第1話『元・英雄の隠居先には、隊長がついてきた』
今日で4話くらい投稿する予定です!
朝、柔らかな光が窓から差し込む。
ラルは、久しぶりに静かな目覚めを迎えていた。
戦場の臭いもしない。血の気配も、怒号も。
聞こえるのは鳥のさえずりと、遠くの森を撫でる風の音だけ。
「……やっと、終わったな」
彼はベッドから身体を起こすと、大きく伸びをした。
もう剣は持たない。誰の指揮も取らない。
今日からは――いや、昨日からは「ただのラル」だ。
元“最強部隊の指揮官”なんて肩書きは、もう必要ない。
(静かに、ゆっくりと。誰にも邪魔されず、誰も傷つけず――)
そう願っていた。
だが、屋敷の扉が勢いよく叩かれたのは、その直後だった。
「ラルさま! お戻りとの報せを聞き、ただいま参上いたしましたわ!」
「……ああ。やっぱり来たか」
ラルは頭を抱えた。
聞き覚えのある、気品たっぷりだが妙に押しの強い声。
扉を開けると、案の定だった。
「お久しぶりでございますわね、ラルさま!」
銀髪をなびかせ、凛とした美貌に微笑みを浮かべたその女性――セリナ=エーデルバルト。
元・直属戦術特務隊・隊長。戦場では懐刀としてラルを支え、無数の敵を両断してきた“氷刃の貴婦人”である。
「……セリナ。なんでお前がここに?」
「なにをおっしゃいますの! ラルさまがご隠居なさるとあって、当然わたくしがお側をお守りいたしますわ」
「いや、もう戦わないし……そもそも誰も襲ってこないって」
「戦場で斃れるより、屋敷で事故に遭う方が案外多いのですのよ。屋根の落雪、階段の転倒、盗賊の潜入……わたくしがいれば安心ですわ」
「…………どんな理論だよ」
ラルはため息をつきながらも、セリナの強引さに懐かしさを覚えていた。
「とにかく、しばらくはこちらに滞在させていただきますわね。寝室の位置はどちらかしら?」
「……帰れとは言わないけど、勝手に寝床探すな」
「お優しい。やはりラルさまはそうでなくては」
頬を軽く染め、にこにこと笑うセリナ。
その表情は美しく、どこか誇らしげで――ラルは思わず視線を逸らした。
(……ダメだな、俺。全然、休まらない)
セリナが屋敷に入ってまだ一日も経たないうちに、ラルの生活はすっかり騒がしくなっていた。
「ラルさま、朝の散歩などいかがです? 一応、裏山の魔獣の有無は確認しておきましたわ」
「裏山に行く予定ないって……ていうか調べたのか」
「ええ、昨晩のうちに。夜目は利きますので」
さすが元直属戦術特務隊・隊長。無駄に行動力がある。
昼には昼で――
「今日はご昼食にサンドウィッチを用意しましたの。もちろんラルさまのご好みに合わせてございます」
「……なんで俺の好みを?」
「ふふ、お気になさらず。戦場で共にした日々の中で、自然と記憶しましたのよ」
「いや、それ逆に怖いな……」
とはいえ、セリナの料理の腕は確かだった。
戦場でもラルの部隊の士気が高かったのは、彼女の食事が一因だったこともある。
「……うまい」
「嬉しいですわ。ラルさまの舌に叶うなら、いくらでも作りますわよ」
「……毎日は遠慮したい」
「まあ! 謙遜なさって……♪」
このやりとりが、何度も繰り返される。
(……これは、絶対“隠居”じゃない)
心の中でラルは叫んでいた。
夜、ラルが自室に戻ると――そこには既に布団を敷いているセリナの姿があった。
「…………おい」
「おかえりなさいませ、ラルさま。冷えますので、お布団は二重にしておきましたわ」
「……いや、何してるんだお前」
「ですから、今夜からはご一緒に――いえ、お側で、寝泊まりを」
「この部屋、俺の部屋な」
「ええ、だからこそ。“最も安全な場所”にしておきたいのですわ」
「いやいや、意味が分からないって」
ラルは額に手をやった。
セリナは、穏やかな微笑みを崩さない。
「……屋敷の鍵は、すべて交換しておきましたわ。窓の施錠も強化済み。地下通路の出入り口も、いったん封鎖しておりますの」
「……お前、いつの間にそんな……」
「ラルさまがゆっくりお休みできるように、当然の配慮ですわ」
「……いや、これ監視じゃ……?」
「そんな――まさか。見守るのです。ラルさまの安寧のために、ね?」
まっすぐな目で言い切るセリナに、ラルは背筋が少しだけ冷えるのを感じた。
「……寝室は別に用意しろって。そこだけは譲れない」
「…………そう、ですか」
しばしの沈黙。
セリナはしゅんとしたように俯いたが、その指先では――
静かに敷いていた布団を折り畳みながら、“枕だけ”はそっとラルの枕の隣に並べていた。
「…………せめて、香りだけでも。今夜は、これで我慢いたしますわ」
「いや、我慢とかじゃなくて……」
「おやすみなさいませ、ラルさま。どうか、よく眠れますように」
微笑んだまま部屋を後にするセリナ。
その背に何も言えず、ラルは重い溜息を吐いた。
そして、ふと――ベッドに腰掛け、違和感に気づく。
「……この毛布、いつから俺の匂いじゃなくなった?」
少しだけ、上質すぎる“香水のような香り”が染みついた寝具に、彼は言い知れぬ不安を覚えるのだった。
(……やっぱり平穏なんて、俺には来ないんだな)
そう思いながら、戦場よりもある意味で“神経を使う”新たな日々が始まっていくのだった。
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