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1-8 アゴラでの余所者達

 ソフィは自分の分を食べ終えると、あっさりギルド本部へと戻っていった。


 少しだけ残念に思うヴィンセントだったが、引き留めはしなかった。そんなカモメのような、軽やかなソフィは小気味よかった。自分の昼食を終えて会計を済ませると、そのままゆっくりすることなく店を後にした。


 観光客に混じってダラダラ街を歩きながら、どうやって時間を潰そうか考える。


 一度部屋に戻ったとき、スマホにはギルドからセラピーを受けるようメールが届いていた。これは依頼を達成した潜行士全員に自動送信されるもので、ヴィンセントはサボりの常習犯だった。依頼の契約の際にメンタルチェックは義務づけられているが、ヴィンセントは一度も引っ掛かった事はなかった。今回も一考すらしていない。


 それに潜行士を専業としているヴィンセントは、多くの者と違って他に稼ぎはない。


 つまり毎日が平日であり、毎日が休日のようなものだった。故郷で会社勤めをしていた時と違い、時間は全て自分で使う必要がある。普段であれば身体を鍛えたり情報収集に勤しむが、今日は仕事を終えたばかりだ。まだ二日酔いの後遺症が残っている状態では、身が入らないのは目に見えている。


 ――どうするかな。


 食べたばかりでカフェやタヴェルナに入る気分にはならない。


 十分過ぎるほど眺めた海に行くのもかったるい。


 自分の部屋で読みかけの本を倒すのもいいが、それは夜からでもいい。


 昨日の早朝まで全力疾走していたので、どこぞの公園でサッカーに参加する気力もない。


 ギルドに行くのも明日からでいい。


 三十分近くダラダラし続けた結果、とりあえずで決めた目的地に、こんな自分は仕事人間だっただろうかと呆れるヴィンセントだった。





 ラプカ地区は観光の中心であると同時に、潜行士達にとっても中心である。


 ギルド本部があるのはさることながら、その北側には多くの潜行士達が利用する店や施設がある。鍛冶屋、魔術具店、素材屋、魔術工房など、ダンジョンの潜行に必須の装備はすべてここで揃えることができた。


 仕事を終えた潜行士は、休息を終えるとまずここにやってくる。次の潜行に必要な消耗品の補充や装備品のメンテナンスを行うためだ。例えばヴィンセントが潜行に愛用している拳銃も、専属のガンスミスに修理を任せている。もちろん自分でもメンテナンスを怠りはしないが、万全の状態を維持するにはプロの手が必要だった。


 だが、なにもヴィンセントのように職人に頼る者ばかりではない。安価な既製品で事をする者もいれば、自作で行える者も多くいる。特にドワーフ族やエルフ族はその文化的に、自らの装備を自分自身でこしらえる。そんな者達のための店も多く建ち並んでいた。


 工房を併設した職人の個人店、外部から輸入される既製品を販売する小売店、作業場を貸し出す鍛工場や施術舎など、潜行士の基盤がここにはある。


 ゆえにラプカ地区の北側は、潜行士にとっても、そして街の経済を回す面においても、極めて多種多様な店舗がしのぎを削っていた。そしてその競争こそが、エレティアをダンジョン都市として支える基盤にもなっていた。


 そしてこの一帯は、エイレティア古来の市場や広場を表す言葉として、アゴラと呼ばれていた。


 ヴィンセントは今日の午後を、アゴラを冷やかして潰すことにした。


 元々来るつもりはなかったので、愛銃やその他の装備品は持ってきていない。主に眺めるのは工房に並んだ自作の魔術具や、変わり種の小売店に入荷した海外の新製品などである。


 贔屓にしている工房はもちろんあったが、しかし潜行士の仕事は命がけのプロフェッショナルな現場である。より生存率を高める努力は怠れない。自分の専門にあった新製品が、今日もどこかの誰かによって開発されているのが常だ。それがより安価なら、潤うのは命と懐である。


 朝は萎えきっていたヴィンセントだったが、ソフィとの雑談と陳列された商品を眺めていると、自然と気分は上向いていく。


 我ながら現金で、根っからの潜行士なのだなとヴィンセントは自嘲気味な笑みを浮かべた。


「ん?」


 いくつかの店舗を物色し、そろそろ贔屓の工房に顔を出そうと思ったその時、その馴染みの店から見知った顔が出てきた。


「……あんた」


 その四人組の中の一人がヴィンセントに気がつく。


 仲間の呟きに他の者達も顔を向け、そして気まずそうにそらした。


 昨日、ギルドで騒ぎを起こした余所者冒険者達だった。


「お前達か。良い工房に目をつけたな。そこのおっさんの腕は中々のもんだぜ? ちょっと気難しいけどな」


 一悶着あったが、別にヴィンセントと直接喧嘩をしたわけではない。


 むしろ馴染みの店を利用したらしい様子に、ヴィンセントは好意的になっていた。


「えっと、名前は聞いてたか? 俺はヴィンセント・ハドソンな。ヴィンセントでいい」


「あ、ああ、僕はダミリル・ベルディフ。ダミリルでいい。こっちはエリック、エリシュカ、カーラだ」


 リーダー格のダミリルが仲間達を紹介し、それぞれが会釈や目礼をしていく。


 名前の響きから、ヴィンセントは彼らがハプラ出身なのだなと判断していた。


「よろしくな。こうやってアゴラをうろつくってことは、頭も冷えたか?」


 からかうように尋ねると、ダミリルは気まずそうな曖昧な笑みを浮かべる。


「まあね。その、昨日は悪かったよ。あなたにも迷惑をかけた。この街に来たばかりで気が逸ってたんだ」


「ああいいって、別に大した事じゃない。よくあることだしな、気にすんな」


 上機嫌なヴィンセントが朗らかに言うと、ダミリルはほっとしたように息をついた。


 そこでヴィンセントは、ようやく彼らがただ魔術工房を訪ねていたわけではないと気がついた。


「どうしてそんな格好してる。アゴラをうろつくにはえらく重装備じゃないか」


 アゴラは基本、買い物や注文をするところだ。


 必要なのは鞄と財布だけでいい。しかし彼らは昨日のギルド本部の時と同じで、それぞれが武器となる魔装具を携帯していた。


 ダミリル達はこの街に来たばかりと言っていた。


 まだメンテナンスが必要になるとは思えない。


「え? あ、その……」


 ダミリル達は目を合わせ、言葉を濁した。


「ああそうか! もしかしてお前達、昨日の今日でもう研修に行くのか?」


 得心がいったように尋ねると、ダミリル達はあからさまに安堵したが、ヴィンセントは気がつかなかった。


「ああ、実はそうなんだ」


 気を取り直したようにダミリルが言った。


「熱心だなあ。ハンナにはちゃんと謝ったのか? 研修先はどこだ」


「うん、彼女には昨日のうちにちゃんと謝罪をしたよ。研修先は、その、リベルタム大森林の上層だよ」


「だろうな。上層だけなら、他の大ダンジョンより安全だし、地図もある程度は使い物になる。ジョエルの魔術具があるならなおさらだ。俺も一発目の潜行はあそこだった」


 エイレティアを囲む大ダンジョンの内、最も潜行の難度が低いのがリベルタム大森林の上層だった。


 魔素の濃度も低く、魔物も外の様子と違いが少ない。


 危険な地形も少ないので、エイレティアのギルドが行う研修先に選ばれるとすればそこしかなかった。


「それじゃ、あんまり時間を取るわけにはいかないな。頑張れよ。ホロミンジェの試験を合格したなら楽勝だ」


「――ありがとう、気をつけるよ。じゃあ僕達はここで」


 そう言い残してダミリル達はそそくさと立ち去った。


 ヴィンセントは彼らを見送ると、上機嫌なまま贔屓の魔術具店『ラブディ』に入っていった。


「ジョエル、お邪魔さん」


 木製の扉が開くと、小さな鐘が来客を示した。


 するとカウンターに立っていた初老の男性が顔を上げる。


「……ヴィンセントか。もう帰ってたんだな」


「昨日の朝な。あんたの聖光の魔術具のおかげで助かった。ありがとな」


「ふん、当たり前だ。私は確かな物しか作らん」


 感謝したにもかかわらずニコリともしないこの男は、ジョエル・ジャルダンというヒューマン族だ。


 刈り上げた髪と無精髭には白髪が交じり、額が広い。丸眼鏡の奥にある瞳は鋭くヴィンセントを見据え、頑固そうな口元は固く結ばれている。体格も潜行士のヴィンセントよりガッチリとしていて、魔術具店の工房を構える魔工技師というよりも鍛冶職人の方がピンとくる佇まいだった。


「繁盛してるらしいな」


 棚に並ぶ魔術具を眺めながらヴィンセントが言う。


 そのどれもがジョエル個人の作品で、弟子も取らない彼は一人で工房を運営していた。


「さっきの連中のことか」


「ああ、外から来たばっかの冒険者パーティのお眼鏡にかなうとは流石だ。あいつら、ホロミンジェから来たらしいぜ。ダンジョン踏破経験もあるんだってよ」


「……外から来たばかり?」


 何気ない雑談のつもりで言ったヴィンセントだったが、ジョエルは眉をひそめた。


「なんだよ、なんか変なこと言ったか?」


「それはいま出て行った若者達のことか?」


「そうだけど?」


 ヴィンセントが答えると、ジョエルは訝しげなまま売れたばかりの魔術具のリストを確認して言った。


「……確かギルドは潜行士に限らず、冒険者にも新参者には研修をしていたな」


 ダンジョンを生業にしている者達は、大きく分けて二つに分類される。


 ギルドに送られた依頼を受注し、魔物を採取したり狩猟する業務を行うのが潜行士と呼ばれている。ギルドとは主にこの潜行士を取り纏めている組織で、専門的技能を持つ個人事業主が潜行士だ。


 一方で冒険者とは、一般的な職種ではなく探検家に近い称号的な呼称だった。各国の企業や団体から資金の提供を受けダンジョンの学術調査や先行調査をしたり、未踏破の大ダンジョンに挑戦する一般人を指す言葉だった。


 どちらもギルドへの登録が必要で、特に冒険者はダンジョンでの採取や狩猟を厳しく制限されている。それは資源や環境の保全が理由だ。特にダンジョン都市であるエイレティアでは、信用保証の為に厳密な研修と試験が義務づけられていた。


「ああ、これから研修だって言ってた。それがどうした?」


「……連中が買っていった魔術具だが、どれも中層の魔物に対応する物ばかりだった。記憶定着ポーション、神経興奮剤、黒犬の叫び、真透レンズ……」


 ジョエルが挙げた魔術具は、リベルタム大森林上層には生息していない魔物に対するものばかりだった。


 ヴィンセントが顔色を変える。


「……なんだよそれ、記憶定着ポーションって……レィシー用じゃねえか。あれはドリュアスとの縄張り争いに負けて下層に引っ込んだはずだ。上層なんかにいるはずがねえぞ!」


 二人はすぐさま状況を理解した。


 つまりダミエル達は、研修の準備にアゴラを訪ねたわけではなかった。


 そして彼らが重装備だったのは、これからリベルタム大森林に本格的な冒険に臨むからだった。


「……まったく、これでは私の作品が無駄になるかもしれんな」


 焦るヴィンセントとは裏腹に、ジョエルは忌々しげに呟いた。


 その様子はとてもダミエル達を心配する様子ではなかった。


「なに言ってんだよ! ギルドに連絡しないとだろ!」


 気色ばむヴィンセントだったが、ジョエルは訝しげに眉を上げた。


「お前さんこそなにをいきり立ってる。あいつらはお前さんの友人か親戚か? なら追いかけてやれ、私は知らん」


 ジョエルは冷淡な態度を崩さず、我関せずと言わんばかりだ。


 今にも店の奥に引っ込み、工房で作業を始めそうだった。


 ヴィンセントが愕然としていると、ジョエルはますますわけがわからないという顔になる。


「どうした、なに突っ立ってる。追いかけるんだろ?」


「……なんでそんな冷静なんだよ」


 そうヴィンセントが尋ねると、ジョエルは首をかしげて言った。


「なぜ慌てなければならない。また愚かな若者が許可もなく大ダンジョンに潜って死ぬだけだろう。私を騙したのは腹立たしいが、金はちゃんと払った。文句はない」


 そしてジョエルは、エイレティアの住民として続けた。


「よくあるつまらない話だ。そうだろう?」


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