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幸せと不幸

作者: ヤマコー

久しぶりに短編小説を書いてみました。

よかったらどうぞ。


 ――あなたは幸せを感じたことがありますか?

 ――逆に、不幸だと感じたことがありますか?

 幸せとは、起こった出来事が自分にとって良いこと、嬉しいことを指す。

 不幸とは、起こった出来事が自分にとって悪いこと、悲しいことを指す。

 その対となる二つは、生きていく中でほぼ同じだけ起こる。

 幸せのみで生き続けている人間は存在しない。もちろんその逆も……。

 ――ただ一人を除いては……。


 とある高校に通う高校生、一杉仁。

 仁は物心がつく前に親に捨てられた。

 しばらく誰にも拾われずにいたが、いつ頃だったか……どこかのおばあさんに拾われて死なずに済んだ。

 だが、そのおばあさんも仁が小学生になる頃に亡くなってしまい、仁はおばあさんが残した少量のお金で生きることになった。

 小、中学校には行かず、捨てられた食べ物を食べたり、店から盗んで食べたりして過ごす日々だった。

 お金は「皆みたいに勉強がしたい」という気持ちから、鉛筆や教科書などの勉強道具に使った。全て勉強道具に使ったため家賃は払わず、水や電気を使うことができなかった。

 仁の名前は、一本杉に捨てられていたことから『一杉』、おばあさんの仁美という名前から取って『仁』と自分で付けた。

 仁は、最初の一年は年をごまかして十五歳からバイトで働いていた。その給料で家賃も払うようになったため、少しは安定した生活が送れるようになった。

 念願だった学校には裏口入学で入ることができた。

 ――そして、入学してから一年が経った今、仁は友達が一人もできず、孤立した毎日を送っていた。話しかけなかったわけではない。なのになぜか距離が縮まらず、話しかけた人たちも他の人のところに行ってしまい、グループに入ることもできずに孤立したのだ。そしてそれは、二年生になって新しいクラスになってもそれは同じだった。

 仁は教室で楽しそうに笑いながら話しているクラスメイトを横目で見ながらアルバイトに向かった。アルバイトは二つ掛け持ちしており、週三日ずつアルバイトしている。唯一の休みである日曜日には勉強をしたり、買い物に行ったりしている。

 大抵の日は、仁が帰る頃くらいには外は真っ暗になっている。

 いつも通りの夜道を歩いていて自宅の近くの公園に差し掛かった時、子供のような人影が公園のベンチに座っているのを見かけた。一瞬見て見ぬふりを決め込もうと思ったが、「自分のように捨てられたのかもしれない。そうでなくても迷子かもしれない」と思い直してその子供のところまで歩み寄った。

 その子供は中学生くらいで幼い顔にさらさらで長い髪そして、薄い真っ白のワンピースを着ている女の子だった。

「どうしたんだい?」

 仁は優しめの口調で女の子に声をかけた。女の子は声で仁に気づいてじっと仁を見ていた。

「……人を待っているの。一杉仁っていう人。あなた、知ってる?」

 ……一杉仁。知らないわけがなかった。他でもない、自分自身の名前だったからだ。

 だが、この女の子には見覚えがなかった。

「……えっと、一杉仁は俺だけど? 君は?」

「ああ、あなたが一杉仁なの? 私の名前は弥華。あなたのことはよく知っているわ。じゃあ、これからよろしくね」

 女の子――弥華ちゃんはそう言うと公園から出て行ってしまった。

 俺のことを知っている。彼女は確かにそう言った。

 しかし、やはり仁は弥華ちゃんのことを知らない。

 ――なぜ、自分が知らない女の子が自分のことを知っているのだろうか……。

 それを聞こうにも、もう当の本人はいない。彼女の家も、連絡先も知らない。どうすることもできない。

 仕方がないので、自宅に帰ると家の前にまたもや人影が見えた。近づくとそれが弥華ちゃんだということが判明した。

「な、何で弥華ちゃんが俺の家に? 自分の家に帰ったんじゃ――」

「ここが私の家だよ」

「……え?」

 仁の言葉を遮って言った弥華ちゃんの言葉が理解できなかった。

 この家は仁の家だったはずだ。だが、弥華ちゃんは自分の家だと言い張っている。

 いくら考えても埒が明かないので、さっきからドアノブをガチャガチャと動かしている弥華ちゃんに聞いた。

「あの、弥華ちゃん? どういうことか、もう少しわかりやすく教えてもらっていい?」

「ん? えっとね、私公園で「これからもよろしく」って言ったよね? それって「あなたの家に居候させてもらうよ」っていうことになるでしょ?」

「……そんなわけないだろ!」

 仁が怒声を浴びせたからか、弥華ちゃんは少し震えていた。そして、絞り出すように声を出した。

「……寒い」

 震えていた理由は寒かったからだったらしい。確かに、もう春とは言ってもまだまだ肌寒い。そんな中薄いワンピース一枚では寒いだろう。

 風邪を引かれても困るので、とりあえず家の中に入れてやることにした。

 鍵を開けると弥華ちゃんが急いで中に入り、奥の方に入って行った。仁もそれに続くと、居間にあるこたつに弥華ちゃんが寝転がって入っていた。「お腹すいた」と騒ぐので仕方なく二人分のうどんを作ってあげた。

 うどんを食べ終わって食器を片付けた後、抱いていた疑問を聞くことにした。

「何で君は俺のことを知っているんだ?」

「何でって……」

 弥華ちゃんは少し言うのを渋っているようだった。

「あっそうだ! 私の出す条件を飲んだら教えてあげるよ!」

「……条件? どんな?」

「私を居候にすること!」

 仁はその条件に飲むか悩んだ。流石に、年の近い女の子と同じ屋根の下で過ごすのは気が引けるのだ。

「じゃあね、仁が不幸になった理由も教えてあげるよ! それでもダメ?」

 仁が不幸な理由――それは仁が何よりも知りたかったことだった。

 ――なぜ自分がこんな目に合わなければいけないのだろうか。

 ――自分が何かしたのだろうか。

 ――いつになったら幸せというものが掴めるのだろうか。

 ずっと、そう悔み続けていた。ずっと問いかけ続けていた。

 『何で一杉仁は不幸にならなければいけなかったのか』を。

 目の前にその答えを持っている者がいる。知る方法もある。その答えが本当であるとは限らない。しかし、その手がかりがないのも事実。そして、本当だという可能性もあるならば、仁が導き出す答えは一つしかなかった。

「わかったよ。君を居候にするよ!」

「本当? やったぁ! それじゃあ私、もう寝るね」

「……ちょっと待て! 居候にするんだから、さっきの話教えろよ!」

 寝室にある仁の布団を引いて寝ようとする弥華ちゃんを呼び止めた。

「もう眠たいから明日ねー。あと私、朝にシャワーするからよろしく。おやすみ~」

 弥華ちゃんはそのまま寝息を立ててしまった。

 仕方がないので、風呂で軽くシャワーを浴びてからこたつという名の布団に入った。目を閉じるとすぐに眠りに落ちた。


 我が家に突然居候ができた次の日。

 仁はいつも通りの時間に起床すると、二人分の朝食を用意する。居候にすると言った以上、これくらいはするべきだろう。その同居人はまだ夢の中だが……。

 朝食にラップをして、シャワーの使い方などを書いた紙を机に置いて学校に向かった。

 何事もなく授業が終わり、アルバイトに向かおうと思ったが、まっすぐアルバイト先に向かわず、ある場所に寄り道をした。

 昨日より少し早くアルバイトが終わり家に帰ってくると、家にある数少ない本を取り出してこたつで読んでいた弥華ちゃんが、

「あ、おかえり~」

 と、こちらに顔も向けずに挨拶をした。しかしその挨拶も、今まで帰っても誰もいなかった仁には嬉しく感じた。

 それは置いておいて、仁は今日買ってきたお土産を手渡した。弥華ちゃんが不思議そうに袋を開けると中から女性用の服が出てきた。仁がアルバイトの前に寄り道をして買ってきたのだ。

 弥華ちゃんは笑って喜んでいるようだった。

 だがその笑顔は、何かを思い出したような素振りを見せた後、曇ってしまった。

「嬉しいけど……こういうことはあまりしないでほしい……」

 喜んでくれるだろうと思って買ったので、予想外の反応にどう答えれば良いかわからなかった。

 黙っていると、辛そうな顔をしてその理由を話してくれた。

「……私は『自分にとって幸せであることを望めば、その望みとは真逆の出来事が起こってしまう力』を持っているの。だから……」

「なん、だよ……それ」

 ――信じられなかった。一瞬何かの冗談なのかとも思えた。

 だが、弥華ちゃんの顔を見た瞬間、そんな思いは吹き飛んだ。

 なぜなら、信じてもらえないことを覚悟してるような、そんな表情をしていたからだ。泣きそうにまでなっている弥華ちゃんが嘘や冗談を言っているとは思えなかった。

 だから、弥華ちゃんの言うことを信じることにした。

「何で、そんな力があるんだよ! 誰の……せいだよ!」

「し、信じてくれるの?」

 仁は静かに頷く。

「……誰のせいか、それは――神様だよ」

「え!?」

 口から間抜けな声が出た。まさか神のせいだと言うとは思わなかったからである。

「あっ、ちなみに仁が不幸なのも神様が原因だよ」

「……はあ!?」

 神を呪ったことは何回かあったが、本当に神が自分を不幸にしていたとは思いもしなかった。

 普通なら「ありえない」、「信じられない」、「非現実的」という言葉で片付けられるだろう。

 だが、仁は決めたのだ。

 ――どんな内容であっても、弥華ちゃんが言っていることは絶対に信じる、と。

「……何でその神様は俺を不幸にさせたんだよ。俺に何かあるのか?」

「理由なんてないよ。ただ仁の運が悪かっただけ」

 理由はない? ならなぜ自分だったのか。その答えは予想以上に簡単で、残酷なものだった。

「――神様はね、いつも同じようなことを繰り返している人間たちをただ見ているだけの毎日だったの。それがつまらなくて、何か変わった出来事が見たくて、ある時誰か一人を不幸にさせて観察しようって妙案が浮かんだの。そして、その日にたまたま生まれてターゲットにされたのが仁だったってわけ」

「……」

 何も言えなかった。何を言えばよいのかわからなかった。

 自分がずっと悩んでいた自らの不幸の原因が神と言われ、怒りをぶつけることも、抗議することもできない。

 なら、どんな理由があったのかと思えば「毎日がつまらなかったから」ときた。要するに、自分は神の暇つぶしのために不幸になったということだ。

 そして、その妙案が浮かんだ日に生まれた自分をターゲットにした。確かに、運が悪かったとしか言えない……。

「なんか、暗くなっちゃったね。考えたところで私たちに何かできるわけでもないし、悩んでも仕方ないよ」

 弥華ちゃんは無理に笑顔を作って明るく言った。そんな顔をしている弥華ちゃんにどう返せば正解なのかわからず、

「ああ、そうだな」

 とだけ言った。明らかに無理をしている弥華ちゃんに大した言葉もかけられない自分に少し腹が立った。

 その日はそれ以上何も聞かなかった。いや、もう聞くべきことはすべて聞いたと思っていた。

 弥華ちゃんが変な力を持っている理由も神の気まぐれだと決めつけていた。

 追い求めていた自分が不幸な理由が衝撃的なことで忘れていたのだ。

 『なぜ当事者の仁も知らないことを弥華ちゃんが知っていたのか』そして、最初の疑問である『なぜ弥華ちゃんが仁のことを知っていたのか』を。


 それから一週間が過ぎた。

 弥華ちゃんもここの暮らしに順応してきた。この前の日曜日に、必要なもの(布団などの二組目が必要になったもの)を買いに行った。

 最近の弥華ちゃんは家事手伝いをしてくれるようになり、大いに助かっている。

 こういうことがあると、居候がいるのって案外いいものだと思えてくる。

 仁がいつも通り帰宅すると、弥華ちゃんが笑顔で出迎えてくれた。そして一枚の紙を持った両腕を突き出した。持っていた紙は遊園地のペアチケットだった。

 買い物もしてくれている弥華ちゃんが、買い物の帰りに福引で当てたらしい。

「これ当てたんだー! すごいでしょー!」

 弥華ちゃんは当てたことを自慢げに言うが、決して「遊園地に行きたい」とは言わなかった。――そう望むことが許されないから。

「じゃあせっかくだし、今度の日曜日に遊園地に行くか」

 だからこそ、仁はそう提案した。

 前から考えていた。神が相手じゃ、自分が対抗することはできない。だが、自分と同じように理不尽な力を持たされた弥華ちゃんに何かしてあげられるのではないかと。

 もう弥華ちゃんに辛い思いはしてほしくない。無理をしてほしくない。

 ――弥華ちゃんに楽しんで、笑っていてほしい。

 これはそのチャンスだ。だから、遊園地に連れて行ってあげようと思ったのだ。

「うん! ありがとね、仁!」

 そう言う弥華ちゃんの顔は、本当に嬉しそうな笑顔だった。

 そしてその当日。その日は、雲一つない快晴だった。

 仁は今までに遊びに行くということがなかったので、緊張で少し寝不足だった。

 弥華ちゃんははしゃいでいて、そこだけ見ると何の力のない普通の女の子のようだった。それを見て実感した。

 ――弥華ちゃんもやっぱり根はただの女の子なんだな、と。

 この日は慣れない人ごみの中を歩き回り、ジェットコースターを五連続で乗って酔ったり、コーヒーカップで弥華ちゃんが全力で回して二人で酔ったり、お化け屋敷で怖がった弥華ちゃんが腕を振り回して、仁の腹に直撃したりした。

 土産屋では、弥華ちゃんが欲しいと言ったウサギのぬいぐるみを買ってあげた。

 暗くなるまで遊び通した。

 最後には観覧車に乗った。上から見た景色は絶景だった。弥華ちゃんも目を輝かせて見ていた。

 今日一日、弥華ちゃんはずっと楽しそうに笑っていた。その弥華ちゃんの笑顔を守りたいな、仁はそう思った。

 遊園地からの帰り、二人で自宅に向かって歩いている時、前を歩いていた弥華ちゃんが急に止まって仁の方に振り返った。

「仁、今日は本当にありがとうね。すっごく楽しかった。また、一緒にどこかに行きたいな!」

弥華ちゃんは写真に収めておきたいくらいの可愛い笑顔だった。だから仁も、同じように笑った。

「そうだな、またいっしょにどこか行こうな!」

 二人は家に帰り敷いたままだった布団に倒れこむと、すぐに眠ってしまった。

 仁はこの時はまだ、気づいていなかった。

 ――この日がきっかけで次の日に、人生最大の不幸が訪れることになるとは。


 次の日、その日は雨が降っていた。なので、仁は傘をさして学校に向かった。

 授業が終わる頃にはどしゃ降りになっていて、雷まで鳴っていた。

 仁はいつも通りアルバイトに向かおうとしたが、校門前に見覚えのある少女が傘も差さずに立っているのを見つけた。

「ちょっ、弥華ちゃん! 傘も差さずにそんなところに突っ立ってたら風邪引くだろ!」

 仁はそう言いながら弥華ちゃんの傍まで急いで行き、自分の傘の中に入れてやる。その体は、雨で濡れて冷えてしまっている。

「……ごめ、ん……なさい」

 普段とは違う、雨の音で消え入りそうな小さな声だった。

 仁は傘を差さずにここまで来たことへの謝罪だと思っていた。

 ――次の言葉を聞くまでは……。

「ダメだってわかってたのに……。望んだの! 望んじゃったの! 謝って許されるようなことじゃないけど……ごめんなさい」

 その言葉を聞いて、昨日の帰り道での弥華ちゃんのセリフを思い出した。

『また、一緒にどこかに行きたいな』

 これは他でもない、弥華ちゃんの望みだった。

「……私の望んだことは三つ。一つ目は、『仁とまたどこかに行きたいこと』二つ目は、『仁の家にずっといたいこと』そして、最後の三つ目は……」

 弥華ちゃんはそこで言葉を切ると、雨の中を走り去ってしまった。

「弥華ちゃん!」

 仁は走り去ってしまった弥華ちゃんを全力で追いかけた。

 見失ってしまったが、方向が仁に家の方向だったので自宅まで来てみた。

 だがそこには弥華ちゃんの姿は見えず、代わりに燃えてもう家の形をしていない仁の家だったものがあった。その場にいた人の話を聞くと、どうやら雷が直撃したらしい。

 その原因である大雨は止んでおり、太陽が顔をのぞかせていた。

 ――まるで、さっきまで大雨は仁の家に雷を当てるためだけに降らせていたかのように。

 改めて、自分の家を見る。悲惨な姿である。

『仁の家にずっといたいこと』

 弥華ちゃんがそう望んだから? だからって、家を破壊するのはやりすぎではないか?

「ん?」

 よく見てみると、家のドアの前に明らかに後から置いたであろう、うさぎのぬいぐるみが仁を見つめていた。このぬいぐるみは遊園地で、仁が弥華ちゃんに買ってあげたものだった。

 ぬいぐるみを持ち上げると一枚の紙がひらりと落ちた。それは手紙のようだった。

『仁、私が望んでしまったせいで家が燃えちゃってごめんね。私が望んだことの最後の一つは、『仁とずっと一緒に楽しく生きたいこと』だったんだ。だから、さよならだよ。短い間だったけど、仁といれて楽しかったよ。今までありがとね。       弥華より』

 それを見て仁は、弥華ちゃんを探すために走り出した。手紙はズボンのポケットに落ちないように入れておいた。

 思い当たる場所を全て探し、日が暮れるまで走り続けた。しかしどれだけ探しても、弥華ちゃんが見つかることはなかった。

 途方に暮れ、仁は弥華ちゃんと出会った場所――家の近くの公園まで戻ってきて、そこの公園のベンチに座った。

 もう何時間も口にしていないが、不思議と食欲は出なかった。そういえば、アルバイト先に何も連絡していなかった。怒られちゃうなあ。

 何もすることがなく、ただなんとなく空を見てみた。数時間前まで雨が降っていたとは思えないほど雲は見えず、小さな星が一つだけ見えた。

 周りには何もない。今の仁を表しているようだった。

 自分の家がなくなり、自分の傍にいてくれた人もいなくなった。――大事なものが一気になくなってしまった。自分の手元にはもう何も残っていない。

 この時仁は初めて、自分が不幸なことに対して涙を流した。

 弥華ちゃんが置いて行ったぬいぐるみを強く抱きしめながら、静かに泣き続けた。

 少し経つと、泣き疲れたのか仁は涙の跡を残したまま眠ってしまっていた。


 仁が目を覚ますとそこは、見たこともない場所だった。周りには何もなく、真っ白い空間が広がっているだけだ。

「やっと起きましたか」

 声がした方を見ると、真っ白の服を着た薄目の男が立っていた。そしてその隣には――

「弥華ちゃん!」

 そこには昨日いなくなったはずの弥華ちゃんがいたのだ。最初に会った時と全く同じの薄い真っ白のワンピースを着て。

「では自己紹介といきましょうか。私は神です。よろしくお願いします、一杉仁君。」

 男は微笑みながら言った。

「か、神? お前が俺を不幸にし、弥華ちゃんにふざけた力を持たせた神だと言うのか?」

 仁は信じられなかった。目の前に自分が会いたいと思っていた神がいるということが。

「はい、そうです。長い間君には遊びの対象として世話になりましたから、この『神の聖域』に招待してあげました。人間でここに来たのは君が初めてですよ。ありがたく思ってください」

 ……え? ちょっと待て。

「ちょっと待てよ。じゃあ、そこにいる弥華ちゃんは――」

「彼女は私の妹です」

 神は仁の言葉を遮って言った。その顔はまだ微笑んでいる。

「……え? 弥華ちゃんが……神の妹?」

 仁は弥華ちゃんの方を見る。

 その視線に気づいた弥華ちゃんはゆっくり頷いた。

「……私はね、神様の妹として毎日を神様と過ごしていたの。だけどある時、神様がある妙案を出した。それは言ったよね? 私は隙を見て神様の邪魔をして仁を助けようとしていたの。仁が拾われた時や、学校に入学できた時がそう。そして神様はそんな私に『自分にとって幸せであることを望めば、その望みとは真逆の出来事が起こってしまう力』を持たせて追放した。追放された私は神様の対象である仁のところに行ったの。……今まで黙っててごめんなさい」

 そう言う弥華ちゃんは涙を流していた。

 仁は今の弥華ちゃんの話を聞いて今までの疑問が解消されたような気がした。

「今の説明は少し違いますね」

 弥華ちゃんの説明を黙って聞いていた神が口を開いた。

「――追放はしていませんから」

「どういうことだ?」

 弥華ちゃんの代わりに仁が答えた。

「考えてみてください。もしも追放だとしたら、妹がここに帰ってくることができません。が、妹は帰ってきています。なぜなら、私は追放などしていないからです。まあ、我が妹には追放と言いましたが……。私は妹を利用した、ただそれだけです」

「利用……だと?」

「はい。妹がどういう行動をするのかは大体予想できましたから。君を人生最大の不幸に陥れ、絶望させる。そのための利用です。予想より遥かに仲良くなってしまいましたが、こちらとしては嬉しい誤算でした。そのおかげで、君の本気の絶望を見ることができましたから」

「……ふざけるな! 人を何だと思ってるんだ!」

「別に何とも思っていませんよ」

「なっ!」

 神に言いたいことは山ほどあった。今の話でさらに増えた。自分の神に対する怒りを止められる気がしなかった。

 だが神はそれさえも見抜いていたらしく、仁を魔法のような力で動けないように拘束した。――流石神様といったところか。

「落ち着いてください。君をここに連れてきた理由はこんな話をするためではありません。君にとっては良い話ですよ。君を不幸にさせることを止めてあげましょう、という話です」

「……何で、いきなり?」

「妹に泣いて頼まれましたから。それに、昨日の絶望以上のものは期待できませんし、ぶっちゃけ飽きてきましたしね」

「止めたら、俺はどうなるんだ?」

「君が思っている通りですよ。これからは不幸な毎日ではなくなります。おそらく、友人もすぐにできて、君が今まで望んでいた生活が送れます。ただし、この『神の聖域』や妹のことは記憶から抹消させてもらいますけどね」

「な、何でだよ! 何で弥華ちゃんのことを忘れないといけないんだよ!」

「私たちは神です。本来神は、人間に知られてはいけませんから」

 実際そうなのだろう。弥華ちゃんも仁が記憶を消されることを覚悟していたようだった。

「しかし、君には特別に選択肢を与えましょう。『不幸ではなくなるが、私たちに関する記憶が消える』か、『記憶は残るが、一生不幸なまま』か。どちらを選びますか?」

「……俺は――」

 どうする? どちらを選ぶべきなんだ?

 ずっと求めていたもの――自分の不幸をなくすチャンスが来たんだ。

 なら、それを選ぶべきじゃないのか?

「……俺は――」

 いやだからって、弥華ちゃんと過ごした記憶をなくしていいのか?

 弥華ちゃんのあの笑顔。それは大切な記憶だ。忘れていいわけがない。

 だが、それだと一生不幸になってしまう……。

「……俺は――」

 いや、違う!

 一杉仁が最も求めているものは、不幸をなくすことでも、弥華ちゃんとの記憶でもない!

「……俺は――どちらも、選ばない!」

「ふざけているんですか?」

 ずっと微笑みを崩さなかった神が真顔をなり、仁を睨む。

「ふざけてなんかいない! どちらを選んでも、俺が求めているものは手に入らないから選ばないんだ」

「……なら、君はどうしたいのですか?」

「俺は――何があっても弥華ちゃんを連れて帰りたい!」

「なっ!」

「へ?」

 神も弥華ちゃんも驚きを隠せないようだった。

「自分の立場がわかっているんですか? 君を一生不幸にしますよ?」

「ちょっと待っ――」

「別に構わない」

「!!」

 神は流石に予想外だったようで、少し汗を掻いていた。

 それはそうだ。元々、不幸をなくすことが最優先だったからな。

「俺は気づいたんだよ。どんなものよりも大切なものに。弥華ちゃんが傍にいるだけでもう俺は不幸なんかじゃない。だから弥華ちゃんを連れて帰りたい。弥華ちゃんとまた一緒にご飯を食べて、どこかに遊びに行って、笑い合いたい! お前がどれだけ俺を不幸にしたとしても関係ない! 俺は、弥華ちゃんの笑顔が見れるだけで十分幸せになれるからな!」

「……弥華。あなたはどうしたいのですか?」

 神の隣で仁の話を聞いていた弥華ちゃんは、神の問いに少し悩み、はっきりした声で答えた。

「……私、仁のところに帰りたい!」

「そうですか」

 神は予想通りだったのか、驚くことはなかった。

 神は呆れたようにため息を一つついた。

「まったく、ここまで仲良くなっていたとは……。誤算が良い方向に進んだと思ったら、最後の最後にその誤算にやられてしまったようですね」

「俺から言っといてなんだけど、お前はこれでいいのか?」

 神は仁の方を見て微笑む。

「これでも君には感謝してるんですよ。妹の面倒をよく見てくれましたから。それに――」

 神は弥華ちゃん一瞥してから続けて言った。

「弥華がこんな顔をするのは初めてですからね。仕方がありませんから、折れてあげます」

 その言葉と同時に仁の拘束が解けた。

 立ち上がると、弥華ちゃんが勢いよく抱き付いてきた。あまりの勢いに尻餅をついてしまった。

 仁に抱き付いたままの弥華ちゃんの頭を優しくなでてあげた。

 しばらくした後、弥華ちゃんが顔を上げて笑顔で言った。

「仁! 一緒に帰ろう! 私たちの家に!」

「ああ! ……って家、なくなったんだけど」

「君の家は特別サービスで私が直しますから安心してください。というか、もうそろそろ元の世界に帰しますから横になってください」

「何で横にならないといけないんだ?」

「いいから横になってください!」

「わ、わかった」

 仁が横になると、魔法のような力で眠らされ、目が覚めた時には元の世界に戻ってきていた。起きた場所は家の近くの公園にあるベンチだった。

「あっ! 仁、おはよ!」

 仁の目の前に弥華ちゃんの笑顔が現れた。どうやら、弥華ちゃんも一緒に帰ってこれたようだ。

「目が覚めたなら早く起きてくれない? そろそろ足が……」

「え?」

 仁は飛び起きて自分が寝ていた場所を確認する。

 そこは弥華ちゃんの太ももだった。ベンチにしては少し柔らかいと思っていたら……。

 要するに、自分は膝枕をしてもらっていたということになる。

 意識すると気恥ずかしくなってくる。当の弥華ちゃんはすでに立ち上がっていて、

「ねえ、家に帰ろうよ!」

 などと言っている。

 なので仁も気恥ずかしさを捨て、元気に家に向かう弥華ちゃんの後を追った。

 仁の家は元通りとなっていた。

 ドアの前には、『妹をよろしくお願いします。  神』という張り紙がしてあった。

「今更だけど、いきなり直ったりしたら近所の人がびっくりするんじゃ――」

「大丈夫だよ! そこの記憶は神様が消したらしいから。日にちも通常運転だから心配ないよ!」

 何でもありだな、神様……。

 ……ん? ちょっと待て。通常運転? ということは?

「ちょっ、弥華ちゃん。今何時?」

「へ? 今、八時半だけど?」

「……ち、遅刻だー」

 急いで家のドアを開ける。

 中に入って学校の支度をしようと思った時、玄関に入った弥華ちゃんに呼び止められた。

「仁、ただいま!」

 笑顔でそう言う弥華ちゃんの方に振り返って仁もお決まりの挨拶を言う。

「弥華ちゃん、おかえり!」

 結局この日は学校に遅刻し、アルバイト先でも先日の無断欠席の件で怒られる羽目となった。


 朝起きて学校に行き授業を受ける。放課後アルバイトをして家に帰る。そんな変わらない毎日。

 神からの不幸はなくなったが、世の中はそんなに甘くないようで、友達ができることもなく一人で過ごす日々である。

 だが、家に帰れば弥華ちゃんが待っている。仁が大好きな笑顔で迎えてくれる。

 ただそれだけで自分が不幸だとは思わなくなった。むしろ幸せだ。

 日曜日。仁は弥華ちゃんと一緒に出掛けていた。行先は不明。ただひたすら肩を並べて歩くだけ。散歩のようなものだ。

 もう二度と離れないように手を繋いで歩く。見慣れた場所から始めてくる場所まで。

 途中で弥華ちゃんが「クレープが食べたい」と言ってきたので、一緒に買いに行った。

 クレープを弥華ちゃんの分だけ買おうとすると、

「可愛い彼女ですね」

と店員に言われた。仁は少し恥ずかしくなり、早めにその場を離れた。

 傍から見ると仁と弥華ちゃんは彼氏彼女に見えるらしい。良くて兄妹だと思っていたのに……。

 弥華ちゃんはそんなこと気にもしていないようで、おいしそうにクレープを食べている。

「クレープ食べたいなら一口あげるよ?」

 ふと見ると、弥華ちゃんが上目づかいで仁にクレープを差し出していた。

 仁がクレープを見ていたと勘違いしたらしい。

 弥華ちゃんの純粋な瞳には逆らえず、「弥華ちゃんは家族!」と自分に言い聞かせながらクレープを一口食べた。

 そんな感じで一日中弥華ちゃんとの散歩を楽しんだ。

 流石に日が落ち始めたので帰路に着いた。

「弥華ちゃん。今日は大したことできなかったけど、どうだった?」

「すごく楽しかったよ! 仁とどこかに行けるだけで楽しいよ!」

「じゃあさ、今幸せか?」

「うん、すっごく幸せ! 仁は?」

 弥華ちゃんは満面の笑みでそう言った。だから仁も同じように笑った。

「もちろん、俺も幸せだ!」

 ――幸せがあれば不幸もあるだろう。

 不幸に潰されてしまうこともあるかもしれない。

 それでも幸せというものは存在するのである。

 たとえ、比較的不幸の方が多かったとしても、それを振り切れるくらいの大きな幸せがあれば、もうそれは不幸ではなく幸せと呼べるだろう。


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[一言] こんばんは。約束通り現れました。マクタキです。 楽しく読ませていただきました。 まさに、「幸せってなんだろうな」って思いましたよ(笑) 良い点悪い点はすっ飛ばしましょう。 これは完全…
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