第5話 その微笑みのすべてに 〜セリナ視点〜
今日は後1話か2話投稿します!
ラルさまを追ってこの屋敷にきてから、数日が経った。
ラルさまがいるというだけで、すべてが色づいて見える。
陽の光は柔らかく、空気には甘い香りが漂い、ただ歩くだけで心が浮き立つ。
……どんな天候でも、どんな騒がしい日でも、それは変わらない。
なぜなら、ラルさまがこの場所にいてくださるのだから。
「……ふふっ」
自室の窓辺でカーテンを揺らしながら、ひとり小さく笑う。
“ラルさまはお戻りになったのだ”
それが、わたくしにとってどれほど大きな意味を持つのか……言葉では到底言い表せない。
かつて、あの戦場で日々を過ごし、命を懸けて背中を預け合ったあの方。
“守るべき主君”などという建前ではとても足りない。
それは信仰にも似ていて……そして、それ以上に、もっと――危うい感情。
“誰にも、触れさせたくない”
それはきっと、恋ではなく。
けれど、誰よりも深く、重く、熱く。
心に刻まれた、焼き印のようなものなのだ。
⸺
「……セリナ、お茶のおかわりいかが?」
「ありがとう、ミアさん」
昼下がりのティータイム。
ラルさまが不在の間、屋敷のテラスでミアさんとリーナさんと三人で向かい合っていた。
会話の表面は穏やかで、笑顔も交えて交わされていたけれど……おそらく誰もが同じことを感じていた。
「……ねぇ、セリナ。最近さ、ちょっと“押し”強すぎじゃない?」
ミアさんが、カップを置きながら不意に口にする。
「押し?」
「そう。ラルのことになると、“隣にいるのが当然”みたいな顔してるよね。さすが団長って感じだけど……」
「ミアさん」
わたくしはやんわりと微笑みながらも、静かに言葉を重ねる。
「当然でしょう? わたくしは“ラルさまの側にいるべき者”ですもの」
「わたしだって昔から一緒にいたし、けっこう世話もしてたんだけどな〜?」
ミアさんは冗談めかして肩をすくめる。
「……ミアさまの“側にいた”というのは、遊び仲間としての話ではございませんか?」
リーナさんがさらりとした声で添えると、ミアさんの眉がぴくりと動く。
「……なにそれ? 今ちょっとトゲなかった?」
「いえ、事実を述べただけです。ですが、“幼なじみ”と“戦場で隣に立った者”では、重みが違いますわ」
わたくしも、リーナさんの言葉には頷かざるを得なかった。
「そういう意味では、セリナさまは“戦友”であり“指揮官”でしたものね」
「いえ……わたくしにとってラルさまは、単なる主君でも戦友でもありません」
カップをそっと置き、わたくしはまっすぐに言った。
「“生きる理由”ですわ」
その一言に、空気が止まる。
けれど本心だった。
言ってしまえば、わたくしはラルさまのいない日々など考えられなかった。
ミアさんが、わずかに眉を下げる。
「……やっぱ団長ってすごいな。なんか、重さが違うっていうか」
「ミアさんにはミアさんの距離感があるのだと思います。けれど、わたくしは……たとえ他の誰が傍にいようとも、諦めませんわ」
リーナさんは黙っていたが、薄く微笑んでいた。
あの人もまた、言葉にしなくても“同じくらい重たい何か”を持っているのだろう。
わたくしの胸には、ふとした焦燥がよぎった。
“このままではいけない”
穏やかな争い。静かな火花の応酬。
でも、きっといつか、誰かが確実に“前に出る”。
――わたくしが“一番”であるためには、もっと強く、もっと深く、ラルさまの中に入り込まなければ。
⸺
夜、ラルさまが書斎にひとりでいるという話を聞き、わたくしはトレイを持って足を運ぶ。
「ラルさま。お疲れのところ、失礼いたします」
「セリナ? ……ああ、どうしたんだ?」
「ハーブティーをお持ちしました。……今夜は少し冷えますので」
そっとカップを差し出すと、ラルさまは微笑んで受け取ってくださった。
その笑顔だけで、胸がいっぱいになる。
しばし沈黙。
わたくしは勇気を出して、言葉を紡ぐ。
「ラルさま……わたくし、どうしてもお伝えしたいことがございますの」
「……なんだ?」
「わたくしは、ラルさまの力になりたい。ただ傍にいたいのではなく……“信頼される存在”でいたいのです」
「……もう、十分信頼してるよ。セリナは――」
「それでは足りませんの」
わたくしは、ラルさまの言葉を制して続けた。
「誰よりも、深く、ラルさまを理解していたい。……いいえ、“知っていないと落ち着かない”のです」
目が合った瞬間、ラルさまの呼吸がわずかに止まったのを、わたくしは見逃さなかった。
「だから……誰かと楽しげに笑い合っているラルさまを見て、わたくし、胸が苦しくなるのです」
「セリナ……」
「嫉妬してしまう自分が、嫌になることもあります。けれど、それでも……わたくしはこの想いを捨てられませんの」
静かに笑った。
「たとえ……“歪んでいる”と、思われても」
わたくしは、ただまっすぐに彼を見つめる。
「それでも、傍に置いていただけますか?」
少しの沈黙。
だがその後、ラルさまは穏やかな声で言ってくださった。
「セリナがいなきゃ、ここまで戻って来れなかったよ。……感謝してる」
「……ありがとうございます」
けれど、まだ足りない。もっと欲しい。もっと近くへ。
この想いが、やがて“狂気”になってしまう前に、せめて少しでも……と願うわたくしがいた。
⸺
部屋を出て廊下を歩く。
わたくしは思う。
ミアさんも、リーナさんも、エリスさんも。
みな素敵な方だ。けれど……それでも、ラルさまを“奪わせる”つもりはない。
この想いを、執着と呼ばれても構わない。
だってこれは、“わたくしにとっての正義”なのだから。
ふと、月が窓から差し込む。
わたくしは静かに、その光に手を伸ばした。
「ラルさま……ずっと、お傍におりますわ。たとえこの命尽きようとも」
それは誓いだった。
穏やかで優しい、しかし決して引くことのない――鋼
⸺
翌朝、わたくしは誰よりも早く目を覚ました。
まだ薄明かりの差し込む廊下を静かに歩き、ラルさまの部屋の前で足を止める。
扉の奥からは何の音も聞こえない。おそらく、まだお休みになっているのだろう。
――それでも、ここに立っていたかった。
姿を見なくてもいい。声を聞かなくてもいい。
“ラルさまがこの屋敷にいる”
それだけで、わたくしの心は救われる。
それでも、心のどこかでは思ってしまう。
(……この扉の鍵を、持っていたい)
(ラルさまが眠っている間も、起きている間も、その“すべて”に触れていたい)
その想いが、どれほど危ういものかはわかっている。
けれどそれでも、わたくしの中では自然で、そして当然の感情だった。
“誰にも奪わせたくない”
“誰にも触れさせたくない”
“誰にも知られたくない”
わたくしだけが、ラルさまのすべてを知っていれば、それでいいのに――。
扉に指先を触れようとして、ふと背後から足音がした。
「……早いですね、セリナさま」
振り向くと、そこにはリーナが静かに立っていた。
薄暗い廊下の中、彼女の瞳だけがまっすぐにわたくしを射抜く。
「あなたも……早いのですね」
「記録係ですから。“皆が何をしていたか”を知っておくのは、当然です」
「わたくしがここにいることも、記録されるのですか?」
「もちろん。事実を記すだけです。感情は交えません」
……まるで、皮肉のよう。
けれど、今さら取り繕っても仕方ない。
「それなら記しておいてくださいませ。“わたくしはラルさまの一番傍にいたい”と、そう思っていると」
「……了解しました」
リーナの返答は淡々としていた。
けれど、その瞳の奥にある“感情”までは隠せない。
彼女もまた、誰にも明かさぬ執着を、静かに宿している。
言葉では表現されない、張り詰めた沈黙。
まるで戦場の幕開けのように、空気がぴんと張りつめていた。
⸺
数日後――。
庭でのひととき、ラルさまが珍しくひとりでベンチに腰かけていた。
その姿に気づいたわたくしは、躊躇いなく歩み寄る。
「お日差しが心地よいですわね、ラルさま」
「……ああ、セリナ。いい天気だな」
「ご一緒しても?」
「もちろん」
そのひとことで、胸の奥があたたかくなる。
この距離、この空気、そしてこの沈黙――すべてが愛おしい。
それでも、わたくしは“ただの団長”でいたくはない。
「ラルさま」
「ん?」
「……いえ、何でもありませんわ」
言いかけて、飲み込んだ言葉がある。
“ずっとこのままでいられたらいいのに”
“誰も、割り込んでこなければいいのに”
そんなことを口にすれば、きっとラルさまは困ってしまう。
だから今はまだ、笑顔のままで隠しておく。
「セリナってさ、ほんと変わらないよな」
「え?」
「軍にいた頃も、今も。どこか安心できるっていうか……つい頼っちゃう」
「……ラルさま」
わたくしは、つい目を伏せてしまった。
(そんな言葉を……優しく言わないでくださいまし)
(それだけで……“境界線”を越えたくなるのですから)
⸺
その夜、鏡の前で髪をときながら、わたくしは自分に問いかけた。
“このまま穏やかな日々を過ごせれば、それでいいの?”
答えは、いいえ、だ。
どんなに穏やかな毎日を過ごしていても、それは“誰かの手にラルさまが渡らない”という保証にはならない。
優しすぎる彼は、どこまでも受け入れてしまう。
ミアさんの無邪気さも、リーナさんの忠誠も、エリスさんの包容力さえも。
だからこそ――
わたくしが、ラルさまを“囲わなければ”ならないのだ。
“優しい檻”に。
“幸福な監視”の中に。
“誰にも渡さない世界”の中に――。
⸺
眠りにつく前、わたくしは小さく囁く。
「ラルさま……どうか、わたくしだけを見ていてくださいませ」
柔らかな微笑みを浮かべながら、わたくしの手はベッドの脇に置かれた小箱に触れる。
中には、ラルさまの古い手袋と、戦場時代の名札。
“記念品”なんかじゃない。
“所有の証”だ。
ふふ、と微笑んだ。
――わたくしは、いつだって冷静。
だからこそ、狂気は誰にも気づかれない。
ラルさまの“正しい隣”にいるのは、わたくし以外にあり得ないのだから。
そして、わたくしは信じている。
たとえこの想いが常軌を逸していようとも――
「これは、愛ですわ」
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