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2-12 闘争と逃走

 勝手口から出ると正面には裏のビルがあり、非常階段が地上まで続いていた。


 外はまるで戦闘があったとは思えないほど静かで、ステンレス製の階段から乾いた音が響いた。


「何してんだ早くしろ!」


 ニコラオスは踊り場にラブロスを放り出し、重さに汗だくになったダミトリスを補助する。


 店内で浴びた魔術具はニコラオスの機転によって直撃を避けていた。おかげで五感の回復もすぐにすみ、平衡感覚も元に戻っている。


「ハア、ハア、人狼ってクソ重めえなオイ……」


「んなもん見たらわかるだろうが!」


 ようやくオルベーンの身体を外まで出すと、ニコラオスは錆びた縦格子の一本を蹴り折る。それをドアノブにつっかえのようにはめ込むと、弾倉を交換し下の階を警戒する。


「へばってねえで立て! 中にはまだいんだ、ドアごとぶっ飛ばされたら死ぬぞ!」


 そう言いながらニコラオスはしっかりドアの前には立たず、階段の遮蔽を使ってしっかり身を隠している。


 中からは絶えず物音が聞こえてくる。


 すでに疲労困憊のダミトリスは息を整え、またオルベーンを担ぎ直す。


「そんなもん担いで降りられるわけねえだろ!」


「助けられただろうが。オルベーンがいなきゃ、お前はあの馬鹿でかいブツでバラバラにされてたんだぞ」


 ダミトリスに見捨てる意志がないと悟ると、ニコラオスはラブロスの背中を蹴った。


「起きろ! お前はヤギか!」


 何度か小突くと、ラブロスが呻きながら目を覚まし、辺りをキョロキョロと見回した。


「……お母さん?」


「誰が母ちゃんだ! さっさとそこの馬鹿を手伝え!」


 ボンヤリとラブロスは顔を上げ、まるで神話のアトラスのように人狼を背負うダミトリスに飛び起きて後退った。


「よおラブロス、寝起きに悪いが手伝ってくれるか?」


 苦笑いをしながらダミトリスがそう言った瞬間、ドアノブが内側から乱暴に回される。


 ガチャガチャとつっかえに動かないとわかると、今度は何度も体当たりを繰り返し、ドアを突き破ろうとし始めた。


 決して頑丈とは言えないスチールドアである。


 ニコラオスは爆破はないと判断し背中で押さえた。 


「死にたくなかったら早くしろ!」


 ラブロスは慌ててオルベーンの半身を背負う。


「脇を押さえてやれ。このままじゃ失血死しちまう」


 頑丈な人狼であれ、腹に散弾を受ければ重傷である。


 ラブロスは顔を引き攣らせながら傷口を手でおさえた。


「前は自分でなんとかしろよ」


 背中からの衝撃にニコラオスの身体が揺れる。


 二人に重さが分散され、ようやく進むに問題がないほど足が動くようになった。しかしオルベーンは電話ボックスもかくやという体格である。引き摺られる靴が段差にガンガンと打ち据えられるが、二人はバランスを崩さないようにするだけで精一杯だった。


「あ、あの、サマリス・ファミリーの人ですよね。お仲間の方はどうされたのですか? 応援は?」


 不安に耐えられなかったラブロスが尋ねる。


「店の前にいた奴等はおそらくだが殺られた。応援は来るだろうがいつになるかはわからねえ。そいつらも殺られたかもしれねえしな」


「そんな……」


 応援は期待できず、現状を打開するにはいまいる人員しかいない。一人は気絶し死にかけている人狼、一人は扉が破られないよう動けず、残った二人は人狼に手を取られてロクに自衛も出来ない。


 ダミトリスは一応、その手に拳銃を握りしめてはいるが、この状態ではまともに狙いを定めることも出来ないだろう。


 ラブロスは絶望的な表情を浮かべるが、ダミトリスはまるで問題ないと口元に笑みを浮かべる。


「安心しろ、この程度のピンチは何度も乗り越えてきた。ワイルドハントの連中と真っ正面から殺り合った時に比べればこんなもん、どうってことねえ。知ってるか? 連中、人間びっくり箱ってぐらいイカれてんだぜ」


 本来であればこの騒ぎに通報があってもおかしくない。しかしアリアナの一件で人払いをしていたのがアダになっていた。


 近隣住民はファミリーの者によって遠ざけられ、仮に聞きつけた者がいたとしても、対処されると何もしないだろう。


 しかしそんなことを言ってもラブロスを不安にさせるだけなので、ダミトリスは黙っていた。


「……応援を呼べないんですか? スマホでも何でも連絡手段はあるでしょう?」


 一向に不安を解消できないラブロスが、今にも路地から銃を持った人間が現れないか心配しながら言う。


「あいにく、手が塞がっててな。お前、コイツを一人で担げるか?」


「……無理です」


「ならもう少し我慢しろ。お前、ここにはどうやって来る」


「車です。店の前に停めてあるやつですけど」


「キーはあるか?」


「一応、ポケットにありますけど……」


「そいつを貸してくれ。病院に行くにしても逃げるにしても、このままじゃ蜂の巣になっちまうからな」


 店を爆破され、あまつさえ車まで壊されかねない今夜の不幸を、ラブロスは呪った。


「そんな顔するな。被害は全部サマリス・ファミリーが補填するって言ったろ? 俺達は必ず恩は返す。それに今回のお前さんの活躍なら、ご褒美どころじゃねえ謝礼がでるさ」 


「……死んだらそれまでじゃないですか」


「俺達が守ってやる。上にいるニコは口も手も足も悪いが、腕は確かだ。アイツがいれば大体のことはなんとかなる」


 ダミトリスがそう言うと、ようやく地上に降り立つ直前に上で爆発音が起きる。


 轟音とスチールドアと共に落ちてきたのは、そのニコラオスだった。


「クソッ!! マジで爆破する馬鹿がどこにいんだよクソッタレ!!」


 二階の高さからとはいえ、背中から地面に叩きつけられたはずのニコラオスが罵りながら立ちあがる。


 痛みに顔を真っ赤にしているが、とても落下してきたとは思えないほどピンピンしていた。


「な?」


「……」


 ダミトリスはそう言うが、ラブロスは完全に引いていた。


 二人に気がついたニコラオスが二階に向かって撃ちながら怒鳴る。


「まだこんなところでトロついてんのかよ! さっさとずらかるぞ!」


「こっちは岩を背負ってんだよ。店の正面にラブロスの車がある。それで逃げるぞ」


「自業自得だろうが!」


 ニコラオスが最後の弾倉を交換する。


 二階からは侵入者達が出てきており、まだ生きているニコラオスに向かって発砲してきた。


「アブねッ!」


 ニコラオスは階下に駆け込み、隙間から覗く上階に銃を向ける。


「長くは持たねえ! 一気に駆け抜けるぞ!」


「だな。ラブロス、人生で一番気合いを入れろ。合図で走るからな」


 ダミトリスはオルベーンを担ぎ直し、牽制をしているニコラオスからの合図を待つ。


 裏路地から通りまではほんの僅かな長さだが、オルベーンを背負ってでは遙か遠くのように感じられる。


 上からの弾丸が降り続けているが、背中の心配をしている場合ではない。ただひたすら正面を見据えて、目の前に現れるかもしれない敵にだけ意識を集中させた。


「今だッ!!」


 侵入者が引っ込んだ瞬間、ニコラオスが叫ぶ。


 ダミトリスとラブロスは全身の筋力と体力を振り絞り、通りに向かって走り出す。


 合図は当然、上階の侵入者達にも聞こえていた。


 すぐさま始末せんと柵から身を乗り出そうとしたが、下から槍のように投げつけられた縦格子に顔を引っ込めた。


 続いて投げたニコラオスが弾丸を撃ち込む。


 中には柵の隙間からすり抜ける弾もあり、侵入者達は

乗り出すどころか身体を伏せるしか出来なくなる。


 ニコラオスの正確な射撃技術は、ここに来るまでに侵入者達も嫌というほど味わっていた。視界や聴覚、平衡感覚すらも乱された状態で、的確に彼らに狙いを定めていたからだ。投げつけられた縦格子も、あわや顔面を貫きかねない正確さだった。


 不意打ちの魔術具を防がれた段階で、ニコラオスへの警戒は最大のものになっていた。


 そんなニコラオスの牽制が功を奏し、ダミトリス達は無事表通りにまで進むことが出来た。


 敵の姿はなかった。


 通りはまるで何事もないかのような静けさだったが、鼻をつく血の臭いが風に舞っていた。


 正面口を見張っていたファミリーの者達の死体が転がっている。


 抵抗の隙すらも与えられなかったようで、皆一様に首を掻っ切られ絶命していた。 


 ダミトリスは必ず仇を取ることを誓った。


「俺が背負う! 後部座席を開けろ!」


 ラブロスの軽自動車は無事だった。


 ダミトリスは一人でオルベーンを背負い、ラブロスがもつれる手でなんとかポケットからキーを取り出す。


 すぐさまドアを開き、押し込むようにオルベーンの身体をシートに横たわらせた。


「いつでも出られるようにしておけ!」


 ダミトリスはドアを開けたままにしておくと、そのまま踵を返す。


 裏路地に取って戻り、牽制を続けるニコラオスに合流した。


「ニコ!」


 その一言で全てを伝える。


 長年の経験から、二人の間ではそれだけで意図を伝え合うことが可能になっていた。


 ニコラオスは撃ち尽くした銃を下ろして駆け出した。


 背中は任せ、一気に表通りにまで走り出る。


 ダミトリスは牽制の後を継ぎ、相棒が角を曲がったところで自分も車にまで後退した。


 ニコラオスは助手席に、ダミトリスが後部座席に滑り込みドアを閉める。


「出せ!」


 そう命令する前にはラブロスは車を発進させていた。


 ダミトリスは窓を開けて、バーのある雑居ビルの様子を覗う。


 侵入者達はニコラオスの読み通り、少数で襲撃してきたようだった。


 追っ手らしい姿も見えず、バイクや車のエンジン音が聞こえてくることもなかった。


「追ってこねえな」


「ああ、狙いは俺達じゃないからな」


 ダミトリスが車内に身体を戻して言うと、助手席のニコラオスがあっさりと言った。


「狙いは俺達じゃない? じゃあ何が狙いだ」


「そんなもん、アリアナに決まってるだろ。本当に俺達のタマが狙いならもっと大人数を寄越すはずだ。もしかたら俺達はいない予定で、他の皆とコイツだけを始末するつもりだったのかもな」


 ハンドルを握るラブロスが息を呑む。


 ダミトリスは不可解そうに眉を顰め、浮かんだ疑問を口にする。


「おかしくねえか? アリアナがああなったのはついさっきの事で、知ってるのはここの四人とファミリーの人間だけのはずだ。……まさかファミリーに裏切り者がいるって言いてえのかよ」


「いや、ソコロニスもだ。アリアナがかなり前からエフォリアをやったなら、密告された段階で気づいてもおかしくない。亜人が売人をしてたんだ。アイツが噛んでるならいくらでも誤魔化せる。襲ってきた奴も一人は亜人だったしな」


「ソコロニス? アイツに限ってそりゃねえだろ。エフォリアの事がわかったのも、アイツが報告したからだ。それにセオドロスのやり方に賛同してる」


 その反論に、ニコラオスはバックミラー越しに相棒を睨みながら言った。


「ダミ、お前セオドロスの言葉を忘れたのかよ。悪は味方の顔して近づいてくる。大真面目に正面から敵対してくる馬鹿はワイルドハントぐらいだろうが」


 車内を沈黙が支配する。


 ニコラオスの推測が正しければ、アギヌスでの動きは全て筒抜けだったかもしれない。そして内側に敵がいるならば、南区域はどこも安全とは言い切れなかった。


 いまもどこからか、この車を監視している者がいるかもしれなかった。


「……あの、どこに行けばいいですか?」


 沈黙を破ったのはラブロスだった。


 ニコラオスが答える。


「ピオレス区のカラストキに行け。そこなら安全だ」


「待てよ、まずは病院だろうが。このままじゃオルベーンが死んじまう」


「こんな時間にやってる病院なんかあるわけねえだろ。夜もやってるデケえとこは中央区域にしかねえ。御柱会議の前に今の俺達が中央に入ったら、ファミリーにどんな難癖つけられるかわかったもんじゃねえだろ」


 中央区域は五大組織によって不可侵が定められている。


 組織に所属していない者ならばともかく、武装した二人が血塗れのオルベーンを連れて入れば、事情関係なく連合との問題に発展しかねなかった。


「だったらどうすんだ! 黙って見殺しにしろって言うのか!? 命を救われただろうが!」


「どうしようもねえって言ってんだよ! なら、俺達は降りて、コイツだけで連れて行かせるか!?」


 とんでもないとラブロスは首を横に振った。


 ダミトリスは必死に頭を働かせる。


 ニコラオスの言うとおり、南区域に夜間の緊急外来を受け付けられるような病院はない。よしんば駆け込めるところがあったとしても、亜人の治療を請け負う医者がいるとも限らなかった。そもそも人狼への医術を心得ている人物を探している時間もない。


「……東区域の、ビオロンに向かってくれ。イミュトス山の麓に、私が務めている病院がある」


 不意にオルベーンの掠れた声が車内に聞こえる。


 ダミトリスが振り返ると、シートに寝かしたオルベーンが目覚めていた。


「無事か!?」


「……正直、死にかけている。だが、もうしばらくは持つはずだ」


 オルベーンがそう言いながら身体を起こそうとしたので、ダミトリスが慌てて身体を支えた。


「……一度、中央区域までの一本道に出てくれ。南イミュトスからの川まで出れば、そこを右折だ。突き当たりまで進んで左折し、次を右折すれば私の病院の近くに出る」


「ざけんな! それこそ敵地のど真ん中じゃねえか!」


 当然、ニコラオスが反対した。


 万全の状態ならともかく、今は弾丸をほとんど消耗している。今まで多くの亜人と戦ってきた二人だ。場合によっては東区域に踏み込んだ瞬間に惨殺されかねなかった。


「……その辺りには私の部族しかいない。他の人類種も、信用できる者達ばかりだ。安全は保証する」


「信用できるかそんなもん!」


 ニコラオスは断固として反対の立場だった。


 安全を保証すると言われても、現にオルベーンを撃った最初の襲撃者は亜人で、彼と同じく人狼である。敵がどこの所属かもわからない今の状況では、ほとんど自殺行為としか言い様がない。


「……信じてくれ。君達は私を助けた。私の部族は受けた恩は忘れない」


 そしてオルベーンは痛みを堪えるように目を閉じる。


 息は荒く、出血は依然として止まっていない。


 気丈に振る舞ってはいるが、死が近いのは間違いない。


「……間違いねえんだな?」


「ダミ!」


「うるせえ! このまま見捨てられるか! これ以上駄々こねるってんなら、お前を放り出すからな! わかったかアホンダラ!」


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