2-17 御柱会議 ③
シルヴァの一件以降の会議はつつがなく進んだ。
セオドロスは各組織にエフォリアの製造元を突きとめる協力を要請し、彼らはそれを了承した。
セオドロスは会議の結果にひとまずは満足していた。
少なくとも組織を動かす地位にいる者達の中には、エフォリアを街に流した犯人はいなかったからだ。
「……済まないが、先に失礼する。具体的な協力については、後ほどこちらから改めて連絡する」
「承知した。まずは傷を癒やすといい。私も部下達には連合に手を出さないよう指示しておく」
ルシアンは頷き、鳥人族に支えられるようにして神殿を出て行った。
騒ぎを起こしたシルヴァは、サマリス家だけでなくその場にいる全てのヒューマン族を一瞥すると、足を引き摺るようにして後に続いた。
扉が完全に閉まっても、他の組織の者達はその場に残り続けている。
これはひとえに、安全上の問題だった。
観柱会議は表向き、五大組織の協力によって運営されている。
しかし元はと言えば、互いに血で血を洗うような抗争をしていた者達だ。
暴力が禁止されているのは神殿内だけである。
外に出た瞬間、女神の力は失われる。他の組織の力を削ぐには、各代表が集まる柱会議は格好の的だ。よって会議はその始まりから、他の組織が神殿のあるエイレポリスを離れるまで次の退室を行わなかった。
この監視はギルドによって行われており、安全の確保が確認されると職員が扉を開く手はずになっている。
「しかし、セオドロス殿はずいぶんとルシアン卿を信用なさっているのですね。あの狼藉を区域の開放だけで済ませるとは」
連合が退席すると、コンラッドが親しげに話しかけてきた。
しかしその口調は、まるで勿体ないとでも言いたげである。
「ルシアン卿の誠意は女神に保証されている。彼を信用しないのは女神を信用しないのと同じだろう」
「それはそうですけど、しかしやはり危険ではないですか。心臓を潰されてもなお動けるのですよ? いざとなれば我々を皆殺しにしてもおかしくはない。せめてなにがしかの制約はつけておくべきでは?」
物騒な言葉でもなお失わない軽妙さは、本当に危機感を持っているのか疑わしくなる。
「もし本当にその気なら、彼はすでに我々を殺しているだろう。――コンラッド殿が黙って受けいれるのであればの話だが?」
セオドロスがそう言ってじっと見据えると、コンラッドは舞台役者のように両手を肩まで挙げる。
「もちろんその時は全力で逃げますよ? しかし私が言いたいのは、せっかくの取引材料を不意にしてよろしいのですか、ということです」
「私は取引に来ているのではなく、街の為に来ている。ルシアン卿がエイレティアの為に尽くすのなら問題ない」
ルシアンは連合の名前でエフォリア撲滅に同意した。
これで少なくとも、連合は組織として動かざる得ない。仮にエフォリアを作ったのが連合だったとしても、行動に制限をかけることは出来たし、責任は事が済んだ後でも構わない。
「では本当に、セオドロス殿は連合がエフォリアに関与していると考えておられるのですか? だとすれば、彼らを先に帰しても良かったのでしょうか。私なら急いで証拠隠滅を図りますけど」
「それは問題ない」
セオドロスは焦りもなく答えた。
「どうしてです?」
「すでに部下を配置してある。監視もつけた。現地の信用できるエイレティア人にも声をかけている。何かあればすぐにわかる」
「なんと、先に手を打っておいででしたか。これはお見それしました」
「それに連合が関与していようがいまいが、私にはどちらでもよいことだ」
「あれだけ亜人連合の不利になるような証拠を出しておいてですか? ……興味深いですね。よろしければ、セオドロス殿の心意をお聞かせいただけるでしょうか」
好奇心を止められない子供のように、コンラッドは目を輝かせて尋ねる。。
セオドロスは腹の内が読めない西区域の代表と向かい合った。
揺るぎない意志と、荒れ狂う海のような怒りを瞳に漲らせて。
「私が、アリアナを殺したエフォリアを断じて許さないからだ。連合が無実なら、次は別の者を疑う。別の者が無実なら、また別の者を。そして最後には必ず犯人を突きとめ、エイレティアに悪をばら撒いたことを後悔させる。私はこれを女神に誓った。そして誓いは、必ず果たされるだろう」
女神の叱責はセオドロスに現れなかった。
侮辱に憤激したイアソンや、無礼な同胞を窘めたルシアンには現れたのにである。傍から見ればセオドロスには女神の加護があり、その寵愛を受けているように思えただろう。
しかしそれは違う。
セオドロスの怒りが、二人のそれとは別種だったからだ。
「……素晴らしい郷土愛です。このコンラッド、感服致しました。カンパニーは欽慕を示します。我々がノノス・セオドロスの篤志に相応しい隣人であることを、必ずや証明して見せますよ」
暗にお前も疑っていると言われたにもかかわらず、コンラッドはいたく感銘を受けたかのようにセオドロスを賞賛した。
そして契約を結ぶ時のように、その右手を差し出す。
セオドロスはその手を握った。
「感謝する、コンラッド殿」
するとコンラッドは残念そうに眉を下げた。
「おや、まだ私をクリストスとは呼んでくださらないですか。まあいいでしょう。それはいずれのお楽しみと致しましょう」
次に扉が開かれた時、コンラッドは満足げに挨拶をして神殿を後にした。
そして彼がエイレポリスから完全に離れるまで、神殿内では誰も口を開かなかった。
正確にはコンラッドが立ち去った後、ガムテープを巻かれた若者がセオドロスに近づこうとしたが、実直そうな男に捕まりバタバタしていたぐらいである。
その間もずっとパーシヴァルは沈黙し、決してセオドロスと目を合わせようとはしなかった。
しかしそれはセオドロスを敵視したり、嫌悪しているからではなく、ただ単に必要ではないからそうしているだけのようだった。パーシヴァルは次に扉が開かれるまでの間ずっと、柱を背に目を閉じて待機していた。
セオドロスもそれに不満を覚えたりはしなかった。
必要なのは約定を守ることだ。
和平協定以降、街のことは全てパーシヴァルに任せると言って不在を続けるワイルドハントのリーダーも、彼には全幅の信頼を置いているようだった。
そして現に、観柱会議で定められた約定を彼らは遵守している。時折部下達の間で小競り合いが起こっても、組織としてワイルドハントが明確な敵意を示したことは一度もなかった。
そして扉が開かれると、パーシヴァルはそのまま足早に神殿を後にした。
「ンー!」
すると彼に従って出て行こうとしたガムテープの若者が、振り返りセオドロスに向かって手を振った。
「ヴァニタス、余計な事をするなと言っただろう!」
慌てて実直そうな男がヴァニタスと呼ばれた若者を叱りつける。
しかし若者は不満そうに顎を突き出し、口に巻かれたガムテープを指さした。
「ンー!」
「当たり前だ。お前を野放しにして面倒事が起きないわけがない。……まったく、どうしてパーシヴァルはお前を連れてきたんだ。別にアーリアでもマルコでも良かっただろうに」
そうして男は若者の場違いなアロハシャツの襟を掴むと、また引き摺るようにして神殿から出て行った。
コンラッドとはまた別の意味で騒がしい者達だった。周囲の環境を全く意に介さないマイペースさは、なるほど部下達の言ったとおりの奇天烈さである。
しかし彼らもまた、常人ではない戦闘能力を有している。パーシヴァルの私兵部隊であるブラッグドッグは、数こそ少ないが一人ひとりが一騎当千の危険人物達で構成されている。サマリス家の最大戦力であるセオファニスですら、多対一では彼らを仕留めることが出来なかった。
秩序とはほど遠い多様な面々がいなくなると、ようやく神殿に息のつける静けさが戻ってくる。
次に退室するのはセオドロス達サマリス家だ。
ギルドはその中立な立場として、最後に神殿を出ることが決まっている。
いつも通りであれば、すぐにでも職員が扉を開けるだろう。ワイルドハント――パーシヴァルは時間を無駄にするような人物ではない。
セオドロスは残りの僅かな時間を、おおよそ目論見通りに事を運ばせてくれた女神に感謝を捧げることに使うことにした。
すると、会議の結果に不満をもっているらしいイアソンが近寄ってきた。
「父さ――」
セオドロスは目だけで黙らせる。
そしてイアソンの後に佇むマクシムを一瞥しその存在を示す。
イアソンは眉を顰めて意味がわからないようだった。しかし父親が警戒をしているのは理解したので、その指示には従った。
セオドロスはため息をつきそうになるのを堪えなければならなかった。
どうにもこの長男は、エイレティアへの想いこそ受け継いでいるが詰めの甘いところがある。ファミリー以外の者がいる場では気を抜くなと口酸っぱく言ってきたが、わかりやすい敵以外に無頓着になるきらいがあった。
「セオドロスさん、本日はお疲れ様でした。昨日の今日で再会することになるとは思いませんでしたが、実に有意義な経験を得ることが出来ました」
他の組織が去るのを待っていたかのように、そのマクシムが声をかけてきた。
クラウスは彼を止めるつもりがないようで、苦々しげな表情のまま静観している。
「……それは良かった。私も、君が会議に参加するとは思わなかった。これからもそのつもりなのかな?」
セオドロスの問いに、マクシムは笑顔で答える。
「もちろんです。このエイレティアで仕事をするうえで御柱会議は最も重要な会議ですからね。ギルド長にも認めていただきましたから、今後とも宜しくお願い致します」
そのギルド長はとても認めているような顔をしていないが。
「こちらこそよろしく頼む。ギルドはもはやエイレティアになくてはならないものになった。その未来を担う有望な若者は、私としても歓迎したい」
「そのご期待には必ず応えますよ。もっとも、カンパニーを統べるクリストファーさんと比べられると僕も困ってしまいますけどね」
隣に立つイアソンが訝しげにマクシムを見下ろしているのがわかった。
イアソンの困惑も理解できる。
目の前に立つマクシムという若者は、それほどエイレティアに似つかわしくない風貌をしていているからだ。
線も細く、利発そうではあるがそれまでの、どこにでもいそうな普通の若者にしか見えない。他の五大組織の面々に比べると、同じ空間に並ぶことすら場違いに思える。貴族での優秀なお坊ちゃん、そんな言葉が良く当てはまる風貌をしている。
しかしだからこそ、この若者は警戒するべきなのだ。
マクシムはアリアナの写真や目の前でルシアンの力を間近で見たというのに、怯えるどころか動揺している様子もない。
「君は今回の件についてどう思った?」
「実に嘆かわしい事件だと思いました。エフォリアは一刻も早く街から排除しなければなりません。この街にはまだ来たばかりですが、僕はもうこの街が大好きになりましたから」
「外から来た若者がそう言ってくれるのは私も嬉しい。ぜひ、その力を街の為に役立ててくれ」
「もちろんです。微力ではありますが、協力させていただきたいと思います」
このまま当たり障りのない答えしか引き出せないと考えたセオドロスは、少し踏み込んで見ることにした。
「――聞けば、君は引退した潜行士に教師のようなことをさせているとか。君がこの街に来たのは潜行士の死亡率を下げるためだったね、それもその一環かな?」
「そうなんです。昨日も言いましたけどエイレティアは
潜行士の楽園と呼ばれていますが、日が浅い分ノウハウの蓄積が少ないが実情です。なんと言っても、潜行士は個人事業主ですからね。なかなか他の人に自分の経験や知識を伝えるのには抵抗感がありますから」
「その対策として、引退した者を雇用していると?」
「本やネットの知識で経験を補うのは難しいですから。特に大ダンジョンは現場でなければわからないことが大半です。彼はその点では貴重な人材でしたから、是非にとお願いしたんですよ」
「ずいぶんと足繁く通ったと聞いている。何が君をそこまで熱心にさせるのかな?」
その問い掛けに、マクシムは恥ずかしそうにはにかんで答えた。
「僕は潜行士が好きなんです。それだけで充分ではありませんか?」
そこから当たり障りのないやり取りだけして、セオドロス達はバルテアノ神殿から出た。
神殿の外に出ると、燦々と降り注ぐエイレティアの太陽に目を慣らさなければならなかった。
青々とした空はどこまでも拡がっており、白色の地面からは眩い照り返しがセオドロスの瞳をさした。
そして目が慣れた頃に見える、愛するエイレティアの街並み。
まるでそこには、人を怪物に変える薬物や組織間の権謀術数など存在しないかのようだった。
「父さん、あのエンデって奴の何を気にしてるの? 父さんが警戒するような男にはとても見えなかったけど」
周囲がファミリーの者だけになると、すぐさまイアソンが疑問を口にする。
パトリツィオも、口には出さずとも義兄と同じ疑問を持っているようだった。
「……そうだな。そうかもしれん」
曖昧な返事にイアソンもパトリツィオもますます困惑する。
セオドロス自身、マクシムを警戒するのは直感の域を出ていないからだ。神殿内でのやり取りは嘘をつけない。受け答えも淀みなく流暢で、あの若者からは誤魔化す人間に現れる気配がまるでなかった。
動揺がなかったのも、潜行士と近いギルドの人間であるからかもしれない。ダンジョンに潜む魔物は常軌を逸した存在ばかりだ。そのような死体も見慣れているだけかもしれなかった。
「お前達はあのマクシムについてどう思った?」
そう尋ねると、二人は困惑したまま父の問いに答える。
「どうって……裕福な家のお坊ちゃん?」
「私も似たようなところです。そうですね、マルコスに似ていると言えば似ているでしょうか。どちらもまだ若く有望で、才能も行動力もある」
自分の三男に似ている、それはセオドロスにもしっくりくる感想だった。
そう考えると、二人の違いは外の者かどうかででしかない。
外の者と戦ってきた経験が、マクシムに対して穿った見方を促しているだけなのだろうか。
そこまで考えて、セオドロスはマクシムへの疑念をいったん脇に置いておくことにした。
今は直観よりも、対処しなければならない問題が目の前にある。
「……ニコとダミ、それから東区域に向かわせた者達に連絡しろ。御柱会議に従い、連合とは協力関係となった。エフォリアを排除するまで、こちらからは連合に手を出すなと」




