2-6 ダイモーン
「アギヌスでソコロニスに喧嘩売ってどうすんだ!」
クラブ『110』から出るや否や、ダミトリスは唾を飛ばす勢いで怒鳴った。
「うるせえな、悪かったよ。ちょっとムカついただけ」
「ムカついたで済むわけねえだろ! ソコロニスは融和派の第一人者だ。そんな男の前で亜人をボロクソ言っていいわけがねえだろ!」
「ボロクソになんか言ってねえよ。本当に流してるならって言っただろぉ? あっちが勝手に盛り上がっただけだぜ。それなのに北と西の話を持ち出しやがって、俺を
言いくるめようとしやがった。これでもぶっ飛ばさないよう我慢したんだ」
「当たり前だろアホンダラ。いいか? 今回は相手が大人だったから話が出来たが、一歩間違えれば大問題になってたかもしれないんだぞ。ソコロニスが号令かけるだけで住民が俺達にそっぽ向くんだ。調べるもんも調べられねえだろうが」
鳴り止まぬ説教にニコラオスの我慢は一瞬で決壊した。
「だったら最初から亜人なんか入れなきゃ良かったんだろうが! 連合の下についてれば俺達だって出張らなかった。融和だかなんだか知らねえけど、変に賢ぶるから厄介事を招くんだ。自業自得だぜ。そのくせセオドロスの世話になってるときた。ザけんじゃねえ。世話になってるなら馬車馬みてえに従うのが筋だろ」
「……挨拶しねえとって言ったのはニコだろうが」
思わず納得したダミトリスは、苦し紛れにぼやいた。
話をしているうちに日は暮れて、クラブ『110』は営業時間になっていた。ライトが点灯し、看板が照らされると途端に夜の活気がやってくる。
顔役がやってるだけあって繁盛しているらしく、多くの若者達が開店早々に足を運んで来た。夜遊びを楽しむ若者達の出で立ちからすると、ブラックスーツを着込んだ二人はかなり目立っていた。
「で? ソコロニスの言ってた女のところに行くのか?」
「ああ。だが約束の時間までは時間がある。こいつらかも聞き込みをする。もしかしたら他にも売り込まれた奴がいて、こっそりキメてるかもしれねえからな」
「そうかよ。ならお前に任せる。俺はアホンダラだからな、お話し上手のダミトリスさんが適任だ」
「……口の減らねえ野郎だ」
二人はソコロニスから紹介されたヒューマン族の女性との待ち合わせ時間まで聞き込みを続けていたが、しかし思うような結果は得られなかった。
アギヌスでのドラックの売買はキチンと禁止されており、エフォリア以外のドラッグでも購入している者はいなかった。
これはもちろん、サマリス家の権威が端の区まで行き届いている事に他ならない。しかしそれよりも彼ら彼女らを自制させていたのは、二人が派遣される前に売人のアジトを襲撃したセオファニスの噂が広まっていたからだった。
そのおかげか『110』から出てきたところを見られたからか、地元住民達はみな一様に協力的で、情報収集自体に苦労することはなかった。
だが収穫は皆無だった。
新型ドラッグの話題こそ知っていたが、その実物を見た者はおらず、誰も関わりたくないという態度だった。
ダミトリスは一度、ソコロニスから得た情報をパトリツィオに報告しており、それらは全て派遣されたファミリーの者達にも共有されている。
しかし他の者達の収穫も皆無だった。
「なにがエフォリアだよクソッタレ。全然エフォリアじゃねえじゃねえか」
約束時間が近づき、聞き込みをいったん中断して集合場所に向かう最中、ニコラオスは吐き捨てるように言った。
「ま、ファミリーが聞き込みをしてるのが広まってるんじゃ、実際に買っててもダンマリを決め込むだろうよ。今朝ぶち殺した売人連中も、エイレティアの事情を調べもしてなかった外の連中だったからすぐわかったんだ。街の人間ならもっと上手く立ち回る」
「クソが。本当に副作用がないってんなら、よっぽど馬鹿やらかさなきゃバレねえ。実際にキメた奴の話を聞かねえことにはどれぐらいブっ飛ぶのかもわかんねえじゃねえか」
「それが新型の売りなのかもな。誰にも気づかれず、依存もしないってんなら最高のドラッグだろ。だから南区域でも商売を始めようとしたのかもしれねえ」
「小賢しい連中だぜ亜人ってのはよ」
「デケえ声で言うんじゃねえよ。周りに聞こえるだろうが」
通りには他の南区域ではまず見られないほど、亜人種の数が多かった。
事件や二人が派遣されたことは亜人種のネットワークですでに拡散されており、ブラックスーツを見た途端に彼らは顔を背け、遠巻きに警戒していた。
「ここか?」
「ああ、ソコロニスの言ってた待ち合わせの店はここだ」
指定された店は雑居ビルの二階。
ここを指定したのは買った女で、なるべく一目につかず、ソコロニスの息がかかったバーである。
小さな看板の掛けられた扉を開けると、中に客は一人しかおらず、カウンターでは事情を把握しているバーテンダーがグラスを磨きながら頷いた。
「お前さんがソコロニスの言ってた女か?」
「……そうよ。私はアリナア」
ヒューマン族の女性は警戒するように二人を見上げる。
「俺はダミトリス、こいつはニコラオス。サマリス・ファミリーの人間だ。そのあたりはソコロニスから聞いてるな」
アリアナは黙って頷き、不安そうに首を掻いた。
「怯える必要はねえ。アリアナ、お前はファミリーに協力してくれた恩人だ。失礼な事はしねえよ」
最後の言葉はニコラオスに向けてのものだったが、当の本人はカウンターに並んだ酒のボトルを物色していた。
「おい、仕事中だぞ」
「俺はバーテンと話をしてる。そっちは任せた」
ニコラオスは振り向きもせずカウンター席に座る。
バーテンダーは困ったようにダミトリスに視線を向けるが、ダミトリスはため息をついてアリアナの前に座った。
「よおアリアナ。あんた、学生じゃねえだろ。普段は何してる」
「……それって、ドラッグと何か関係あるの」
アリアナは警戒心を強める。
「まあな。ここに来るまでに何人かに聞き込みをしてみたが、誰も売人に接触してねえって話だ。噂話はともかう、現物を見た人間はほとんどいなかった。どうしてあんたが選ばれたのか、それも知りたいからな」
アリアナは幾分か躊躇った後、ダミトリスが引き下がらないとわかると渋々口を開いた。
「……私、普段は修理屋で働いてるんだけど、たまに知り合いの手伝いでダンジョンに潜行したりしてる。と言っても補助要員として雇われてるだけだから、本格的な潜行士ってわけじゃない」
「潜行士? そりゃ凄えな。エイレティア生まれか?」
「そう。生まれも育ちも、ずっとアギヌスよ。だからギルドのルールも、南区域のルールもちゃんとわかってる。だからソコロニスのところにドラッグを持って行ったの。あんた達が誰なのかも、ちゃんとわかってる」
警戒心は不安から来ているようだった。
まるで、今にも扉からファミリーの人間が押し入ってくるかもしれないと言わんばかりに何度も視線をやり、組んだ足は忙しなく揺れている。
早口に説明するのは、少しでもダミトリスからの印象を良くする為だった。
「そうか、なら話が早くて助かる。なんせアフェンティコは、この件をかなり問題視しててな。若い衆だけじゃなく俺達まで駆り出される始末だ。俺も、ニコラオスも、さっさとこの問題を解決したい。わかってくれるな?」
優しい声色ではあるものの、ダミトリスはわざと物騒に事情を説明した。
効果はてきめんで、アリアナはいっそう顔を引き攣らせ、不安さを誤魔化すように首を掻く。
「おいおい、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫」
そう言いながら、アリアナは先に注文していたらしいウーゾという蒸留酒を飲んだ。
「良い感じだ。ならもう一度話をしてくれ。例のドラッグを売りつけたって売人の亜人種、人狼だったか? について教えてくれ」
「教えてくれって言われても、たいしたことは知らないから」
「例えばどんな人狼だった? 人狼の亜人種にもいろいろあるだろ? 毛の色とか体格とか牙の形とかさ」
「毛の色は白だった。体格とか牙とかはわかんない。人狼ってみんな似てるし、見分け方なんか知らない」
白い毛の人狼種は、主に北方の寒冷地からやってきた者が多い。
大陸でも南方に位置するエイレティア付近では珍しく、世界大戦時に故郷を追われた種族である可能性は高かった。
「ハッピーだぜアリアナ。そいつはご機嫌な情報だ。一歩前進だな。それで? そいつはどこでお前さんに声をかけてきた」
「『ナイトレイン』っていうナイトクラブ。『110』よりもこじんまりとしてて、DJのセンスが違うの。あ、これ悪口じゃないから。別々の良さがあるっていうか、世界観の違いっていうか――」
「わかってる、わかってるよアリアナ。俺はクラブ音楽についてはあんまり詳しくねえが、違いがあるぐらいならわかる。で、その『ナイトレイン』って店には亜人が多いのか?」
アリアナは爆弾がいつ爆発するのかわからないような顔で答える。
「ええ、どっちかというと、そっちがメインかも。DJも獣人族がやってる。たまにヴァンパイアのルーカスがやるときもあって、その日は凄い人気なの」
「なるほどな、そいつは景気が良くていい話だ」
内心では全く興味のないダミトリスだったが、アリアナが話しやすいように調子を合わせた。
同時に、ニコラオスが一緒でないことに安堵する。
亜人嫌いのニコラオスならば、この段階で悪態をついてもおかしくなかった。
「売人はその店の常連か?」
「常連ってわけじゃないけど、常連のオルベーンとは知り合いみたいだった。別にオルベーンも売人ってわけじゃないよ。彼はアギヌスで働いてるし、ソコロニスの考えには賛同してるから。亜人が問題を起こしたら積極的に仲裁してるし、注意喚起だってしてるし」
間違いなく、ニコラオスなら嘲笑していただろうとダミトリスは思った。
「オルベーンて亜人は良い奴らしいな。人狼か?」
「ええそう。だから私も信用してた。オルベーンとは何でも言い合える仲だし、真面目な人なの。まさかその友達が売人だとは思ってもみなかった」
まだオルベーンについては友情を感じているらしく、その亜人をかばうような物言いである。
ダミトリスは心の中でその人狼も要注意のレッテルを貼った。
アリアナは首を掻きながら続ける。
「売人はザルガスって名乗ってた。『ナイトレイン』でオルベーンに紹介されて、一緒に飲みながら踊ったの。凄く明るくてお喋りで、気のいい人だった。音楽の趣味も合ってたし……」
たいしたことは知らないと言ったそばから、趣味が合うである。
もしかするとこのアリアナというヒューマン族は、亜人種にも開放的な女性なのかもしれない、そうダミトリスは勘ぐる。
亜人種の住む街では、往々にしてそのような異種間交流があるものだ。
狙われた理由は、そういった関係性から庇われると計算された結果かもしれなかった。
「待てよ、てことはそのザルガスって人狼は――」
「ええ殺されたわ。『オ・テレフテオス』に……」
『オ・テレフテオス』とはセオファニスの異名である。
終の者を意味するその異名は、セオファニスがいかにエイレティアで恐れられているかを象徴していた。
「そうか、そりゃ、ショックだっただろうな」
喋りすぎたと思ったのか、アリアナは首をぶんぶん振って否定する。
「違うッ、別に彼が殺されたのはショックじゃない。裏切られたことがショックだったの。南区域でドラッグを売るんだもの、ソコロニスのところに行くと決めたとき、こうなることはわかってた」
しかし関係を持った人物が殺されたのはショックだったらしく、アリアナはまたも首を掻きだした。
「それ、どうしたんだ?」
「え? なに?」
「首のそれだよ。あんまりいい癖とは言えないんじゃないか? 潜行士なら、セミナーとかセラピーとかあるだろ。ちゃんと行ってるのか?」
するとアリアナはバッと首から手を離し、誤魔化すように膝に置いた。
「ごめんなさい。虫に噛まれて痒いだけだから」
明らかな嘘だと、ダミトリスはすぐ見抜く。
しかしアリアナはこれ以上詮索されたくないよう立ったので、ひとまず話を先に進めることにした。
「なら、エフォリアについて教えてくれ。あんたはなんて言われてあのドラッグを売られたんだ? どうしてそんなことになった」
「……その、最近ちょっと仕事で嫌なことがあって、イライラしてたの。その話をオルベーンとしてて、ザルガスに言ったみたい。たまたま通りで彼にあって、相談に乗るからってバーに行ったの。その時に――」
「アギヌスでか? そのザルガスってのは、南区域のルールは知ってたんだよな?」
「だから最初は私も断ったの。この区域ではドラッグは禁忌だって言った。そんなことしたら、どうなるかわからないって」
膝の上の手が震え出す。
「懸命な判断だ。それで、ザルガスはなんて言った」
「これはドラッグとは違うって言ってた。自分の故郷にある香草を煎じたもので、吸収しやすいようにカプセル型にしてるんだって。気分がスッキリして、副作用は何もないって。メンソールの煙草を吸ったみたいな感覚に近いって、嫌な事を忘れられるって」
「だが、アリアナは信じなかったわけだ。ならどうして買ってからソコロニスのところに行った。断ってからでもよかったじゃねえか」
アリアナはまた首を振る。
「その時は信じたの。だってザルガスはいい人だったし、オルベーンの友達だったから。相談にも心から考えてくれてるみたいだった。……でも、家に帰ってからやっぱり怖くなって、悩んで、ソコロニスのところに持って行ったの。でも――でもあんな、『オ・テレフテオス』が来るなんて――」
アリアナの様子は完全に異常だった。
まるで本物のドラッグの副作用のように大量に発汗し始め、震えは止まらないようだった。
誤魔化した手はまた首に戻り、掻くというより締め付けるように力をこめていた。
「オイ!」
「違う! 違うの! こんなつもりじゃなかった! ほんの出来心で、本当にやるつもりじゃなかった! わた、わたし、やめてお父さん! そんな目でワタシを見ないで! 違ウノ! オ母さン! 見捨てないで! オトウサンを止めてヨォ!!」
「ニコ!!」
判断は一瞬だった。
ダミトリスが跳び退り、ニコラオスはすぐさま懐から拳銃を抜いた。
そして一切の躊躇いのない発砲。
炸裂音は何度も鳴り響き、バーテンダーは悲鳴をあげながらカウンターの下へと隠れる。
しかしアリアナは何発もの銃弾にその身を貫かれたにもかかわらず、未だに動いていた。
空いた服の内側からはどす黒い血液が弾け、店内を赤く染める。それでもアリアナは立ち上がり、恐怖に満ちた形相で虚空に向かって藻掻き、何かを振り払おうとしていた。
そして変貌はそれだけに留まらなかった。
「――なんだ、こりゃ……」
ニコラオスの隣まで距離を取ったダミトリスが呆然と呟く。
アリアナの身体は、明らかにヒューマン族ではないモノへと変化し続けていた。
見える血管が淡く発光し、爪や牙だけでなく頭部からは角のようなモノが生え始めていた。
するとすぐさまニコラオスが再度発砲、全弾を撃ち尽くすと流れるように弾倉を交換し、さらに撃った。
「――タ、スケ、テ」
オリアナだったものは最後にそう呟き、床へと倒れた。
その姿はまるでヒューマン族ではなく神話や伝承に出てくるような、悪魔のような形をしていた。




