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2-5 珈琲占いは信じるべきか

「どこから手を付ける?」


 夕方、アギヌスで再集合したニコとダミはカフェで一服していた。


 セオドロスはこの区では二人が顔が利くと言っていたが、厳密にはダミトリスの友人が多かった。


 東区域との境界にあるアギヌスである。短気ですぐに手が出るニコラオスは要注意人物扱いされている。


 このカフェの店主は、馴染みのダミトリスに続いてニコラオスが入店してきたとき、顔を引き攣らせていた。


「それが問題だ。セオファニスが来たってんなら、敵さん連中は逃げ出したはずだ。神々の怒りを買った虫みたいにな。あいつの通った後には雑草一本残ってねえ」


 そう言ってダミトリスは湯気の立つ珈琲をすする。


 一方でニコラオスは果実だけを絞ったオレンジジュースを注文していた。


「なら、まずは『110』からだな。アギヌスの住民は誇り高い。顔役から挨拶に行かねえと」


「だな。しっかし、アギヌスとはいえ南区域でヤクとはな。馬鹿な連中の考えることはわからねえぜ」


 そう言ってダミトリスは美味しそうに珈琲を啜る。


 ニコラオスは不気味なものでも見るかのような顔をした。


「……お前、ホントよく飲めるな。猫のケツがよぎらねえのかよ」


「コイツは珈琲だ。香りも芳醇で深みがあるし、味の余韻も長く続く。良い珈琲ってのは上品なもんだ。これにはその上品さがある」


「ケツから採れる珈琲に上品もへったくれもあるかよ。おかげで当分は珈琲を飲む気がしねえ。どうしてくれんだ」


「それはお前に感謝が足りないからだ。だいたい、世の中ってのは上手くサイクルするように出来てんだよ。小麦や葡萄だって成長するには栄養がいる。その栄養はどこから来てると思ってんだ? 土に混じった生き物の糞や死骸だ。じゃあその生き物の飯はなんだ。小麦の葉だったりそれを食いに来た虫なんだぞ? そんで俺らは、そういった自然のサイクルで出来た小麦をパンにて食ってる。つまりお前は、ミミズの死体で育った小麦のパンで腹を満たしてんだ。もっと自然に感謝をしろ」


「わかったわかった、もうクソテレビの受け売りはウンザリだ。これ以上、生きるのが不便になるようなクソ知識は聞きたくねえ」


 ちょうどその時、店に備え付けてあるテレビを付けようとしていた店主は、慌ててリモコンを放り投げた。


「何言ってやがる。知識は人生を豊かにするものだ。大切なのは、その知識とどうやって付き合うかであって――」


「説教は学校でするんだな。そろそろ行こうぜ。このままじゃ延々と無駄話を聞かされるハメになっちまう」


 ニコラオスは立ち上がり、財布からチップ込みの金額を机に置いた。


 説教を遮られたダミトリスは不満げに珈琲を飲み干す。


「学校行ってねえくせに」


「お前も行ってねえだろ」


 さっさと店を出ようとするニコラオスだが、ダミトリスは何かに気がついたようにカップの底を見つめていた。


「――待てニコ」


「今度はなんだ」


「これ、見ろよ」


「口で言えばいいだろ。なんだよ」


「珈琲の粉だ。蜘蛛の巣みたいになってやがる」


「それがなんだ。まさか占いでもしてるんじゃねえよな」


「まさに占いだバカタレ。蜘蛛の巣は困難や複雑な状況を意味してる。これは不吉だぞ」


「なら帰ってセオドロスに言うんだな。珈琲の残り滓が蜘蛛の巣模様になったので、仕事は放り出しますって。そんでカプローニに撃ち殺されろ。笑ってやるから」


「誰が逃げるって言ったよバカタレ。これは神々のお告げだ。気をつけろってな。神々がわざわざこうし

て苦難を教えてくれてるんだ。馬鹿にすんじゃねえ死にてえのか」


 真剣な顔で占い結果を口にするダミトリスに、付き合いきれないとニコラオスは店を出て行った。





 アギヌス区は中央区域から丁度真南に位置し、エイレティアの南部へと続く都市道によって東区域と分かたれている。南イミュトス山から続く緑地公園が区の南部を沿っており、エイレティアではよくある人口密集の住宅地である。


 本来、こういったわかりやすい境があると、区民はそれぞれに結束し、余所者の判別を容易くする。それが亜人の住む東区域ともなれば、あの都市道は越えてはならないと子供に注意したりする。外と内がハッキリとしていると、区別は鮮明となるものだ。


 しかし、アギヌス区はそうならなかった。


 あまり区域以外に出たがらない亜人種が、中央区域以外でよく見かけるのはその特色あってこそである。


 そしてその特色を形作ったのは、クラブ『110』のオーナーであり、アギヌス区の顔役となっている男によるものだった。


 同時に、ファミリーにとっては不安定さを抱える原因にもなっている。


「よお、オーナーのソコロニスに用があってきた。約束はねえ。今日はいるか?」


 エイレティアでは建物は基本的に白く塗装される。


 強い日差しに対抗しての文化だが、こういったナイトクラブは往々にして建物全体が黒で統一されていたりする。


 巨大な看板にはシンプルに『110』と描かれ、落書きを一切許さないオーナーの意図を組み、スプレーアートの類いは一切見られない。


 ニコラオスとダミトリスは、まだ開店もしていない正面口から堂々と入店し、不快そうにする受付係に声かけた。


「……あんたら誰? てかまだ開店前なんだけど」


 受付係は面倒そうに首を掻きながら言った。


 ダミトリスはにこやかに答える。


「俺はダミトリス、こいつはニコラオスってんだ。オーナーとは顔馴染みでな。名前を伝えてくれればすぐわかる」


 しかし受付係は首を掻いたまま、なかなか取り次ごうとはしない。不躾に二人を頭からつま先までじろじろと見ている。


 ものの数秒も待てずイライラし始めたニコラオスだったが、笑顔のダミトリスがこっそりとその足を踏んで止める。


「頼むよ。ちょっと内線一本かけてくれるだけでいい。そんな手間じゃないだろ?」 


「……まだ開店前だし、そう言う連中は追い出せってオーナーには言われてる。また後にして。知り合いなら、オーナーがどんな人かぐらい知ってるでしょ」


 話は終わったとばかりに、受付係はスマホを取り出しいじりだした。


「おいガキ、いい加減に――」


「俺達はサマリス・ファミリーの者だ」


 さらに足を踏みつけ、ダミトリスが前のめりになって言う。


 ニコラオスの注意が大事な靴に向かっている間に、ダミトリスが詰め寄る。


「ちょっと前に、ここいらで揉め事が起こったよな? その事でオーナーと話をしたいんだよ。お嬢さん、あんたもこういった店で働いてるんだから、少しぐらい事情は知ってるだろ?」


 受付係は胡乱げに目線を上げる。


 ダミトリスは渾身の笑みを浮かべる。


 ニコラオスは無理矢理足を引っぱり出すと、文句を言いながらハンカチを取り出ししゃがみ込んだ。


「頼むよ。面倒事は起こさないって約束するからさ」


「……オーナーに叱られたらあんたらのせいだから」


 ようやく受付係は受話器を手に取り内線をかける。


 ダミトリスは満足げに背筋を伸ばすと、さっそくニコラオスに詰め寄られた。


「なにも踏むことはねえだろ。靴が汚れたじゃねえか」


「汚れなんか拭けば落ちるだろ。お前が口を出せば事態が複雑化する。さっきの珈琲占いに出てただろ」


「じゃあなんだ? お前はクソ占いで蜘蛛の巣が出たから俺の靴を踏んだのか? 猫のクソから出来た、お前の飲み滓でか?」


「そうだ。神々のお告げは無視しちゃならねえ」


「無視しちゃならねえのは他人への礼儀だろうが! 神々は靴を汚せって言ったのか? 口で言えばいいだろうが口で!」


「お前が口で止まるなら踏んでねえんだよバカタレ! カプローニの件しかり、マルコスの件しかり! 主義だの何だのクソみたいなこと言って止まんねえだろ!」


「マルコスの時は止めなかっただろうが! それに主義は生きるためには大事な事だ! お前のクソ占いと違ってな!」


「神々を馬鹿にすんなって何度言えばわかんだバカタレ! 謙虚さを学べ謙虚さを!」


「お前のどこが謙虚だクソッタレ!」


「なんだと!?」


 店に来た目的を忘れ、さっそく一触即発となる二人を止めたのは、スタッフ用の扉が叩きつけられる音だった。


「お前ら、人の店でなにバカな言い争いしてる」


 ドスの利いた声で二人を注意したのは、受付係の連絡を受けて嫌な予感がしたオーナーのソコロニスだった。


「ああソコロニス、悪いがちょっと待っててくれ。いまこの馬鹿に神々への敬意を教えてやらなきゃならねえ」


「馬鹿はお前だダミトリス。仕事の邪魔だって言ってるんだ。さっさと来い、どうせ例の件だろ。これ以上迷惑かけるなら協力はしないからな」


 そのまま返事を待たずに扉の奥へと消えた。


「ニコのせいで怒られたじゃねえか」


「馬鹿って言われたのはお前だろうが。これ以上機嫌を損ねる前に行くぞ」


「どの口で言ってやがるバカタレ……」


 やかましい二人が消えると、受付係は嬉々として変な二人組が来たと友人にメッセージを送った。




「そこに座れ。言っとくが何もださんからな。開店前に迷惑かけるような連中は客じゃない」


 綺麗に整頓された事務所に通された二人は、来客用のソファに座るよう促される。


 ソコロニスは自分のデスクに座った。


「普通、挨拶に来て喧嘩するか?」


「……面目ねえ」


 事務所に入るまでに冷静になったダミトリスが詫びる。


 ニコラオスは特に何も言わず、蛍光灯に光る自分の革靴を眺めていた。


「まあいい、話は例のドラッグについてだろ?」


「ああ、セオドロスから調べてこいって言われてる。今回はその挨拶と、いまわかってることを教えて欲しい。あんたはアギヌスの石ころの数まで知ってるだろ?」


 ソコロニスは背もたれに寄りかかると、デスクの引き出しから件のドラッグを取り出した。


「これだろ?」


「……なんで持ってる。それはファミリーが回収したはずだろ?」


「注意喚起には現物が必要なんだよ。見た目だけなら、こいつは風邪薬となんも変わらないからな」


 ソコロニスは開放的な人物だが、それでもサマリス家の方針には従っている。


 抗争後、外からは多くの人や文化文明がエイレティアに流れ込んできたが、それは何も一般生活に根ざすものばかりではない。


 麻薬の類いが危険であることは承知していた。


「――ファミリーでは足取りは掴めてないと聞いている。ソコロニス、あんたはどうだ。亜人の連中にもあんたなら顔が利くだろ」


「買いかぶってもらっちゃ困るが、俺もアギヌスの全てを知ってるわけじゃない。亜人は秘密主義が多い。アイツらが本気で潜れば俺でも把握は無理だ」


「今回の売人については?」


「もともとこの辺りで遊んでた奴等ではないらしい。何人か知り合いに聞いてみたが、ゾグリフォウを根城にしてる連中って事まではわかった。あの辺りは東区域でも特に亜人が多い。さすがに手は付けられねえな」


 早くも暗礁に乗り上げたのではないかと、ダミトリスはソコロニスの話を聞いて思った。


 とうに売人はセオファニスによって粛正されており、しかも相手は秘密主義の亜人種である。


 東区域のゾグリフォウから流れてきたともなれば、二人ではいくら調べても何も出て来ないだろう。サマリス家の影響力が及ぶのは、南区域の中だけである。


 それに二人は、サマリス家の戦闘員として顔が割れすぎていた。武装したまま他の区域に足を踏みいれようものなら、示威行為だと思われても仕方がない。


「厄介だな……」


「悪いな。セオドロスには世話になってるが、他の区域のことまでは協力できない。俺は所詮、しがないクラブのオーナーでしかない」


 セオドロスへの義理立ては本当のようで、ソコロニスはその時初めて申し訳なさそうにした。


 ダミトリスは、少なくともアギヌスの住民が売人組織と協力関係ではないと判断した。


「そこまではアフェンティコも求めないだろうよ。ところでそのドラッグ、名前とかあんのか? 効き目とかは知ってるか?」


「こいつを売り込まれて報告してきたヤツが言うには、エフォリアって名前らしい。効き目は他のドラッグと変わらないが、副作用はないって話だと。そいつは買うだけ買って俺のところに持ってきた。アギヌスでドラッグを買う馬鹿はいないと信じたいが、こっそりやってる奴はいないとも限らない」


「エフォリア?」


 聞き馴染みのない言葉にダミトリスが首を傾げると、ソコロニスではなくニコラオスが答えた。


「古代語だ。順調とか、満足とか、収穫が多い時に使われる言葉だ。あと健康状態とかにも使われる」


「なんでニコが古代語なんか知ってる」


「この前読んだコミックに出てた。グノーティとサウトンって作家の作品だよ。意味がわかんねえから調べたんだ」


「お前がそんなマメなヤツだとは知らなかったぜ」


 本気で意外そうにするダミトリスである。


 ニコラオスは無視して、汚らわしいものかのようにドラッグ――エフォリアを睨む。


「本当に亜人連中がそいつを流してるってんなら、丸焼きは確定だな。亜人のくせにエイレティアの古代語なんて持ち出しやがって、皮肉のつもりかよ」


「おい、何も亜人連中の全員が悪人ってわけじゃない。世界大戦で故郷を追われてこの街に来た奴等だっているんだ。口の利き方には気をつけろ」


 気色ばむソコロニスだが、ニコラオスは鼻で笑った。


「それで地元連中にドラッグ流すってのか? 頭下げて住まわせてくれってならまだしも、勝手に住み着いてドラッグ売る連中につける気なんかないね」


 むしろ肩を持つのか、とソコロニスを睨みつける。


「亜人全員をひとまとめにするなと言ってるんだ。ドラッグなら北区域でも西区域でも流通してる。そこに住んでるのは亜人種じゃないだろうが」


「アイツらは余所者だ。可能ならいつだって蜂の巣にしてやるよ。ここはエイレティアだ。俺の故郷を穢すクソ共は誰だって許さねえ」


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