ヒロインがリアル乙女ゲームをしようとすると何故上手くいかないのか
ここは国王陛下の治める立憲君主制の国。
その国立学校、通称『学園』で彼女は目を覚ましました。
前世でプレイした乙女ゲームの世界。その、悪役令嬢として。
しかし、その事はすぐに忘れました。
国境紛争が起こり、学園に通うどころではなくなってしまったのです。
だから。
婚約者である王子のパートナーとして卒業パーティに出席する為、一年ぶりに学園を訪れた彼女は驚いたのです。
王子は、下級貴族の令嬢をエスコートしてパーティに出席していました。
「お前との婚約を破棄する!」
王子にエスコートを断られた彼女は、友人と共に卒業パーティに出席する事にしました。
勿論そのまま帰る事も出来たのですが、久しぶりに会った友人は懐かしく、もう少し一緒に居たいと思ったのです。
しかし。
パーティ会場で他の女性をエスコートしていた王子は彼女を見つけると乱暴な足取りで歩み寄り、彼女に婚約の破棄を告げました。
今夜のエスコートを断られた時からおかしいとは思っていたが、婚約者殿は随分思いつめているようだ。
王子の剣幕に押される事なく冷静に婚約者を観察した彼女は、肉食動物のように獰猛な気配を醸し出し、王子を眺めました。
「婚約破棄とは穏やかではありませんね、殿下」
殿下。と。
彼女が甘く囁きにっこり微笑むと、王子は蛇に睨まれた蛙のようにビクリと身体を震わせました。
戦場を駆ける騎士でもある彼女とは違い、王宮で大事に育てられた王子は人殺しの殺気に怯えたのです。
しかし彼は勇気を振り絞りました。
彼の傍には彼を頼りにしている可憐な少女がいたからです。
「お前のように卑劣な行いをする者と結婚など出来る訳がない。
お前がマリリアに対し影で卑劣な虐めを繰り返していた事を知らないとでも思ったか!」
堂々と指を差し、婚約者に罪を突きつける王子を、彼の傍らに立つ少女は頬を染めて見つめていました。
しかし冷たい殺気を感じると、怯えたように王子の背中に隠れました。
そして特等席から悪役令嬢が断罪される場面を見物する事にしたのです。
「マリリア?虐め? はて。一体なんの事でしょう」
「惚けても無駄だ!
常日頃からマリリアに暴言を吐き、剰えマリリアを階段から突き落とそうとしたではないか。
証人もいる。逃れられると思うな!!」
己の正義を確信している様子の王子に、この人の頭は大丈夫だろうか、と彼女は思いました。
なぜなら彼女には王子が言うような事など出来ない理由があったのです。
「なるほど。殿下は私がマリリアという方の命を狙ったと仰りたいわけですね。証人もいると。
ですが常日頃とはどういう事です?
まさか、殿下。いくら政略の為の婚約とはいえ、仮にも婚約者がこの一年、国境紛争の前線で戦っていた事をご存知ない訳ではございませんよね?」
「何を言ってる」
まさか本当に王子は知らないのだろうか、と。
彼女は半信半疑で王子の疑問に答えました。
「貴方の婚約者は、前年より勃発した国境紛争に、貴族の義務として参加しておりましたの」
「慰問の事か。それがなんだというのだ」
「何を勘違いなさっているのか分かりませんが、兄に代わりこの一年、公爵家の軍を率いていたのは私です」
「何を馬鹿な事を言っている」
馬鹿な事を言っているのは貴方の方です。
彼女は王子の箱入り息子っぷりに深くため息を吐きました。
そしてそっと、王子の影に隠れている少女に視線をやります。
彼女の記憶が確かならば、少女は乙女ゲームのヒロインにそっくりでした。
でも。
この世界がすでに乙女ゲームのストーリーとは外れた歴史を歩んでいることを彼女は知っていました。
ゲームの中ではここは平和な国で国境紛争などなかったし、悪役令嬢は取り巻きに傅かれ学園の女王として君臨して居れば良かったはずです。決して、怪我に倒れた兄の代わりに公爵領軍を率い、敵国の大将首を挙げ国境紛争を解決に導いたりする必要はなかったはずなのです。
この一年の過酷な日々を思い出し、いっそゲームの通りなら良かったのに、と呟き、彼女は悪役令嬢としての最後の仕事をする事にしました。
悪役令嬢らしく扇で口元を隠し、優雅に小首を傾げて婚約者をねめつけたのです。
「おやおや。陛下もご存知の事。
常日頃どころかこの一年、王都に戻る事も無かったんですよ?
さて。それで、私が、いつ、どこで何をしたというのか、証人とやらに語っていただけないでしょうか?」
「戯言を申すな!女のそなたが兵を率いて戦場にいたなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。
そなたがこの一年、学園にいた事は周知の事実ではないか」
「本気ですか?
私が学園を休学した事は、学園長を始め教員の方々なら皆さんご存知のはずです」
この時、彼女は初めて自信が揺らぐのを感じました。
もしかして乙女ゲームの世界としての強制力が働き、彼女が学園に居た事にされているのではないかと。
「とぼけるのもいい加減にしろ。お前の所業は全てマリリアより聞いている!
マリリア」
しかし隣の友人を見ると、彼女は呆れたように王子を眺めています。
どうやら彼女が学園に居たと世界が改竄されたわけではないと安心すると同時に、王子の合図で傍らの少女が恐る恐る出てくる姿にため息を吐きそうになりました。
彼女は言うのでしょう。乙女ゲームをなぞるように。
「殿下。私を突き落としたのは、確かにこの方です」
「わかった。
ミレーヌ、虚言で王家のものを惑わせようとした罪を、その身で贖え」
王子が抜刀した剣がシャンデリアの光に煌き、虚言で王子を惑わそうとした婚約者を斬って捨てました。
会場中から悲鳴が上がり、悲痛な叫び声を上げて、鼻持ちならない悪役令嬢は血を流し床へと倒れ伏しました。
嗚呼。それが真実だったら良かったのに。
そうすれば彼女は濡れ衣を着せられた被害者としてこの馬鹿馬鹿しい会場から退出出来たでしょうに、それを許さない存在の為に今しばらくこの茶番劇に付き合うこととなりました。
「殿下。失礼いたします」
抜刀した王子は、衛兵に腕を捩じ上げられ捕縛されました。
「なにをする! 私が誰かわかっているのか!!」
「混乱しておいでのようだ。王宮にお連れしろ」
「はッ」
捕縛した王子を部下に渡し、衛兵が王子の連れである令嬢の下へ向かいます。
「マリリア・フィオール男爵令嬢でいらっしゃいますか」
「はい」
突然の事に怯えた様子で少女は小さな声で答えました。
震える小柄でグラマラスな身体が、男性の庇護欲をそそる事を彼女は良く知っていました。縋るように男を見れば、衛兵にしては姿のいいこの男性が助けてくれると。
そう思っていた少女にとって、衛兵の言葉は受け入れられないものでした。
「お父上から伝言です。『修道院へ行け』と」
「え?」
「男爵家は、破産して全ての権利を債権者であるアマーリオ家にお譲りになりました」
「アマーリオ家?」
知らない家名です。男爵家とはいってもこの国の貴族の家名は全て諳んじられる程度の教養は少女にもあります。
「今回の国境紛争によって戦功を立てたミレーヌ様に与えられた、公爵家の分家になります」
「あの、それが?」
物分りの悪い娘に分からせるため、簡単な言葉で衛兵は告げました。
「男爵家の土地も家屋敷も財産も身分も全てミレーヌ様のものとなり、あなたは身寄りのない平民となりました。貴女の成績では特待生として残る事も出来ないので、学園を退学となります。貴女には既に実家もありません。ミレーヌ様の計らいで、北方にある修道院が貴女の受け入れを許可して下さいました。北に行くための馬車も、ミレーヌ様が用意して下さっています」
「ミレーヌ様が、私を追い出すのですか」
震える声で涙を浮かべる少女に衛兵は告げました。
「王子を誑かした不貞の女として捕縛されたければ、こちらに残るのもいいでしょう。王は一日だけ待つ、とおっしゃいました」
「不貞など、私は!」
「婚約者のいる身分ある方に、貴女のした事は十分に不貞と呼べるものですよ。お二人が学園内で恋人同士のように振舞っていた事は、周知の事実です。ここに残るのは自由ですが、申し開きの機会は多分ないでしょう」
「私は不貞など犯しておりません!」
「では貴女は、殿下に婚約者がおられることを知っていましたか」
「はい。でも! 婚約者がいる方とは、お話することも許されないのですか。同じ学園の生徒ですのに」
「そうです」
「え?」
「学園は、貴族社会のルールを学ぶところです。貴族社会では下位の者から上位の者に話しかける事は許されていない。ましてや婚約者のいる男性と未婚の女性が二人きりになるなどありえません。貴女は男爵家に生まれたのに、そんな事も知らなかったのですか」
衛兵の口元が弧を描くような形に歪められ。
「まるで平民のようですね」
そう告げると周囲の貴族令息令嬢達はくすくすと笑い出しました。
笑い声は次第に大きくなりヒロインを追い詰め。
ヒロインは絶望と共に悪役令嬢を睨み。
悪役令嬢は深いため息を吐きました。
まるで、ではなく。
ヒロインは紛れもない平民の常識を持った少女なのですから。
彼女と、同じく。
この世界に紛れ込んだ異分子。
この世界では異端とされる前世の記憶を元に行動すれば貴族社会から排除される事は分かりきっていたのに。
前世の記憶にある『ヒロイン』だからと油断し、この世界になじむことのなかった少女。
一つ間違えば自分もああなっていただろうと、彼女は素直に思い、そっと目を逸らしました。
少女と彼女の違いは一つ。
彼女はその記憶に縋らなかった。
暖かく優しく身分や差別のない穏やかな記憶を振り返らず、与えられた剣を振り敵を倒した。
ただそれだけ。
たったそれだけで、彼女は残酷で理不尽なこの世界で生きていく事が出来たのでした。
それにしても。いくら前世の記憶を持ち、生まれた世界を乙女ゲームの世界で自分はそのヒロインだと思っていたとしても、なぜ少女は学園に通っていない公爵令嬢に悪役令嬢役を押し付けようと思ったのでしょう。
不思議ですね。
「私がヒロインなのに! あんた達なんて私のためのモブなのに! なんでゲーム通りに動かないのよ!!!」
少女にとっては前世の記憶にあった乙女ゲームの物語だけが、この理不尽な世界で縋ることの出来る唯一だったのかもしれません。