Guns Rhapsody 『Mag Mell』 Ⅱ-ⅩⅧ
続きです、はい。
都市部・南区
夜分にも関わらず人で賑わう都市部の繁華街。
旅行客や地元住民、はては犯罪者までもが利用する都市部の中でも特異な地域。
中央区にも同様の物が存在するが、南区に存在する繁華街は比較して犯罪発生率が高く、粗野な店々やアンダーグランド寄りの地域である。
その一角。バーやクラブ、風俗店といった『夜の街』の色が強い区画――『歓楽街』の通り。
人で賑わうその通りを一人の女性が歩いていた。
狼の毛皮の様な灰褐色の独特な色の髪の毛に、一流アスリートの様に引き締まった四肢と、すれ違う異性が思わず足を止めてしまう程の起伏のある身体付き。
年齢は20代の半ば頃か、白いブラウスに紺色のデニムと言った簡素な格好に身を包み、手には何も持っていない手ぶらな格好。
すれ違う男達は一様に下心満載な目つきで見ては去ってゆく。
下卑た視線を意にも介さない様子で一人歩く、女性。
女性は次第に歓楽街の中でも飛び切り治安の悪い通りの方向へと歩いてゆく。
――そして、女性が歩みを止める。
鮮やかなネオンに彩られた歓楽街の中でも異質を放つ、黒い壁面の小さな建物。
ライトや店の名前を表す看板も無く、外壁に設えられた小さなドアと、その横に打ち付けられた小さな銀製のプレート。
「ここが約束の場所ね? 『Белое море』か……随分と洒落た店だこと」
ドアの前には黒いスーツに身を包んだ屈強な男が二人。
脚を止めて物珍しそうに眺める女性を一瞥すると、僅かに佇まいを直す男達。
そして、女性がさも当然の様にドアの取っ手に手を掛け――横から手首を掴まれる。
「失礼ですがミズ。招待状が無ければお通し出来ません」
流暢な英語で語り掛ける男――ドアマンの一人。
「あら、そうなの?」
同じように英語で言葉を返す女性。
「ええ、ですから勝手に入られては困ります。会員と同伴か招待状が無ければお通しできないのです、お帰り下さい」
丁寧ながらも無言の威圧感を放つドアマン。
「どうしても駄目?」
「ええ、それが我々の仕事ですから。お引き取り下さい」
猫なで声に上目遣いを使って頼むも頑として入店を拒否する二人。
「それじゃあ……無理矢理通ると言ったらどうなっちゃうのかしら?」
女性の言葉に一瞬だけ身体を強張らせる二人。
「失礼ですがミズ。私と貴方とでは体格に明らかなハンデがある、貴方のパンチなど怖くありませんよ」
「あら失礼ね、こう見えても鍛えてるのよ?」
右腕を挙げ、力こぶを見せるようにする女性。
「ハハハ、面白い方だ」
「それじゃあこうしましょう。お互いに一発ずつ殴り合うの、貴方が負けたら店の中に入れて頂戴。私が負けたら大人しく医者の所へ行くわ」
女性の言葉に笑うドアマン。
「おい、笑ってる場合じゃないだろう」
「まあいいだろう。ここの所、生意気な若増か勘違いした男しか相手してなかったんだ。たまには肩の力を抜いてもいいだろう」
「だが……」
「冗談に付き合ってやるのも仕事だ――いいでしょうミズ。貴方の賭けに乗りましょう……ですが、お互いに殴るという事は痛い目に合うことになりますよ?」
「そんなの当たり前じゃない。だから、先行は貴方で問題ないわ」
女性の意外な提案。
「こちらも仕事ですから手は抜きませんよ?」
「プロなら当たり前ね。それと勝手で申し訳ないけど顔は止めてくれるかしら? 整形って結構お金がかかるのよ、特に鼻の所とか」
軽い冗談に苦笑がこぼれる。
「さ、いつでも殴ってもらっていいわよ」
両手を広げ、完全に無抵抗の素振りを見せる女性。
「お、おい本当にやるのか」
「ああ」
一瞬だけドアマンが戸惑うが、意思を決めたように拳を握り――女性の腹部目がけて鋭いパンチを放つ。
垂らした布を殴ったかの様な動きで身体を脱力して曲げ、重たいパンチを受ける女性――
「……まあまあね」
顔色一つ変えず、涼しい表情で呟く女性。
「なっ……」
「じゃあこちらの番ね!」
『しなり』を加えて身体全体を使うように動かし、ドアマンの腹部にパンチを叩き込む女性。
肉を殴る鈍い音と共にドアマンが後ろへとたたらを踏み――崩れるように跪くと、その場で胃の中身を吐き出してしまう。
「あら、もう終わり? 呆気無いのね」
踵を返し、ドアへと近づく女性。
「この!」
もう一人が懐から伸縮式警棒を取り出し、一挙動に展開すると叩きつけように振るい――女性の急転身。
男の懐へと大きく踏み込みながら、腕を使ってドアマンの腕の動きを阻害し、関節を右肘で打ち落とし顎を掴んで地面へ背中から叩き伏せる。
「呆気ないのねえ」
特殊警棒を取り上げ、具合を確かめながら呟く女性。
一連のやり取りを見ていた外野達は、女性の異質さとこれから尋ねるであろう店の危険性を知ってか散り散りに逃げてゆく。
警棒を畳みながら女性は軽い調子で店のドアへと手を掛け、中へと入ってゆく。
店の中は薄暗く、豪奢な赤い絨毯と黒い壁に設えられた小さな照明だけで視界は非常に不明瞭なもの。
「……ロシアンマフィアにしては良い趣味してること」
壁面に飾られた絵画を眺めながら女性が歩く。
規則的に廊下の左右にある扉。その微かな隙間から漏れ出してくる、扇情的な艶声。
「うーん……オフの日だったら来たかったわ」
――そして、女性の目の前に現れるエレベーター。
ボタンを押し、点灯するランプが上の階から降りてくる。
一階へとエレベーターが止まり、重々しい金属の扉が開くと、中には中には黒スーツの男達が四人。
「失礼」
躊躇い無くエレベーターの中へと入ると、地下行きのボタンを押して中央に無造作に移動する。
「……恐れ入りますがお客様、このエレベーターは従業員専用なのですが」
「あら、それじゃあ――地下にいる『ハゲワシ』の所までお願いできるかしら?」
「なっ――」
男達が反応できたのは一瞬。収納された警棒の先端が喉や鼻、股間を強かに打ち据え、10秒と経たずに無力化される。
「――全く反応できないわねえ。本当にマフィア? ウチの隊員以下じゃないの」
英語から打って変わり、ロシア語で卒倒した男達に話しかけるように喋る女性。
「灰色の髪……GRUの『灰狼』か……!?」
鼻血を流しながら表を上げ、わずかに意識のある一人が力なく呟く。
「正解! その名前を知ってるってことは元軍人ね? まさか古巣の人間がいるなんて意外だわ」
歯を見せながら獰猛な笑みを浮かべ、女性がしゃがみ込むと、獲物を見つけた肉食獣の様な眼差しで男を見下ろす。
「な、何しに来たんだ……軍の命令か」
「違うわ。裏社会の事で聞きたい事があるからお邪魔しに来たの」
エレベーターが止まり、小気味いい電子音と共にドアが開かれる。
「それじゃあいい夢を。貴方達のボスは丁寧に扱うから安心して頂戴」
倒れた男達を踏みつけてエレベーターから出てゆく女性――マルカ。
「わお、地下よねここ? まるでベルモンドのカフェみたい」
マルカの眼前には地下とは思えない開放的な空間が広がっていた。
壁の一面を覆う絵画のステンドグラスに、ヘリンボーン張りの床と白亜の壁。
吹き抜けの天井には大きなシャンデリアが吊るされ、二階部分にはオペラ座の個室の様な部分が規則正しく並んでいる。
その吹き抜けの天井から見下ろされるように広がるホールには、フォーマルな装いの者達が大勢いた。
皆一様にカクテルドレスやタキシードに身を包み、軽装なマルカの格好が一層浮きだっている。
「あ~ら……ちょっと場違いなカンジ?」
存在に気付いた数人が好奇な視線を投げかけ、次第にマルカによってもたらされた異変が伝播し始める――
「マルカ」
背後から声。マルカが思わず振り向くと、そこに居たのは――
「レーシャ」
「こっちだ」
手を掴まれ、ホールに隣接する小さな小部屋へと連れ込まれる。
小部屋はどうやら女性の客が一休みに使う部屋の用で、豪奢なソファとガラス張りの背の低いテーブルが。
「……久しぶりだなマルカ」
女性ながらパンツスーツ姿のレーシャ。
「そうねえ、何時以来かしら? 何年経ったか忘れちゃったわ」
軽い調子でソファに音を立てて座ると、連れ込んだ女性――レーシャが大きなため息を吐く。
「22の時だから三年間だ。今まで何処をほっつき歩いていた?」
「半年は海の上で、後はヨーロッパ諸国漫遊ね」
「はあ……三年振りだというのに、昨日会った様な口ぶりだな……」
「そう? 今とっても感動してるわよ? 唯一の家族と、こうして話しているんですし」
置かれたシャンパンクーラーの一本に手を伸ばそうとするマルカ。
「酒は後にしてくれ。今は仕事が先だ」
伸ばした手をピシャリと叩くレーシャ。
「あら、一口飲んじゃダメ?」
「駄目だ。酒絡みのお前の言葉は信用ならん――それより、三年間もほっつき歩き回っていたのに、ある日突然に連絡をしてくるとはどういう事だ」
対面のソファに上品に腰かけるレーシャ。
「ちょっと調べ物よ。知りたい組織があるの」
「電話では話せないのか」
「私の携帯電話、一回通話しちゃったからトラッキングされてるのよ。だから直接話に来たってわけ」
「だからってこんな所で待ち合わせするか? ここが何処だか知っているんだろうな」
「ええ、ロシアンマフィアなら知ってそうだし。もし駄目ならここの利用客から聞き出すわ――ねえレーシャ、『公社』って知ってる?」
マルカの口から飛び出た単語を聞くや、灰色の瞳を丸くするレーシャ。
「知ってるも何も、今日の日中にその公社の関係者の一人を拷問したぞ」
「あら偶然。それじゃあ、マグ・メルとかマリーズ・セレステ号の事とか、人身売買の事とかは?」
「いや、それは知らないな。私が聞き出したのはお前の行方と直近の情報だ、結局引き出せたのは捕まる直前までの情報だが」
「それじゃあ、私の今の状況も知っている感じね?」
するとレーシャの大きなため息。
「ああ……本当に武学生なんかに捕まったのか」
「そうよ、私と貴方が束になっても適わない程の超危険な奴にね」
アイスピックを手に取り、片手で器用に回転させる。
「にわかに信じられないな。お前を捕まえる子供なんていたのか? 普通じゃないだろう」
「本当、普通じゃないわ――で、脱線した話を戻すけど。私が言った事の情報は全く持っていないの?」
「ああ、あくまでお前を探すために公社の関係者を追っていたからな。そっちに関しては全く知らない」
「なるほど……本当に『ハゲワシ』に尋ねに行く必要がありそうね」
「奴がこの国に着ているのか。エカテリンブルグの工場にいるんじゃないのか」
「ええ、近々マリーズ・セレステ号っていう豪華客船が寄港するから、それでね」
ソファから立ち上がり、小部屋から出ようとするマルカ。
「待て待て、その格好で行くのか」
「やっぱり目立っちゃう?」
「当たり前だ。せめて浮かない格好に着替えてくれ」
「ええー、嫌よ」
「慣れだ慣れ」
そう言い、レーシャがクローゼットへと近付き、何か無いかと探し始める。
「カクテルドレス辺りで十分か……」
レーシャが取り出したのは藍色のカクテルドレス。
「ドレスって動きにくいから嫌なのよねえ」
文句片手に手に取ると、無造作にその場で衣服を脱ぎ始める。
露わになる鍛え抜かれた四肢と筋肉の絞られた身体。
「その肩と背中の傷はどうしたんだ? 比較的最近の奴だな」
「そ、さっき言った学生くんに切られたのよ。ナイフで切られるなんてジェレゾの訓練以来よ」
「お前を捕まえた子供か。さぞかし厄介なんだろうな」
「そうよー? 撃った弾丸をナイフで逸らされたもの」
到底信じられない言葉に目を丸くするシリェーナ。
「待て、今なんと言った?」
「え、だから目の前で銃弾逸したのよ。そんな事されたら誰だって戦う気失せるでしょ?」
大胆に開かれたドレスの背中部分から、鍛え抜かれた背筋が覗かせる。
「うーん……ちょっと胸の所キツイわね」
「……本当に銃弾を弾いたのか」
「正確には『ナイフで弾丸のコースを逸らした』、が正しいわね」
「人間か?」
「ええ、ちょっとおかしい所はあるけど真人間のはずね」
姿鏡の前で自分の姿を確認しながらシリェーナの問い掛けに答えるマルカ。
「……よし、これで大丈夫かしら」
「ふっ、日本の言葉だと『馬子にも衣装』だったか?」
「失礼なこと言うわねアンタ。昔に比べて口悪くなった?」
「そりゃあ数年も会わなければ人間てのは変わるものさ――さて『ハゲワシ』の所へ向かうとするか」
「そうね、早く帰ってベッドに飛び込みたいわ」
元々来ていた衣服はゴミ箱へと投げ入れ、スマートフォンと警棒はレーシャのポーチの中へ。
「ひとまず外に出たらVIPルームに向かう。十中八九ハゲワシの奴はそこで接待か商談をしているだろうからな」
「了解よ――殺しは無し?」
「ああ、余計な敵は増やしたくないからな。穏便に済ませる」
二人が部屋の外へと出ると――無数の視線が一斉に集まる。
先程の場違いな格好とは打って変わった闖入者と、その横に立つ絵画から抜け出してきたかの様な男装の麗人
どちらもハリウッド女優顔負けのプロポーションと顔立ちを備え、男性陣の目は自然と引き寄せられてしまう程。
「あら、なんだか目立ってない?」
「入る前にお前が変に目立ったからだろう、いいから向かうぞ」
「静かに来たんだけどねぇ」
己の容姿が目立つ事を知らないまま二人が、VIPルームのある方向――二階部分へと登る階段の方へと歩き出す。
「ねえ、シリェーナが都市部に居るってことは他の三人も来てるってわけ?」
「ああ、補助要因で外に待機させている」
ホール内を満たす英語やロシア語とはまた違った言語で会話をする二人。
「ふうん、それじゃあ銃器もあるって訳?」
「まあな、昔程は用意出来ないがこの都市で闘う程度は備えている」
「それじゃあ私の銃とかは流石に軍の倉庫かしら」
「いいや、お前がいつでも復帰できるように持ってきている。ジェレゾの厚意で『клык』もな」
すると、マルカの明るい表情。
「本当に?」
「ああ、定期的なメンテナンスはしているからいつでも使えるぞ。他の物は持ってこれなかったがな」
「それだけでも十分よ。そうしたら、近々使いそうな機会があるから後で持っていってもいいかしら?」
流れるようにウェイターのトレーから蜂蜜色のシャンパンが注がれたグラスを手に取る。
「近々って……お前、捕まってるんじゃないのか」
「正確には司法取引ね。情報提供と捜査の協力をする代わりにある程度の自由を保障してもらってるの」
「なるほどな……待て待て、そうするとお前はASSに協力しているのか?」
「ええ、表は非常勤講師としてね。可愛い女の子沢山いるし――可愛い男の子も沢山いるわよ?」
「ぐっ……本当にお前は不純だな」
「貴方に言われたかないわねぇ」
――すると、体格の良い若い男性達の集団が二人の進行を妨げるように立ち塞がる。
「どうも、綺麗なお二人さん」
手前の一人、短い顎髭を蓄えたアッシュブロンドの男性が軽い調子でマルカへと語り掛ける。
「――だから、ある程度の身の安心は保証されてるわ。まあ、こわーい監視役がついているからあんまり派手には動けないけどね」
「なるほどな……そうなると、お前を連れ戻すとASSからも追われるという事か」
「そういうこと」
が、無視したまま会話を続ける二人。
「会話を無視するなんて酷いなあ」
そう言い、マルカの肩へと手を回そうとする男だが――
「あら、勝手に触ってくるのも酷いんじゃないのかしら?」
「イテテテ!」
――伸ばされた左手を捕まれ、捻りあげられると床へ瞬く間に膝をつかせる。
「あら、ごめんなさい」
あっさりと手を離し、解かれた男は手首を擦りながら二人から離れるように後退る。
「それじゃあ私達他に用事があるの、話しかけるならもう少し人を見極めるべきね」
そう言い、二人が一団を割くように進もうとした矢先――
「失礼、レディ。我々に危害を加えた以上、見過ごす事が出来ませんので」
二人を塞ぐように、左右からスーツ姿の男が三人現れる。
「はい?」
「……あ、ああ。何処かで見たことがあると思ったら都市部で活動している、アルバニアマフィアの会計士か」
「あら知り合い?」
「都市部に私達が来たとき提携を持ちかけてきてな。利にならないから断ったんだ」
「本当、多国籍ねえこの都市は」
呑気に話す二人。
「その話を覚えていてくれて大変光栄ですよミズ・レーシャ。快い返答を心待ちにしているんですがね」
「すまないが、お前らと組んで益を得られるとは全く思わないのでな。これ以上の話は私の上司にしてくれ」
「ちょっと、面倒な話を投げないでちょうだいよレーシャ」
心底嫌そうな表情のマルカ。
「上司……? ま、まさかその灰色の髪は……まさか『イェルベガン』か!?」
丁寧な口調から一変した男の叫び声に周囲が僅かにザワつく。
「そっちの呼び名も覚えられてるなんて光栄ね」
シャンパンを飲み干し、歯を見せて破顔するマルカ。
「お、お前はASSのガキ共に捕まったんじゃないのか!?」
「よく知ってるわねえ、一体どこからその情報が流れたのかしら」
「都市部の犯罪組織でその事を知らない奴はいないぞ、どうやって逃げ出したんだ」
「知りたい? そうねえ、そこを退いてくれたら教えてやらない事もないけど……」
マルカが半歩進むと、男達が後ずさる。
「あら、人食い竜が怖いのかしら?」
「当たり前だ、誰が厄災みたいな奴に関わるか。お前たち、今すぐ出るぞ」
「で、ですが商談が……」
「コイツがいるとろくな事が起きない、さっさと逃げた方がいい」
吐き捨てるように言い残し、逃げるようにホールから姿を消す男達。
「あーら、勘がいいわねえアイツら」
マルカが笑いながらウェイターからさも当然のように二杯目を取る。
「目立ち過ぎた、急ぐぞ」
「はいはい」
人混みを掻き分けホールから外れた小さな通路へと出ると、人気が少なくなりホールの喧騒が僅かに小さくなる。
足音無く二人が進み、辿り着いた先は二階の部分へと登る階段。
その手前にはスーツ姿の屈強な男性が二人、行く手を塞ぐように立っていた。
空になったシャンパングラス片手に、僅かにふらつく足取りで進もうとするマルカ。
すると、一人が素早い身のこなしで抱き止めると丁寧に押し戻す。
「あらぁ? 私、この上に用があるのだけれども……」
「失礼ですがレディ、上の階へは招待状をお持ちの方かオーナーと同伴でなければお通しできません」
「招待状? えーと、何色だったかしら……」
惚けたような表情を浮かべ紅潮した顔のまま胸元を僅かにはだけさせる。
「ええと……どこに仕舞ったっけ……」
一方のレーシャはもう片方のガードマンへ申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「すまないな、ウチの連れが迷惑をかけてしまって」
「いえいえ、飲み過ぎたのでしたらレストルームで一休みされては」
「ありがたくご厚意に預かろう、そのレストルームはどこにあるのかな?」
「でしたら、ホールの南側に――」
男の視線が僅かに離れた瞬間、出来事は一瞬だった。
閃くレーシャの拳が男の顎下を通過し、一瞬で『落とされる』ガードマン。
瞬く間に背後へと回り込むと、首を腕で締め上げ数秒足らずで絞め落とすマルカ。
「お勤めご苦労様」
気絶した二人を壁にもたれさせると、上の階へと進む二人。
「これで私達は出禁になりそうね」
「構わんさ、こういった派手な所は苦手だ」
「同感、もう少し静かな方が落ち着けるわね」
「普段から騒ぎの渦中にいるお前が言うと新鮮味を感じるな」
「言うわねえ」
階段を登り切り、二階へと出る二人。
二階部分も下層のホールに引けを取らない広さがあり、ホールの随所に置かれた豪奢なソファやガラスのテーブルの周りには数人の客達がいた。
どれも似たような格好だが、下層の客とは明らかに違う――裏社会の人間特有の空気を漂わせている。
「うーん、一番の特等席だろうし……やっぱり一番奥かしら?」
「だろうな、それかさらに奥のVIPルームかもしれん」
「無駄に広いから探すの面倒ねえ。別れて探しましょうか、合流場所はあそこの大きな扉ね」
「分かった」
下層からの微かな喧騒と話し声だけが響き渡る、空間を二人が歩く。
金、人、暴力、犯罪、汚職……人間の様々な汚点の話だけが辺りを満たす中、別れていた二人は最奥の箇所へと到着する。
「居たか?」
「いいえ」
「それじゃあ……」
「この中で間違いなさそうね」
二人の前には大きな木の扉。その前にサプレッサーが装着された小振りな短機関銃を身体の前に提げた、男が二人。
それまで見かけたガードマン達の中でも特に体格が良く、身に着けたスーツを下から押し上げる程の筋骨隆々の身体。
マルカが躊躇いなく一人へ話し掛ける。
「失礼、ハゲワシはこの中にいるかしら?」
流暢なロシア語に一瞬だけ眉を潜めるガードマン。
「失礼ですが、招待状はお持ちですか?」
「いいえ、でもハゲワシに用があるの。通して頂ける?」
「恐縮ですがレディ。Mr.イヴァニコフは中で商談中です、関係者以外はお通し出来ません」
丁寧な口調のロシア語で返すガードマン。
「あら残念、それじゃあ貴方のボスは有益な情報を逃してしまうわね。一体、どれくらいの損失が出るのかしら?」
マルカの軽い調子な言葉。
「……失礼ですがレディ、名乗っていただけますか?」
「そうねえ、色々な名前があるからどれで名乗ればいいのやら……イェルベガン、ラストーチュカ、ヴォルク、どれなら通じるかしら?」
片耳に付けた無線で連絡を取るガードマン。
「……はい。はい、了解しました」
言い終えると同時にガードマンの右手が動き――銃の安全装置が解除され、引き金に指が添えられる。
「大変申し訳ありませんが、今夜の商談に貴方の名前は記載されていませんMs.イェルベガン」
素早い動きで銃を構えるガードマンの二人。
「あら、名簿リストに載っていないだけで銃を向けちゃうのね」
「貴方は各組織のブラックリストに入っておりますので。それに、地上のセキュリティを気絶させたのは貴女ですね?」
「あらら……ねえ、どうするミドヴィッド?」
「私に面倒を振るな」
軽い様子のレーシャが肩をすくめる。
「貴女の危険性は十分聞かされております、そのままお引き取り下さい。抵抗するようであれば警告無しに発砲します」
「Вау! 怖いわねえ」
空のシャンパングラス片手にわざとらしく怖がる素振りを見せる。
「重ねて尋ねるが、私達をどうしても通さないということか」
「はい、一歩でも動けば撃ちます」
「そうか、銃を向けられていたんじゃ迂闊に動けないな――」
言い終えるや否や、大きく間合いを詰めるレーシャ。
「っ!」
発砲と銃口が逸らされたのは同時、缶を開けたようなくぐもった銃声が鳴り響き、豪奢なカーペットに穴が空く。
一挙動で抜いていた展開前の短い警棒を振るい、男の人差し指を打ち据えて利き手を無力化すると手の中で逆手に持ち変えて喉に刺突を浴びせる。
つまった悲鳴が上がり、その場に跪くとそのまま床に突っ伏すガードマン。
「あら、怖いお姉さんねえ」
「そういうお前もな」
銃を吊り下げるストラップを逆手に取り、男の首を絞めるマルカ。
「騒ぎが大きくなる前に入るぞ」
男の顔がうっ血し始めた所でストラップが解かれ、膝付いた所にレーシャの容赦の無い蹴りが顔面に叩き込まれる。
「はーい」
静かな音を立てて扉が開かれ、暗闇の部屋の中へと踏み込む二人。
地下とは思えない天井の高い広間。
中央には横長の豪奢なテーブルが置かれ、その上には純白のテーブルクロスとその上を彩る無数の料理達。
そして、そのテーブルを挟むように腰掛け、高価な料理に舌鼓を打つ男女の集団。
突如、入ってきた謎の侵入者に手前の者達が目を丸くする。
「マルカ、お前は他の人間を外に出すな」
「了解よん、シャンパンでも飲んでるわ」
椅子に座る利用客の後ろに控えるウェイターからシャンパンボトルを引ったくる。
「お客様困ります、こちらは関係者以外立入禁止です」
近くにいたウェイターの男性が話しかけた瞬間――数秒と経たずに床へと組み伏せられ、落下したグラスが細い音を立てて破砕した。
突然の出来事に広間の中が騒然となる。
「誰だ! 私の城に土足で踏み込む輩は!」
広間の奥――テーブルの上座に座った、肥えた体形の男が神経質そうな声で叫ぶ。
「数年振りだなハゲワシ!」
広間に響き渡る大音声の呼応。
「お前は……チェルノボグか! どうやって入って来た!」
男――ハゲワシの言葉に、他の客達が血相を変える。
「今頃外で寝ているさ」
サービスを提供するウェイターとは言え、裏社会の人間である数人の男性ウェイター達がナイフ片手にレーシャへと挑みかかる。
「お前に用が会って来た。大人しく話せば五体満足で開放してやる」
突き出されたナイフを肩のしなりだけで弾き飛ばし、脛を正面から蹴って無理矢理と体勢を崩す。
動脈を狙って薙がれたナイフを僅かに身体を傾けて避け、相手の振るった勢いを利用して鋭いストライクを打ち込み、とどめに喉に蹴りが放たれる。
「誰がお前と話をするか! 護衛、今すぐあの女を殺せ!」
数人のガードマン達に囲まれたハゲワシが叫ぶと、厨房の方と思わしきドアが開かれ、数人の男達が出てくる。
全員の手には拳銃が握られ、躊躇いなくレーシャへと銃口が向けられる。
瞬間、男達の足元に鈍い音を立てて落ちる――閃光手榴弾。
鮮烈な破裂音と眩い閃光がホール直径20メートル内を満たす。
余波と音がホールに木霊し、逃げていた客達は麻痺した耳を押さえてその場に崩れ落ちる。
「まだやるか?」
耳栓を外し、閃光手榴弾を浴びて悶えるウェイター達を尻目にハゲワシへと歩み寄る。
「くっ、くそっ……!」
護衛達により閃光手榴弾の被弾を免れたハゲワシが、後ろに下がる。
呼応するように前へと出る、護衛の五人。
皆一様にレーシャより体格が良く筋骨隆々な男達。
手には拳銃が握られ、今まさに銃口が向けられようとしていた――
ホールに響き渡る銃声。
男達が突如殴られたように身体を強張らせるや、肩や腕を押さえてその場に膝を付く。
「――ねえ、ハゲワシ。私達は話をしに来たのよ? アナタを殺しに来た訳じゃないのだし、武器を出すのは辞めてもらえるかしら?」
パンプスを鳴らしながら、やって来たのは――拳銃を持ったマルカ。
「次、私達に武器を向けたら容赦無く殺すわ。もちろん、ここにいる関係者全員もね」
その言葉が現実になる危険性を持つマルカとレーシャに冷や汗を流すハゲワシ。
「ぐっ……」
降参したように膝を付くハゲワシ。
「ここは人がいるから、少し静かな所で話そうか?」
体格差を感じさせない腕力でハゲワシを引き立たせると、拾い上げた銃を突きつけるレーシャ。
「あなたのオフィスで話しましょうか。慣れた所の方が話しやすいでしょう?」
「糞ったれ……!」
毒づきながら歩き始めるハゲワシ。
ハゲワシを先頭に二人が後ろを歩く。
「ねえレーシャ、フラッシュバンを使うんだったら最初に言ってほしかったのだけれど」
「すまないな、言い忘れていた」
「お陰で少し耳がやられちゃったじゃないのよ」
「スレスレの所を撃つお前よりかはマシだ。いつの間に取ってたんだ」
「ドアマンの人からよ。マフィアのくせして高い銃使ってるわよねー」
握った銃をしげしげと見つめるマルカ。
「ねえハゲワシ、貴方も思わない? 一介のマフィアがこんな高価な銃を持ってるなんて珍しいわよね」
「ふん、いつからお前達は警察の真似事なんかしているんだ? 教えんぞ」
「そうねえ、その腹に付いた脂肪を削ぎ落としていくのって結構痛いと思うわよ?」
冗談のように軽い調子で拷問じみた言葉を投げかける。
「ふん、教えた所でお前達になんの益があるんだ」
「供給源てのは戦場じゃあ最重要な物よ。継続して戦闘を行うのも、兵士の指揮を維持するのも、全ては供給によるもの」
「なんだ、お前達は戦争論を話しに来たのか?」
そして、通路の突き当りに見えてくる大きな扉。
「さあ、開けて中で話そうか」
背中を銃口で突くレーシャ。
「くそっ! お前達、いつか酷い目に合わせるからな!」
「酷い目? それならいつも会ってるわよ、むしろ間に合って分けたいくらいだわ」
馬鹿にしたように笑うマルカ。
ハゲワシが扉の横に設えられた静脈認証でロックを外すと扉が開かれ、三人は中へと入ってゆく。
「さてと、私達は情報を求めてここにやって来た。素直に答えれば私達は大人しく帰ろう、だが反抗したり抵抗すようであれば自分の腹の肉を食べることになるからな」
床に突っ伏させられたハゲワシを見下ろすレーシャとマルカの手には、小型のナイフとアイスピックが握られていた――
できれば三月中旬辺りに出したいです