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1-7 街の潜行士達

 目覚めたとき、窓からの光が柔らかいことにヴィンセントは舌打ちをした。


 もう一度意識を手放そうとしたが、いくら目を瞑っていても眠りはやってこない。まるで頭の中が焼け野原になったようだった。どこぞで飲んだらしいツィプロが、良くないところに入ったらしい。口元を拭おうとすると、指先にこびりついたオリーブの臭いが胃をねじった。


「――……しぬ」


 うつ伏せだった身体をひっくり返す。


 すぐさま後悔した。


 白を基調とした室内は、すでに光を取り込み二日酔いの瞼には手厳しかった。


「――うっぷ」


 漏れ出た息が熱を帯びている。


 選択肢は二つ。


 このまま気合いで身体が眠るのを待つか、諦めて外の空気を吸いに行くかだ。


 前者に展望はない。ただ終わりの見えない苦しみを耐え抜くだけ。息を吐けば胸焼けし、ヨダレを拭えば胸焼けし、黙っていれば胸焼けする。生きているだけで苦痛だった。


「……」


 となれば、選択するのは後者である。


 冷蔵庫から持参した水のペットボトルを片手に、ヴィンセントはマンションから出た。


 そのまま正面の道路を跨げば、すぐ目の前は海である。まだ早朝もあって人はまばらで、散歩をしている年配の地元住民がダラダラと歩いている。散歩の代わりに遊泳をしている者もおり、馴染みの者が海から手を挙げた。


 挨拶を返しながら階段を降りる。この辺りは砂浜となっており、備え付けのベンチが気ままに設置されていた。


 その中から、波打ち際ギリギリのものに座る。


 ズボンのポケットから煙草を取り出し火を付けると、煙を一気に吸いこんでから、一気に吐いた。


 穏やかなで広大な海が、ヴィンセントの視界を埋め尽くした。晴天の空と海に境はなく、波に揺れていなければ全てが青に溶けたように見えた。


 近くではささやかな潮騒と、遠くにカモメの鳴き声。


 パリオ・ファリオの砂浜は特有の磯臭さが少ない。地元住民のボランティアで清掃が行き届いているからだ。海風香るという、小説でよく使われる表現は、まさにこのような匂いなのだろうとヴィンセントは思っていた。


 この場所を発見した時、ヴィンセントはすぐ近くに住むことを決めた。故郷は山も海もない都会で、自然と言えば外にあるものだった。木々の匂いを嗅ぐには公園に行くしかなく、それも道路から吹き付けるガスで汚れきっていた。もちろんダンジョンは自然そのものではあるが、このベンチに座っている間は命の危機に備える必要もなかった。


 そしてなにより決め手となったのは、良く晴れた日にのみ水平線の隙間に現れる大ダンジョン、未だに人類の夢であり続けている戦艦群島イーロスが、どこまでも遠くに見えることだった。


「……」


 普段であれば胸がすく景色。


 しかしわだかまりがあるのは、二日酔いのせいではなかった。


 もう一度、思いっきり煙を吸い込む。


 ため息のように吐いたそれが吹き抜ける海風にあおられて眼が染みる。ヴィンセントは顔をしかめ、地面に煙草を押しつけるとポケット灰皿に吸い殻を詰め込んだ。


 そしてまた、海の向こうを眺める。


 ここからでは黒い影のように見えるイーロス。


 いつもであればアレを眺めながら、どう潜行していくかと思いを馳せるのだが、今日はそんな気分になれない。


 しかし立ち上がる気分にもなれなかったので、ヴィンセントはそのままイーロスを眺め続けることにした。





 昨夜の潜行士が口にしていた映画と違うのは、画面で観るのとは違い現実には暑さも空腹も感じるということ。


 エイレティアは夏が近くになると、昼の気温が四十度近くにもなる。いくら海風が涼しいとはいえ、照りつける太陽の下で海にも入らなければ日射病になってしまう。


 おまけに泥酔した後、どこかで吐いたらしい。いくら無視しようとしても、腹と背中がくっつきそうな空腹感は治まることはなかった。


 ヴィンセントは一度、自分の部屋に戻り財布を回収すると、その足で中央区域に向かった。


 パリオ・ファリオでも行きつけのカフェやタヴェルナはあるが、今は知り合いやご近所さんと話す気分にはなれなかった。


 バスに乗りラプカ地区で降りると、そのまま東へ。観光客で賑わうキダオン通りのレストランに入った。観光客向けで割高なのはいただけないが、少なくと誰かと会話をする機会はない。ギルドが近いので潜行士達と鉢合わせる可能性はあったが、彼らは一様にケチである。割高な昼食に金を割くぐらいなら潜行道具に当てる者達ばかりだった。


 車一台が通るのがやっとな石畳の歩道を歩きながら、ヴィンセントはのんびり出来そうなテラス席が空いている店を探す。


 エイレティアでの飲食店は、その大半がテラス席を用意する。それはほとんどの店が貸店舗であるからだ。


 エイレティアが観光業に力を入れる以前、ラプカ地区は富裕層の住むただの住宅街だった。大昔は貴族や神官達が住む政治の中心地で、その名残は近現代にも続いていた。


 しかし観光化が進むと、その土地の持ち主は一階を商業施設として解放した。住居が密集するこの地区では、建物全体を取り壊して新店舗とすることが難しかったからだ。ゆえに一階だけでは利益が出る座席数を確保できず、テントや屋根を増設して路上に用意するしかなかった。


 しかし今日はどうにも人通りがいつもより多い。中々めぼしい店が見つからず、適当にテイクアウトして公園にでも行こうかと思い始めていた時、おもむろに自分の名前を呼ばれた。


「ヴィンセント」


「……ソフィ?」


 声の方を向くと、テラス席の一つにギルドお抱え鑑定士のソフィが座っていた。


 一人らしく、テーブルにはパスタとサラダの盛り合わせがある。本を読みながら食事をするのが習慣のようで、左手には本、右手にはフォークを持っていた。


「一人?」



「そっちもね。よかったらどう?」


 片手で開いた本で前の席を差すソフィ。


 一人で食事をするつもりだったが、意外な申し出を断るほど不躾ではない。ありがたく共にすることにした。


 すぐにスタッフが水とメニューを持ってくる。


 パンとスブラキを頼み、水を一口飲んだ。


「どうして俺を?」


「知ってる顔が一人でうろついてるんだもの。声をかけなきゃ気持ち悪いでしょ?」


 知人を招いたにもかかわらず、ソフィは読書に戻る。


 奔放な振る舞いだが、ヴィンセントは気にならなかった。今はそんな気ままさが好ましかった。


「いつもここで?」


「まあね、潜行士はこの辺りには来ないでしょ?」


「確かに、連中には眩しすぎる場所だよな」


 上がってきた目に悪戯なウィンクを返す。


 呆れたように肩をすくめると、また読書に戻った。


「それ、ユーゴ?」


「ええ」


「面白い?」


「大学に戻ったみたいね。悲劇を読んでるのか講義を聴いてるのかわからなくなる」


 ヴィンセントはまたも意外な事実に目を瞬かせた。


「大学に行ってたの? なのに鑑定士に?」


「ええ」


「変わってるね」


「まあね」


「俺、うるさい?」


「そうね」


「黙った方が良い?」


「エイレティアの食事が静かなことがある?」


「……かもね」


 そんなやり取りをしているうちに、ヴィンセントの注文が届く。


 スブラキとは木の串に豚肉を刺して焼いたもので、屋台などでも買える。ランチには軽食だが、ヴィンセントはパスタやピザ、魚よりも肉が食べたい気分だった。


 串から豚肉を抜き、パンに挟んでかぶりついた。


「あなたは?」


「ん?」


「あなたもよくこの辺りに来るの? 見かけたのは今日が初めてだけど」


「たまには陽の当たるところも悪くないと思ってね」


「で、どうだった?」


「悪くない。おかげで君に誘ってもらえたワケだしね」


 本に目をやったまま、ソフィは呆れたように小さく息を吐いた。


「ほんと、調子がいいのね。誰にでもそうなの?」


「そんなことない。どんな環境でも強く立派に生きている人にだけだよ。自分がなにをすべきか、知っている人。フォンテーヌみたいなね?」


「……読んだの?」


「実はね」


「そういうところ、ほんとに潜行士って感じね。自信過剰でフザけずにはいられないところ」


「だからかな。さっきからサングラスを忘れたのを後悔してるのは」


 日陰であるのにわざとらしく目を細めるヴィンセント。


 アランの言うところの嫌いな潜行士らしいヴィンセントの物言いだったが、ソフィは特別嫌悪感を示すことはなかった。


 読みながら続ける。


「残念、少しは見直したと思ってたのに」


「見直した? 俺が読書家だったこと?」


 スブラキを頬張りながらヴィンセントが尋ねる。


「ハンナを助けたこと。昨日、外から来たばかりの冒険者が騒いでたんでしょ? 喧嘩じゃなく説得したってハンナから聞いた。スマートに助けてくれたんだって」


「……ああ、あれか。別に大したことじゃない」


 余所者の話題はどうでもよかったが、おかげでその

後のことを思い出す。


 てっきり自慢されると思っていたソフィは、淡泊な反応が気になって目を上げた。


「どうしたの?」


「なにが?」


「自慢、されると思ってたから。事情に通じたベテラン潜行士って顔で」


「俺はそんなつまらない男じゃない。あれはアイツらを黙らせるためにやっただけ。おたくの上司が出てくれば口を挟むつもりはなかった」


 これ以上この話を続けたくないという意志は、ヴィンセントの態度から如実に出ていた。


 ソフィもそれを察し、友人でもない他人の内面に踏み込むことはしなかった。


「そう、わかった。上の人が出なかったのはいなかったからだって。最近この街に赴任してきたばかりの人よ」


 話題が変わってヴィンセントはほっとした。


「そうなんだ。どこから来たのか知ってる?」


「ケルンだって聞いた。どこかの貴族の出だってそうよ。噂話だけど」


「ケルン? 大陸最大のギルドがあるとこじゃないか。またどうしてエイレティアなんかに。左遷されたのか?」


「自分で来たって話よ。あまり詳しくは知らない。会ったのも初日の挨拶の時だけだし」


「物好きだな。まさにエイレティアのギルド職員って感じ」


「ほんとね。まだかなり若いわ。ギルド長と並んだら親子みたいだったもの。潜行管理官補佐、なんて新しい役職までついてた」


「鳴り物入りだな。都会の坊ちゃんがエイレティアでやっていけるのか見物だ」


「それ、事情に通じたベテラン潜行士って感じ」


「ほんと? いよいよ俺も焼きが回ったかな」


「日焼けはしてるみたいだけど?」


「今度からはクリームをつけるよ」


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