悪の帝王と大天使2
「あはは、久しぶりじゃん?サターン」
小さな子どものように笑い、背に生えた穢れ一つない純白の翼を羽ばたかせ、彼女…
大天使ミカエルは目の前のブロック塀に降り立ち座るのだった。
「…何故、お前がここにいるのだ?大天使あろう者が人間界に一体なんの……」
「いやいや、それはこっちのセリフだよ。サターン」
少女のような可愛らしい中にも十分に色気のある女性の綺麗な顔立ちをしたミカエルはケラケラと可憐さと成熟した女の魅力を併有した笑みでサターンを指差す。
「“魔界の魔王”がどうして、人間界にいるのかしら?世界征服でも企んでるつもり?」
少女のような微笑を浮かべてはいるが、どこか小悪魔じみた表情をして問いかけるミカエルに、サターンは鼻で一笑する。
「魔王など古い肩書きは飽々していたからな。お前の言う通り、人間界を支配しに来たが…“悪の帝王”である私からすれば暇潰しのようなモノだ」
「“悪の帝王”…?」
サターンの言葉にミカエルは不思議そうに首を傾げさせた。
それを見たサターンはやれやれと嘆息した。
「人間界の魔王のような存在だ」
「ふーん…」
サターンの説明を納得したのかよく分かっていないかのような態度をするミカエルはブロック塀から降り、サターンの目線に合わせてきた。
サターンは不審にそうに見るとミカエルはにっこりと笑う。
「暇潰しだか何だか知らないけどさ…あなた、ただの人間にぼろ負けして…魔王としてどうなわけ?」
「うぐっ!!?何故、それを?!」
「うきゃきゃきゃ!!」
サターンの露骨な反応にミカエルは前屈みになるほど大天使らしからぬ腹を抱えながら大笑いをした。
サターンはうぐぐ!と唸り、あっ!と声を上げた。
「まさか…ここ数日間の視線の正体は貴様か!?」
「ピンポーン!あったり~!!」
ミカエルはやっと気づいたと言わんばかりに手を叩き、サターンに言う。
サターンは憤りを感じ、怒った顔でミカエルを指差す。
「貴様…一体、なんのつもりだ!」
「なんのつもりだ…って!決まってるでしょ?」
ーーーあなたを魔界に送り返す為だよ。
「なに?!」
「人間界に魔王がいるなんて、天界が許すと思う?」
驚くサターンにミカエルは当然のように言い放つ。
サターンは口ごもり、返す言葉が見当たらない。
だが、ミカエルはなおも言葉を続ける。
「魔王くらいの悪魔が人間界に関与すれば、せっかくの均衡が崩れちゃうからね。その為にあなたの前に来たのよ」
「知ったところか!私は悪の帝王サターンだぞ!!天界なんぞに我が覇道が………!!!」
「あなた、神に逆らう気?」
「うっ…!!」
ミカエルの一言にサターンは言い詰まる。
ミカエルはハァとため息を吐き、呆れ返った。
「相変わらず、バカなんだから…顔見知りのあたしだから拘束もなにもしないから良いものの…他の子ならどうなってたか…」
「私は人間界を支配するためにここにいるのだ!少女Aも倒しておらんのに魔界に帰れるわけがない!!」
「少女A?あぁ~…、確か、サターンとよくいる人間の女の子……」
ミカエルは思い出したかのように手を叩き、口にした。
それを見ていたサターンはそうだ!と声を張る。
「あの小娘は私の宿敵だ!奴を倒さねば、世界征服など夢の話!!必ず倒すのだ!!!」
「……の割には仲が良いみたいだったよね?」
「む、むぅ…さ、最近はな」
顔を反らし、汗を流すサターンをジト目で睨むミカエルはやや不満げな表情をする。
「と言うか、あなた、魔王なんだから魔法で倒したら?」
「むぐっ!じ、実を言うとだな…」
「なに?まさか、今まで魔法の存在を忘れてたの?」
「ち、違う!人間界に来てからうまく使えんだけだ!」
サターンの言葉にミカエルはあぁ~、と息を吐きながら納得した。
ーーーー説明しよう!!
魔界にいた悪の帝王サターンは最強ではあったが、人間界では魔力が少ない為、サターンは魔法が使えないのだ!!
ただし、天使は人間の信仰力があるため、魔法が使えるぞ!
「それじゃぁ、物理的にやれば?人間なんかイチコロでしょ?」
「それでも天使か貴様は!!奴は私がもっとも苦手な優しい言葉を言ってくるからな…攻撃する前にこちらがやられてしまうのだ!」
「それでも悪魔なのあなた…じゃぁ、いつまで立っても魔界に帰らないじゃないの……あっ…」
サターンの情けなさに哀れみの目を向けていたミカエルだったが…突然、何かを閃いたのか、頭の天使の輪が光った。
「ねぇ、サターン。本当に世界征服したら帰るの?」
「当たり前だ!私は悪の………」
「絶対だね?」
「む?あ、あぁ。だが……」
「大丈夫、“あたしが何とかしてあげる”。だから……」
ーーーあなたは遠慮なく、世界征服をして魔界に帰ってね♪
ミカエルは純真無垢な子どものような笑みをし、サターンに言った……
だが、サターンの目にほんの一瞬、ミカエルの表情が悪鬼のような歪んだ笑みが映った。
「ミカエル……?」
「じゃあね~、サターン。また会おうね~!」
「あっ、おい!!ミカエ……」
サターンの言葉を遮り、ミカエルは翼を広げ、宙に浮かび上がってはどこかに飛んでいってしまった。
サターンに不吉な予感が過るが……気のせいだと頭を振り、すぐに目の前の工事現場の看板に目をやり、嘆息した。
「どうやって帰ればいいのだ…?」
ーーーーーーー
「さて、どうしたものか…」
私は悩んでいた。
家に帰れないのもそうだが…何よりも重要な今日の夕飯の献立の問題だ。
思い返せば、今日一日で起きた数々の出来事はミカエルの仕業なのだろう。
全く…私を人間界から追い出す為の算段なのだろうがあれしきの事で私の心を折るつもりなのだとしたら迷惑極まりないな…
「おじちゃーん…」
考え事をしていた私の耳に遠くから少女Aの声が聞こえてきた。
辺りを見渡すと歩道橋の向こうで少女Aが信号待ちをしながら手を振っていた。
「下校か…」
いつの間にかずいぶんと時間が立っていたようだ。
私は信号が青になってやってくる少女Aに手を振ろうと手をあげた…
ーーーーその時だった…
ーーーーブォォォォン!!
「え…」
「な…?!」
信号は青だった。
それなのに、ものすごい勢いで少女Aに突っ込んでいく大型のトラックの姿があった…
「しょ………!!!!」
ーーーーゴシャャャャン!!!!
私が声を張り上げるより速く……
トラックは少女Aをはね飛ばし、近くの電柱に衝突し轟音が鳴り響く。
「きゃぁぁぁ!!」
「救急車!!だれか救急車を!!!!」
あちらこちらから悲鳴が上がる…
少女Aだけではない。他にも数名、人間が跳ねられていたようだ。
だが、私がそれに気づいたのは血だらけの少女Aを抱き上げてからだった…
「おい!!起きろ!少女A!起きなきゃ死ぬぞ!!死んでしまうぞ!」
「お…じ……ちゃ…ん?」
「そうだ!私だ!!大丈夫だぞ!!すぐに救急車が来てくれるからな!だから安心しろ!!」
口が無意識に動き、悪の帝王である私自身が発しているとは思えない信じられない言葉を次々に少女Aに投げ掛ける。
なんだ?この気持ちは…
私が魔界で魔王と呼ばれていた頃でさえ、一度たりとも感じた事のない感情が胸の中で暴れ狂っている。
ーーーー少女Aが私の服を握り締める。こちらに向かってくるサイレンの音。少女Aが激痛に涙を流す。電柱に衝突し大破していたトラックには誰もいない。少女Aの手の力が弱まっていく。少女Aの華奢な体が重くなっていく…
そして…
ーーー少女Aの呼吸が止まった。
「………」
動かない少女Aを見ているとすぐに救急車が来た。
救急隊員がやって来て、私から少女Aを奪い取るように担架に乗せ救急車に運んでいく…
そのすぐそばで……あの純白の羽が落ちていた。
ーーー“あたしが何とかしてあげる”…
ミカエルの言葉を思い出す。
そして、今ようやくその意味を私は理解した。
この惨劇はミカエルの仕業で、あの嫌な予感はこの事だったのだ…
「少女……A…」
たかが、人間の命……悪の帝王である私にはどうでもいい事だ。
虫を殺すのに何の躊躇なく殺すのと同じで……考えるまでもないことの筈……
なのに……
「ミカエル……!!」
私の腹は地獄の業火の如く煮え繰り返っていたのだった……




