2-15 御柱会議 ①
御柱会議には着くべき席はなかった。
机の下の企みも、柱の陰に紛れる謀りも、女神の前では許されない。語りえる為政者は身一つで女神の前に姿をさらし、街の為の言葉を発さなければならなかった。
女神の前で行われる政は祭事と同じである。
祭主であり会議の発起人のセオドロスは、ゆえに祭壇の前に立ち、招集した五大組織のリーダー達を見渡した。
「まず始めに、本日は急な招集にもかかわらず、会議に参加してくれたことに礼を言う。五大組織の面々が一堂に会せたことを女神に感謝し、エイレティアに現れた悪に対する会議を、南区域のサマリス家からセオドロス・サマリスが執り行う」
セオドロスは向かって右側の柱列に顔を向ける。
「西区域のカンパニーからはクリストファー・コンラッドが参加している。大企業の頭取として、多くの知見に期待する」
一番に紹介されたコンラッドは一歩前に出て、大仰な一礼を見せた。
「次に、北区域のワイルドハントからパーシヴァル・クラガ。多くのダンジョンを攻略した冒険者として、豊かな発想に期待する」
名を呼ばれた大柄の男――パーシヴァルが会釈をする。
パーシヴァルはワイルドハントのリーダーではない。しかしパーティの参謀として、北区域の実質的な運営を担っていた。眉間には常に深い皺が寄り、濃い眉と目元が特徴的なスキンヘッドのヒューマン族である。冒険者だけあって身体もよく鍛え上げられており、抗争時には兵の運用に度々辛酸を舐めさせられた仇敵でもあった。
パーシヴァルの背後には二人の部下が控えている。なぜかその一人は口にガムテープが巻かれているが、セオドロスは特に追求しなかった。
おそらくパーシヴァルの私兵部隊ブラッグドッグのメンバーなのだろう。セオドロスは直接相対したことはないが、抗争時に戦った部下達からは奇天烈な面々であると報告を受けている。
いつもは別の者が護衛についていたが、今日は不在のようだ。ガムテープを巻かれた癖毛の若者を連れてきたことは不本意だったようで、もう一人の実直そうな部下は迷惑そうに顔を顰めていた。
「次に、東区域の亜人連合からルシアン・ドラゴミール。深く結びついた連合の情報網に期待する」
セオドロスは左手の影に向かって言った。
天蓋から降り注ぐ光は、神殿内の全てを照らしているわけではない。並び立つ石柱の隙間にも影は産まれている。
その影の中に彼は立っていた。
光を吸い込むような黒衣を纏い、金具も装飾もなく、一切の余分を拒んだ装いをしている。暗闇にこそ溶け込んでいるが、陽の下にではむしろその異質さが浮き彫りになるだろう。
「約定に従い、連合は協力を惜しまない」
連合の頭領はほとんど口を動かさず、静かで低い声色で答えた。
彫像のような無表情は近寄りがたさがあるが、それでも品があり優美に見えるのは実際に貴族の生まれだからだろう。均整の取れた体躯はほどよく引き締まっており、服装も相まってモデルのように見えた。しかし鋭い真紅の瞳、凍り付いたような青白い肌はそれだけで異形であることを伝える。
一見すると高貴な生まれのヒューマン族にしか見えないが、ルシアンはヴァンパイアという吸血人種である。
ヴァンパイアは特異な魔素器官を持ち、純粋な戦闘力だけで言えばヒューマン族を大きく凌駕する。女神の聖域でなければ相対とはすなわち死を意味するほどだった。
ルシアンは他にも亜人を連れてきていた。
一人は鳥人族の女性で、隼のような翼を持っている。そしてもう一人は、今回の件に関わりのありそうな人狼族だった。
獣人種はヒューマン族にとって顔でどこの誰であるかを判断し辛い。あの人狼が誰なのかはセオドロスにはわからなかったが、人狼族の中でも高位の立場なのだろう。
「そして中立な立場として、神官長のリュマシケ、ギルド長のクラウス・ギースベルト、そして――」
そこでセオドロスは言葉を切って振り返る。
するとこの場で唯一初参加である若者が進み出た。
「マクシム・フォン・エンデと申します。ギルドでは管理官補佐を務めています。後学のため、今回の御柱会議に参列させていただきました。若輩者ですが、今後とも何卒宜しくお願い致します」
ハエ一匹殺せなさそうな笑みで挨拶をするマクシム。
彼が参加するとセオドロスが知ったのは、まさにこの場にマクシムが現れた瞬間だった。ギルド側からこのような変更は報告されておらず、突発的な参加であるとわかる。ギルド長のクラウスは苦々しげな表情を隠しておらず、彼の意志で参加させたわけではないのだろう。
この御柱会議は、後学などという口実で参加できるほど安くはない。つまりこのマクシムという若者は、今後のエイレティアにおいて、その中枢に潜り込むと宣言したに等しい。そしてそれを実行できるだけの立場と権力を、ギルド内で握っていると宣言したも同義だった。
他の五大組織の面々は流石に動じる事なく、黙ってマクシムを受け入れていた。もしかするとサマリス・ファミリー同様に、他の組織にも挨拶に出向いていたのかもしれない。
厄介な種がまた一つ増えたと、セオドロスは頭の痛い思いだった。
この若者は普通ではない。
エイレティアに来てまだ一年は経っていないはずだ。それでいて御柱会議に自分をねじ込み、ギルド長に拒否させなかった。この若さでそれが実行出来るのは、よほどの後ろ盾と実力がなければ不可能である。
側に控えているパトリツィオに目配せし、マクシムへの警戒を強めるように指示をする。
パトリツィオは黙ったまま、目だけで静かに頷いた。
「――では、さっそくだが会議を始める。初めに言っておくが、この会議は女神との契約の下に行われる。すでに儀式は済み、この神域には女神の加護が働いているということを忘れないように」
しかし今は、マクシムよりも重要な案件がある。
セオドロスは意識を切り替えて、会議を始めた。
「エイレティアに現れた悪とは、エフォリアという新種の薬物のことだ。詳細を事前に知らせる事が出来なかったことをお詫びする。なにぶん、我々が事態を把握したのが昨夜のことだったからだ」
セオドロスは注意深く集まった者達の顔色を観察する。
ほんの僅かな変化も見逃さず、この中の誰が事前にその名前を知っていたかを把握するためだった。
「エフォリアがただの麻薬ならば、君達を招集することはなかった。エイレティアが開かれてからというもの、邪な者達が後を絶たないからな」
「では、そのエフォリアなる薬物はただの麻薬ではないのですね?」
興味津々、という顔でコンラッドが尋ねる。
危機感も何もない口調だったが、それはいつもの事だった。
前置きはこの程度にして、セオドロスは率直にエフォリアについて口にすることにした。
「そうだ、エフォリアはただの麻薬ではない。エフォリアはヒューマン族を異形の姿へと変貌させることがわかった。この写真はエフォリアを使用した南区域のヒューマン族の女性だ。彼女は私の部下の目の前でこの姿へと変わった。緊急の事だったので現場判断で処断せざる得なかった。極めて不幸で、許されざる事態だ。断じて許すことは出来ない」
セオドロスの合図を受けて、パトリツィオが事前に用意していたアリアナの写真を配っていく。
写真にはまるで悪魔のような異形へと変貌したアリアナの死体が写っており、それだけで事態の異常性が伝わってくる。
セオドロスは最初にその写真を見た時、吐き気を催すほどの怒りを覚えた。
「なんと痛ましい姿なのでしょう。この方の冥福を、カンパニーの代表として神々に祈りましょう。この方のご家族にはすでに報せてあるのですか?」
「様々な事情を鑑み、まだ報せてはいない」
「ますます痛ましい話です。彼女の葬儀には是非カンパニーから援助をさせてください。同じエイレティアに生きる者として、それぐらいのことは致しましょう」
「心遣いに感謝する。ご家族にはそう申し出があったとお伝えしよう」
そうコンラッドに返事をしながら、セオドロスは他の者達の顔色を覗う。
悲痛そうに顔を歪ませるコンラッドとは対称的に、パーシヴァルは無表情のままだった。その顔色から内心で何を考えているかは読み取ることが出来ない。反応で言えば、連れてきた護衛の部下達の方が顕著だ。実直そうな男は顔を顰めながら写真を見つめており、ガムテープを巻かれた癖毛の若者は好奇心に目を輝かせてながら覗き込んでいた。
ワイルドハントに掴み所がないのはいつものことだったので、セオドロスは本命の連合へと目を向けた。
「――」
ルシアンは厳しい眼差しで写真を見つめていた。
元々の厳格な顔つきをしているので、それがどの感情に由来しているのかはわからない。それでも他の者達に比べると、明らかに顕著な反応を示していた。鳥人族も同様で、猛禽類の瞳を一点に写真に向けている。驚きか怒りかは目つきだけではわからない。
そして本命の人狼を観察する。
やはりその感情は読めない。獣人族は顔つきだけでなく、表情もヒューマン族のそれとまるで違うので厄介だ。本物の狼と顔の作りがほとんど同じなのだ。牙を剥いたり耳が垂れたりと、わかりやすい仕草がなければほとんど無表情と変わらなかった。
しかしこの会議に参加している時点で、黒幕ならば覚悟をしているはずだ。あからさまな素振りは期待していなかった。
この時点ではこの面々の中にそれらしい人物を見つけることは出来なかった。
議題を次の段階に進める。
「今回の会議ではまずこのエフォリアについて、約定を結びたいと考えている。人間をかような怪物に変えてしまう薬物など、この街にあってはならない。諸君らにはエフォリアの撲滅と、売人組織の殲滅を同意してほしい。よろしいかな?」
この神域で決定される約定は、ただの口約束にはならない。女神の前での決定は、必ず履行されなければならないからだ。これは女神との契約も同じで、ともすれば女神によって罰を受けることになる。
セオドロスは何よりも先に、この約定を取り付けたかった。
それに今後の進行においても、街にとって優位に働くからだ。
「カンパニーはサマリス家の申し出に同意します。怪物相手に商売は出来ませんからね。お客様の安全も、我々のサービスの一部でもありますし」
コンラッドは逡巡する間もなく同意した。
あまりに早すぎる決断に、セオドロスは若干面を喰らう。
これまでの会議では、カンパニーは最後まで約定にケチを付けることがほとんどだったからだ。商人らしいと言えば商人らしいが、契約内容には事細かく口を出し、言葉の定義まで決定に盛り込もうとするのがいつものやり方だった。
しかしとにかく、賛同するならば問題はない。
何か裏があるのかもしれないが、次に進めることにする。
「ワイルドハントはどうか。エフォリアの撲滅に同意するか?」
「ンー!」
癖毛の若者が高く手を伸ばした。
実直そうな男に尻を蹴られる。
「我々も同意する」
一連の流れを一切無視し、パーシヴァルが答えた。
これは想定内だった。
街の一角に食い込むために武力で介入してきたワイルドハントだが、抗争が終わって以降の街の決定に異を唱えた事はない。まるで興味がないのか、ギルドやカンパニー、サマリス家の訴えを二つ返事で従ってきた。
今回も同じだったようだ。
パーシヴァルに迷うような素振りは微塵もなかった。
「感謝する。――では、亜人連合はどうか」
これまでの流れは、連合を揺さぶり反応が見たいセオドロスにとっては好ましいものだった。
カンパニーに続きワイルドハントが間髪入れずに承諾した。連合は下手に躊躇や条件を見せる事がし辛くなった。
「――連合も同意する」
相談することなくルシアンは賛同を示した。
控えている二人も口出すことはなかった。
この時点で約定は結ばれ、契約が成立する。
御柱会議では契約書にサインしたりはしない。言葉そのものが署名となるからだ。細かい文章の作成は各々の組織が独自に用意することになる。サマリス・ファミリーにおいてはカプローニが担っており、それらは全てセオドロスの書斎にて管理されている。
「我々ギルドも中立の立場として同意する」
ここではマクシムが口を開くことなく、クラウスがギルド長として約定に参加を示した。
神官のリュマシケは何も言わない。神殿はあくまで見届けるだけの立場であり、街の運営に対する発言権を有していないからだ。
「皆の協力に、改めて感謝する」
セオドロスは謝意を述べる。
これで少なくとも、エイレティアから厄災を祓う導線は作ることは出来た。仮に連合以外の組織が関与していても、それ以外の外部組織の仕業だったとしても、エイレティアはエフォリアに対し排除に動かなければならなくなった。この会議を招集した一番重要な目標は、無事に果たしたことになる。
セオドロスは安堵して、議題を次に進めることにした。
「では、約定の下にエフォリアへの対策について話し合いたいと思う。エフォリアの売人は南区域のアギヌスで発見された。名をザルガス、東区域のゾグリフォウに住む人狼だ」




