#50(最終話)
私の死へのカウントダウンは刻々と近づいている。
あと少しで私の命の砂時計がわずかに残っているが、「私」という存在がなくなる、みんなの記憶から消え去られることが怖い。
*
私の最後の授業である「人権作文発表会」という名の国語が終わった。
帰りの学活を終え、私は教科書とノートを通学鞄にしまっていた時、「野澤さん」と声をかけられた。
どうしたんだろうと思い、顔を上げてみる。
そこには以前、私のことを「カンニング女」と呼んだ男子生徒と何人かが私のところにいたのだ。
「俺……木野の気持ちなんか考えてなかった……」
「もう、あいつには会えないけど、どこかで伝わってるといいな」
「あたし、彼女の立場に立って考えずに篠田さん達と一緒にやってた。本当にごめんなさい!」
「私も」
「野澤さんは許せないと思うけど、僕の気持ちは木野さんに届いてるかな」
彼らの気持ちは確実に私のところに届いている。
「「本当にごめんなさい!」」
「……みなさま……」
最初はみんな、私の発表を聞いてくれないかと思っていた。
なぜなら、私の作文は長くて途中で飽きてしまうかと思ったから。
しかし、私が泣きそうになったタイミングで先生に言われなければ、何を言っているのか分からない発表になっていたかもしれない。
先生には本当に感謝している。
もちろん、端折られた私の発表を聞いてくれたクラスメイトも……。
「みなさまには感謝しています。おそらく、友梨奈さんも喜んでいらっしゃると思いますわ」
「本当?」
「えぇ。きっと……」
ありがとう。
みんなの気持ちは私にちゃんと届いているよ。
だから、安心してね。
「結衣ー、部活に行こう」
柚葉が彼女の席から私を呼んでいる。
「ハイ! では、みなさま、ごきげんよう」
「バイバーイ!」
「野澤さん、また明日ねー」
私達は教室から出た。
私は柚葉に見えないように複雑な表情をする。
柚葉や他のクラスメイトには「明日はある」けど、私には「明日はない」。
だけど、みんなには私の分もちゃんと生きていってほしいと願っている……。
*
音楽室にはもうすでにたくさんの部員達が集まって部活の準備をしていた。
「「こんにちは」」
私達は部員達に挨拶をすると、部員達が「こんにちは!」と挨拶を仕返してくれる。
今は反応してくれるけど、これからは何も反応が返ってこない世界に私は行こうとしている。
みんなの声と音をしっかり耳に焼きつけていこう。
私達の部員達に紛れて準備をし始めた。
*
「ロングトーンを始めまーす!」
部長がメトロノームを準備しながら、ウォーミングアップしている部員達に言った。
私達はチューナーで音を合わせる。
うん。ピッチ(注・音程)はOK。
「「ハイ!」」
「行きまーす! 1、2!」
メトロノームがゆっくりとしたリズムを打っていく。
ロングトーンの途中で山本先生が音楽室に駆けつけてきた。
私達はぺこりと頭を下げた。
それが終わると、彼女は1度頷く。
「改めて、こんにちは」
「「こんにちは!」」
「みんな、今日は調子がいいね。コンクール本番も今日と同じようにって言ったら、無茶だよな」
「「あははは……」」
山本先生がジョーク(?)を言うと、音楽室中に笑い声が響き渡った。
「まぁ、本番で上手くいくといいけど。コンクールでやる曲をやろう」
「「ハイ!」」
今年のコンクールで演奏する曲である『ロス・ロイ』の練習が始まる。
私は昨日の学校帰りに近くの公園で少し練習してきたから、おそらく大丈夫だと思いながら合奏に加わった。
でも……先生、みんな、ごめんなさい。
みんなで楽しく練習ができるのは今日で最後で、コンクール本番私はいないんだ。
本当は私もコンクールに出たかったよ?
コンクール本番は私を除いたみんなで頑張ってね。
曲が終わり、山本先生が私の方を見る。
「ん? 結衣」
「ハイ」
「練習してきた?」
「えぇ。近くの公園で少しだけ練習してきました。今日の朝練の時も」
「そうだったのか。結衣はまだこの曲を吹き始めで他の部員より差があるから追いつきたかったんだな?」
「ハイ」
「まだ、不完全燃焼だと思う。でも、楽しく演奏することは大切だから、たくさん練習して少しずつ実力をつけていってほしい」
「分かりました。ありがとうございます」
まだまだ、『ロス・ロイ』は不完全燃焼だったか……。
正式に吹き始めてまだ2日しか経っていないんだもん。
「そういえば、2、3年生。去年のコンクールの曲の楽譜ってまだ取ってある?」
突然、山本先生が2年生に3年生に向けて問いかける。
「ハイ」
「ありますが……」
部員達が自分の譜面ファイルからその曲の楽譜を探す。
「今から、吹けるか?」
「ざっと、復習すればおそらく……なぜ、その曲なんですか?」
「久しぶりにその曲で指揮を振りたいのさ」
「そうでしたか……」
まさか、今から『バンドのための民話』?
もしかして、先生も朝から私の演奏を聴かれてた?
でも、最後にこの曲が吹けるなんて嬉しいな。
私はその曲を軽く復習し、演奏に臨む。
去年卒業した先輩が抜けた分、少し変な感じはあったが、楽しかった。
こうして、最後の部活が終わってしまった。
*
部活を終えた私は誰もいない3年6組の教室にいる。
いろいろとバタバタしたけど、やり残したことはほぼないに等しい。
もう私は後悔していることはない。
みんな、みんなありがとう。
私は「木野 友梨奈」としても「野澤 結衣」としても、嬉しかったり辛かったりした。
本当はもっともっと生きたかった……。
私は……。
「死ぬのは……嫌だよ……」
それしか出てこないし、目から涙がこぼれる。
私は通学鞄を持ち、昇降口まで走ろうとしたが、教室から出て少し走ったところで、ドンッと何かにぶつかった。
「友梨奈さん」
「ジャスパー先生……」
そこにいたのはジャスパー先生。
私は彼に「すみません!」と頭を下げた。
彼は温かい両手で私の顔をゆっくりと上げる。
「今まで、お疲れ様でした。やり残したことはございませんか?」
「ハイ、ありません。これで私、「木野 友梨奈」及び「野澤 結衣」としての人生を終えても大丈夫です!」
私はジャスパー先生にきっぱりと言うと、「それでもいいのですか?」と問われた。
「本当はもっと生きたかったですが……」
これは本当のこと。
私はまだ14歳だし、まだまだやりたいこともあるから。
「友梨奈さんは今日まで頑張ってこられました。ですが、ここは僕からさよならを告げなければなりませんね……」
「えっ!?」
彼がそのようなことをぽそっと言うと、私はなんのことか分からず、驚いてしまった。
「まずは解析結果をご報告させていただきます。友梨奈さんは亡霊になる必要はございません」
「本当ですか?」
「本当です。前世……いや、現代に戻させていただきます。それに伴い、友梨奈さんが「野澤 結衣」として生きていたことと僕と会ったことはすべての人間の記憶から消去されます」
「消去だけは……いや」
「それは仕方ないのです」
私は彼のことはもちろん、すべての人達の記憶がなくなることに理解できなかった。
「私、忘れたくないのです……」
「たとえ、友梨奈さんが僕のことを忘れてしまっても、僕はあなたのことを忘れたりはしません」
「本当ですか?」
なるほど……。
私は彼のことを忘れても、彼は私のことを覚えておいてくれるというわけだった。
「えぇ。では、時を戻しますので、大体いつぐらいにしますか?」
「私が学校の屋上から飛び降りた日だから5月の下旬でお願いします」
「畏まりました。それでは友梨奈さん、またどこかでお会いする日まで……」
ジャスパー先生は私に微笑み、スッと姿を消したのであった。
2016/08/13 本投稿
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2017/08/14 誤字修正