第4話「彼女が帰ってきた理由」
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屋敷に柔らかな春の陽射しが差し込む午後。
書斎にいたラルは、ペンを止めて小さくため息をついた。
昨日のリーナとの再会、その後のミアとのすれ違い。そしてセリナの静かな微笑。
どれもが「穏やかな隠居生活」とは程遠く、思っていた生活とのギャップに疲れを感じていた。
「……少し風でも浴びるか」
立ち上がって玄関へ向かうと、扉の向こうに人影があった。
「こんにちは〜、ラルくん♪」
聞き慣れた、しかしどこか懐かしい声。
笑顔で手を振る彼女の姿に、ラルは目を見張った。
「……エリス?」
「そうだよ〜。うん、元気そうでなにより」
手を振って笑う彼女――長い栗色の髪を風に揺らし、軍服の名残を感じさせるラフなジャケット姿。
懐かしさと違和感の両方が胸をかすめた。
「な、なんでお前がここに……?」
「何って、そりゃあ決まってるじゃん。『ラルくんが一人で寂しくないように』ってさ♪」
にっこり笑うエリスの声は、やけに明るく、軽く。けれどその目は――どこか、奥の深いところで静かに熱を灯していた。
「ここ、すっごい静かだね。……ちょっと寂しくない?」
「まあ、穏やかだな。賑やか過ぎる日々の後だと、これくらいで丁度いい」
「……それでも、ラルくんには誰かが必要だよ」
「……」
「ねぇ、覚えてる? あの戦場の夜。
寝床も足りなくて、みんなで雑魚寝してた時、ラルくんが私の膝を枕にしたの」
「……えっ、それはお前が勝手に――」
「ふふ、覚えてるじゃん。あの時、ラルくん、ぐっすり寝てたんだよ?」
微笑む彼女の視線は、どこまでも柔らかくて、でもまっすぐだった。
「だからね。ラルくんが“ちゃんと眠れる場所”を守ってあげたいなって、思ったの。……これからもずっと」
「……俺、そういうの、重いって思うかもしれないぞ?」
エリスは、目を細めて笑った。
「大丈夫。慣れてるから、ラルくんの“逃げ腰”には♪」
でも――その笑顔の奥の瞳は、ほんの少し、揺れていた。
その夜。
食堂に集まった面々は、早くも不穏な空気を醸していた。
「ご挨拶が遅れましたわね。エリスさん……でしたかしら?」
セリナが穏やかに言う。笑顔だが、目の奥は警戒している。
「よっ、初めまして。ミアでーす!」
ミアはあっけらかんと手を振るが、エリスのラルへの距離感にチラリと視線を送っていた。
そしてリーナは、黙ったままエリスを見ていた。
口元は笑っていたが、視線はまるで監視者のよう。
そんな中、エリスはひとつ息を吐いて言う。
「……やだなぁ、なんか空気かたいよ? 私はただ、ラルくんの“家族みたいな存在”だってだけなのに」
その“家族”という言葉に、他の3人の空気がぴしりと止まった。
(……また、戦場とは違う“修羅場”が始まりそうだ)
ラルは、心の中で小さくつぶやいた。
⸻
屋敷の食堂――夜。
テーブルには温かいスープと焼きたてのパン、数種類の香草を使ったメインディッシュが並ぶ。
だが、料理の香りとは裏腹に、空気はどこか“張り詰めた”ままだった。
ラルの左右には、当然のようにセリナとミアが座っている。
そして、斜め向かいの席にはリーナが静かに控え、今宵から加わったエリスはラルの正面――最も視線が交差する場所に陣取っていた。
「ふふっ、みんなで食べるご飯って、戦場以来かも?」
エリスは笑顔でパンをちぎりながら、そう言った。
「戦場って……そんなに仲良かったんですの?」
セリナがやんわりと問いかける。
声は穏やかだが、その裏にある感情は明らかだった。
「うーん、“仲良かった”っていうか……ねぇ、ラルくん? 私たち、一緒に寝てたこともあるし」
「ぶっ!? なっ……!」
ミアが思わずスープを吹き出しそうになり、セリナが固まった。
ラルは頭を抱える。
「語弊がある言い方はやめろ、エリス。誤解されるだろうが」
「え〜? だって事実じゃん? テントで寝床なくて、寒い夜とか一緒に寝たでしょ?」
「そ、それはお前が勝手に……」
「でもラルくん、膝枕でぐっすりだったよ?」
「……っ」
沈黙が走った。
ミアは眉をひそめてラルを睨む。
「ラル……ほんとに?」
「いや……あの時は本当に寒かっただけで、他意は――」
「でも他意がなかったのはラルくんだけじゃない?」
リーナがぽつりとつぶやいた。
一同が振り返ると、彼女はスプーンを持つ手をぴたりと止め、微笑を崩さずにラルを見つめていた。
「副官のエリス様が“ずっと傍にいたい”とおっしゃるのは、それだけの……積み重ねがあったから、ですよね?」
「そーいうこと♪ わかってるね、リーナちゃん」
「いえ。ただ、わたくしは記録しておきたいだけです。誰がどれだけ、ラル様の心を侵食しようとしているかを」
その一言に、空気が冷える。
「……なんか物騒なこと言ってない?」
ミアが警戒するが、リーナは動じない。
「エリス様のような“実績持ち”の方が増えると、正当な評価が難しくなります。
戦場での記録は不完全ですし、主観の入った証言が多すぎますから」
「うわー、なんかメイドさんって感じ超えてきてるよね……記録係?」
「必要なことです。ラル様のために、正しい選択をしていただくために」
「は〜い、わたしちょっと怖いです!」
ミアが手を挙げて笑うが、どこか引きつっていた。
⸻
ラルのために、何ができるか。
夕食後、リビングでくつろぐはずの空間にも緊張が張り詰めていた。
エリスはラルの隣に座り、ミアは対面のソファ。
セリナはティーカップを持ちながら様子を伺い、リーナは背後の影のように控えていた。
「……なあ、お前らさ。別に競い合わなくてもいいだろ」
ラルがぼやくように言うと、セリナがやんわり微笑む。
「そう仰いますけれど、ラルさま。私たちは皆、あなたの“幸福”を願っているのですわ」
「そうそう。で、その“幸福”の定義が全員バラバラなんだよね〜」
ミアが手を広げて笑う。
「でも、わたしのが一番ラルの幸せを理解してるって思ってるよ?」
「うんうん、じゃあ今度その“幸せ”ってやつ、詳しく教えてもらおうかな?」
エリスがふわりと笑いながら言う。
しかしその笑顔は、どこか鋭く、挑発的だった。
「……ふふ。少なくとも、わたくしは“ラル様を一人にはしない”という点において、全員一致していると思います」
リーナが静かに言ったその言葉に、他の3人も視線を交わす。
(全員、ラルを“守りたい”と信じて疑っていない)
(だけど、その形は――それぞれが違う)
⸻
夜の廊下。
ラルがようやく一人になろうと廊下を歩いていると、後ろから足音が追ってきた。
「ラルくん、ちょっといい?」
振り向くと、エリスがいた。
「……なんだよ、もう休めよ」
「んー……その前に、ひとつだけ言っておきたくて」
エリスはラルの袖を軽くつかんで、微笑む。
「私はね。戦場でのラルくんも、こうして隠居しようとしてるラルくんも、どっちも大好きなんだ」
「……おい、ちょっと距離が――」
「ねぇ、わたしさ。戦場の頃、ずっと思ってたんだ。
“この人が、ちゃんと休める日が来たらいいな”って」
その声は、急に少しだけ震えていた。
「だから今ここに来たの。別に、誰かに勝ちたいわけじゃない。
ただ……ラルくんが、“心から休める場所”に、私がなれたらって、そう思ってるだけ」
「……」
ラルは、言葉を返せなかった。
エリスはゆっくりと微笑む。
「だから、逃げないでね。誰にもなびかなくていい。ただ、ちゃんと自分の心を見てほしいの」
ラルの袖をそっと離し、エリスは一歩下がる。
「じゃ、また明日。おやすみ、ラルくん♪」
そして彼女は、背を向けて去っていった。
ラルはその背を見送りながら、小さくつぶやいた。
「……まったく。どいつもこいつも、休ませてくれない」
だが――その声には、ほんの少し、微笑が混じっていた。
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