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2-11 侵入者

「――はい、わかりました。では」


「カプローニはなんて?」


「アリアナの死体はファミリーのラボに移送する。俺達はこのまま調査を続けろってよ。カプローニが人を送ってくるから、それまでは待機だな」


 ダミトリスはスマホをしまい、難しい顔をして言った。


 ニコラオスはかったるそうにカウンターにもたれかかりながら、大きくあくびをした。


「そうかよ。おい、もうお前は帰って良いぞ。お役御免だ」


 そう壁際で腕を組んでいるオルベーンに向かって言うと、ダミトリスは制止する。


「いや、オルベーンも同行させろってよ。ザルガスの仲間と、他にエフォリアを買った連中がいないか探せって命令だ」


「は? そんなもん俺達じゃなくても出来るだろ。ヤダね、これ以上人狼といたら土臭くなっちまう。カプローニの命令なら無視してもなんとかなるだろ」


「これはカペタニオスの命令だ」


「直訴してくる。こいつはお前が見張ってろ」


 カウンターに置いた拳銃を腰のベルトに差し込み、バーから出て行こうとするニコラオス。


 ダミトリスは難しい顔のまま続けた。


「カペタニオスは御柱会議の準備がある。邪魔したらぶっ殺されるぞ」


 ピタリと止まるニコラオス。


 エイレティア人にとって、御柱会議の行われるバルテアノ神殿は神域でもある。女神の神力が働いているその場においては、たとえセオドロスですらただの人として扱われる。


 踏み入るには相応の準備が必要であり、これを怠ると女神によって罰せられるという伝説があった。


 ニコラオスは一度も踏み入れた事はないが、それでもかの神殿が特別な場所であると幼少期より教え込まれてきた。


 女神への不敬はニコラオスですら禁忌と考えていた。


「……クソが」


 文句一つ言い残して、ニコラオスはカウンター席に戻った。


 この場で出来る調査を終えたアリアナの亡骸は、床に放置するわけにもいかずソファの上に安置されていた。


「てなわけだ。お前さんにはまだ同行してもらうが、構わないか?」


「もともと明日は休みだった。問題はない」


「ほお、平日のど真ん中に休みか。何の仕事だ?」


「……それは尋問か?」


 オルベーンの口調が固くなる。


 ダミトリスは肩をすくめて答える。


「いいや? ただの雑談だよ。それに、どうせ答えても答えなくても結果は一緒だぜ。お前さんのことはすぐに調べがつくからな」


 脅しとも取れる言いようであるが、ダミトリスにはそんな気はない。ただ単純な事実を伝えているだけで、口調や態度には敵意を見せていなかった。


 すでにオルベーンの事を味方として信用しているが、それとファミリーの判断は別である。それにダミトリスの知っているカペタニオスならば、貴重な情報源である人狼のオルベーンを手放すとは思えなかった。


「……東区域では医者をしている」


「医者? どうりで小難しい事を知ってるわけだ」


 感心したように言うと、ニコラオスが嘲笑った。


「どうせ藪医者だろ」


「ああ、免許は持っていない」


 淡々と言うオルベーンにダミトリスは目を丸くした。


「マジかよ。亜人は医師免許なくても良いのか?」


「故郷で人種政策が施行された時に取り上げられた。幸いにも、エイレティアでは区域事に独自の法が認められている。培った知識までは取り上げられなくて幸運だったよ」


 余計な藪蛇を突かせたと、ダミトリスは相棒を睨む。


 その相棒は知ったことかという態度である。


「しっかし、外じゃ亜人も大学に行ってんだな。医者ってめちゃくちゃ勉強しなきゃならねえんだろ?」


「確かに私の時代では珍しかった。私の通った大学は学長が先進的な人物で、勉学に人種は関係ないという主義の持ち主だった。ヒューマン族だが、尊敬する人物の一人だよ」


「ふぅん、会ったことあるのか?」


「個人的にはない。一度は話をしてみたいと思っていたが、叶わなかった」


「政策のせいか?」


 そこでオルベーンの表情が一気に暗くなる。


「……そうだ。学長はヒューマン族のみ入学させる方針に反対の立場を貫いた。そのせいで特別警察に連行され、最後は獄中で迎えたそうだ。私が故郷を出る前の話だ」


 またしても藪蛇を突いたとダミトリスは気まずくなる。


 同時に、オルベーンがソコロニスに賛同している理由もよくわかった。


 エイレティアの中でも南区域では特に亜人に対する風当たりが強い。サマリス家の権威は絶対的で、それと戦ってきた連合の存在は敵そのものである。中には東区域から逃れ住んだ者も少なからずいた。


 ソコロニスはそんな南区域の中にあるアギヌスで融和的な態度を取っている。地元住民達にも亜人の存在を周知させ、友好的に受けいれさせているのだから、オルベーンにとっては件の学長のような存在なのだろう。


「で? その話の光と影はなんだ?」


 退屈そうにしていたニコラオスがおもむろに尋ねる。


「……どういう意味かな?」


「自分で言ったんだろうが。何事にも光と影があるってよ。愛する学長様が殺されて、お前は免許剥奪の上に故郷を追い出された。これはお前にとって影か?」


「ニコ! いくら何でも失礼だろうが!」


 しかし、今度のニコラオスに茶化したような気配はなかった。


 退屈そうな眼差しは変わらないが、そこに悪意は感じられない。


 ただ学生が、退屈な授業の中でなんとなく疑問に思った質問を投げかけているような気軽さである。


「……君は、自分がいかに下劣で外道なことを言っているのかわかっているのか?」


 さしものオルベーンもこれには殺気立たずにはいられなかった。


 狼の瞳に剣呑な光が灯り、ヒューマン族よりも鋭く太い牙を剥き出しにする。全身の体毛が逆立ち、人狼用のサイズの服が上からでもわかるほど膨らむ。


 だがニコラオスは、そんな殺気を歯牙にもかけずオルベーンに近づいていった。


 一振りで肉どころか骨までえぐり取りそうな手の届く距離まで顔を寄せ、アンバー色の瞳をしっかり見据える。


 退屈さは失せていた。


「どうしたよ。ご大層に講釈垂れやがったんだ。まさか答えられねえってわけじゃねえよな?」


「君は今、虐げられてきた数多の同胞を侮辱した。私とて我慢の限界があるんだぞ」


「だからなんだ? 俺は仲間やダチをお前らに殺された。勝手にやってきて、勝手に住み着いたお前ら亜人にだ。そしてまた、お前らせいでエイレティア人が死んだ。なのに悲劇の英雄を気取ってやがるときた。俺の我慢はとっくに限界を越えてる」


 ニコラオスが静かなのは、ダミトリスを言い負かす時のような平静さがあるからではなかった。


 憤怒が悪意すら燃やしていたのだ。


 返答次第では、セオドロスの命令に背かない範囲でオルベーンの肉体を破壊するつもりだった。


「そこの馬鹿は賢そうなヤツが好きだからな。お前の小賢しい戯れ言に感心しちまってるが俺はそうじゃねえ。ほら答えろよ。故郷を追い出されたのは影か? なら余所様の土地奪って持ち主ぶっ殺しすのは光か? この場合、何が光でなにが影なんだよ」


 ニコラオスの全身に殺意が漲る。


 空気は張り詰め一触即発となり、バーテンダーは顔を真っ青にしてまたカウンターの影に隠れた。


 ダミトリスは相棒を止めるべきか思いあぐねる。


 ニコラオスの怒りが、先程までの単なるイヤイヤとは全く異なる次元だからだ。今後もオルベーンと行動を共にするなら、事あるごとにニコラオスが食ってかかるのは目に見えている。ここで爆発させるだけ爆発させて、以降の文句を言えなくさせる方が面倒でなくて済む。


 しかし肝心のオルベーンも感情を露わにし、それまでの冷静な対応が出来る状態かも疑問だ。ここで相手の怒りに乗って、変な解答をすれば殺し合いに発展するのも一目瞭然だった。


「それは――」


 オルベーンはその続きを言えなかった。


 向かい合うニコラオスの肩越しに、バーの出入り口の扉が開いたからだ。


 そして入ってきたのは彼と同じく人狼の亜人。


 その手に持っているのは、強靱な肉体に似つかわしくないショットガンだった。


「――ッ!!」


 オルベーンがニコラオスを突き飛ばすのと同時に、亜人が引き金を引く。


 拳銃よりも遙かに野太い轟音が鳴り響き、オルベーンの身体が後方に吹き飛ぶ。


「オルベーン!」


 ダミトリスが叫ぶと同時に、突き飛ばされたニコラオスが倒れ込みながら拳銃を抜いた。


 咄嗟とは思えない正確さで弾丸が侵入者の肩を貫く。衝撃によろめく亜人だったが、すぐさまスライドを引き戻し、ニコラオスの頭をふき飛ばさんと狙いを定める。


「野郎!!」


 続いてダミトリスが自分の愛銃を引き抜き、怒号を上げながら侵入者に向かって連射する。


 尖った耳と腕を穿たれた亜人は、たまらず扉の外へと飛び退った。


「『ナイトレイン』にいたヤツか!?」


「亜人の見分けなんかつく分けねえだろ!」


 ニコラオスは牽制のために外に向かって発砲する。


 ダミトリスは吹き飛んだオルベーン元に駆けより、状態を確かめる。


「オイ! 大丈夫か!?」


「――なんとか……」


 勢いに壁に背中を打ち付け、ずるずると座り込んでいたオルベーンが痛みにくぐもった返事をする。


 押さえ込んだ腹部からは止めどなく血が流れている。


 体毛で見えずとも、顔面蒼白になっているであろうことはすぐわかった。


「動けそうか!?」


「……人狼は頑丈さが売りでね。弾は抜けていない」


 気丈な言葉と共に立ち上がろうとするオルベーンだが、激痛に呻き動くことは出来なかった。


「無理すんな! アイツを知ってるか!?」


「……知らない同胞だ」


「撃たれたってのに仲間扱いしてる場合かよ!」


 ダミトリスは撃たれた逆側の腕を取り肩を貸す。


 巨漢なオルベーンは酒樽のように重かったが、なんとか立ちあがることは出来た。


「ヤツは!?」


「動きはねえ。だがまだ他に二三人いやがる」


 牽制射撃を止め、外を一点に睨みつけるニコラオス。


 開かれた扉からは暗闇しか見えず、外では物音一つしていない。しかしニコラオスは確信を持って答えていた。


 敵は複数、しかもそこいらのゴロツキではなく、こういった戦闘に慣れた組織の兵隊である可能性が高い。


 そしてそれは、外に待機していたファミリーの者達が音もなく処理されていたということである。


 だが数多くの修羅場をくぐり抜けてきた二人だ。


 ダミトリスは相棒の感を微塵も疑いはしなかった。


「囲まれてると思うか?」


「いや、そんな感じはしねえ。今のアギヌスでそんな人数を動かせるとは思えねえな」


 ニコラオスは一気に戦闘状態に意識を切り替えており、冷静に状況を分析する。


「なら裏口から逃げるぞ。バーテン! 死にたくなかったら腰抜かしてねえで出てこい!」


 カウンターの裏から小さく悲鳴が上がり、若いバーテンダーが這いずりながら出てくる。


「お前、名前は?」


「え!? えぇ!?」


「名前だよ! 名前ぐらいあんだろ!」


「ラブロスです!」


「ラブロス、見たとおり状況は最悪だ。下手すりゃ俺達全員死にかねねえ。だから協力しろ、いいな」


「もう勘弁してくださいよ! ここの借金まだ返せてないんですよ!?」


「死んだら借金もクソもねえだろうが! それに生きて逃げられたらサマリス家が補償してくれる。借金どころか新品の店まで用意してくれるだろうよ。わかったらメソメソしてねえでシャキッとしろ!」


 バーテンダーは泣き言を垂れ流しながら頷いた。


「よし、なら裏口はどうなってる」


 バーテンダーは尋常ならざる状況にしどろもどろになりながら店の構造を伝える。


 その間もオルベーンの腹部は赤く染まり、ニコラオスは外への警戒を怠らなかった。


「――わかった。ニコ、後ろを頼めるか」


「ああ」


「ラブロス、お前が先導しろ。俺とオルベーンが後に続く。パニクってるだろうがここは冷静でいろ。勝手に突っ走ったらあっという間に――」


「ダミ!」


 ニコラオスは叫びながら椅子を投げた。


 それは侵入者やバリケードのためではない。


 暗闇より投げ込まれた、小さなガラス瓶から身を守るためだった。


 椅子とガラス瓶が衝突し、ガラスが割れる。


 突如として閃光が店内に炸裂し、甲高い高音が鳴り響くと椅子が白い炎に包まれた。


 店内にいた者達は耳鳴り以外に何も聞こえなくなった。


 椅子の陰になったおかげで光の直撃は避けられたが、店内の酒瓶や壁や天井に反射し視界が歪む。


「――! ――ッ!」


 ダミトリスは歪んだ視界の中で相棒に向かって叫ぶが、返事はまるで聞こえない。


 すると肩を貸していたはずのオルベーンの身体が一気に倍以上に重くなる。何度も瞬きしながら確認すると、オルベーンは完全に気絶していた。ヒューマン族よりも優れた五感では、いまの衝撃に耐えられなかったのだ。


 だらりと腕がぶら下がり、押さえ込んでいた血液が止めどなく拡がり出す。


「――ダミ!」


 まるで水中にいるかのようにニコラオスの声が聞こえた。


 顔を上げると、外に向かって発砲し続けるニコラオスが後退してきて裏口に繋がる扉を開けていた。


「――そいつは捨てろ!」


 ニコラオスはそう怒鳴ると、同じく気絶したバーテンダーを抱え上げる。


 それと同時に残弾が尽き、スライドが後退したまま動かなくなった。


 ダミトリスはオルベーンを手放さなかった。


 気合いでその巨漢を背負うと、自由になった片腕で牽制を途切らさないよう撃ちまくる。


 そうしてニコラオスが裏口方面に逃げると、持ち上げる事も叶わない足を引きずりながら後に続く。


 いよいよ自分の残弾も撃ち尽くし、足先でなんとか扉を閉めようとする。


 扉に視界が覆い尽くされる瞬間、表口から見えた侵入者達は人狼や他の亜人ではなく、自分達と同じくヒューマン族だった。


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