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2-14 女神の神殿

 バルテアノ神殿とはエイレティアの中心であり、その象徴だった。


 古代より未知の魔術によって建造され、幾千年経とうと一切の劣化が見られない。神殿を支える神々の石柱は、リベルタム大森林の神木と同等に太く見る者を圧倒する。その内側には、石柱と同じ大理石の外壁が外と内とを隔てていた。


 このようなバルテアノ神殿は、エイレティアであればどこからでも視界に収めることができるわけだが、取り分け遠くから眺めると、切り立った崖の上にある意匠に凝った白い箱のように見えた。


 そんな神殿は中央区域ラプカ地区にあるエイレポリスという丘の上にある。頂上へは坂道を歩いて登らねばならず、エイレティア人以外はギルドが管理している受付で参拝料を払わなければならない。


 燦々と降り注ぐ太陽の下、人々は古来より神殿を目指し、二本の足で女神を詣でにやってくる。


 しかしそれは、あくまで市井の者達の話である。


 この日、バルテアノ神殿は周囲一帯を含めて封鎖されていた。


 観光客や参拝者は一切の登頂を認められず、ゲートにてとんぼ返りをするハメとなる。だが少しでもエイレティアについて調べた者ならば不満を零すような愚かなマネはしない。現地住民ならば、なおさらである。中央区域は厳戒態勢の最中であり、有志の潜行士や冒険者が警備員としてそこかしこに配置されていた。


「セオドロス・サマリスだ。御柱会議の主催として来た」


 運転席のドアガラスを下げ、セオドロスがギルドの職員に許可証を見せる。


「確認致しました。どうぞお通りください」


 職員は緊張した面持ちで頷き、遮断機を開放する。


「ありがとう」


 セオドロスは礼を言ってドアガラスを上げ、誰もいない参道を車で登っていく。


 本当は車は使わず、他の者達と同じように徒歩で神殿まで向かいたいのがセオドロスの本音だった。車での登頂は神々に対して不敬な思いがあったからだ。


 しかしいくら信仰心があっても、自分の立場は弁えている。その最後の抵抗として、セオドロスは自分で運転することにしていた。後部座席に座るパトリツィオはのみならず、助手席のイアソンも全力で反対していたが頑として聞き入れなかった。


 エイレポリスは頂上の神殿こそ有名だが、その周囲一帯も全てが神域として扱われている。


 街の中に唐突に現れる小高い丘は、まるで神々がそこだけ摘まみ上げたかのように盛り上がっており、広大な空間は古代エイレティア人にとって文化の中心でもあった。祭儀と芸術は同等に扱われ、演劇や音楽は娯楽と同時に神々への捧げ物でもある。現代では祭儀でしか使われないが、劇場や音楽堂なども建築されていた。


 これらを横目に車を走らせ、ようやくたどり着くのがバルテアノ神殿のある頂上だ。


 ここは特に切り立っており、周囲と隔絶されている。


 城壁のような崖は徒歩以外での侵入を許さない。


 セオドロスはその入り口に車を停め、自分で用意した供物の入った包みを持って石積みの階段を登る。


 円形の石柱で支えられた門をくぐると、エイレティア全土を一望できる空間に出る。


 普段は観光客で賑わっている広場も、人気がないと途端に息を呑むような静けさに包まれていた。


 そしてその中に一つだけ存在するのが、女神によって建造されたというバルテアノ神殿である。


 ここからエイレティアを見渡す度に、セオドロスは人間がいかに小さな存在かを体感させられる。


 見渡せるエイレティアは山と海に囲まれ、その中を埋め尽くすように人間の作った建物がある。無数の小さな白い箱は蟲の巣のようで、その見えない隙間を人間は蠢いているのだ。遠くとも巨大な山々や広大な海に比べると、人間はなんと矮小かと思い知らされる。


 そして改めて見る、自分を見下ろす神々を模った巨大な石柱とその神殿。


 するとここでは否応もなく神域で、神々の前では人間など取るに足りない存在なのだと感じることが出来た。


「イアソン、そんな顔をするな不敬だろう」


 セオドロスが家を出る前からずっと仏頂面の息子を注意する。


 しかしイアソンは口をへの字にするだけで、女神への不敬をあらためようとはしない。用意させた供物を忌々しげに片手に持ち、まるでこの場が神域ではなく呪われた場所かのような態度である。


「カペタニオス」


 不意にパトリツィオが神殿前に目をやり言う。


 その視線の先、神殿の前にスーツを着た男が立っていた。


 カペタニオスはすぐさま意識を切り替え、イアソンに目配せをし気を抜くなと合図する。


 そのまま供物を両手に持ち、主催者よりも先に来ていた街の最高権力者の一人の下へ向かった。


「やあやあこんにちは、ノノス・セオドロス。本日は実に良い会議日和となりましたな。これも、敬虔なセオドロス殿の信仰心あってのことでしょう。実に素晴らしいことです」


 胡散臭い笑みを顔に貼り付け手を差し出す男。


 セオドロスは敬意を持ってその手を握り返した。


「急な招集に参加いただき感謝する、コンラッド殿」


「ああそんな、私達はエイレティアを統治する仲ではありませんか。私の事は是非クリストファーと。エイレティアに習いクリストスでも構いませんよ?」


「君はブリテン出身だ。我々の風習に従う必要はないだろう」


「つれないですね。ああ、カプローニ殿とイアソン殿は気軽に呼んでいただいて結構ですよ?」


 残念そうな表情をしたかと思えば、すぐさまにこやかに二人に声をかけるクリストファー。


「カペタニオスに従います」


「俺も同じく」


 二人は苦虫を噛み潰したような顔で返事をした。


「そうですか。まあ、仕方ありませんね。無理強いするような事ではありませんし、おいおいということに致しましょう」


 そうあっさりと言って、コンラッドは手を放した。


「……今日は一人かね?」


「ええ、生憎と立て込んでおりまして。なにぶん急だったものですから、参加出来る立場の者が私しかいなかったのです。貧乏暇なしとはこのことですね。お恥ずかしい限りです」


 まったく恥ずかしそうにしていないコンラッドは、これでも西区域を治める組織『カンパニー』のトップである。


 長身でスラリとしていて、とてもダンジョン都市の支配者層に見えない柔和で繊細そうな風貌だ。絶えず人当たりの良さそうな笑みを携え、知性を感じさせる落ち着いた顔つきをしている。


 だがセオドロスは、このコンラッドをこの街で最も危険な人物だと認識していた。真っ正面から戦ったワイルドハントや、ゲリラ攻撃に悩まされた連合と違ってカンパニーは直接武力抗争に参加していない。なのにいつの間にか西区域一帯に根を下ろし、支配を盤石なものとしていたのだ。そして抗争が終わると、すぐさまホテルやカジノ、クラブなど海外の富豪を相手に出来る高級商業地区へと変貌させていた。その手腕と資金力は驚異的で、自分にはないものだと理解していた。


 そして何よりも、コンラッドから感じる底知れぬ不気味さを警戒していた。


 今日も一人で来たと言ったが、カンパニーは巨大な産業複合体だ。そんな組織の代表であるにも関わらず、護衛も付けずのこのこと敵対組織の前に現れるはずがない。


 しかし辺りに他に誰かが控えている様子もない。


 今まで幾度と顔を合わせてきたが、これほど得体の知れない人間は見たことがなかった。


「おっと、このまま引き留めていてはいけませんな。この神殿では主催者が初めの扉を開くことを許される。私としてはこのままセオドロス殿とはカフェに洒落込みたいところですが、それはまた次の機会にとしましょう」


 コンラッドはそう言って道をあけ、流れるように恭しくセオドロスを神殿へと促す。


 他の者がすればわざとらしい慇懃な所作だが、コンラッドにはいやらしさが微塵もなく、自然で様になっていた。


「ありがとう。では先に失礼する」


 セオドロスは促されるままに神々の石柱の脇を通り、女神の物語を表現した精巧な彫刻のある扉を押した。


 重厚な扉を開けると、半透明な大理石の天蓋から差し込む仄かな光に浮かび上がる、巨大な女神の像が彼らを出迎える。アーチ状の天井と二層柱列が回廊のような造りになっており、壁面には神々の物語が壮大な彫刻で鮮やかに描かれていた。


 そして足を踏み入れると、途端に全身を包む女神の権能。静謐で清浄な神気は、まるで首元に刃を突きつけられたように理性と秩序を約束させられる。


 この女神の神域では、一切の不正が許されない。


 嘘や暴力は女神によって禁止されており、この禁忌を破った者は、たちどころに女神によって冥界へと落とされることになるのだ。


「――」


 何度来ようと、この圧倒的な女神の神威に慣れることはない。セオドロスは矮小な生き物であることを受けいれ、女神像の下へと進んでいく。


 女神像は見上げると首が痛くなるような大きさで、近くに来るとまざまざとその威風を感じられる。左手には蛇が巻き付いた黄金の盾を持ち、右手には銀に輝く剣を持っている。艶やかな髪は兜によって収められ、女神が神話の中で打ち倒したとされる魔物が装飾されていた。


 その女神像の前には祭壇があり、側には女神に仕える女性神官が厳かに控えている。


「供物を」


 純白の長衣に布の帯を結んだだけの女性神官が、物怖じせずに述べる。


 セオドロスはマルコスと同じぐらいか年下の少女に恭しく頭を下げ、用意した供物を神官に差し出す。


 ここでは街の権力など意味がない。


 女神の前では等しく人であり、神官は女神の代理なのだ。


 神官は包みを解き、供物をあらためる。


 中には焼きたてのパンとザクロの実があり、これは都市の繁栄を意味していた。


「では、女神に祈りを」


 セオドロスは頷き、祭壇の前に進み出る。


 大理石で出来た長方形の祭壇。


 セオドロスはまず片側にある青銅器に満たされた澄んだ水で手を清める。その後に額に水を触れてから、正面に向かい直した。


 祭壇の正面にはオリーブの木を積んだ薪の束があり、小さな火が焚かれ細い煙が立ち上っている。その青銅器と反対側にはクラテルという陶製の壺があり、セオドロスは柄杓で中のワインを少量すくうと僅かに口に含ませた。


 そして残ったワインを薪に垂らすと、不思議なことに火の勢いが強まった。


 セオドロスは両手を女神像へと掲げる。


「もし女神が好むなら、この供物を受け入れ給え」


 そして神官から預けた供物を包みごと受け取ると、パンとザクロを少しちぎりまず自分が食べる。香ばしいパンと瑞々しいザクロの品質を証明すると、残りは全て火にくべた。


 火の勢いは更に増し、パンとザクロはみるみる間に焼けて塵と化していく。


 これは女神がセオドロスを受けいれたという証であり、共食を行うことで契約を認められた証でもあった。


「輝ける秩序の女神よ、エイレティアを護り給う方よ。我らはここに集い、貴女の御前に言葉を捧ぐ」


 セオドロスの祈りの言葉が、神域に朗々と響く。


「この場において語られることは、虚偽を含まず、欺きや裏切りをもたらさぬ事を誓う。貴女の崇高な眼差しの前では、不実は必ず暴かれるからである」


 煙は天へと立ち上り、女神の気配は更に強まっていく。


「どうか、知恵ある判断を我らに授け、都市を護るための力と正義を与え給え。我らの決定が民に幸福をもたらし、争いを招かぬ善なる秩序をもたらすように」


 すでに薪と供物は燃え尽きていた。


 しかしなぜか焰は残り続け、聖火となってセオドロスを照らしている。


 セオドロスは確かに、女神の存在を感じていた。


「剣の強さと、盾の慈しみを、我らは共に仰ぎ見て、議を始めん。女神よ、我らの言葉と心を正しき道へ導き給え。貴女と共にあるエイレティアに、永久の安寧が齎されますように」


 結びの言葉が終わると、聖火はいっそうの輝きを見せてから溶けるように消えていった。


 契約は結ばれたのである。


「女神は確かに貴方の祈りを聞き遂げました。下がっていただいて構いません」


 神官がそう言って儀式の完了を宣言する。


 セオドロスは両手を下ろし、祭壇の前から離れる。


 祈りの言葉は祭主であるセオドロスだけで、パトリツィオとイアソンは静かに供物を捧げる。これらは直接女神に届ける分ではなく、女神に仕える神官達への分だ。セオドロスの儀式を終えると共に、奥の部屋から出てきていた神官達がそれらを受け取り、また奥へと下がっていった。


「いやあ、いつ見ても壮観ですね。これだけでもエイレティアに来た甲斐があったというものです。実に素晴らしい儀式だ」


 厳粛な空気を打ち壊すかのような、陽気で朗らかな声が響く。


 扉から入ってすぐに立っていたコンラッドが拍手をしながら女神像に近寄ってくる。


「祭主のお役目、お疲れ様でした。これで我々も気兼ねなく街の行く末を語れるというものです。私は執り行った事はありませんが、直接女神の息吹に触れるのは大変でしょう。尊敬致します」


 女神像を見上げながら、感服したような声色でセオドロスをねぎらうコンラッド。


「痛み入るコンラッド殿」


「いえいえ、私は何もしていませんからね。長い口上など舌を噛んでしまいそうです。信心深いセオドロス殿ならではの祈りでした。あまりに見事で、思わず感服してしまった程ですよ。――おや?」


 すると何かに気がついたかのように、イアソンに向かって笑みを浮かべて言った。


「大丈夫ですかイアソン殿、何やら息苦しいようですが」


 零しそうなため息を堪えてセオドロスが目を向けると、イアソンがまるで首を絞められているかのように顔を赤くしている。


「問題ない。――心遣いに感謝する」


 そう返事をすると、やっと息を吸えたとでも言わんばかりに肩が落ちた。


 女神の叱責を受けたのだ。咄嗟にコンラッドへ敵意を向けかけたのだろう。感情の高まりすらも、ここでは禁忌となるのだ。イアソンがこの神殿を忌避しているのは、このような理由からだった。


 そしてコンラッドのおべんちゃらが、決して皮肉や嘘を内包していないとも証明していた。


 眉一つ動かさず、身体のどこにも緊張した様子が見られないコンラッドからは、女神の叱責を受けた様子がまるでなかった。


「何事もないなら幸いです。所詮、我々はただの人間ですからね。このように巨大な魔力の中にいては、心穏やかにいるのも難しいでしょう。よろしければ会議の後に我々が経営するスパにいらっしゃいませんか? 一流のマッサージ師による施術は極上ですよ?」


「……また機会があれば、伺うとしよう」


 イアソンは必死に敵意を抑え、淡々と返事をする。


「ええ、是非ご利用ください。神々もかくやという夢のような体験を約束致しますよ」


 コンラッドは人当たりの良い笑みのまま、女神像をちらりと見てから言った。


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