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1-4 昼食と元潜行士


 その食堂はエイレティア東区域、北イミュトス山から流れ、街中央を縦断するケフィアス川へと繋がるレマティス川の側にあった。


 エイレティアが都市化するにつれ、レマティア川は埋め立てられ今では小川程度にしか残っていない。しかし川沿いは緑地公園となっており、住民達にとっては木漏れ日とたおやかな波音が小気味よい散歩コースだ。


 そんなレマティア川を渡る、小さな橋のたもとにその食堂『イ・イェフィラ』はあった。


 古ぼけた白璧の外装は、一見するとただの三階建ての住居にしか見えない。


 片開きで濃い赤茶色の木製扉の上部には、見るからに手作りの小さな看板がある。その脇には簡素な木のベンチが置かれており、散歩途中の老人がよく休憩に使っていた。


 上階にはバルコニーが設けられ、三階には住民の趣味らしい観賞用の花が並んでいた。二階には男性の衣類が昼過ぎになっても干されたままになっている。


 扉を開けると、まずオレンジを練り込んだ焼き菓子が鼻をくすぐる。続いて片隅に吊された香草の香りが混じり、腹を空かせた客をさらに奥へと促すのだ。


 カウンターに設置された小さなレジの横には、お手製のビスケットが詰まった瓶があり、その隣にはすでに空になったウォーマーが灯りを消していた。


 キッチンには使い込まれたオーブンと、家庭用のコンロと冷蔵庫。壁際の棚には酒瓶が並び、店主の思い出の写真と共に客を出迎える。


 吊り下げ式のランプに照らされるのは三つのテーブル席。奇妙なのはどれも造りが違うことだ。理由は店主が開店準備をするにあたり、協力を名乗り出た者達が勝手バラバラに持ち込んだからだ。どの意匠に統一するかで喧嘩になりかけたが、店主は笑って全てを採用することに決めたのだった。


「ウィリアムー、きたぞー」


 そのテーブル席を持ち込んだヴィンセント達が入ってくる。いったん家に帰った彼らは、シャワーと着替えを済ませて小綺麗になっていた。


「おお、来たかお前達。悪いが豆スープとチーズパイぐらいしか残ってない。欲しければ勝手によそえ」


 客用のテーブル席で新聞を読んでいたのは、店主のウィリアム・オットウェイである。


 ウィリアムは長身のヴィンセントに輪をかけて巨漢の男だ。肩幅も広く長い手脚は、小さな店内では窮屈そうに見える。顔は縦長で骨張っており彫りが深い。太くて濃い眉と、鋭いが垂れた淡い青の瞳は彼の歩みをよく表している。ヴィンセントが若い狼であるならば、ウィリアムは乾いた熊のようだった。


「それでも食堂の店主かよ。接客しろよ接客――ってスープ冷え切ってるじゃないか。少しはは温めとくだろこういうのは」


 文句を言いつつもはヴィンセントは慣れた様子でキッチンに入り、スープの入った鍋に火をかけ棚から皿を取り出していく。


 アランとエルザイルは手伝うつもりはなく、ウィリアムの隣に座って食事が出るのを待っていた。


「一週間ぶりぐらいか? よく無事で帰ってきたな」


 二人に尋ねるウィリアムの声色は、その佇まいに相応しい深く穏やかなものだった。


「お陰様でね。エリーは学校?」


「ああ、そろそろ帰ってくる時間のはずだ」


 眼鏡をかけ直し、壁掛け時計に目をやってウィリアムは言う。


「なら二階の洗濯物、早く取り込んだ方が良いんじゃないか? エリーにバレたらカンカンだろ?」


 余ったチーズパイをアルミホイルで包みながらヴィンセントが警告する。


 ウィリアムは困ったように目尻を下げた。


「忘れてたな。エルランディル、代わりに行ってくれ」


「……どうして私が、ウィリアムの下着を取り込まなければならない」


「お前の方が畳むの上手いだろ。シャツにはアイロンを当てておいてくれ。エリーは必ずチェックするから、誤魔化しはきかないからな」


「……まったく、今回限りだ。アイロンはどこにある」


「確か、リビングの隅にあるはずだ。なかったら物置を探してくれ」


 エルザイルは憮然としたまま立ち上がり、二階へと続く階段を上がっていく。


「ぷ、アイロン当てするエルフってなんかウケるね」


 来店早々いいように使われる仲間達を尻目にのんびりするアランだったが、ウィリアムは彼も逃さなかった。


「アラン、お前は皿を洗え」


「え? なんで僕が?」


「タダで昼飯を食べさせてやるんだ、それぐらいの手伝いはしろ。でなきゃ、晩飯に蜂蜜酒は出してやらんからな」


 聞くや否やアランは椅子から飛び降り、すぐさまキッチンに入って洗い場に立った。すぐさま水道から勢いよく流れる水と、食器が重ねられる音が響いてくる。


「ふつう、ダンジョン帰りの潜行士に店の手伝いなんかさせるか? ゼアは店も関係ないじゃないか」


「お前達の来る時間が悪い。次からはもう少し早くに来るか、夕方を過ぎてから顔を出せ。それなら客として扱ってやる」


 鍋をかき混ぜながら言うヴィンセントに、新聞に目を戻しながらウィリアムは空々しく答える。


「俺達がいつ来るのわかってただろ。だからサボってたな?」


「そんなことはない。お前達がいつ、リベルタムから帰還するなんてここにいてわかるわけがないだろ。――ミハイルに教えてもらわない限り」


 悪戯な目を上げてあっさりネタばらしをするウィリアム。


「なんだよ、あいつに聞いたのか。お喋りなヤツだな」


「いくら顔馴染みとはいえ、テントをギルドの施設に預けるのはどうかと思うぞ」


「顔馴染みだからID認証しなかったのはそのミハイルだっての。スープにオレガノ足して良いか?」


「鍋も洗うなら許してやる。セロリは使うな、後でエリーに怒られる」


「客より義娘かよ……」


 ヴィンセントはぶつくさ言いながら、手際よく残り物を遅めの昼食へと変えていった。




「それで? 今回はどんな依頼だった?」


 押しつけられた家事をこなした三人が席に座ると、ウィリアムは読み終えた新聞をレジの横へと投げ置いた。


 テーブルには三人分の湯気の立つ豆スープと、フライパンであぶり直したチーズパイが皿の上でほどけている。


「リベルタム産、ドリュアスの根元に生えたマンドラゴラ五本。多少の擦り傷は認められても欠損は不可。しかも殺さずに呪符での封印のみだぜ? 俺達を殺す気かよってな」


 ヴィンセントがピッチャーから四人分のコップに水を注ぎながら答える。


「そ、僕が呪符を用意したんだ。ゼアは目利き」


 薄いパイを何枚も重ねアランがかぶりつくと、中から溶けたチーズが伸びて垂れた。


「いつもの群生地に行ったのか?」


「そうだ。あの辺りはまだ変わっていない。ドリュアス達の聖域だからかもしれないが」


「懐かしいな。覚えてるか? お前達を紹介したとき、危うくヴィンセントが連れて行かれそうになっただろう。洞から引っぱり出すのに苦労した」


 喉の奥で愉快そうに笑うウィリアム。


 当人は忌々しそうに口をへの字にした。


「年寄りは余計なことしか思い出さねえな。あんたと違って、俺は精霊にもモテるんだよ」


「でもソフィにはフラれたけどね。ウィル、ヴィンスがずっと不機嫌なのはナンパに失敗したばかりだからなんだ。最後は毛虫みたい見られてたんだよ」


「そうか、残念だったなヴィンセント。次がある」


「……邪魔が入らなかったら上手くいってた。彼女は俺に魅力を感じてたんだ」


「どうせすぐ化けの皮が剥がれてたと思うけどね」


「間違いない」


 隙があればここぞとばかりに攻め込む仲間二人に、ヴィンセントはスプーンを突きつけながら叫んだ。


「元はと言えばお前らのストレスが原因だろうが! でなきゃ巨乳の猫耳には世話になってない。アンリは癒やしをくれるんだ」


「――外まで聞こえてるよ、ヴィンセント兄さん」


 スプーンがむなしく宙で固まった。


「お帰り、エリー」


「ただいま義父さん。アラン兄さん、エル兄さん、いらっしゃい」


 気まずげなヴィンセント無視して店内に入ってきたのは、ウィリアムの一人義娘のエリー・オットウェイだ。


 均整の取れた目鼻立ちは、力強くも素朴さが感じられる。やや癖のある柔らかでたっぷりな髪をポニーテールにまとめ、カジュアルなTシャツとスキニージーンズを見事に着こなしていた。


「やあエリー」


「邪魔している」


「ゆっくりしてって。何か食べる? 作るよ?」


 古い付き合いの常連に親しげな笑みを浮かべる。


 ハキハキと声をかけているが、さりげなく後ろを通り過ぎる際にヴィンセントに鞄をぶつけていた。


 慌ててヴィンセントが弁明する。


「エリー、違うんだ」


「なにが?」


 カウンターに入り冷蔵庫を開けながらエリーが言う。


 二人へそれとは打って変わり、引っ叩くような声色である。


「さっきのは、その――冗談、そう! 冗談なんだよ。ちょっとした言葉のあやってヤツなんだ」


「私、別にヴィンセント兄さんがどんなお店に通ってようと気にしないから。どうしてそんなに慌てて誤魔化すの?」


 確認し終えたエリーが背筋を伸ばしてニッコリ笑う。


 その笑顔にヴィンセントは少しも安心できなかった。


「だって、その、怒ってるし」


「私が怒ってるのは、兄さんが外に丸聞こえな大きさで下品なことを叫んでたからよ。兄さんの趣味には怒ってない。そうだ、時間は大丈夫なの? 急いだ方がいいんじゃない?」


「……なんの話だ?」


「お店、早く並びに行った方が良いんじゃない? 巨乳猫耳のアンリさん、人気なんでしょ? 仕事帰りで疲れてるんだから、さっさと癒やされに行ったら?」


 皮肉の波状攻撃に、ヴィンセントはあえなく撃沈する。


 ウィリアムはご立腹の義娘に苦笑しながら、場をおさめるために口を開く。


「エリー、店のことはいいから、まず鞄を置いてきなさい。手伝いも夕方からでいい。それまでは外で遊んできなさい」


 そんな義父の仲裁に、エリーは冷ややか笑みをそのまま向けた。


「そう? じゃあ仕込みは義父さんがやってくれるのね? 冷蔵庫空っぽだけどなにを仕込むの? 買い出しのリストはもう出来てるの? 新聞読み終える時間はあったんでしょ?」


「――どうしてそれを……」


「今日の朝刊、そこに置いてあるけど。スープもヴィンセント兄さんに準備させたみたいだし、洗い物はアラン兄さんにやらせたよね。どうせ洗濯物はエル兄さんなんでしょ?」


「いや、だから、それは今からやろうと思ってだな……」


「兄さん達に仕事の話を聞いてたのに?」


 ほんの僅かな時間で全てを見抜かれた義父は、かつての弟子と同じく撃沈する。


 口の立つよく似た師弟は、その背中を見て育った少女の前には形無しだった。



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