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現実が自分に都合が良すぎると人はこうなります。俺だけかもしれない。

掲載日:2026/02/17

 クラスメイトの、主に同性の様子を見ていると、普段はあまり気に留めない月日の流れを自覚する。


 例えば俺の席からひとつ飛ばした席の男子。スマホを片手で操作しているだけだが、画面を見たままもう片方の手では頻りに髪を触っている。


 そして俺の席がある列からの反対側、すなわち廊下側の列で固まっている男子たち。先ほどからクラスメイトの女子や隣のクラスから友人と話をしにやってきた女子へ、会話をしつつときどき視線を送っている。




 どこの学校でも同じであろう、授業開始前の休み時間の光景。


 しかしこの時期になるとどこかそわそわと落ち着きがなくなる男子が続出する。それは高校にあがっても変わらないらしい。


 まあ俺も彼らのことを言えたほうではないが。




「佑介は今年チョコもらえる予定ある?」


「そんな予定あるわけないだろ。 よっぽど自分に自信がある奴じゃん」


「お前はもうちょっと自信持っていいと思う。 顔悪くないし、良い奴だし」


「いや何。 急に褒められると怖いんだけど」




 やってくるなり明らかにバレンタインを意識している質問に唐突な褒め。


 俺こと中岡佑介(なかおかゆうすけ)が少し引いた目を向ければ、友人はポンと肩に手を置き俺の後ろをちらりと見やりながら言う。




「中学の時に知り合って、けっこう仲良いんだろ? 今年はもらえる可能性、ぐっと上がってるって」


「……いや、そこまでの仲じゃ」


「嘘つくなってー。 佑介が話す女子とかあの人くらいじゃん」


「お前そろそろ黙れよ」




 こいつ、俺の反応を見るためにわざとやったな。


 ニヤニヤと笑って自分の席へ戻っていく友人を睨んでから、次の授業の準備をしつつ後ろの席に視線を向ける。




 俺の後ろの席では、ひとりの女子生徒が本を読んでいた。


 ひとつの三つ編みにまとめた黒髪を後ろに流し、縁が大きめの眼鏡をかけた少女。眼鏡にかかる重ための前髪を指先でよけながら、一心に文字を追っている。


 眼鏡の下で静かに動いていた瞳がふと止まったかと思うと、桜の花びらのように色づいた唇がゆるりと弧を描いた。良いシーンに差しかかったらしい。




 物静かでクラスメイトともあまり絡むことのない彼女の変化は、ほんの少し口角を上げただけであろうといとも容易くこちらの胸を打ち抜いてくる。




「……あ、あの、中岡くん……」




 微かに震える小さな声と共に、本に集中していた彼女の目線が上がる。


 その頬は現在進行形で赤く色づき、瞳は俺と合うたび左右の行き来を繰り返す。


 


 困らせてしまったと理解しながらも、可愛いという気持ちが勝る俺は最低かもしれない。




「勘違いじゃなければだけど……。 こっち見てました、か?」


「……ああ、ごめん。 宮本さんの本が気になって。 もう昨日とはちがうやつ読んでたから」


「そ、うだったんだ。 ……あの、これ、昨日持ってきた本の続きで」


「そうなんだ」




 俺の言葉を聞いた彼女––––宮本さんはほっとしたように表情を緩め、たどたどしく話してくれる。


 宮本さんがこくりと頷いたのを最後に会話の終わりを悟り、俺は前を向く。


 それに合わせるかのようにチャイムが鳴った。





 後ろの席の女子こと宮本苑実(みやもとそのみ)さんは俺のクラスメイトであり、中学からの知り合いだ。友達ではない。


 それというのも、先ほどのやりとりを見ればわかるように頻繁に言葉をかわすこともなく、話せたとしても三分も持たないからだ。カップ麺すら出来上がらない。


 連絡先なんて聞いたことも聞かれたことも一度もない。




 人との会話を得意としていないことは本人から聞いている。極度に緊張するため人前で発言することが苦手で、その度に顔が赤くなってしまうのだ。


 会話が一日に一回きりでも、二言三言程度で終わってしまっても構わない。俺は彼女と話せるだけで満たされるから。




 ここまで来たら白状しよう。


 俺は宮本さんのことが好きだ。


 話すたびに顔を赤くなってしまうのが緊張からくるものだとわかっていても、可愛いと思ってしまうくらいに。


 ついでに言うと、バレンタインに宮本さんからチョコレートを受け取る妄想を数日するくらいに。




 ……我ながら本当に気持ち悪い。そしてなんとも虚しい。


 俺をからかっていた友人の言葉に縋りそうになりながら、今日も学校での一日を終えるのだった。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 バレンタイン前日の昼休み。


 落ち着きのなさがいよいよ目立ってきた男子たちを遠巻きに眺めながら、食べ終えた弁当を片付けていた。


 この前俺をからかいやがった友人は、他に仲が良い奴のいるクラスへ行っているので今日はひとりだ。




「……くん。 ……おかくん。 ……あの、中岡くん」




 微かに声がすると思っていると、はっきり聞き取れた時に自分が呼ばれているとわかった。


 振り向いた先には、うつむきがちにこちらを見る宮本さん。


 話す前から頬がほんのり色づいている。




「ごめん。 すぐ反応できなくて」


「い、いえ……。 私の声が、小さすぎたから。 ごめんなさい」


「いや……」




 そう言って縮こまる様を見ていると、小動物を怖がらせてしまった時のような罪悪感が湧いてくる。


 こうしていれば話が進まずに昼休みが終わってしまいかねないと思い、俺は宮本さんにどうしたのかと訊ねた。




 宮本さんは口をほんの少し開け、しかしすぐに閉じてしまう。


 それをもう一度してから声を発した。




「……中岡くんは、そこそこ話すだけだった人に何かプレゼントするのって……どう思います、か?」




 今にも消え入りそうな声で、これまで見た中でもトップレベルに真っ赤な顔をして俺に訊ねる宮本さん。


 緊張とは別に恥じらいの混じる表情に、頭をがあんと殴られたような衝撃に襲われた。




 バレンタインの前日に、誰か……()()()()()()()()()()()に渡すことをどう思うか、なんて。しかもそういう話題をしやすそうな女子ではなく、わざわざ男子の俺に聞いてくるなんて。


 今、俺の頭の中で導き出される答えはひとつしかなかった。




 人と顔を合わせるだけでガチガチに緊張してしまう宮本さんが俺に聞いてくるほどということは、よほど真剣に悩んでいるのだろう。


 ショックを受けて思考停止している場合ではない。




「俺だったら……まあ驚きはするけど、嫌とかはないかな。 プレゼントは何であれもらえるのは嬉しいし。 これまであまり話してなかったとしても、それきっかけに仲良くなれるかもしれない」




 喉から叫びとなって飛び出しそうな諸々の感情を無理矢理飲み下し、俺なりの答えを口にする。


 眼鏡の奥の瞳は不安そうに揺れていたが、俺の返答を聞くとその表情は明るくなった。




「その人……前に私が動けないでいた時に、助けてくれて。 そこから本当にたまになんですけど、話もするようになって。 ……でも、もっと話せたらとも思っていたんです」




 普段よりもわずかに声を弾ませながら、宮本さんはそっと目を伏せる。


 その顔は本を読んでいる時よりもずっと柔らかかった。


 


「ありがとうございます、中岡くん」


「……いや。 俺は思ったこと言っただけだから」




 道端に咲く名前も知らない野花のように、宮本さんは小さく微笑む。


 俺は彼女にちゃんと笑い返せていただろうか。





 その後の授業も集中なんてできるはずもなく、脳味噌をかき回されているような感覚が続く。


 気づけば自分の部屋のベッドにうつ伏せになっていた。




 明日のバレンタイン、宮本さんはチョコを渡しに行く。おそらく男に。


 女子である可能性もなくはないが、俺の勘がそう告げていた。片思いを拗らせすぎて思考回路がパアになったと言われてしまえばそれまでだが。




 あんな表情、見たことがなかった。


 瞳は蜂蜜のようにとろりとしたきらめきと熱を宿していて、笑顔もこれまで見た中でずっと自然で。


 それを彼女から引き出した顔も知らない相手に、ふつふつと腹の底から湧き上がってくるものがあった。




「そこそこ話す奴って……俺以外にいたんかい。 誰だよマジで。 ていうか助けたことがあるっていうなら俺もあるんだが」




 ベッドに横たわりながらぶつぶつと低く呟く図は、さぞ気味が悪いことだろう。


 告白以前に大して親しくなることもできないまま失恋したのだ。未練がましく愚痴をこぼすくらい許してほしい。




 不意に宮本さんと初めて話した時のことが脳内に流れ出す。


 中学二年の時、俺は彼女と初めて同じクラスになった。




 あの頃の宮本さんは今以上に大人しく、控えめな性格だったように思う。極度に緊張してしまう時の反応もあの頃から健在だった。


 授業内で人前で発言する場があるたび、宮本さんの顔はいつも爆発するんじゃないかというくらい赤くなった。




 当時、俺がいたクラスには宮本さんの癖を面白がる生徒が一部いて、彼女をいじっていた。後から知ったことだがあの中学には宮本さんと同小の生徒が多くいて、彼女に絡んでいた生徒の中にも何人か混じっていたらしい。


 宮本さんの反応がよほど面白かったのか「りんご顔」だの「恥ずかしいアピールしすぎ」だの言って頻繁に彼女に絡みに行く男子もいた。




 俺の席は宮本さんと席が近く、その様子も当然目にするわけで。


 はたから見てもしつこかったため、つい口を出した。普通にうるさかったこともあり「うるさいよ。 あと見てて恥ずい」と直球で投げた。


 顔を真っ赤に染めながら膝の上で手を握り、ぎこちない笑みを浮かべていた宮本さんが見ていられなかったというのもある。




 その日の放課後だ。彼女に声をかけられたのは。


 俺は特に何もしていない。心からの善意でやったわけでもない。


 けれど宮本さんは耳まで赤くなりながらも、真っ直ぐに俺を見つめ震える声で言ったのだ。




「私、いつも言えなく、て。 だから、本当に……ありがとう、ございます……っ」




 か細くも綺麗な声で感謝を口にした宮本さんは、水分をたっぷり含んだ瞳を揺らしながらはにかんだ。


 あの表情が忘れられず気づけば視線は彼女を追いかけ、少しだけでも話したい気持ちから時折声をかけてみたりもして。




 ……あの時の表情もいつか、いや近いうちに他の誰かのものになってしまうのだろうか。


 宮本さんの隣に自分以外が並ぶところを想像し、俺はスゥーッと長く息を吸った。




「––––マっっっ…………ジで無理。 いやほんと無理」




 だが現実は変わらない。


 宮本さんが誰にチョコを渡そうともそれは彼女の自由であり、俺がどうこうできるものではないのだ。


 知らず悲しみのやり場を求めていた俺は、友人に電話をかけるのだった。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





 なんとなく、校内全体の雰囲気がピンク色に見える気がする。


 校門をくぐった瞬間から世界ごと変わってしまったようで、昨日から降下している俺の気分は一気に最底辺まで落ちる。


 表情に出にくいことが幸いしてか、教室へ向かう途中で奇異なものを見る目で見られることはなかった。




 昨日は小一時間ほど友人に通話に付き合ってもらったものの、一晩で傷が癒えることはない。


 携帯の向こうから「失恋って決めるのは早くね?」と心底不思議そうな声が聞こえたが、俺には微かな希望を持てるほどの気力もなかった。




 これまで過ごしてきた二月十四日の中で今日が最も憂鬱であろうと、時間は無常にすぎていく。


 こんな日に限って六限中三つの授業で各担当に当てられた。宮本さんがチョコを渡す相手のことばかり考えていたからか。


 


 午後のHRが終了してすぐ俺は教室を出た。


 宮本さんはまだ教室にいたが、きっと同じく残っているクラスメイトの中に目的の人物がいるのだろう。


 ラッピングされたお菓子を手にどこかへ向かう女子や交換し合う女子たち、落ち込んだ様子で肩を組み合い歩いている男子たちなどを見かけながら、昇降口へ着く。


 皆、俺とちがって青春してるな、なんて。




「––––な……中岡くんっ」




 普段よりも一段階はっきりとした声が耳に届く。


 幻聴かと思いつつそちらを向けば、本当に宮本さんが立っていた。肩が上下しているところを見ると、急ぎで来たのだろうか。


 だとしたらなんで。




「どうしたの、宮本さん」


「あの……っ。 中岡くんに用事があって、その」




 宮本さんは俯きがちだった視線を上げた。


 先ほどから後ろに隠している右手をそろそろと出す。


 その手にあるのは淡い水色の包装紙をまとった箱のようなもの。




「バレンタインに誰かに贈るとか手作りとか、したことなくて。 どういうものが好きかわからないし、でもいきなり手作りは変だと思って、選んだものを店員さんに包んでもらっただけなのですが……っ」




 首から上が茹で蛸と同じくらい真っ赤になっている。


 とてつもなく早口になりながら、宮本さんは右手に持つそれをおずおずと差し出してくる。




「中学の時、からかわれても何も言えなかった私を助けてくれて、ありがとうございました。 これからもっと……いろいろお話できたら嬉しい、です。 よ、よかったらこれ……!」




 ……夢なのか、これは。




 昨日彼女が俺に話してくれた、贈り物をしたい相手のことを思い出す。


 到底信じ難いが、目の前の手が小さく震えていることが現実だと知らしめてくる。


 俺は宮本さんから淡い水色に包まれたものを受け取った。




「…………宮本さん」


「はっ、はい」


「好きです」


「はい………あっ、えっ⁈」


「––––あ」




 やっちまった。


 頬に集中していた熱が一気に引いていくのを感じる。


 ありがとう、もしくは嬉しいと言ったつもりだったのに……何いろいろすっ飛ばしてんだ。


 宮本さんは口を両手で覆い、目を大きく見開いている。




「え、何なに。 告白?」


「好きって聞こえたよね」




 はっとして周囲に視線を巡らせれば、昇降口にいた生徒たちがこちらを見ていた。


 それほど人が多くはないとはいえ、人前がただでさえ苦手な宮本さんに公開告白してしまうなんて。


 俺は90度に腰を曲げて宮本さんに頭を下げた。




「本っ当にすみませんでした今のは忘れてくださいこれありがとうございました」




 謝罪とお礼を一息に伝え、グリンッと勢いよく背を向ける。


 明日から知り合いですらなくなるかもしれない。


 深い絶望と羞恥を胸に昇降口の扉へ踏み出した。




「あ……ま、待って!」




 クン、とジャケットの裾を引っ張られる。


 引き止めたのは声の主である宮本さんだった。


 俺は彼女に申し訳ないやら自分が情けないやらで後ろを振り向けなかった。




「いやもうごめん、本当に。 こういうの迷惑だよな。 もう話したりするのも嫌なら、俺は全然––––」


「そこまで言ってないですよ⁈ さ、さっきのはたしかにびっくりしました、けど」


「大丈夫、無理しなくていいから」


「無理してないですから! 嫌とか全然、むしろ逆で……っ」


「……えっ」




 途中から声が小さくなっていったが、たしかに聞こえた。


 ゆっくりと身体を宮本さんのほうへ戻す。


 きちんと膝までの長さを保ったスカートを握り、瞳を伏せる宮本さん。


 お互いに何も言えず、廊下を通る生徒の足音や昇降口から出ていく生徒の話し声が時間と共に流れていく。




 宮本さんの唇が動いたのが見えたが、先に声を発したのは俺だった。




「……よかったら、途中まで一緒に帰りませんか」




 宮本さんの肩がぴくりと跳ねる。


 彼女は眼鏡の左右のつるを持ち、かけ直してから小さく頷いた。





 俺は宮本さんと初めて一緒に下校した。


 宮本さんは電車通学なので、最寄り駅までのそう遠くない道を歩く。


 意図せず告白してしまった気まずさもあり大した話題も作れなくて。


 それでも不思議と心地良かった。




「れっ、連絡先交換、しませんかっ。 ……学校以外でも中岡くんと、話したくて」




 駅に着いてから突然、願ってもないことを宮本さんから言われた。


 バレンタインデーとはこうもいろいろな幸運が舞い込んで来るものだったのか。


 俺は一も二もなく頷き、宮本さんと連絡先を交換した。


 またしても俺の意思とは関係なく口が動く。




「めちゃくちゃ嬉しい……」


「わ、私も……。 ずっと中岡くんの連絡先、聞きたかったんです」


「………マジ?」


「はい。 ……言ってよかった」




 赤いマフラーで口元を隠すようにしながら、ふふっと微笑む宮本さん。


 好きな人が俺が嬉しくなることばかり言ってくれて、俺に笑いかけてくれてる。


 あまりにも幸福な現実に目頭が熱くなり、俺は両手で顔を覆った。




「なっ、中岡くん?」


「……好きだ……」


「へっ⁈」


「ごめん、いろいろすっ飛ばしてる自覚あるけど無理だ。 付き合ってください」


「つき、つきあっ……」


「俺を宮本さんの彼氏にしてほしい」




 困らせたくないと思っていた人間の言動とは到底考えられない。


 けれどもう止められなかった。




 宮本さんの顔はマフラーと同化していると言っても過言ではないくらいだ。


 はくはくと動く桜色の唇は震え、こぼれ落ちんばかりに見開かれた瞳は潤んでいる。


 今にもキャパオーバーしそうな表情が胸に深く突き刺さり、宮本さんが乗る電車が着くまで迫ってしまったのはここだけの話だ。





                                    Fin

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