〈1〉
※もふもふ要素がないんだぜ!!><
今日で百日目だ。
あのひと――ではないな。人ではない彼に拾われてから百日目。
経過は順調。異世界でのペット生活も、そう悪くはなかった。もろもろすべてを諦めたうえでの安寧ではあるけども、もし拾ってもらえなかったら、もっと恐ろしいことになっていたと思えば。
ある日ある時。
突然、冷たい岩の上に寝てるのに気がついた。寝るっていうか、気を失っていて目が覚めた……んだと思う。たぶん、そう。
辺りは真っ暗で、そこがどこなのか、まったくわからなくて。
心臓が跳ねた。
完全な真っ暗闇で目を覚ます心当たりなんて無かった。あるはずない。寝てる間に移動した? そんなバカな。意味がわからなくて混乱。そんなバカなそんなバカなそんなバカな。誘拐? 拉致? でもそんな記憶もない。
きおく――必死にたどってみるが、ふつうの日常の記憶しかない。それが断絶した瞬間がわからない。意識を失った瞬間が。何か凄いショックを受けて記憶の一部が飛んでるんだろうか、と疑ってみた。
例えば、地震なんかの災害が起きて。瓦礫の下にいるとか、地下にできた深い穴に落ちたとか。
それならこの唐突な状況もあり得そう。そう、こじつけてみる。災害なら、いつか救援は来るかも、と思えるし。希望にはすがれるし。すがるだけならタダだし。助けも何もないと思うよりマシだ。
周囲の様子をさぐってみる。聴覚に集中して。あたりはしんっと静かだった。近くにひとけは無い。だれもいない。
またどきりとして呼吸が速くなった。空気が薄いような。空気、と思って、あっと気づいた。土ぼこりのにおいがする。そうだ。岩の上だと思った。足下は岩だと。手探りしてみると、荒削りな岩肌が触れた。
冷静に思考してるようで、実際にはパニック寸前だった。恐怖で身体が震えはじめていた。
しんと静まりかえった暗闇のなかにひとりきりなのだ。
もう泣きたかった。でも泣き声をあげるのも怖い気がした。鼻先も見えない暗闇に、何がひそんでいるかわかりもしないのに。べそべそと泣たりしたら、闇にひそむ何かに自分の居場所を知らせてしまうのではないかと。
普段なら居やしないとわかっているオバケのような「何か」を妄想してしまう。暗闇は本能的な恐怖を呼び起こす。理性では「何か」なんているわけないとわかっていても、怖いものは怖い。
すっかり闇に呑まれていた。心も、体も。
とは言っても、どんなに怖くても、一生暗闇でじっとしてるわけにもいかなくて。
何しろ、いくら待っても暗闇に慣れて夜目がきいてくる、ということがなかった。光源ゼロの真っ暗闇だ。オーケイ。わかってた。もともと意識を失って横たわっていたのだ。慣れれば見える暗がりなら、起きた瞬間から見えていてもおかしくないよね。
今さらなことをようやっと納得した。ようやくちょっと落ち着いてきた。
そんな単純なことを理解するのにも時間が必要だった。ぎゃーっと騒いだり、しくしく泣いたりがストレス発散になるタイプじゃないだけで、これでもけっこう物凄く気が動転していた。
起こしかけだった身体を、冷えて強張った震える身体を何とか引き立てて、よろめきながら立ち上がった。見も知らぬ暗闇だと、怯えも手伝って、いちいち動きがおぼつかない。
自分の家なら、よそでも普通の室内なら、真っ暗でもある程度は動けただろう。この時の暗闇はほんとにわずかの手がかりもなく、不用意に動いたら、どこかに頭をぶつけたりするかも知れないと思うほど、周囲の状況がつかめなかった。
そろそろと立ち上がってみる。手を動かして空間に余裕があるのをはかりながら。
立つだけでも一苦労だった。直立して、背筋を伸ばして、ふうっと大きく息を吐いた。
じっと耳をそばだててみる。なんでもいいから手がかりがないかとさぐってみたが、やっぱり何も聞こえない。いや。風の音は聞こえた。空気の流動がある。
言葉で並べると、いやに理性的に的確な判断をしたみたいだ。むしろ怯えた獣みたいに野性的な状態だったから、極限状態に近かったから、わかったんだと思うけども。かすかな風の流れの音なんて。ふつうなら気づけないような。
誰かいませんか、と思い切って声を出して呼びかけてみた。暗闇に「何か」なんていない、と自分に言い聞かせて。
反響を正確に把握できるほど、感覚の鋭さに自信はない。それでも、なんとなくだだっ広いところにいるっぽい、と直感した。
ずっと意識もなく目を閉じていたのに夜目が利かないほど、完全な真っ暗闇で、だだっ広い場所。って一体全体どこなんだ?
考えてみても、やっぱり心当たりなんてあるわけもなく。
今度こそ泣きそうになった。
どこに居るのかわからない。どちらへ行ったらいいのかの目安も見えない。自分が居る以上、どこかから入ったんじゃないのか。なのに何故どこにもそれらしき開放口がないのだ。
一体なにがどうなってるんだ。
戦争でも始まって文明世界が滅んだのか。
事故なのか、事件なのか。偶然なのか、必然なのか。助かるのか、助からないのか。
まったく手掛かりがない。判断材料がない。
絶望的な気分で立ちすくんだ。
ふと、振動が伝わってきた。すごく遠くから。
――地震? やっぱりそうなの?
余震だろうか。さらにぎゅっと身構えた。
ちらっと思う。これが救出のための機械の作業音であってくれたら、と。
でも、現実はそんなに甘くはなく。
ズズン、ズズン、ズズン……。
その振動が何かの足音だと。
わかってしまったときには全身の血の気がひいた。
と同時に。
……怪獣の足音ってほんとにこんななんだ。
なんて可笑しく思って感心した。のんきにも。
――怪獣って。……かいじゅう?
脳に染み渡った途端、ぎょっとして飛び上がった。わたわたと見えない周囲を見回して振動の発生方向をつかもうとした。
まったく視界の利かないなか、それが来る方角とは逆に移動して。
すぐに、がしん、と岩壁にぶつかった。恐怖でパニってたから、その時は目がチカチカしただけで痛みには気が回らなかった。ああでも、鼻血が出そうだと思って鼻を押さえてはいたから、痛くはあったのか。気が動転しきっていたから、よく覚えてない。
そのあとも大体、記憶が曖昧。
岩壁を手でつたいながら、左へ逸れた、んだっけか。最初。だいぶ行ったところで突き当たり。なだらかに右手、つまりは音のする方向へ続いていた。
あわてて引き返して反対側。も、同じ。
要するに、ドン詰まりにいたのだった。
そうやってる間にも、辺りを揺るがす大音響を立てながら、足音の主が近づいてきている。
逃げ場はない。
絶望的な気分が、まさに絶望になった。