1-6 ヴィンセントの鬱屈
タヴェルナでのメインは、むしろ食後の団欒にある。
ラプカ地区の競争激しい観光街ではなく、住宅地にひっそりとある『イ・イェフィラ』のようなタヴェルナでは、回転数よりも満席であり続け、酒とおつまみで採算をとる形が多い。
つまり一通りの食事が終われば、そこは潜行士達の情報共有の場と様変わりするのだ。
ワインや果実酒、エリーの焼いたチーズパイを片手に、ここ最近のダンジョンや街の出来事を語り合う。
ちなみにエリーは、一通り食事を用意し終えると居住スペースである上階へと戻っていた。学校の課題もあれば、プライベートに済ませる用事もあるからだ。
本当は営業終了時刻まで働きたいエリーだったが、そこはウィリアムが認めなかった。
「イーロスは相変わらずだな、またデカくなった。新しい沈没船、ありゃ中世の船艦だぜ。それに密航者のボートもあった。死んだっぽいけどな」
「トレジャーハンター気取り、まだいるんだな。ところでなんで中世だってわかんだよ。お前、そんな歴史好きだっけ?」
「映画で観たヤツにそっくりだったからだよ。ほら、ちょっと前にやってたろ? シリーズものの海賊映画」
「映画? よく観られんなあんなもん。俺、目がチカチカするから苦手だわ。音ものっぺりしてるし、あと高えし」
「わかるわー。わざわざ高い金払ってあの音はねえよな」
「……なにお前ら、もしかしてテレビとかも観ないの?」
「だってすぐ壊れんじゃん。ノイズとかもうっせえし映像は汚えし。ニュースなら新聞読めば良いし、綺麗な景色ならダンジョン行けば良いだろ?」
「職場に綺麗な景色なんて上等な感情わかねーっつの」
「テレビでも無理だろそんなもん」
そして脱線も、団欒の華だった。
「そう言えばヴィンセント、リベルタムでスカルウルフに追いかけられたんだろ? 話、聞かせてくれよ」
水を向けられたヴィンセントは、座る席も床もなかったのでカウンターに腰掛けていた。
手元には残り物のムサカやサラダがあり、それらを適当に摘まみながらワインを飲んでいる。
「ギルドに報告した通りだよ。中層のドリュアス達の聖域にいたら、奥からアイツらが沸いてきた。で、上層まで追いかけられた」
「上層まで? どの辺りだ?」
ウィリアムが訝しげに尋ねる。
「入り口からしばらく中心に向かうとイチイの群生地があるだろ? そこから北に一キロ程度のところだよ。そこで振り切った」
「あの辺りは日が差し込むはずだ。そこまで追いかけてきたのか」
引退して数年が経とうとも、それまでの知識や経験は失われていない。すぐさま頭の中で地図を描き、事の異常さに気がつく。
その早さに、ヴィンセントはニヤリとして続ける。
「ああ、聖域を突き抜けてな。何体かはドリュアス達に粉々にされたけど、それどころじゃない数だった。波みたいにカタカタ押し寄せてきたんだ」
「どうやって逃げ切った。エルランディルが魔術を使ったのか?」
ウィリアムがエルザイルを見る。
エルザイルは首を横に振った。
「いいや、あの状況で使える魔術では対処が不可能だった。むしろ魔力を使って消耗する事の方が危険だ」
「それで役立たず二人に見捨てられた俺は、やむなく聖光の魔術具を使うハメになったわけ。それでなんとか逃げ切れたんだ」
「……それでは止まるのか。ちぐはぐだな」
テーブルを指で叩きながら考え込むウィリアム。
もう一人の役立たずは蜂蜜酒を飲みながら、恐ろしく音痴な鼻唄を歌っていた。
「待てよヴィンセント、お前、魔術具を使ったのか? 確かマンドラゴラの依頼だったよな!」
思索に耽るウィリアムを尻目に、潜行士の一人が叫んだ。
その顔は真剣というより、どこか必死だった。
「なんだよ。そうだけど?」
「お前……もしかして赤字か?」
「嫌なこと思い出させんじゃねえよ。それとお前に何の関係があるんだ」
「今日、オレはヴィンセント達の奢りだって聞いたから来たんだぜ? でも聖光の魔術具を使ったら赤字だろ? お前らが金ないじゃないか! オレの電車賃返せ!」
ドッと沸く店内。
「ザけんな貧乏人。ミニトマトでも食って働け」
笑いながら摘まみ上げ、半泣きの潜行士に投げつけるヴィンセント。
かなり下品な行為だったが、ウィリアムには気づかれなかった。
「つーかよ、スカルウルフって中層から下層の魔物だろ? なんで上層まで上がってきたんだ?」
「それをウィリアムに聞きに聞こうと思ってたんだよ。リベルタム大森林はウィリアムの庭だしな。ゼアにも心当たりはないんだと」
この場で唯一のエルフであるエルザイルも頷く。
「私の見立てでは森に特別な異変は感じられなかった。魔素の流れも普段通りだ。中層までの話ではあるが」
ヒューマン族とは違い、エルフ族は体内には魔素を操る魔素器官が存在する。これは神経に絡みつくように拡がっており、取り込んだ魔素を魔力へと変換する特殊な器官だ。
エルフ族はその中でも特に魔素器官が発達しており、大気や動植物が含む魔素に敏感な種族である。ヒューマン族には知覚できない、魔素の動きや変質を感じ取ることが出来た。
「なら下層で何かあったって事かしら。私達でも下層の異変までは掴みにくいものね」
「最近、下層で仕事した者はいるか?」
ウィリアムが尋ねたが、誰も返事をしなかった。
「……いないか。ミアの言うとおり、下層で何かあった可能性は高い。中層までに変化がないのならな」
「流石だな、なんだと思う? 思い当たる節はあるか?」
ヴィンセントは前のめりになって尋ねる。
チラリとそちらに目をやって、ウィリアムは思いついたことを口にする。
「まず考えられるのは、下層でリベルタムが大きく変動したこと。住処が追われるぐらいの、大型の魔物が動くような規模だ。最近じゃとんと聞かなくなってたが……」
集まった潜行士達も同意する。
ウィリアムは続けた。
「次はスカルウルフを使役する魔物が発生した。で、そいつが縄張り争いに負けた。もしくはそいつが上層を目指して移動を始めた、スカルウルフはその先遣隊。だが、それならその主も続いて浮上してくるはずだ。聖域でエルランディルの鼻が利かなくなってたとしても、外に出たなら気がつく」
「無論だ。そのような気配はなかった。断言する」
「なら、その線はないな。最後に考えられるのは――」
そこでふいにウィリアムは口を閉じた。
「最後はなんだよウィリアム、どうして黙る」
ヴィンセントが訝しげに先を促す。
しかしウィリアムはどこか躊躇うような顔で、なかなか口を開こうとしない。
潜行士達も戸惑いだし、どうしたのかと顔を見合わせた。
「続けろよ何かあるんだろ? スカルウルフが上層まで追いかけてくる理由がさ」
まるで咎めるような言い方だった。
その気色ばんだ様子は、とてもダンジョンの知識を得たいだけのそれではない。
それを読み取れたのは、仲間二人と師だけだった。
「……いや、たいしたことじゃない。下層で魔素が枯渇したとか、そんな理由だ。私に思いつくのはその程度だよ」
そして誤魔化すような乾いた笑みを見せた。
ヴィンセントはそれを凝視していたが、ウィリアムは努めて無視した。
「すまない、もったいぶるつもりはなかった。少し疲れていただけなんだ。久々に飲んだから酔ったのかもな」
そして降参と言わんばかりに両手を挙げた。
「――なんだよウィリアムー、急に停止するからビックリしたぜ」
「俺んちのプレイヤーみたいだったぜ? 調子悪いとすぐ止まっちまうんだ。あんたも歳だなウィリアム」
「悪かったよ。それに私が何歳になったと思ってるニコライ。他の街ならとっくに年金をもらっていても不思議じゃないんだぞ?」
「エリーに見捨てられないようにしろよー。ボケたら介護してもらわないといけないんだからな」
「お前さん達のおかげで金には困ってない。素直に介護施設に入るよ」
「うわ、マジで爺さんみたいな台詞じゃねえかよ。勘弁しろよな。あんたは俺達の憧れなんだから、最後までカッコよくいてくれよ」
そんなブラックジョークに、ウィリアムはまた一拍の間を置いて、冗談っぽく睨んで言った。
「人には運命がある。それは避けられないものだ。ブルーノ、お前がスザンヌにフラれたのと同じだよ」
「なんで知ってんだよそれ!?」
そうして店内には再び活気が戻った。
潜行士達の話題はダンジョンの異常から日常へ。
もう誰もウィリアムの沈黙を気にしなくなっていた。
カウンターでつまらなさそうにワインを飲み干したヴィンセントと、それに気がついていた仲間達以外は。
「ごちそうさーん。またなウィリアム!」
「気をつけて帰れよ、おやすみ」
最後の客が帰って、『イ・イェフィラ』に残ったのはウィリアムとヴィンセントだけだった。
騒がしい潜行士達がいなくなると、店内は途端に物静かな夜の街と同化する。
まるで天井の照明までも、少し灯りを落としたようだった。
「……」
「……」
残った二人は口を閉じ、大量に積み重なった食器を片付け、散らかったテーブルや床を掃除していく。
アランとエルザイルも、すでに店を後にしていた。
ヴィンセントにはウィリアムと二人きりにする必要があるとわかっていたからだ。
「……なんでだよ」
雑巾でテーブルを拭きながら、ヴィンセントが口を開いた。
「なにが?」
ウィリアムも皿を洗いながら答える。
「言いかけて止めた理由だよ。つまんねえ誤魔化し方してたけど、俺は騙されない」
「本当のことだ。お前達が来て昼寝が出来なかったからな。今も眠くて仕方がない」
ヴィンセントはテーブルを叩いた。
それはヴィンセントが持ち込んだものだった。
「やめろよ! 俺にそんなつまんねえ嘘つくな。なにが昼寝だよ、あんたは二日寝なくてもトロールとやり合える男だろ」
いきり立って睨みつける。
ウィリアムは仕方なさそうに顔をあげた。
「静かにしろ、エリーが起きる。明日も学校だ」
淡々と指摘され、ヴィンセントは一瞬だけ天井に目をやると、ありったけの理性で舌打ちをした。
「……ヴィンセント、私はもう引退した。それはわかっているだろう」
まるで言い聞かせるような声色に、ヴィンセントはますます苛立ちが高まってくる。
「よく言うぜ。俺達の話を楽しみにしてるくせに」
ウィリアムは自嘲気味に笑った。
「そうだな。ヴィンセント達が気を遣ってくれるおかげで、引退してからも潜行している気分が味わえている。感謝してるとも」
「それが満足してる顔かよ」
「……お前も応援してくれただろう」
「あんたがそんな顔しなかったらな。なんだよ、なにかあるなら言ってくれ。俺とあんたの付き合いだろ?」
最後は怒りとは別の感情になっていた。
ウィリアムは少しの逡巡の後、しかし答えようとはしなかった。
ヴィンセントは雑巾をカウンターに投げつけた。
「ふざけるな。まさかあんたが、そんなつまんねえ様になってるとは思わなかった」
そう言い残してヴィンセントは店から出て行った。
ウィリアムは乱暴に閉じた扉をしばらく見つめた後、残った店の片付けに戻っていった。