041「40 一番の恐怖」
「40 一番の恐怖」
大きな茂みに隠れていた、大きな影に狙われていたのは
大きなカリブーではなく、それより小さな
カリブーの上にいる、狙われ易く怪我を偽装した「ソラ」だった
大きな影の口元が、笑う様に浮かび上がり大きな犬歯が白く光る
ソラは、自分が落ちかけた方向に隠れていたその大きな影と
一番最初に目を合わせ、人知れず声無く悲鳴を上げていた
趣味に、戦う事に、体を動かす事に夢中になていたレイブンが
獲物を寄せる為に偽装した、ソラの怪我と
思いの外、2人の傍を離れてしまっていた事実に後悔し
少し離れた場所で舌打ちをする。
ソラを落とし掛け・・・
慌てて背中にいるソラに、手を伸ばしたカリブーの視界の端にも
森の木の木陰に同化していた黒い大きな影「黒い狼」の姿が映っていた
ソラとカリブーの全身に、冷や汗が噴き出す
カリブーは、手持ちの武器をレイブンに貸し出してしまった事を後悔し
ソラが落ちない様に伸ばした手を引っ込める事ができない程に緊張して
狼に対する恐怖心から、全身を硬直させる。
カリブーの腕が、ソラを護る様にソラの目の前に差し出され
目と目の合った、ソラと狼の見詰め合いを妨害してしまっていた
レイブンは、自分が相手をしていた蜂を半ば蹴り倒し
間合いを取って、駆け寄ろうとするが・・・
距離があり過ぎてレイブンは、この時に間に合わなかった。
逃げられない様に距離を計っていた狼は
カリブーの御蔭で、「ソラ」と言う獲物との睨み合いから解放され
カリブーの行動を気にしながらも
ここぞとばかりに、茂みを突っ切り2人の側面から襲いかかる
カリブーの腕で、視界の遮られたソラの視界の隅っこに
大きな獣の大きくて黒い足が現れ、こちらに蹴り出すのを見て
ソラは向かって来る相手を拒む様にして、両腕で自分を庇う
次の瞬間には・・・
ソラが庇おうとした部分ではなく、ソラの鳩尾に
呼吸もできない程の横殴りの衝撃が襲いかかってきた。
衝撃で、カリブーの背中から後ろ斜め下に落下するソラ・・・
民家の解体現場で耳にする様な、圧し折る音が響く
恐怖に震えるソラの耳に、取り零す事無く
その恐怖心をそそる恐ろしい音が、割合近くから届いた
反射的に、恐ろしさから閉じてしまったソラの目に世界は映らず
それでもソラの視界が、赤く染まっていた。
記憶に残る、ソラの視界を遮ったカリブーの腕・・・
目に焼き付いてしまった「カリブーの女性的で柔かそうな腕」が
その後どうなったか・・・
怖い想像を思い浮かべ、ソラはその行方を案じ心を恐怖で凍えさせる
衝撃を受けた場所から脈打つ様に感じる熱と痛み
ソラはせきこみながら、目尻に涙を溜めた
更に、カリブーの背中から勢い良く突き落とされたソラは
落下した後、地面の上に叩きつけられ・・・
身動ぎも出来ない程の痛みに悲鳴を上げて
落ちた場所で、そのまま動けなくなってしまった。
カリブーの背中から地面までの高低差が大きかった為に
地面にぶつかった部分の全てが、酷く痛む
痛過ぎて、何処が痛くて何処が痛くないかも判断できなくなっていく
頭も打っていたのであろう、ソラは起きようとして首を動かし
酷い頭痛にも襲われた
それでも起きようとしたソラは、起きる事ができない事に気付く
ソラは、何者かに右腕の付け根をきつく踏みつけられていたのだ。
右の方から・・・荒く熱い吐息を感じる
正面からは・・・生温かい液体が自分に滴るのを感じた
ソラは目を空けるのが怖かった
目を開けて現状を確認する勇気が、ソラにはどうしても持てなかった。
「俺・・・このまま食べられて死んじゃうんっすかね」
と、思い・・・震えながら、ある種の覚悟を決めた時
突然、聞き覚えのある誰かの笑い声が聞こえてくる
勿論、カリブーやレイブンの笑い声では無い
女性的な笑い声に、強く惹かれる好奇心から
ソラがそっと目を開けると、目の前に牙を剥いた狼の顔面が・・・
ソラの本気の甲高い悲鳴が森の中に轟いた。
ソラの悲鳴に対し、笑い声の主は・・・
ひょっこりと狼の顔の横から顔を出し、にこやかに笑う
『ソラはレイブンと違って、臆病者だな』
笑っていたのは「危険な目に遭っているだろう」と、皆で心配して
探しに来た、探されていた立場の筈の桜花だった。
レイブンは溜息を吐き
倒しきれていなかった巨大な蜂を地味に倒してから
『俺等これでも、必死にお前を探してたんだぞ・・・
そっちが先にこっちを見付けたんなら、先に声を掛けてくれよ』
面倒臭そうに歩きながら、桜花の近くまでやってきた
『僕が思うに・・・それは半分嘘だろ?
狩りに夢中になって、僕の事なんて忘れてたんじゃないのか?』
桜花の鋭い突っ込みに、カリブーがクスクスと笑う
レイブン以外のこの場にいる全員がそう思っていた。
そしてソラは・・・
怪我をしてなさそうなカリブーの様子に、胸を撫でおろす
笑顔を見せるカリブーに、変わった様子は無い
今さっきの狼の攻撃で、怪我はしていない様子を感じ取り
ソラは安堵の溜息を零した
安心して一呼吸置くと・・・
恐怖に感じた子牛の吐息まで愛しく感じる
それからソラは、自分の今の状態が不条理な事に気付く
一人地面に転がったままなのは「オカシイだろう」と思い
ソラは、桜花が踏みつけた自分の腕を桜花の足の下から救出し
「こんな酷い状態の俺に
誰か、手を差し伸べてくれても良いんじゃないっすかね?」
と、思いながら・・・痛みに堪えながら起き上がる。
その後、助かってみて気になるのは事の成り行き
『所で・・・何がどうなってこうなったんっすか?』
ソラが、桜花の手にした狼の生首を怖々指で指すと
桜花が人気は華やかに笑い、自慢げに微笑んだ
『そんなの決まってるでしょ?
獲物に襲いかかった時に生捕って、引き千切ったんだよ』
『は?え?えぇぇぇぇ?
どうやったら、そんなモノ引き千切れんすか?』
「獲物に襲いかかった時」=「自分達が襲われた時」と、理解しつつ
困惑するソラに対して、桜花も困惑する。
『どうやってって・・・引張って千切っただけだけど?』
何処か何だか、話が噛合っていないのかもしれない
レイブンが腕を組み、考え込み、思案して・・・
2人の会話の問題点に気付き、ソラの傍に歩み寄る
『桜花は、生き物を生きたまま
素手で引き千切れる事ができる力強い人種なんだよ・・・』
ポンっとソラの肩を叩いてレイブンはソラの疑問に答えた。
『はぁ?』一際大きな声をソラが発した
そして次第に理解して、ソラの顔は青褪めて行く
皮が伸びるのでどんなに力が強くとも
首の骨を圧し折って、胴体から首をもぎ取っちゃう事は
ソラの前まで生きてきた世界の人間には不可能なのだが・・・
この世界の人間には?
ソラは獣人的な、この世界の普通の人間の一人
ゴリラ系ではなく、オランウータン系だと紹介された
山都の事を思い出し、生唾を飲み込む
彼は・・・
外見にもその特徴の一部が出ていて、アリエナイ程の怪力だった。
ソラの前に生きていた世界でも
そっち系の生き物の握力は、計り知れないって言うか
人間には太刀打ちできない程の怪力である事は、確かだった
そう、桜花は・・・
そんな怪力な生き物の類の獣人なのだが、外見が自分に近い為
ソラはその事を失念していたのだった。
『って事は・・・桜花さん
マジで、素手で引き千切っちゃったんすか?』
驚きを隠せないソラに、桜花は満足げな顔を見せた。
ソラは狼の胴体に目を向ける
ねじ切れた様な断面の狼の首の部分に視線が止まり
人知れず背筋に悪寒を走らせる
この世界が、この世界の人間に慣れ掛けていたソラに
この世界で生き残る事の難しさを垣間見せた
「俺、何かの拍子に桜花さんとか怒らせたら・・・
冗談と誇張も無しに死ぬか、瀕死の重傷負うんじゃないっすか?」
この時ソラは・・・
親しくなっても、一定の距離を置かなければイケナイ
動物園の一部の動物の飼育員の様な気持ちを体感していた。




