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【鬼】


 それもまた何時の日かはうろ覚えだが、再び娘に出会ったのは同じ場所であったはずだ。

 橋の下、川原で出会うも、また衣服は肌蹴ており、顔には焦燥感すら窺えたが気丈なのだろう。この獣の姿に前の時の様に優しく微笑みかけてきた。

 三度も同じ場所で、同じ様子で会った。

 流石に気になって、俗世にあまり関わらないという約束を冒し、入口で娘が出て行く後をつけたのは、興味が情に移った頃合であった。

 人の世に踏み入る、浸かるは総じて穢れると知りながら、如何様にしてもこの気持ちを収める術を知らず、人の行いに深く関わるという禁忌を犯すこの身は、すでに穢れていたのかも知れない。

 薄々嫌な予感はしていた。

 徐に感づいてはいた。

 理由など幾つも考えてはいた。

 やはり、この身は穢れていたのだろう。薄汚れた人の世に長く興味を持ち過ぎたからであろう。

 このような、人と人の係わり合いに憤怒の情を覚える事など、あってはならない事なのだ。

 詳しい事情などは知り得ぬし、興味も無い。単純に事実だけを見るならば、娘は村の男に暴行を受けていた。

 村はずれにて、人知れず襲われる理由など知らない。

 定期的に、三人の男に姦される娘の事情なども知らない。

 まして、好いても居らず、自ら望んでという訳でもなさそうなのに、成すがままの娘の心情など知る由も無い。

 そんな目に遭いながらも、笑顔を向ける理由など……。

 もうこれ以上関わるのはよそう。

 これ以上は、堕ちてしまう。

 そう言い聞かせて、その場を去った。

 以後しばらくその娘とは会わなんだ。


【久遠進】


 気がつけば部屋が煙に満ちる。

 喫煙者と好香者が、部外者が居なくなったのを期に煙を立て始めた所為だ。神崎さんは朝方とは違う模様の和服に着替え、僕も奏も入れ替わりで浴衣から着替えて部屋に戻ればこの有り様で、もはや脱力し、文句も言えない始末である。

「コレがあれば鬼に金棒さね」

 気持ち良さそうに煙を吹かす。

「吸い過ぎは体に良くありませんよ?」

「壱富士、弐鷹、参茄子、四扇、伍煙草、六座頭と云うだろう? 商売柄縁起物に気を使っているのさ」

 在り来たりな奏の忠告に、神崎さんは屁理屈をこねる。

「ははは、まぁ、仕事前のお清めという事でね」

 レイジーさんはそう言って、僕等にも煙を掛ける。ま、仕事柄仕方ないとして、コレくらいはよしとしよう。

「じゃ、仕事と行きますか?」

 僕は部屋の隅に置いた、体にずっしり重い何時使うのか分からない仕事道具を背負う。

「ああ、それは置いておくといい、どうせ使わんからな」

 そう言われては、わざわざ持っていく意味も無い。ずしゃっと部屋の隅に戻す。

「……何入ってんですか?」

「んん? 何だ? 常日頃から僕は一般人です怪しい事に巻き込まないで下さいとか言ってる割に、アタシの仕事道具に興味があるのかい?」

「いや、自分が運んでるモノくらい知っておかないと危ないじゃないですか、割れ物とか爆発物かとか」

 至極当然の僕の訴えに、神崎さんは散らかすなよとか自分の事を棚に上げて、中身の確認の許可を下す。荷物は背負い鞄と竹刀袋。

「背中に硬い物が当たってて痛かったんですよね」

 とりあえず手元にあった竹刀袋の紐を解く。

「重量もばらつきがあって持ちにくい……ってうわ!」

 ごとっと重い音と共に、長物が畳みに落ちる。

「に、日本刀!?」

 落ちた拍子に鞘から覗く、すらりと鈍い刃文に思わず声が漏れる。

「ああ、そうだ」

 至極当然の顔で神崎さんが頷く。

「……廃刀令って知ってますか?」

 頭を抱えながら僕は尋ねる。一応、世間の常識では、軍人と警察官以外は刀を携帯してはいけない事になっている。

「持ち歩く分には構わんだろう」

 確かに、所持まで禁止はされていないが……誰もこうも堂々と持ち歩くとは思わないからここまでお咎めもなかった訳だが、一歩間違えば即拘留される危険がある、主に持ち歩いている僕が。

「こんな危ない物持たせないで下さい! 大体何に使うんですか!?」

 悪びれる事も無く、至極当然に神崎さんは答える。

「古今東西、桃侍も頼光四天王も田村麻呂もな、刀で鬼を退治してるんだよ、鬼に一番有効な武器さ」

 丁寧に刀を畳みより拾い上げ、鞘に納める。

「今時刀なんてよく持ってましたね」

 見たところしっかり銘もうってある一級品。

「ああ、黄泉呼(どうりょう)から借りた」

 神崎さんの言う同僚とは、同じ事務所の刀侍趣味のある変人の事である。今回の任務には不参加のはずだ。

「笹船さんですか、よく貸して貰え……まさか、勝手に持ってきたんじゃ?」

「ほんの少しの間だ、いいだろう?」

 何故か胸を張って誇らしげ。

「駄目ですよ! あの人一時間以上刀に触れてないと叫んで暴れ出すんですから!」

 奏が青ざめて叫ぶ。僕も寝るも風呂も一緒と聞く。

「丁度いい、普段から刀振り回して暴れてるんだ、少し大人しくしていればいい」

「だから叫び出すんですってば……」

 奏が力なく呟く。ちなみに神崎さんは酒と煙草と脱衣が絶たれると叫びだす。

「コレがあれば、いざと言う時も何とかなるな」

 そう言って、籠釣瓶と銘のある刀を掲げる。

「朝から準備とか色々としてますけど、本当に鬼って現れるんですか?」

 曰く魑魅魍魎、百鬼夜行、奇々怪々は如何な場所でも姿を見せる。そこに人が居る限り。

「大江山に伊吹山に鬼住山、鬼なんて全山全島、津々浦々何処にでもいるさ」

 神崎さんはそう言って窓を大きく開き放つ。

「この嵐がそうだと?」

「ああ、その通りだ。さぁ外を見ろ、この嵐を感じろ、すでに事は動き始めている、目を見開け、己の瞳で確かめるがいいさ、この世の不思議、この世の真理、超常たる現象をな!」

 窓の嵐を呼び寄せるように、神崎さんは嬉々として声を上げる。その姿は、人外を身に宿す巫女のようであり、嵐にはしゃぐ子供のようであり。

「ははは、彼女は純粋だからね」

 レイジーさんが、新たな香を焚きながら意外な表現を用いる。

「ええ?」

 神崎さんの何処に、純粋さが? どうみても薄汚れてるとしか表現できないんですけど、的な表情を返す。

「この場合の純粋とはね、正しさとかとは真逆の意味合いを持つ、人間としては純粋という意味なのさ」

 純粋ゆえの醜さ、純粋ゆえの汚さ、純粋ゆえの邪悪さ。確かに人間の歴史を自然界に置き換えれば、人の世も獣の世も、実に似た様な事の繰り返しには違いない。奪い合い殺し合い、同種族同士で縄張りと権力を取り合いいがみ合う。人という獣は、決して正しい生き方をしてはいないのだろう。

「でもそれって、単に良心とか道徳とかが欠如してるって意味じゃないですか?」

「人間らしいだろう?」

 性善説、性悪説、本能、理性、自制、欲望、静、動。分け隔てる事の出来ない、悠久矛盾の対極図。人間ゆえの純粋さ。共感できない、納得できないが、妙な説得力を持っていた。

「にゃ」

 開いた窓から姿を見せる白い猫。また何時の間に居なくなってたのやら。

「おお、来たか」

 また何時の間にか居なくなっていた尻尾に文を携えた白猫は、窓から遠慮なく入り込む。

「うむ、しょうぐんよ、お前は何か感じないか?」

 神崎さんが尋ねる。

「にゃ」

 興味は希薄そうな様子。

「いざという時は、お前の使い魔に期待しているからな」

 今度は僕に言ってくる。

「ただの猫に過剰な期待を寄せられても……」

 ま、猫は霊感があるとか、地獄の死者だとかいう、根も葉もない噂は聞くが。

「何を言っている、こいつに関しては……ん?」

 不意に光景が切り替わるように、神崎さんが部屋の一角を注視する。

 一同が、その視線に誘われてその一角に目が行く。

 音が鳴き止んだ様に、外の嵐も風鈴も、祭囃子も雑多な音は全て、異質な響きを持つ注連縄の音に掻き消される。

 ……ォン

「しゃー……!」

 しょうぐんの威嚇が部屋に響く。

 一同注目する襖には、角を生やした大きな影がこちらを見やっていた。

 皆何も言えず、そのまま鬼の形影は去っていく。

 ……ォン

 嵐に注連縄が大きく音を立てる。神崎さんとレイジーさんは悠然とした姿で立ち、僕と奏は驚きのあまり尻餅をついたりしている。

「な、ななな何なんですか!」

 起きた出来事を整理できず、ただ喚くしか出来ない。

「わぁ、何か居た、絶対なんか居た!」

 奏も同じ様な様子で慌てている。

「ふぅん」

 レイジーさんなどは特に動じる様子も無く、神崎さんにいたっては、検証でもするように、呟く。

「奴め、何を怒っている?」


【隠れん坊】


 もういいかぁい?

 まぁだかな?

 もういいかぁい?

 もういいかな?

 高い位置、見下ろす村。高い視線から目視する。

 見下ろすあいつ等。罠にはまった兎達。知らぬ内は平野を駆け回る。

 遠目から見る限り、とてもそうは見えないが、専門家様らしい。

 もう殺しちゃってもいいかな?

 まだ生かしておく必要があるかな?

 少し事を急ぎすぎた。

 奴等が余計な事を言う前に殺したのはいいが、少し感情的にやりすぎた。

 辻褄を合わせないといけない。

 上手くやらないといけない。

 あ、いい事思いついた。

 風が強まる祭りの夜。

 密に熱気高まる嵐の夜。

 その風景に、その状況に、顔には微笑が張り付いて。

 邪悪な思考は沈み込んだ村に波紋を投げかける。その全てを飲み込む様に、目を見開く。

 さぁ次はどうする、足掻け回れ。早くしないと死んじゃうぞ。


【久遠進】


「しゃー」

 神崎さんを先頭に、ぞろぞろと皆を引き連れて、村の様子を観察する最中、しょうぐんが急に何かを威嚇し始めた。

「皆さーん、こっちですよ」

 続いて、遥か上空から呼び止められた気がした。

「そして、桃と猿は歴史上鬼の苦手なものとされているのさ」

 細かい事は気にとめない神崎さんには届かなかったようだ。

「私です、ここでーす」

 目線を上に上げると――屋根ばかり。さらに上げると、村の中央に立つ大きな櫓の上の人影が手を振っている。

「あ、あれ木綿子さんじゃないですか?」

 風に揺れる装飾と、灰掛かった空に声の主を発見する。

「木綿? 誰だそれ?」

 神崎さんは三歩歩く内に、いろいろな物を御失くしになるようだ。

「……宿の仲居さんですよ」

 奏が脱力気味に教える。

「おおそうか、格好が違ってて気づかなかった」

 木綿子さんは、遥か上空から櫓を伝って降りてくる最中。その姿は殆ど陰しか映らない。

「どんな言い訳ですか……」

 やがて、二本の柱の下で待っていると、その姿を確認できる。驚いた事に、見慣れた紬姿ではなく、この村由来の巫女装束に身を包んでいらっしゃる。神々しさが付与され、気を抜けば涙を流して拝みそうな佇まい。神崎さんの美少女を見抜く力は伊達じゃ無い事が無意味に証明されてしまった。

「やっぱり別人みたいだな」

 神崎さんは腕を組んでなるほどと眺める。

「可愛い――」

 奏も勢い余って抱きつきかねないほどに、悦に入った様子で凝視している。

 器用に太い柱の一本をするすると降りてきて、木綿子さんがようやく地上に降り立つ。

「どうですかこの衣装、変じゃないですか?」

 両手を広げて、魅せる様に一回転。広がる裾と、こちらに向けられるはにかむ笑顔。

「いや――似合ってますよ」

 それ以外の言葉が出てこない。

 上り下りが可能なように作られた、少々独特な巫女服と、祭り用の小道具を持つ姿は、神秘性やらが付加されて実に琴線を刺激する。

「私だって、実家に帰れば巫女装束くらい……」

 僕の様子を眺めてから、奏はポツリとそんな事を漏らしていた。

「にゃ」

 何故かしょうぐんも頷く様に鳴く。

「ほう、その柱を上り下りするのが神楽なのか」

 自称神道系である神崎さんは、興味深そうに尋ねる。

「はい、そうです」

 そう笑顔で言って、鈴や扇などを手に格好を決める。

「風が無かったら、上の方で舞とかもするんですけどね」

 そう言って、地上で舞を少しだけ披露する。

 その姿はそのまま抱きしめて転げまわりたいくらい愛らしいのだが、ふと心配事が浮かび上がる。

「でも、嵐が来てるのに高いところに登るって危なくないですか?」

 その質問には、背後に回りこんだ神崎さんが後頭部を小突きながら答える。

「バーカ、伝承は聞いたか? 嵐の神様なんだ、人身御供は高いところに捧げなきゃいかんだろうが」

 柱を登る人柱ってな、と大笑いする神崎さんに、木綿子さんが微笑みを返す。

「そうですね、生贄として捧げられるので」

 それは割り切った、実に冷たい考えである。元来生贄とか神に捧げられる供物、生き物の命を指す。

「じゃ、じゃあ本当に死……」

「ふふ、大丈夫ですよ命綱はつけてますし、この柱は今までどんな嵐が来ても折れたり倒れたりした事はありませんから」

 命をとらず、神域にて飼う事も神に捧げられる生贄である、と神崎さんが注釈する。それでも、風が強い今夜のような場合は地上の舞台で行ったり、期間は数日間あるので、しばらく延期する場合もあるとか。よく考えてあるモノだ。危険な祭りと称して客寄せを行っており、麓ではそういった危なさを触れ込みで広告しているらしい。

「今夜はどうでしょうかね? このまま収まれば祭りは決行出来るんですけど」

 空の荒れようは、何とも言いがたい。一水垂らせば溢れてしまいそうな、穏やかさを見せる。

「あれ?」

 いつの間にか白猫の姿が無い。神出鬼没の気まぐれ屋なので、大して気にはしないが。

 その後、神崎さんは下調べがあると村の端へ行くので、僕は名残惜しくも笑顔で木綿子さんと別れた。


【水仙寺奏】


 そう言えば、最近妙な時間に祭囃子を聞くなぁ。そりゃ何日も前から練習はしてっから、耳に残ってるっちゃそうだが、確かに聞いたんだよな。日も昇りきらない早朝からこう、どぉぉ……んてな。んん? もうちょっと低かったかな? どおおぉぉ……あ、もういいってか? いやいや、邪魔なんて思ってねぇよ、どうせ今夜は祭りは中止だかんな、毎年ある事よ、ゆっくりしていきな。ああ、こりゃ荒れるぜ、今夜は出歩くのは止めた方がいいな。

 んんん? 変った事と言ってもねぇ。こんな辺鄙な所じゃ、何にも変わりない日々が続くからねぇ。この祭りも毎年の事だし。それに、ここだけの話だけどね、例の死んだって男連中? あまりいい噂聞かないんだよ。この村の権力者の子息なんだけどね。ああ、祭りを仕切ってる家系の事さ。祭り事とそれに関する儲けに手数料取って代々荒稼ぎしてんのさ。話し戻すよ? 何でも旅行者相手にいかがわしい商いやってたって噂だよ。え? 何かって……そんな、あたしの口からはねぇ……ま、娼館紛いの事さ。これ以上は流石にねえ。

 この話はあんまりしたくないんだけどな。どうしてもって言うなら、その……あいや、悪ぃ、すまねぇな。ま、くれるって言うなら貰っとくよ、へへ、若い連中に前日勝たれちまってな、ちょうど手持ちが。おっと話だったな、こりゃ、村の話し合いで秘密裏にしようって事になったんだがな、娘が男連中に殺されたってのは事故として取り扱うって……あ? いや、お前さん等が泊まってる宿の、いや、その娘の姉だよ。表向きじゃ川原に足滑らせて溺れたって事になってるよ。綺麗な娘だった、かわいそうにな。殺したってもっぱら噂の男連中も相次いで居なくなっちまってな、娘の祟りだのと村じゃ誰も口にせんのよ。


「はぁ……」

 話しかける事十数人。村の人にレイジーさんと、曖昧な相槌を返して手を振って別れと謝辞を告げる。

「ふぅん……」

 進と神崎さんは村の鬼門の方へと向かい、私とレイジーさんは裏鬼門の方角へと向かう道すがら、事情徴収を行っていた。レイジーさんは聞いた話をメモ帳に書き記して呟く。

「何か分かりましたか?」

 民家の影、裏道めいた雑木林の間で足を止めて、情報を集約する。

心落ち着かせる類の香料を漂わせる、居黒人風の男性は、営業的な笑顔で答える。

「いや、さっぱり」

 表情から何も伺えない様に、その行動から何の意図も読み取れない人だ。

「じゃ、なんでわざわざ寄り道してまで聞き込みしてるんですか」

 理由は分からないが誇らしげに。

「そりゃ、頼まれたからね。ところで気づいているかい?」

 心の準備も無く唐突な質問。質問に質問で返すのはちょっと違反なのでドキッとする。

「何をですか?」

 先生、質問の意図が理解しかねます。

「村の人たちは嘘をついているって事をさ」

 曇り空、冷ややかな風、祭囃子。レイジーさんは相変わらず笑顔を浮かべている。

「え?」

 この人は、普段口から酸素を吸って嘘を吐くので、もしかしたら、人の言っている事の真偽が分かるのかもしれないという、根拠の無い信憑性を感じた。

「特に僕たちに対してね」

 余所者は信頼しないと言う、ありきたりな警戒心でも抱かれたのだろうか。

「そうですか?」

 思い返してみれば、確かにそんな節があるようにも思える。

「何か特定の事に関与する事柄については、禁句であるみたいだね」

 それは、少なく見積もっても、今回の事件と関与していると見ても間違いは無い糸口だろう。変化の少ないこの村で唯一起こった事件。それは、波紋を呼び、細かい事件を呼び起こす。私達が今取り組んでいるこの事件ですら、もしかしたら何かの事件の余波なのかもしれない。

「……ホントですか?」

 この事件に流れる背景、それが掴めれば、一気に進展するかもしれない。緊張した面持ちで、私は次の言葉を待つ。

「いや、嘘だけどね」

「嘘ですか!?」

 私の緊張を返して欲しい。

「だって、事情聴取って苦手だもんね」

 だってとか、もんねとか言わないで貰いたい。本当に腹が立つ。

「もう、嘘吐きは泥棒の始まりですよ」

 泥棒は犯罪の入口で、犯罪は後悔の階段だ。仏教や十字教では悪人は須らく地獄に行くというから、死後までこの嘘に付き合わなくていい事が、せめてもの救い。

「ま、今回の主役は神崎だからね、仕事はお任せなのさ」

 そう言うと、悠々気侭な様子で道を歩き始める。実体の無い蜃気楼のような態度だ。この人も、神崎さんに負けず劣らず仕事嫌いでは無いかと薄々感じている。

 午前中に村中を回って張り巡らした注連縄が、風に大きく靡いている。結構な重さがあったはずなのに、それを感じさせないほど激しく揺れる。それなのに、肌に感じる風は穏やかで、妙な違和感。

「風で揺れているんじゃないのさ」

 レイジーさんは、達観した様子で呟く。

「じゃあ……何で揺れてるんですか?」

 回答は雲のように。

「さて、何でだろうね?」

 答えは無い。

「……あそことか、切れちゃってるんですけど大丈夫ですか?」

 風に揺られる、太くて頑丈な注連縄。断ち切られたように、風に身を任す。

「ふぅん、ま、いいんじゃないかな?」

 適当に煙に捲く。

「結界というのはさ、目に見えないものだから、注連縄が切れたからと言って消えるわけじゃない」

 そういう事らしい、大事なのは結界を張ったという事実なのだとか。呪術呪いは信じていないので、適当に返事をする。

「……まったく、いったい何時動くんですか?」

 退治退治と志を掲げてはいるものの、準備だけで一向に話は進まない。本当に退治に来たのかと疑いたくもなる。

「それは、時を待たないとね」

「時……ですか」

 どうやら、準備の時間という意味ではなく、何かの時期を待っているようだ。

「そう、昔々からの物の怪、怪物の類も、時間には正確なのさ。幽霊は夜、怪異は黄昏とね、何者も時間には逆らえない」

 大仰に、レイジーさんは例を挙げる。くだらない。

「退治には、まだ時間が掛かるね」

 サボる口実に思えなくも無いが、専門家がそう言っている以上、仕方ない。

「どのくらいですか?」

 少なくとも今日中には終わるらしい。時間が大切なんだとか。そもそも、この手の超常現象を意図的に呼び寄せるのは難しいらしく、微妙な状況を作り出せなくてはいけないらしい。出会うだけでも一苦労だと言う。しかし、どのような方法を用いたとしても、時だけは動かせないのだという。

「逢魔が時を待つ」

 それが、仕事の時間だ。

 ……ォン

 風が薙ぐ。


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