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1-5 集まる潜行士達

 エイレティアにおいて『イ・イェフィラ』のような家族経営の小さな食堂は、タヴェルナと呼ばれる。


 タヴェルナの特徴は、レストランやカフェよりも客との距離が近いことだ。訪れる客は家庭でとるような食事を求める。家庭的な料理を食べ、店主や店員と雑談をしながら団欒するのがタヴェルナの売りだ。食事が終わればさっさと会計を済ませるのではなく、ワインや果実酒をちびちびと飲みながらくつろぐのが、一般的なタヴェルナの光景だった。


 『イ・イェフィラ』も例外ではなく、夕方から始まる本格的な営業とともに馴染みの客達が集まってきていた。


 しかし他のタヴェルナと少し違うのは、その客層である。


「なんだヴィンセント、今日はエリーの手伝いか? また怒らせるようなことしたんだろ」


「……うるさい。ムサカとパイダキア、さっさともってけ」


 エプロンを着けたヴィンセントが、カウンターの内側から湯気立つ皿を押しやる。


 それらをゲラゲラ笑いながらテーブルに持って行ったのは、ヴィンセント達とは馴染みの潜行士だ。


 店内は陽が沈み切らぬうちから、多くの客達で賑わっていた。


 その顔ぶれはどれも屈強な、酒と煙草が似合う者達である。


「おーいヴィンセント! ピッチャーの水が切れたから足してくれよー」


「それぐらい自分でやれバカヤ――」


「兄さん?」


「……そこにおいとけ。後で持ってってやるから」


 どこから聞きつけたのか、ヴィンセントの情けない姿を一目見ようと多くの潜行士仲間が押しかけてきていた。


 テーブル席だけでは足りず、予備の椅子も出していた。当然、店内は一杯となり利用できる席などなくなっている。しかしダンジョンで野営することに慣れている潜行士達は、壁にもたれかかったり床に座り込んだりしてでもヴィンセントの痴態を肴に飲み食いに興じている。


 その様子は、もはや繁盛というより喧噪に近かった。


 ちなみに、アランとエルザイルは客達に混じって夕食を楽しんでいた。


「エリー、ヴィンセントはいちおう客だ。そろそろ解放してあげなさい」


 結局、買い出しから仕込みの準備まで手伝うことになったヴィンセントである。


 見かねたウィリアムが助け船を出したが、鶏肉でスブラキを盛り付けているエリーは状況をよく理解していた。


「じゃあ義父さん、兄さんが受け持ってくれてるところはどうするの? グリル、義父さんすぐ焦がすよね」


「それは……そうかもしれないが、けどヴィンセントは客だ。反省もしてるだろうし、ここは私の店だろう?」


「私達の店。それにこの人数を私達だけで捌けるわけないじゃない。せっかく兄さんが手伝ってくれるって言ってるんだもの、人の好意は素直に受け取るものでしょう? どうせまだまだくるんだし」


 これにはウィリアムも閉口せざるえなかった。


 『イ・イェフィラ』の店主は間違いなくウィリアムだが、実際に店を回しているのはエリーだった。経理について頑として関わらせなかったが、店頭で出すメニューや味付けはほとんどエリーが担っていた。


 もちろんウィリアムも料理が出来ないわけではない。元ベテラン潜行士として野営することは多く、時にダンジョン内で採れた食材で腹を満たす必要があった。その為に必要な知識は十二分に備えており、調理はお手のものである。


 しかし飲食店の運営となると、てんで駄目だった。


 特にタヴェルナで出す料理は家庭的なものが多く、栄養を摂取できればそれでいいとする潜行士には繊細過ぎた。売り物とするにはエリーの細やかさが必要だった。


 それに、すでに一杯の店内がさらに混雑するのも事実だった。


「よぉーっすウィリアム、ヴィンセント達が帰って来てんだって?」


「ウィリアム、飯食いに来たぞー。お、ミハイルの言ったとおり帰ってきてんな」


「こんばんはウィリアム、エリー。あらヴィンセント、今日はバイトなの? 仕事熱心ね」


 次々とやってくる潜行士達。


 飲食業のノウハウも伝手もなかったウィリアムが店を潰さずにいられるのは、エリーの腕前と彼ら彼女らのおかげだった。


「いらっしゃい。いつもありがとね」


「エリーの作る飯が楽しみだかんな。旨い飯頼むぜー」


 『イ・イェフィラ』があるのは飲食店の多い中央区域ではなく、エイレティアの中では比較的開発の進んでいない東区域だ。駐車場は近くになく、小さな駅から徒歩で向かわなければならない。


 そんな立地の悪いタヴェルナでもこうして集まってくるのは、過去に誰しもがウィリアムの世話になっていたからだ。


 ウィリアムが潜行士を引退した時、多くの者達がそれを惜しんだ。決して現役で続けられる期間が長いとは言えない潜行稼業だが、彼はその中でも群を抜いてベテランだった。かつて組んでいた潜行士パーティは、今でもギルドの伝説となっている。


 しかし何よりウィリアムが偉大だったのは、長い現役生活で培われた確かな技術や知識を、決して自分達だけで独占しなかったことだ。頼まれれば誰にでもそれらを教え、時には助っ人として外部パーティに参加することもあった。ギルドにおけるウィリアムの最も大きな功績は、他と比べて低すぎる依頼と生存の達成率を、著しく向上させたことだろう。


 ゆえに引退して数年が経った今でも、ウィリアムを慕って多くの潜行士達がこの店を訪れていた。


 土産話と、少しばかり膨れた財布と共に。


「ギルド本部の時とはエラい違いだなヴィンセント。余所者連中を追っ払ったあの威厳はどうしたよ」


 昼前、本部での一部始終を見ていた潜行士が声を上げた。


「まさかあの連中も、自分らを説教した潜行士がこうしてエプロンつけてるとは思わねーよな」


「今の姿、見られたら二度と話は聞いてくんないぜ」


 褒めつつ貶す潜行士達に、鼻を鳴らすだけで無視するヴィンセント。


 しかしエリーは興味を持ったのか、注文品を運びながら尋ねた。


「どうしたの? ヴィンセント兄さんがまた何かやらかしたの?」


「エリー、そんなつまらない話は聞く必要ないぞ。お前ら、余計なこと言うな」


「なんでだよ。カッコよかったぜ? アイツらに言い聞かせてる姿なんか、ウィリアムにそっくりだったしな」


「義父さんと?」


「ああ、本部で騒ぎを起こした奴等がいてさ。――あ、大した騒ぎじゃないぜ? 自信満々の余所者が駄々こねてたって、その程度だからさ」


 騒ぎという言葉に眉をひそめたエリーに、潜行士の男が慌てて手を振る。


「なにがその程度だ。あんなガキの駄々一つ止められなかったのはお前らだろうが。情けないのはどっちだよ」


 ヴィンセントの反撃に肩をすくめるしかなかった潜行士達だが、エリーはまだ興味があるらしく、先を促した。


「それで? その騒いでた人達に兄さんはどうしたの?」


「ああ、そいつら北方のギルド出身らしくてさ、ダンジョン踏破の実績があるとかで、研修は受けたくねーって言ってたわけ。仕事でもねえのに魔装具ぶら下げてよ、俺達を誰だと思ってんだーってなわけ。受付のハンナもお手上げでさ、聞く耳なし騎士サー・ミミナシには」


「そこでヴィンセントが颯爽登場ってわけだ! ちょいちょいっと言って聞かされば、子犬みたいに静かになったんだよ。まさに頼れる兄貴分って感じだったぜ」


「……ふーん」


 昼間は強く当たっていたエリーだが、兄と呼んでいるヴィンセントが褒められれば、まんざらでもなさそうな顔になる。


 潜行士達はニヤリと目配せし合った。皆のアイドルが上機嫌になれば、出てくる料理にサービスがつくのを知っているからだ。


 だがそれは、後に立つ義兄も同じだった。


「お前らいい加減にしろ。あれはリッチーに泣きつかれたから仕方なく追っ払っただけだ。人をお節介みたいに言うな」


 水を補充したピッチャーをドカリとテーブルに置いて、ヴィンセントが潜行士達を睨む。


「なんだよヴィンセント、せっかくエリーの前で褒めてやってるのに」


「余計なお世話だ。それに魂胆はわかってるんだからな。わかったらさっさと食って帰れ。エリー、そろそろパイを焼いてくれ。酒を飲み出す奴等が出てくる」


 せっかくのチャンスを不意にされてぶう垂れる潜行士達を無視して、ヴィンセントはキッチンに戻っていく。


 エリーはそれを目で追った後に、潜行士達に手を振って自分も戻った。


「……ヴィンセント兄さん?」


「どうしたエリー。ほうれん草ならカットしたのが冷蔵庫にあるぞ。三段目のナスの隣だ」


 集まってくる潜行士達にからかわれ続け、営業開始からずっと仏頂面だったヴィンセント。


 それは今も変わらない。口をへの字にしたまま、フィロ生地でフェタチーズを黙々と包み、溶かしたバターオイルを塗っている。


「……私、言い過ぎた? なら、ごめんなさい」 


 唐突な謝罪に、ヴィンセントは手を止めて目をぱちくりさせる。自分がなぜ謝られたのか、まったくわからなかったからだ。


 すぐさまバターのついた刷毛を降った。


「違う違う、エリーには怒ってない。あいつらの軽すぎる口にうんざりしてただけだ。気にしなくて良い。俺こそ悪かった、客に飯作る顔じゃなかったよな」


 イッ、と歯を出して冗談っぽく愛想の良い笑みを見せる。


 しかし、エリーの表情は優れなかった。


「どうして褒められたのが嫌だったの? 困った人からみんなを助けたんでしょう?」


「そんな大層な話じゃないからだよ。余所者の連中も引っ込みがつかなくなってただけで、冷静になるきっかけが欲しかったのさ。俺はその役割を押しつけられただけだ」


 なんでもないことだと肩をすくめて、ヴィンセントは残りのチーズを包み始める。


「だから、ウィリアムみたいだって言われたのがむず痒かったんだ。エリーの義父さんは本物だからな、俺とは大違いだよ。だから気にするな」


 汚れていない手の甲でエリーの肩を叩くと、ヴィンセントは使い終わった調理器具を持って洗い場に持って行く。


 その後ろ姿をエリーは曇り顔のまま見つめ続け、全てを見ていたウィリアムは仕方がない奴だとため息をついた。


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