第1話 誓いの灯
【主要人物】
劉珣
・23歳
・漢王室の分家の血を引くが、母が賤民の出で家に居場所を失う
・学問と兵法に秀でるが、幼い頃の病で身体は弱い
・卓越した戦略眼を持つが、表舞台を嫌う
・「白衣の影」とあだ名される
蘇蘭
・劉珣の幼馴染の女医
・薬師として仕える
・劉珣を支えながら共に諸国を放浪する
張暁
・流浪の若き侠客
・義侠心に厚く、劉珣に仕える
・剣の達人
雨の音が遠くで鳴っていた。
古びた書院の一室に、ほの白い灯が揺れている。
硝子越しに見える庭は濡れ、朽ちかけた梅が花を落としていた。
若い女は座敷の隅に膝を折り、胸の前でそっと両手を重ねていた。
その瞳は揺れる灯を映し、どこか切なげだった。
「……珣さま。どうか、もうご自分を責めないで。」
細い声に、白衣の青年がゆっくりと振り返った。
顔色は蝋のように青白く、頬は痩せ細っていた。
呼吸は浅く、時折小さく咳が胸を震わせる。
だがその瞳は、燃えるように強い光を宿している。
「私が、誰の血を引こうとも、この戦を終わらせられるならば……それでいい。何も惜しいとは思わない。」
「そんな……。」
蘇蘭は目を伏せ、小さく首を振った。
幼い頃から、彼がどれほど病に苦しみながらも心を折らずにいたかを知っていた。
毎晩、激しい咳に眠りを妨げられ、体力は日に日に削られていく。
それでも、胸に宿した志は日に日に燃え上がっていた。
だからこそ、蘇蘭は胸が張り裂ける思いだった。
「……どうしても、行かれるのですね。」
「乱世は、理屈も情も踏みにじる。力なき者が泣き、飢え、声をあげることすら許されない。――私はこの現実を変えたい。」
言葉は震え、声は掠れていたが、決意は揺るがなかった。
「今、天下は三つの大きな勢力に分かれている。北には猛将・曹操が許都を治め、荊州には仁愛の劉備が蜀を興さんとし、東には孫権が江東を固めている。」
蘇蘭は黙ってうなずいた。
胸に込み上げる不安も、言葉にならない想いも、そっと押し隠した。
その志に偽りはないと知っていた。
「……せめて、お身体を大事になさってください。それだけは。」
「分かっている。すまない。」
白衣の影は、揺らめく灯火のもとゆっくり立ち上がった。
机の上に広げられた古びた地図に指先を滑らせる。
「涼州、荊州、江東……この乱世の大地が、戦火に焼かれている。だが、いつかこの地図から争いの線を消したい。」
儚きこの身であっても、その願いを果たすために命を燃やす。
障子の向こうに、明け方の光がわずかに滲んでいた。
それは、遠い夜明けの兆しのように見えた。