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2-10 兆し

「――報告は以上となります。念のため現場は人払いをし、居合わせたバーテンダーには口止めをしています。遺体の処理も含めて、カペタニオスの指示を待っている状態です」


 パトリツィオはそう報告を締めくくる。


 家族が集まった楽しい食事会が過去のように思え、まるで抗争時の頃のような重苦しい空気が書斎に漂った。


 執務席に座っていたセオドロスは目を閉じ、まずはアリアナという女性の死を悼んだ。


 誰がどのドラッグに手を出すかまでは止めようがない。しかし南区域を任された者として、その非業の死の責任を感じずにはいられない。自身の不出来をアリアナとその家族、友人に詫びた。


「……連合の関与は?」


「現段階では不明です。ザルガスはゾグリフォウを拠点としていたようですが、確かな事はわかりません」


「連合の仕業に決まってる! 奴等の薬が使われたってんならわかりきった話じゃないか!」


「イアソン、落ち着け」


 今にも飛び出しそうな長男を抑える。


 しかしイアソンは怒りが治まらないようで、大きな舌打ちをして連合を罵った。


「ヘラクレス、お前はどう思う?」


「……僕も連合は関わってると思う。でも彼らも一枚岩じゃないから、連合全体での関与はわからない……と思う、けど」


 ヘラクレスは自信なさげに意見する。


 先程の失言が尾を引き、父親の前でこれ以上余計な事を言わないかビクビクしていた。


 代わりに噛みついたのはイアソンだった。


「なんだよリース、亜人共の肩を持つってのか?」


 愛称で呼ばれたヘラクレスは慌てて首を横に振った。


「違うよ! ただ、連合の首領がこんな簡単に尻尾を掴ませるような事をするのかなって思っただけ」


「連中は盗人同然だ。そんな上等な脳みそなんか詰まってないね」


 吐き捨てるように言うイアソンだが、セオドロスはヘラクレスの言葉の方が正しいと思われた。


 連合には幾たびも辛酸をなめさせられたが、会合で顔を合わせる首領はこのような陰惨な手段に出るような人物とは思えなかった。


 かつては敵としてやり合った間柄だが、その点において信用できるとセオドロスは確信していた。


「ひとまず、そのオルベーンとかいう人狼の監視と、身辺調査は住ませておけ。アリアナ嬢の亡骸はラボに運んだ後、葬儀屋に整えさせてから家族に合わせるように。……そうだな、アレクシオスに任せろ。彼は口を閉ざす必要を知っている人物だ」


「承知しました。二人はどうしますか?」


 暴力装置であるあの二人を動かすには、事態は尋常ではない状況に陥っている。


 帰ってこいと言えば従うだろうが、姦しい二人からどこで話が漏れるとも限らない。オルベーンという協力者にしても、このまま手放すには危険な気がした。


「このままゾグリフォウに突入させるべきだ。なんなら俺が行ったっていい。すぐに連中の根城を突きとめて落とし前を付けさせるべきだ」


 好戦的なイアソンが息巻いて言う。


「しかしそれでは連合と戦争になります。協定が結ばれてから、エイレティアの四大組織は不可侵で同意している」


「先に手を出したのはあっちだ。俺達は売られた喧嘩を買うだけさ。放置すればやっこさん、ますますつけあがる!」


「連合の関与が証明できない状態では危険すぎる。万が一では他の組織全てを敵に回しかねない」


「上等じゃないか。元々俺達は殺し合ってた仲だ。今更殺り合ったってどうってことねえ!」


「それでは今までの努力が無駄になる! それに、こちらから仕掛ける事が連合の狙いならどうする。これが罠なら、我々は自ら飛び込むことになるんだぞ」


「だったらこのまま泣き寝入りしろってのか!? それこそ奴等の思うつぼだ。こんなことが知れ渡ってみろ、もう誰もサマリス家を信用しなくなる」


「だが住民達は抗争にもウンザリしているんだぞ。我々が認められているのは、武力行使が治安維持のためだけだからだ。戦争になればそれこそ住民達の支持を失う。全てを失いかねないんだよ」


 白熱する二人に口論は言い争いにまで発展していた。


 仕事中は一線を引くパトリツィオも、幼少期より兄弟同然に育ったイアソンの前に口調が荒くなっていた。


 セオドロスは机を指で叩き、口論を終わらせる。


 考えをまとめるには騒がしすぎた。


 静かになった書斎の中で、セオドロスは思考の海に沈む。


 イアソンもパトリツィオも、どちらの意見も間違ってはいない。表だって東区域に人を送る事は出来ない。しかし人の口を閉ざすことなど不可能だ。アリアナの一件はいずれ露呈し、エフォリアについてもすぐさま広まるだろう。人を異形に変える薬など、住民達には恐怖でしかない。放置すればあらぬ噂が立ち、責任問題は必ずサマリス家へと向けられる。


 責任を取るのは構わない。


 しかし問題は、エフォリアが亜人由来であるということだ。


 パトリツィオは住民が抗争にウンザリしていると言ったが、それは事実だが真実とは言い切れない。同じヒューマン族同士ならば取り締まりの強化で済んだだろうが、亜人となれば話が変わる。人は自分達と違う存在を嫌悪するものだ。そして敵は、集団を団結させる起爆剤になる。


 亜人に対する怒りや偏見は、南区域に住む者達には根強く残っている。激昂した長男は良い例だし、パトリツィオも用心深くはあるが連合の関与があると思い込んでいる。これが住民間にも広まれば、どうなるかは想像するだに難くない。


 暴走する集団は、時としてただの敵よりも厄介だ。


 それをセオドロスは、長い抗争時に嫌というほど味わっている。


「ニコとダミには引き続き調査をさせろ。そのオルベーンという協力者の人狼と共にな。売人には他に仲間はいたのか、他にも買った者がいないのかを調べさせろ。それと同時にエフォリアについてそれとなく情報を流せ。異形になることは伏せ、酷い副作用とか禁断症状があるとか適当なことを吹聴しろ。ただし、亜人に関係しているとは絶対に言うな。あくまで、新しい薬物として広めろ」


「承知しました」


 頭の冷えたパトリツィオが答える。


「でも父さん、そんなことしたら亜人共に証拠とか隠滅されてしまうんじゃ?」


「それならセオの襲撃時点で既にしている。それに、本当に連合が関与しているのかも確かではない。連合のやり方に賛同しない者達もいるからな。それよりも住民達にこれ以上エフォリアを使用させない方が先決だ。混乱は避けねばならん」


「……でも落とし前はどうするのさ。セオファニスが始末したのは売人だけだろ? 大本を叩かないと被害は止まらないよ」


 イアソンの関心は報復しかないのだろう。


 それらしいことを言っているが、顔には不満がありありと出ている。


「だから御柱会議を招集する。イアソン、お前からギルドに連絡を入れろ。バルテアノ神殿の使用許可を取れ」


「――御柱会議を?」


 イアソンは気圧されたように呟いた。


 御柱会議とはエイレティアを統べる五大組織で行われる会合である。


 不可侵区域である中央区域、そのラプカ地区の小高い丘の上にあるバルテアノ神殿で行われる。


 会議ではエイレティア全体に関わる意思決定が行われ、最高権力者達の合意を持って街は運営されている。


 つまりセオドロスは、このエフォリアをエイレティア全体の問題にすると言っているのである。これは生半可な提起ではない。場合によっては勢力図が一変する大事であり、問題如何ではサマリス家が他の組織に糾弾されかねない事態を引き起こす。


 そしてそれは、単なる人類種の合意には治まらない。


 セオドロスは二の句を継げない長男をじっと見つめて、威厳を含んだ声色で言った。


「どうした。何か問題でもあるのか?」


「……いや、ないよ。父さんの決定だ。すぐに手配する。会合はいつ行う?」


 セオドロスの問い掛けにイアソンは一拍おいてから答える。


 イアソンがかの神殿を厭わしく思っていること、セオドロスは知っていた。


「明日の正午だ。パトリツィオ、それまでに可能な限りエフォリアと変身について調べろ。参加するのは私とイアソン、パトリツィオの三人だ。会合までに身を清め、女神への供物を用意しておけ」


「わかった」


「承知しました」


 すぐさま行動に移る二人が書斎から出て行く。


 影と同化していたヘラクレスがおずおずと前へ出た。


「父さん、僕は?」


「パトリツィオの手伝いをしなさい。それと、お前は潜行士にも知り合いが多いな? その方面からわかることがあるかもしれない。当たってみろ」


「わかった。任せてよ父さん。絶対なにか見つけてくるから!」


 役割を与えられたヘラクレスは顔をほころばせ、勇ましく扉を開けようとしたところで振り返った。


 喜びは一転し、また畏れるような伺う顔つきに戻る。


「……父さん。父さんが良く思ってないのはわかってるけど、聞いてもいいかな」


「なんだ?」


 内容はわかっていたが、それでもセオドロスは促した。


「マルコスだよ。あいつも父さんの力になりたいはずだ。なにか出来ることはないかな。――もちろん直接は巻き込まないよっ!? でも、少しぐらい役割を与えてあげてもいいんじゃないかな……」


 眉が寄った父親にヘラクレスは手をバタバタさせる。


 妻のフィロメラが言ったとおり、次男は歳のわりに落ち着きのないところがある。しかしそれゆえに、純粋な善意として申し出ていることはわかった。自分が言い出した手前、マルコスが気分を害していないか気になって仕方がないのだ。


 セオドロスは逡巡する。


 考え込む時の癖で現れる瞳の影に、ヘラクレスは早くも慌てふためき始めた。


「いやッ、父さんがダメだって言うなら僕も文句はないよ! ごめん! もう二度と言わないから!」


「……マルコスが人材派遣会社とやらを興したのは知っているな?」


 あまりの情けなさに思わず哀れみを覚え、セオドロスはため息をつきながら尋ねた。


「え? あいつ、そんなのやってるの? 知らなかったな……」


「……帰ってきたばかりだが、マルコスはかなりエイレティアについて調べているようだ。表の世界から、なにか変わったことがないか聞いてみなさい。エフォリアのことを口にしてもかまわない。だが人の姿を変えることは言うな。あくまで新しい薬物が持ち込まれたとだけ言うんだ。御柱会議の事も、連合の事も絶対に教えるな。わかったな?」


「わかった! 絶対に秘密は漏らさない。神々に誓う」


「ならさっさといけ。別に会議に間に合わせなくてもいい。住民達が怪しまない程度で構わんからな」


「了解! 行ってくる!」


 そしてようやく静かになると、セオドロスは自分が思っているよりも疲れていることに気がついた。


 背もたれに身体を預け、深く息を吐き出す。


 この革張りの椅子は、南区域の住民から贈られた物だ。椅子も机も、壁の本棚も絨毯も書斎にあるほとんどが、彼を慕う者達から贈呈されたものだった。


 その中で、壁に架けられた地図を見つめる。


 描かれたのは百年近くも前だ。額縁に入れて保管する前、大雑把にしまい込まれていたのを見つけ出した。紙は黴びて変色し、線はかすれて所々が消えている。すでに地図としての用は為さず、観賞品としての価値もない。


 しかし描かれているのは、かつて一つだった頃のエイレティアだ。


 若い頃、セオドロスはこの地図を眺めるのが好きだった。


 たとえどれほど尖らせたペンであっても、正確に自分自身を描き込む事はできない。エイレティアの中にあっては、自分は毛ほどの姿もないのだ。


 だがそれゆえに、セオドロス・サマリスは街の一部なのだと実感する。神々や街の刻に比べれば、人は束の間の影に過ぎず、瞬きの間に土へ還る存在でしかない。生まれては死に、そうして連々と続いてきた歴史の一部であると感じることが出来るのだ。


 そして今、この地図は戒めとなった。


 父となり祖父となり、何の因果か街の一角を統べるカペタニオスと呼ばれるようになった。


 住民からは尊敬され、そして畏怖される。


 自分の言葉一つで人が死に、そして生かされるようになった。


 まるで神話の神々のように。


 だがその代わり、街は五つに分断された。


 強き者としての振る舞いを求められながら、しかし祖先に顔向けできることなど何一つない。


 自分は地図にも描けぬちっぽけな存在でしかない。


 そしてまた、エイレティアに変化の兆しが現れている。


 今朝の心配が現実味を帯び始めている。


 今度の風を、自分は上手くいなす事が出来るのだろうか。


 これもまた、神々の戯れに過ぎないのだろうか。


 かすれた地図を見つめながら、セオドロスはエイレティアに住む人々の未来に、平穏がやってくることを祈った。


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