこともあるものですな」
私は出来るだけ余裕を見せながら彼女をもてなした。
急かすようなマネだけはしない。
足元を見られてしまえば、目も当てられない。
……絶対に何か、あるのだ。
レジスタンスでもなく、ターナー家の人間としてでもなく、ケイトという一人の女性としての話が。
この私にしか聞かせられないような話が!
「……人払いは済んでおりますよ」
私は笑みをもって促した。
どう考えても後ろ暗い話だ。――だからこそ、そこに何かの光明があるはず。
私は彼女が話し出すのを焦らずにじっと待ち続けた。
ケイトはしばらく逡巡の様子を見せていたが、ようやく心を決めたのか躊躇いがちに口を開いた。
「その……オランド神官長を殺して欲しいのです」
これには流石の私も驚いた。
まさかその方面の話とまでは予想していなかった。
言葉も出ない。
だが、彼女はそれを無言で促したのだと思い込んだらしい。
私の目を見ながら大きく頷くと、ゆっくりと話し始めた。
「……今まで黙っておりましたが決起集会から内戦突入までの、この一連の流れは全て女王と教会が仕組んだモノなのです」
それは私も薄々感じていたことだった。
女王国はこの内戦で帝国を動かすまでの力を手に入れた。
教会も無傷のまま勢力を確保し、女王国とも円満の関係を築いている。おまけに停戦交渉では神官を戻すだけで済んでいる。
私たちはこんなにも血を吐きながら、のたうち回っているというのに、だ!
女王国と教会が初めから繋がっているのであれば、更にその上で教会に不利益が出ないように宰相との停戦合意が為されたのであれば……。
――『教会は女王国のみならず宰相とまでも繋がっていたのではないか?』
そう考えるのが自然だった。
「以前私はイーギスの援軍の件でゴールド卿を陥れるようなマネを致しましたが、それもオランド神官長の発案でした。……あのときは本当に申し訳ありませんでした」
ケイトが申し訳なさそうに深々と頭を下げた。
なるほど。確かにヤツの好きそうな手だった。
目の前で震えているような、こんな小娘にあのような姑息な手が思いつくはずもない。
私は鷹揚に頷いてその謝罪を受け容れてやった。
彼女は小さく「ありがとうございます」と呟くと話を続けた。
「私も探りを入れてみましたが、どうやら教会は最初のイーギス派兵も、今回のイーギス侵攻のことも掴んでいたようです。……更にその情報を女王国にも流していた可能性があります」
……何ということだ!
そこまで女王国と教会は深く繋がっていたのか!
そしてあの女狐はその情報を使って、まんまと私たちを追い落としたのだ。
だからあの教会に対して提示された停戦条件は、不自然なほど甘いモノだったのか……。
私は目の前の娘に気付かれないように歯を食いしばった。
「女王は教会を通じてこの帝国を後ろから操るつもりだと思います」
「……間違いなくそうでしょうな」
「教会も女王国を後ろ盾にして今まで通り、いえ今以上に権力を握るつもりでしょう」
それも間違いないだろう。
この内戦は全てその為の布石だったのだ。
むしろこの内戦はより強い権力を握りろうとした教会によって引き起こされたモノだといっても過言ではないだろう。
私たちはまんまとそれに巻き込まれ、力を削がれてしまったという訳だ。
「……たとえレジスタンスがこの戦争で負けたとしても、女王国と教会は無傷で済むように話がついているのではないかと思われます」
その通りだ。
女王国が二股を掛けているのはすでに周知の事実だ。
その女王国の尻馬にホルスたち下級貴族が乗っかっていることも。
その上、更に教会までも、ということだ。
反対にこちらが勝ったとしても皇帝と宰相の命は助かる。
今日の会議でそう決まってしまったのだ!
……私たちは今まで一体何の為に戦ってきたというのだ!?
これではただの茶番劇ではないか!
この内戦はどちらが勝ったとしても我々の負けが決まっていたのだ!
「何としても今のうちに女王国と教会を切り離しておかないといけません! ……ですがアリシア女王にスキはありません」
「……確かにあの小娘をどうにかするのは無理ですな」
何度か私も手の者を公館に近づけようとしたが、粗末な建物の割にそういった対策は白銀城よりもしっかりしているとのことだった。
ケイトも頷く。
「ですからオランドの方を……という訳です」
「しかし次の神官長が女王と繋がれば――」
私が話そうとするとそれを遮るようにしてケイトが顔を近づけてきた。
そして声をひそめる。
「……それなのですが、私は長らく父の名代として教会との間を繋いで来ました。それで、ですね。……見当たらないのですよ。彼の後継者になりうる方が……」
……あぁ、確かに。そんな人間などいない。
全てオランドが排除してきたのだ。
今や次兄殿下である枢機卿ですら彼に対抗できないという。
そんな彼が居なくなってしまえば、きっと小物たちが内部で喰い合うことだろう。
そしてもし私がその主導権争いに一枚噛むことが出来るならば、必然的に存在感も高まってくることだろう。
そもそもオランドがいないというだけで我々の利益なのだ。
――だが、今晩の私は冷静だった。
どうしても彼女の話の中に引っ掛かる部分があったのだ。
「よく分かりました。貴女の仰ることもごもっともです。……ですがね、私にはどうしても解せないのですよ。……貴女もどちらが勝ったところで無傷で済む側の人間でしょう?……この私と違って、ね?」
そう。
どう考えても、わざわざこの娘が動かなければいけない理由が分からないのだ。
父親のテオドールはこんな余計な工作をしなくても、次期宰相の地位が転がり込んでくる。
母親のクロエは女王国で確固たる地位を築いている。
そんな二人の娘ならば順風満帆といってもいい。
この状況に喜ぶことはあっても阻止する必要はないはずだ。
……それなのに何故、目の前の娘はこんなにも苦渋に満ちた表情をしているのだ。
そこにカギがある。
彼女は息を飲んで黙り込んだ。そして目に見えて狼狽え始める。
間違いなく私は彼女の急所を突いたのだ。――そう確信する。
だからと言って私は彼女を追い詰めることなく、急かすこともなくひたすら待ち続けた。
「……そうですね、私は無傷でしょう。……ですが彼は……」
ケイトは何とかそれだけ口にすると再び俯き黙り込んだ。
――そうか。
彼女が懸想する相手――ロレント。
彼もクロード君や私同様何度も女王に歯向かっている。
この戦争に勝ったとしても、女王の不興を買っている彼は日の当たる場所に立てない可能性がある。
今までレジスタンスのリーダーとして組織を引っ張ってきた人間なのにも関わらず、だ。
――負けてしまえば最悪だ。斬首は免れない。
「……私は彼がヴァイス将軍の二の舞になるのではないかと、それだけが心配で……」
ケイトは手を小刻みに震わせながら、私に縋るような視線を寄こしてきた。
これこそ彼女が一番恐れていたことだった。
出来ることならば隠し通したかった『動機』。
彼女は真っ青になった唇を震わせながら、堰を切ったように話し出した。
――女王国、教会、宰相が組めばロレント一人を悪者にして幕引きを謀ることが出来るのだ、と。
実際、ヴァイス将軍はそうなった、と。円滑に停戦手続きを行う為だけに彼の命が消費されのだ、と。
この娘はあの瞬間を目の前で見ていたのだ。
そしてその姿をロレントと重ね合わせた。
これは決して彼女の杞憂などではない。間違いなく起こりうる未来だった。
「……確かに女王からすれば格好の人材ですな」
私の皮肉混じりの言葉にケイトの表情が更に強張った。
「とにかく教会の力を削がないといけません! ……どうか力をお貸しください!」
焦りの中で、なりふり構わず叫ぶ彼女のその憐れな姿が私をより冷静にさせた。
――これがあのケイトなのか。
そう思うとむしろ感慨深いモノがある。
「流石に今ここで決めることは出来ませんな。……もう少し考えさせていただけますかな?」
「ですが! 考えている時間はもうありません! この戦いが終われば女王の思うがままなのです!」
「もちろん、承知しておりますよ。……もしオランドを殺すならばこの戦争の間に……ですな?」
十分理解している。
そう、理解しているのだ。――これはロレントだけに当てはまる話ではないのだ、と。
私もそうだ。
むしろ私は来るべき時が来た時に『消費』する為、ただそれだけの為に生かされていると考える方が自然なのだ。
それがあの女狐の女狐たる所以だろう。
私が考え込んでいると、彼女は音もなく立ち上がった。
「……送りの者をつけましょうか?」
「結構です。折角ここまで人目を避けてきたのですから」
ケイトは煮え切らない私に絶望したのか、憮然とした表情で形だけの一礼をすると、こちらを振り返ることなく去って行った。
「……いやはや恋する乙女というのは一体何を考えるのだか。……全く恐ろしいモノですな」
私は残された部屋で一人呟いた。
ケイトを味方に付ければ、動きやすくもなるだろう。
オランドを殺し、皇帝を殺せば、一気にこちらに流れが戻って来る。
最悪発覚したとしても、オランド殺害の首謀者は彼女だと突き出せば、教会にも恩が売れる。
どちらに転んでも悪くない展開だ。
きっとケイトには才覚があるのだろう。
先を見据えていい計画を立てたと誉めてやりたい気分だ。
だが、オランドを殺したいのであれば自分で勝手に動けば良かったのだ。
所詮は小娘。父親は腹芸の苦手なテオドール。
私のような格上の人間相手に取り引きなど五十年早いということか……。
取りあえず使えるうちは可愛がってやろう。
やはり神は私を見捨ててはおられないようだ。
「……マール様に感謝を」
私は心の底から祈りを捧げた。