表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/40

2-4 海の向こうから帰還した男

 信頼の置ける腹心の二人を見送ると、セオドロスはそっと息をついた。


「カペタニオス?」 


 すかさずパトリツィオが声をかけてくる。


 心配性が過ぎる相談役に、セオドロスは苦笑する。


「何でもない。朝からする話ではなかっただけだ」


 近年、エイレティアを巡る情勢のには変化の兆しがあった。


 一つ一つは小さな厄介事に過ぎないが、それらが積み重なるのには意味がある。それらはまるで吹き出す前の鍋のように、蓋の下で圧力を溜めているものだ。


 このような兆しは、やがて大きなうねりとなるのをセオドロスは知っていた。


 ちょうど十年前、エイレティアが今の五つに分かたれる原因となった抗争の時も、このような兆しがあった。


 しかしそれに気づいているのは、ファミリーではセオドロスだけだった。


「あの二人が問題なら、私の方で対処しますが」


「パトロス、お前がニコとダミを嫌っているのはわかっているが、少しは認めてやれ。二人は十年前から我々と共に戦ってきた、家族も同然だ。それにこの街を愛している」


「それはわかっています。しかし問題が多いのも事実です。あの二人が起こした面倒事の数は群を抜いている。この前も危うくワイルドハントと戦争を起こしかけた」


 セオロドスは思わず笑った。


「ああ、あれは拙かったな」


「笑い事ではありません」


 この堅物の相談役が気にしているのが、他の勢力との抗争ではないことセオドロスは知っていた。


 パトリツィオは度々、このような迂遠な言い方で二人を問題視してきた。しかしその本質は、二人の自分への気安さだ。


 セオドロス自身はあの二人の素朴なところを気に入っている。多少の狼藉も、彼らの忠誠への必要経費程度にしか捉えていない。重要なのはファミリーにもたらす利益と、エイレティアへの愛情だった。


「とにかく、二人のことは気にするな。いいな?」


「……カペタニオスがおっしゃるなら」


 この話は終わりだとセオドロスが手を振ると、パトリツィオは静かに頷いた。


 率直に意見しても、最終的な判断に異を唱えるようなことはしない。


 セオドロスが移民であるパトリツィオを相談役に置いたのは、子供の頃から面倒を見てきたことだけでなく、必要という言葉を知っているからだった。


「今日はもう人と会う約束はないか?」


「もうすぐマルコスが来ます。それと午後にはギルドの管理補佐官が挨拶に来ます」


「誰だ。一人でか? ギルド長は?」


「一人でです。名前はマクシム・エンデ。出身はケルン、エンデ家は有力な貴族の家で、フォンの名を得ています。ケルンでもギルドに所属しており、それなりの地位だったそうです」


「年齢は?」


「二十五歳、年の割にかなりのやり手です。ケルンの大学の出身で、その人脈の中には貴族だけでなく有力な政治家も含まれています。しかし恋人や、伴侶はいません。身一つでエイレティアに来た」


 パトリツィオは思った以上に管理補佐官の事を調べ上げていた。


 しかしセオドロスが気になったのは、情報が簡単に手に入り過ぎていることと、身一つでエイレティアに来たということだった。


「どう思う」


「今のところは善良で有能な若者としか。ギルドでの評判も良いようで、彼を慕う話しか聞きません。エイレティアに来た目的は、潜行士や冒険者の死亡率を下げるためだとか。取り組みも始めているようです」


「死亡率? その為だけにエイレティアに来たのか? 家族もおらず、友人もいない他所の街へ?」


「あの年の若者ならば、と言えなくもありません。――気になりますか?」


 敵として調べるか、そうパトリツィオは言った。


「そうだな……」


 セオドロスが逡巡していると、開けた窓から何やら騒ぎ声が聞こえてきた。


「――マジかよクソふざけんな! 俺達エイレティア人は蜂蜜で出来てんだぞ! てことはアレか? ルクマデスも、バクラヴァも、蜂のゲロと知らずに食ってたってのか!?」


 気の抜けるような空気が流れ込んできた。


 パトリツィオは苦虫を噛み潰したような顔になる。


「……黙らせますか?」


「放っておけ。あと、マクシムという若者については、まだ深追いするな。こちらが詮索していると感じさせたくない。とりあえず、その取り組みとやらだけ把握しておけ」


「わかりました」


 たかだかギルドの職員一人に構えすぎかもしれないが、用心するに越したことはない。


 セオドロスの名前は、エイレティアで知らぬ者はいない。そしてこの街で何をしてきたのかも。


 ただの職員ならば、わざわざ自分に挨拶に来るわけがない。そんな許可も降りないだろう。ということはエイレティアのギルド内でも少なからず影響力を持っているに違いなかった。


 災いは他所からやってくる。


 そして悪とは、総じて味方の顔で近づいてくるものだ。


「――父さん。マルコスだよ」


 マクシムについて考えを巡らせていると、すぐにまた扉がノックされる。


 三男の来訪に顔をほころばせたセオドロスは、ひとまず午後については後回しにした。


「来たか。入りなさい」


 セオドロスは立ち上がり、入ってきたマルコスを出迎えた。


「おはよう、父さん。調子は?」


「まあまあだ。お前はどうだ」


「僕もまあまあだよ」


 挨拶のハグを交わし、セオドロスは息子を椅子へと案内した。


「パトリツィオ」


「おはようマルコス」


 マルコスはパトリツィオともハグを交わし、父親に促されるまま椅子に座る。


 セオドロスは満足げに肩を叩くと、自分の椅子に戻った。


「母さんが寂しがっていたぞ。帰ってきたというのにほとんど家には戻ってこないじゃないか」


「仕事が忙しくて。毎日、嬉しい悲鳴で一杯いっぱいなんだ。でも、ちゃんと帰るようにするよ。そろそろ母さんのご飯も食べたいし」


「そうか」


 セオドロスは十年ぶりにエイレティアに帰ってきた息子を誇らしく思った。


 ちょうど十年前、エイレティアには大規模な戦いの嵐が吹き荒れ始めていた。


 周囲を大ダンジョンによって囲まれているエイレティアは、資源の宝庫に等しい。第三世界、フロンティア、外の世界ではエイレティアはそのように呼ばれている。世界大戦後、経済が各都市国家の戦いへと姿を変えると、エイレティアは黄金の木となったのだ。


 次々と押し寄せるのは、何も健全な企業や国家だけではない。少しでも利権を握ろうと、うしろ暗い組織も後を絶たなかった。中には暴力でもってエイレティアを掌握し、利益を独占しようとする者達も多くいた。セオドロスはそんな余所者達から街を守るために、武器を取ったのだ。


 まだ幼かったマルコスをケルンに逃がしたのは、そんな戦いから守るためだった。


 息子達の中でもひときわ聡明だったマルコス。


 その才覚は上の兄弟達よりも大きく勝っていた。自分の跡を継ぐならばマルコスだと、当時はまだ中学生だったマルコスに感じていた。


 しかしだからこそ、マルコスには安全な場所にいて欲しかった。


 安全な場所で教育を受けさせ無事に育った後、平和になったエイレティアに戻ってきて欲しかった。


 セオドロスが今のエイレティアの形を受けいれたのは、そんな思いもあったからだった。この戦いは妥協点を受けいれなければ延々と続き、最後には自分達が負けるであろうことをセオドロスはその最中に感じ取っていた。


 そしてエイレティアは平穏を取り戻した。


 表向きの戦いは終わり、五つに分けられることで街は安定した。


 極東の魔法使いの仲介もあり、エイレティアはダンジョン都市として生まれ変わる。それまではただの港町に過ぎなかったエイレティアは、潜行業と貿易で一気に栄え、多くの観光客を招けるほどにまで発展した。


 マルコスが帰って来られるようになったのは、そのおかげでもある。


 そしてそのマルコスは、ファミリーとは無関係に街で生活を始めようとしている。


 これこそセオドロスが望んだ未来の一つだった。


「門のところで父さんの部下に会ったよ。ニコラオスとダミトリス。僕が街を出るときにはいなかったよね?」


「ちょうど、お前をケルンにやったすぐ後にウチに来てな。もう十年になる。立派なファミリーの一員だ」


 そう言って悪戯にパトリツィオに目をやる。


 相談役は無表情のまま微かに肩をすくめた。


「そうなんだ。でもそれじゃ、二人がファミリーの一員になったのは十代じゃないの?」


「どうだったかな。パトロス、あの二人がファミリーに入ったのは何歳の時だ?」


「十八と十九です。しかし面倒を見ていたという事でしたら、十一と十二の頃ですね。二人とも父親が抗争で亡くなりましたので、母親への援助と併せて小遣い程度の仕事をさせていました」


 なんだかんだ言いつつ、パトリツィオは二人の詳細を頭に入れていた。


「そうか、そうだったな。二人の父親は立派なエイレティアの男だった。それにお喋りなところも父親譲りだ。マルコス、お前、二人に会ったなら見ただろう?」


「……そうだね。何というか、個性的な会話をしていたよ。珈琲とか蜂蜜とか、いつもああなの?」


 マルコスはニコラオスに食ってかかられた話はしなかった。


「そのあたりは、パトロスの方が詳しい」


「マルコス、あの二人の頭はどうかしている。あまり真に受けない方が良い。勝手に喋って、勝手にキレだすような連中だ。近寄らない方が賢明だよ」


 パトリツィオはセオドロスを苦々しく睨む。


 セオドロスは喉の奥を鳴らすに留めた。


「確かに口も手も足も悪いが、性根は善良だ。お前は関わることは少なそうだが、礼儀を持って接しろ。二人とも立派なエイレティアの男だからな」


「わかってるよ父さん。父さんを助けてくれた二人は僕にとっても恩人だからね」


 そこでマルコスは居住まいを正した。


 胸を反るように息を吸うと、静かにゆっくりと吐き出し、腰の前で手を組む。


 挨拶は終わったと、暗に示していた。


 セオドロスは背もたれに身体を預け、先を促す。


「実は今日、父さんに会いに来たのは、さっき言った仕事の話をするためなんだ」


 静かにパトリツィオがマルコスの背後に立った。


 この部屋で商談をするとき、客人をセオドロスの正面に、パトリツィオその背後に立つ。


 相手の細やかな仕草の癖を図るためだ。


 過剰なのか、息子を一人の男として認めているのか。


 ひとまずは好きにさせることにした。


「それで?」


「抗争が終わって、父さんのファミリーは街の輸出入を管理してるよね。ギルドと提携して潜行業をサポートしてるはずだ。ギルドへの依頼が増える度に、商品も膨れ上がるばかりだよね」


「そうだな」


「そのおかげで、ファミリーの負担も増えてるはずだ。倉庫業者とか、人手不足は否めないよね」


 パトリツィオの視線が鋭くなる。


 マルコスにはファミリーのビジネスについては一切関与させていない。それでも的確に悩みの種を言い当ててきたのは、事前にマルコスが調べてきているからだ。


 そしてそれを、ファミリーは把握していなかった。


「その人手不足を、僕の会社でサポートできないかなと思ったんだ。抗争後、仕事を失った住民達を父さんが援助しているのは知ってるよ。でも手の届かない人がいるのも事実だ。街が分断されて、手を出しにくい区域にも地元民はいるからね」


「確か、人材派遣会社だったか? 口利きの仕事だな?」


「そうだよ。父さん達は繋がりで人を動かしてるけど、それを仕事として行うんだ。必要な場所に、必要な時間、必要な人材を送る。エイレティア以外の都市ではもう一般的な業務形態だよ」


 セオドロスは少しばかり郷愁の念のようなものを感じた。


 こうやって、発展した街では人の付き合いも仕事になっていくのだろうか。人口も増えれば、把握できるご近所さんの数も減っていく。自分が子供だった頃は、町内の皆が家族のようなものだった。


 こうやって、栄えた街とはビジネスに取り込まれいくのだろうか。


 それではむしろ、人と人との繋がりが断たれていくような気がした。


「父さんの気掛かりもわかるよ。でも、何事にも限界はある。それに、ビジネスは信頼だからね。父さんは街の有力者だから、街の根幹である貿易、つまり港を任されてる。でもエイレティアの取引先は膨大だ。必要とされる人材も多くなる」 


 セオドロスはパトリツィオを見る。


 相談役としてファミリービジネスを把握している彼は、静かに頷いた。


 まさにそれは、ファミリーを悩ます問題の一つでもあるからだ。


 急速に成長し、急速に変化した街のありように、ファミリーの許容量は日に日に限界に近づいている。


「つまり、お前の会社がファミリーの面倒を見るということか?」


「違うよ。僕が街に帰ってきた理由さ。僕は父さんのサポートがしたくて、街に帰ってきたんだ。会社を立ち上げたのも、ファミリーの内側からだけじゃなく、外から手伝えることがあると思ったからだ。家に中々帰ることができなかったのも、その準備を整えるためだったんだよ。ようやく目処が付いた」


 マルコスの眼差しに、虚栄のような色は見えなかった。


 準備ができたというのも本当だろう。


 満を持して、マルコスは屋敷を尋ねてきたのだ。


「……急に言われてもな。事前に教えてくれても良かったんじゃないか?」


「悪かったよ。驚かせたかったんだ。それに、失敗したら恥ずかしかったしね。必要がなかったら、やっぱり恥ずかしかったし」


 この抜け目のない三男の事である。


 おそらく街に戻った段階で、この未来は見えていたのだろう。出来るわかっていて、会社を立ち上げたはずだ。


「お前の話はわかった。だが、今すぐハイと言える話でもない。事がビジネスとなれば、相手が息子でも関係なからな」


「とにかく、考えてみてほしい。損はさせないよ。それに僕も、エイレティアの男だ。街の為に出来ることをしたいんだ。地元住民の為にね」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ