2-16 御柱会議 ②
「おや、おやおやおや、これは実に興味深い」
つるりとした顎を撫でながらコンラッドが言う。
セオドロスは無用な間を与えずに情報を公開していく。
「すでにザルガスを含む売人メンバーは我々で処理している。全てはアギヌス内で起こり、協定には抵触しない」
本来であれば証拠を示さなければならない事実だが、ここは女神の神域である。
言葉そのものが真実であり証拠となった。
「ザルガス達がどのような手段でエフォリアを入手したのかはわからない。襲撃した際に抵抗し、聞き出す余裕はなかったそうだ。だが、潜伏していたアパートにはエフォリアが山積みされていた。分析と警告にいくつか残し、あとは全て処分している」
「ここに現物はあるのですか?」
「もちろん用意している。――パトリツィオ」
エフォリアのサンプルを組織の面々に手渡し、反応を見る。
反応は様々で、興味深げに眺める者、どうでも良さそうに部下に渡す者、じっと見つめる者である。
「なるほど、大陸でよく使われるタイプですね。エイレティアでは粉末型が多いので、風邪薬とでも言えばわからないでしょう」
コンラッドの言葉はセオドロスには新鮮だった。
外の土地に出たことがないセオドロスには、他でどのような麻薬が出回っているかを知らない。それらの類いは持ち込まれた段階で排除に動いていたので、世界でどの程度の種類が流通しているのか検討もつかない。
興味深そうにしているコンラッドも、目新しいというより新鮮さを感じているようだった。
「それで? ルシアン卿はこのエフォリアについて何かご存じなのでしょうか。もちろん、シルヴァ殿でも構いませんが?」
人当たりの良い笑みを浮かべたまま、コンラッドが連合に向かって尋ねる。
それは疑惑をかけるというより、無邪気な質問のようにも聞こえた。
「……私は何も知らない」
ルシアンは端的に答え、仲間の人狼に目をやる。
「もちろん、俺も何も知らない。エフォリアなんざ初めて聞いた」
「ザルガスという人狼については?」
セオドロスが直接尋ねる。
「ゾグリフォウのザルガスならもちろん知ってる、同胞だからな。故郷が同じってわけじゃないが――ああ、同胞だからって復讐しようとは思ってないぜ。アイツは街のルールを破っちまった。報いは受けるもんだ」
そう軽々と言ってのけるシルヴァに苦痛を耐える様子はない。どうやら本心を述べていることは間違いないようだ。わざとらしく立てた耳を動かしている。
同胞が売人として処刑されたというのに、庇うばかりか歯牙にもかけない様子だ。
「どの程度までザルガスの事は知っている?」
「知ってるのはアイツが北方出身ってのと、街では修理工をやってたってことぐらいだ。若い世代はあまり組織と関わりたがらない。俺も、ザルガスとは顔見知りってだけで肉を分け合う仲でもなかった。けど、売人をやってるなんて想いもよらなかったぜ」
最後のは人狼特有の言い回しだろう。親密ではないと言っているようだが、これも真実のようだ。
しかしよく喋る、そうセオドロスは思った。
「人をこのような姿に変える薬物については?」
「聞いたこともない。なんなら、女神様に誓ってもいいぜ?」
背後で大きく息を吐く音が聞こえた。
どうやら女神の怒りに触れぬよう、イアソンが心を落ち着かせようとしているらしい。
気持ちはわかるが、あからさまにはしないよう背中で組んだ手で注意する。
「――協力者の話では、エフォリアには人狼の秘薬が流用されている可能性が高いという。ザルガスの故郷の秘薬で、身体を活性化させる薬だとか」
ザルガスは鼻先をさすりながら答える。
「確かに人狼にはその手の薬はごまんとある。けどそれは俺達人狼族にしか効果はねえし、ヒューマンが使ったってただの毒にしかならねえだろうよ。ザルガスの薬がどんなもんかは、俺は知らねえけどな」
概ね、報告されたオルベーンとかいう協力者となった人狼と同じ意見だ。
ザルガスには何かを誤魔化すような仕草もなく、女神の叱責を受けているような様子はない。
とても御柱会議に出席しているとは思えないリラックスぶりを除けば、関与を疑うのが難しいほど流暢な答弁だった。
セオドロスはひとまず連合への質問を終えて、他の者達の意見を促すことにした。
「ではコンラッド殿、あなたはこの手の薬物にも知見があるようだ。エフォリアのような薬物は、海外にはよくあるものなのか?」
「そうですねえ……――色々とありますが、私の知っているものはどれもコストが掛かり過ぎますね。製法が失われたモノもありますし、用意しろと言われれば出来ますけど、かなりの予算は頂戴することになるでしょう」
この意見はかなり参考になった。
外では金を積めばエフォリアのような薬は用立てすることが出来る。
しかし、仮に仕入れる伝手があったとしても、ザルガスのような末端の売人如きにカンパニーの頭取が求める予算など掻き集められるはずがない。
またそれほど希少なら、エイレティアではなく自分達で利用するはずだ。チンピラ同然の売人に卸すとは到底思えない。値を吊り上げる為に流通は最小限に抑えるだろう。
であるにも関わらず、ザルガス達はかなりの量を所持していた。
つまりこれは、エフォリアが外から持ち込まれたのではなく、エイレティアで作られた事を意味するのではないだろうか。
それとも、まだコンラッドが知らないだけで安価で大量に製造できる方法が見付かったのだろうか。
どちらにしても、敵の輪郭が見えてきたような気がした。
「ではパーシヴァル殿に尋ねたい。エフォリアが魔物を使っていることは間違いない。エイレティア付近で、そのような魔物に心当たりはあるか?」
この場にはギルドの人間も参加しているが、セオドロスはあえて沈黙を続けるワイルドハントに質問を投げかけた。
「薬の素材に仕える魔物で、エイレティアで入手出来る物であればいくつかある。モーリュ、マンドラゴラ、魔素を吸ったベラドンナやヒヨスあたりが容易に採取出来るだろう」
油断のない顔つきのまま、淡々と列挙していくパーシヴァル。
それらはエイレティアの住民ならば誰でも知っている魔物の類いだ。
古代の伝承で魔女が煎じる薬の素材として登場する。
「容易? それは潜行士や冒険者ならば誰でもということか?」
「そうだ、リベルタム大森林と霊峰ウィミンの中層までに広く生息している。危険度も低く、依頼にかける審査も軽い。入手するだけなら誰にでも出来る」
ガムテープを巻かれた若者が感心したように拍手をした。
神殿内に、乾いた音が居心地悪く拡がっていく。
すぐさま実直そうな男に首根っこを掴まれ、柱の裏に引き摺られていく。
パーシヴァルは何も言わなかった。
「製法についてはどうか。コンラッド殿は失われたものはあれど、用意は可能だと言った。君はどう考える」
「我々には必要のないものだ。存在は知っているが詳細については皆目見当もつかない。……その手のことは、ギルドの方が詳しいだろう」
暗にワイルドハントが無関係だと述べ、パーシヴァルは話題の矛先をギルドへと向ける。
セオドロスも仇敵の言葉はもっともだと考えた。
もしエフォリアがエイレティアで作られたならば、魔物の調達も付近のダンジョンで済ませるはずだ。エイレティアの物流はサマリス家が握っており、管理は徹底されている。街を害するのに足がつきやすい真似はしないだろう。
だが物流はともかく、人流とダンジョン産業に関してはギルドの管轄だ。
セオドロスは振り返り、祭壇横に控えていたギルド関係者に尋ねる。
「ということだが、ギルドにはエフォリアのような薬物に関しての情報はあるか?」
ギルド長のクラウスが目をやると、マクシムは微笑みながら手で任せると促した。
「ギルドには確かにエフォリアに似た魔術薬の製法を記した書簡が存在する。だが閲覧には私を含め複数人の許諾を得なければならない。ここ数年、そのような許可を出した覚えはない」
「魔物に関しては?」
「ワイルドハントが挙げたのはギルドでも取り扱いの多い植物性の魔物ばかりだ。海外を含め、多くの需要がある。だがエイレティア支部発足からの依頼は全て記録されている。今すぐには出来ないが、調査し不審な点があれば報告しよう」
流石に現場上がりの元潜行士である。パーシヴァルが列挙した魔物がどういう扱いかをすぐに答えた。
何か追加する必要があるかと、クラウスは再度マクシムに目を向ける。
マクシムは微笑を崩さず沈黙したまま目を伏せた。
「では同時にエフォリアを精製出来そうな調合師や薬剤師を探して欲しい。我々も解析をしているが、人手は多い方が良いだろう。使われた魔物や精製方法を割り出せば、そこから得られる情報は多い」
「承知した。サンプルはギルドのラボに届けてくれ。信用できる潜行士にも聞き取り調査を行い、ダンジョン内で不審な採取がなかったかも調べる」
「感謝する。では、ひとまずエフォリアへの対応は――」
「そんなまどっろこしいことしなくてもよ、その死んだヒューマン族の女の死体を調べれば良いじゃねえか。そっちの方が早いし簡単だろ?」
セオドロスは口をつぐみ、まとまりかけた流れを壊した張本人へと顔を向ける。
シルヴァは柱に寄りかかりながら、見たままわかる不適な笑みを浮かべていた。
女神が喉の奥に触れるのを、セオドロスは感じた。
「……シルヴァ」
ルシアンの制止を無視して、シルヴァが挑発を続ける。
「あんたのことだ、まだ女の死体は埋めちゃいないんだろ? あんな化け物になっちまったんだ、親に見せられるものじゃない」
固い神殿の床に膝をつく鈍い音が鳴る。
振り返るとイアソンが心臓を抑えながら、歯を食いしばりシルヴァを睨みつけていた。
女神の力と怒りで顔はどす黒く紅潮し、神力に押さえ込まれていなければすぐにでもシルヴァに飛びからんとしていた。
セオドロスは努めて平静に、長男を諭す。
「イアソン、落ち着け」
「そうだぞ落ち着けよ。俺は街の為を思って進言したんだぜ? 見ろ、その証拠に俺は女神様から何のお咎めも受けてねえ」
両手を拡げて無事をアピールするシルヴァ。
今度こそハッキリとわかる嘲笑を浮かべながら、またセオドロスに向かって口を開く。
「……シルヴァ、やめろ」
ルシアンが再度注意するが、やはりシルヴァは聞く耳を持たずに無視して続ける。
「どうなんだよノノス。女の死体は解剖しないのか? それとも、やっぱり同胞の死体は弄れねえか?」
その安い挑発に答えるには、セオドロスといえど気を静める時間が必要だった。
「――彼女の亡骸は奪われた。昨夜のことだ」
シルヴァはますます愉快げする。
「なんだよそりゃ! 天下のセオドロス・サマリスも老いたか? 同胞の死体一つ守れないなんてよ」
「襲撃犯は人狼族だと報告を受けたが?」
「へ、どうせ報告を受けただけで、本当のことかどうかもわからねえじゃねえか。大方、ヘマした部下が俺達のせいにしたんだろ。エフォリアが俺達の薬を使ってるってのも、怪しいもんだぜ」
「ここは女神の神域だ」
「それは嘘をついていないってだけだ。あんたは真実だと思っても、それ自体が間違いだったら確かめようがねえ。協力者ってのはどこのどいつだ? どうせ俺達亜人を蔑んでる連中の誰かなんだろ?」
「協力者の名前は、保護の観点から教えることはできない」
シルヴァはザルガスの名前と顔を知っていた。
連合が関与していた場合、オルベーンの名前を出せば必ず粛正されるだろう。暴挙の目的がわからない以上、これ以上は情報を開示しない方が得策に思えた。
セオドロスの返答が面白くなかったのか、シルヴァは不愉快げに鼻先に皺を作る。
「ほら見ろ、何が御柱会議だ。街の為だなんだと言いつつ、俺達に隠し事をしてるじゃねえか。どうせ今回の会議も、俺達亜人を陥れる為に仕組んだんだろ」
神殿内はシルヴァの独断譲渡なり、他の組織は誰も止めようとしない。
コンラッドは演劇でも観ているかのように興味深そうに眺め、パーシヴァルは相変わらずの無表情のまま我関せずといった態度である。
「答えろよヒューマン。あんた、最初から俺達を疑ってたんだろ? なんだかんだ理由を付けて、俺達亜人を縛り付けるために会議を招集し――」
今度はシルヴァが言葉を遮られる番だった。
だがそれは、セオドロスやイアソンではなく、ましてや女神の力でもない。
シルヴァの身体が、突如として大量の影に飲み込まれたからだ。
その影はまるで波のようにシルヴァの強靱な肉体をさらい、左手の壁に叩きつけた。
「……いい加減にしろ。シルヴァ、お前の言動は我々に不利益を齎す。そのような態度が、我々亜人の苦難を伸ばしていると、なぜわからない」
シルヴァをさらった影は形を変え、ルシアンが中から現れた。
紅い瞳が煌々と輝き、感情に反応した魔素が陽炎のように身体の周りで揺れている。
「……へ、あんたがだらしねえから、代わりを務めてやってんだろうが」
頭領に壁に叩きつけられてもなお、シルヴァは憎まれ口をやめなかった。
処置なしと判断したのか、ルシアンはもう一人の鳥人族にシルヴァを任せ、セオドロスのところまでゆっくりと歩いてくる。
すぐさまパトリツィオとイアソンが庇うように前に出るが、セオドロスはそれを制した。
ルシアンの口の端から、瞳と同じ色の血が流れていたからだ。
女神の怒りによって、暴力を冒したルシアンの心臓は握りつぶされていた。
「……同胞の侮辱を、心よりお詫びする。連合はこの件に関して、全面協力を約束する。他にも条件があれば、全て受けいれよう。それでもって、此度の非礼を許して欲しい」
そんな頭領の申し出に、シルヴァは黙ったまま忌々し気に顔を逸らした。




