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2-3 ハチミツゲロチュー

「セオドロス、マジでキレてたな。あんなボスを見たのは久々だぜ」


 玄関を出るや否や、ダミトリスは腕をさすりながら言った。


「だな。まあ、今回はヤクの問題だ。頭にきてるのもわかる。連合は昔から汚え事ばかりしやがる」


 手癖で煙草を取り出そうとしたニコラオスは、ここが何処だかを思い出して手を止めた。


「これからどうする? いったん帰るか?」


「だな。その前に飯にしようぜ。そんで帰って寝る。仕事はその後だ。どうせ、昼間じゃろくな情報は集まらない。適当に何人か知り合いに連絡だけしとこう」


「賛成だ。確かに眠たくて仕方ねえ。頭をシャキッとさせる必要がある。いまならアトラスの気持ちもわかるってもんだ」


 したり顔のダミトリスに対し、ニコラオスは鬱陶しそうに言った。


「また神々かよ。何を支えてるって言いたいんだ? まさか瞼じゃないよな?」


「……」


「当たりかよ。やっぱ朝飯はなしだ、さっさとクソして寝ろ。朝飯食べながらクソつまんねえこと聞かされたくない。17時ぐらいに現地集合にしよう」


「お前がそうしたいなら、俺はそれでも構わない」


「上から目線でなに言ってんだ」


 二人が門から出ようとすると、屋敷の前に見慣れぬ車が停車した。


 身構える二人だったが、警備の男は気にする様子もなく車の側に向かい、中から出てくる若者を出迎えた。


「誰だ?」


「知らね」


 若者はにこやかに警備に話しかけ、親しげに接している。もう何度もこの屋敷を訪れているようだった。


 しかしよく観察してみると、若者と警備の間には力関係があるのがわかる。互いに一見すると気安そうにやり取りをしているが、リラックスをしているのは若者の方で、警備は笑顔ながらも、どこか一線を引いたように姿勢を正していた。


 二人は若者の事が気にならないわけではなかったが、眠気と空腹の方が今は勝った。


 さっさと段取りを決め、腹ごしらえと失われた睡眠時間を取り戻さなければならなかった。


「集合場所はどうするよ」


「アギヌスかあ。どこか美味いタヴェルナあったか? 別にカフェでもいいけど」


「17時ならカフェにしよう。別に晩飯を済ませるわけじゃないんだろ? だったらタソスの店だ。あそこの珈琲は絶品だからな。起き抜けに熱い珈琲を飲めば頭もシャキッとするもんだ」


「シャキシャキうっせえよ、一人で勝手にやってろ。それにタソスの店の珈琲って猫の糞で淹れるって聞いたぞ。お前クソが飲みたいのかよ汚えな」


「糞をそのまま溶かしてるわけねえだろ!? 猫とか猿に豆を食わして、その糞から採れる豆を使ってんだよ」


「やっぱクソじゃねえか。クソを食うなんてやってることが豚と同じだぜ。お前豚になりたいのか?」


「話のわからねえヤツだな! ちゃんと洗って乾燥させてるに決まってるだろ! 猫の腹ン中で発酵すると風味が変わるんだ。高級なんだぞう?」


 ニコラオスはあり得ないモノでも見たかのような顔をする。


「マジ? てことはみんな、猫の糞をありがたがってるのか? 信じられねえ、いくら風味が変わるからってクソから採れた珈琲なんか飲むか? 絶対無理だ俺はゴメンだね。別の店にしよう」


「なに言ってやがんだよバカタレ」


 断固拒否の姿勢を崩さないニコラオス。


 ダミトリスはせっかくの提案を無碍にされ、どうにかして相棒を説得しようと上手い言葉を探していたが、それよりも面白い事を思いついたとほくそ笑んだ。


「……だったら蜂蜜はどうだ。お前、蜂蜜がどうやって出来てるのか知ってるか?」


「蜂が花から集めた蜜じゃねえのかよ」


 ダミトリスはニンマリして言った。


「ありゃ蜂のゲロだ。外回りの蜂が一回飲み込んで、巣の蜂に口移しで飲ませてんだ。つまり蜂蜜は、蜂のゲロリレーで出来てんだよ」


 ニコラオスは顔を引き攣らせて嘔吐いた。


「オェ、マジかよクソふざけんな! 俺達エイレティア人は蜂蜜で出来てんだぞ! てことはアレか? ルクマデスも、バクラヴァも、蜂のゲロと知らずに食ってたってのか!?」


 同じく生粋のエイレティア人のはずのダミトリスは、驚愕するニコラオスになぜか得意げになった。


「そうだ。ニコの好物の蜂蜜グリルも、チーズに蜂のゲロをぶっかけて食ってんだよ。ざまあみやがれ」


「お前も蜂蜜は好きだろうが! お前、そんなクソみたいな話知ってて今まで蜂蜜使ってたってのか!?」


 ダミトリスは得意げなまま頷く。


「ああ、もちろん。俺は蜂蜜が蜂のゲロだって知ってて、ルクマデスもバグラヴァも食ってた。美味しくいただいてたぜ」


「ざけんなクソったれ! もしかしてお前、そのクソみたいな話、クソテレビから仕入れたんじゃねえよな」


「もちろん、テレビからだ。エルティアTVでやってた養蜂畑のドキュメンタリーで知ったんだよ」


「二度と見んじゃねえそんなクソ番組。仕事は後回しだ。俺は今からテレビ局に行ってくる。そんでそんなクソ番組作ったクソッタレをぶっ殺してくる」


 いきり立ったニコラオスは、テレビ局まで二時間も距離があるカラストキからすでに拳銃を抜いて撃鉄を起こした。


 愉快極まりないとダミトリスが高笑いする。


「ハーハーハー。エルティアTVはギルドの管轄だ。つまり中央区域にある。中央は不可侵区域だ。手を出したらファミリーに迷惑かけるどころじゃねえぜ?」


「クソ――ッ!!」


 怒りをぶつけようにもここは自分のボスの屋敷の前である。ストレス発散に銃を連射するわけにもいかず、鬱憤はたまるばかりである。


 ニコラオスはヤケクソ気味に地団駄を踏み、その様子をダミトリスは満足げに眺めていた。


「何をそんなに怒ってるんだ? 人の家の前ではあまり騒ぐものじゃないだろ?」


「――アァ!?」


 不意に話しかけられて、ニコラオスは殺意が漲ったまま睨みつける。


 話しかけてきたのは先程の若者だった。


 ファミリーの中でも、ニコラオスとダミトリスは武闘派で知られている。組織柄、争いとは縁が切れないサマリス・ファミリーであるが、その中でもこの二人は暴力装置として機能している。ファミリーの最大戦力であるセオファニスを抜きにすれば、セオドロスが信頼して派遣するのはこの二人だった。


 しかしそれよりも共通認識で広まっているのは、ニコラオスがボスであるセオドロス以外には誰にでも牙をむくことだった。しかも組織のメンバーにすれば厄介な事に、二人は常日頃からくっちゃべり、隙あれば互いを不機嫌にさせるほど罵り合っている。現にニコラオスは拳銃を抜いており、いまにも発砲しそうなほど剣呑な状態にあった。


 実際、若者と話をしていた警備の男は、勘弁してくれと言わんばかりに頭に手を当てていた。


 しかし若者はそんなニコラオスに動じることなく、自然体のまま相対している。


 怒りに燃えているニコラオスはともかく、ダミトリスはそんな若者を意外そうに見下ろしていた。


「誰だ、お前。いまちょっと腹の据わりが悪いんだ。ぶっ飛ばされたくなかったらさっさと失せろ」


 背丈のあるニコラオスは、顎を突き出しながら若者を威圧する。


 若者は小柄で、相対すると大人と子供ほどの身長差がある。


 それでも若者は肩をすくめ、一歩も引かない様子を崩さなかった。


「そんなこと言われてもね。失せるなら君の方だろ? さっきも言ったけど、人の家の前で騒ぐものじゃない」


「……んだと?」


 ニコラオスの目の色が変わる。


 脱力したように首を傾げ、若者をじっと見つめる。


 明らかな危険信号に、警備の男が慌てて割り込んできた。


「待て待て待て待ってくれ! ニコ! この人はマズいんだ! 頼むから言うとおりにしてくれ!」


「うるせえぞアダム。コイツが何処の誰かなんて知るか。俺は喧嘩を売られたんだ。売られたら買うのが俺の主義だ」


 若者から目をそらさずにニコラオスが答える。


 アダムは助けを求めるようにダミトリスを見上げるが、ニヤニヤ笑っているだけで何の役にも立ってくれそうにない。


 もう一人の警備は木であると自分に言い聞かせ、景色と同化していた。


「マジでヤバいんだよニコ! この人はアフェンティコの息子さんだ! 何かあったら丸焼きじゃ済まない!」


 アダムの必死の言葉に、ダミトリスが目を丸くする。


 アフェンティコとはいわゆるボスの意味で、カペタニオスよりも砕けた呼称である。


 つまりこの若者はセオドロスの息子であり、人の家とは若者自身の家であることを指していた。


 しかしニコラオスは怪訝そうに眉をひそめるだけだった。


「息子ぉ? エイレティアに残ってるセオドロスの息子はイアソンとヘラクレスだけだろ。そんでこいつはイアソンでもヘラクレスでもない。残りの三男坊は抗争前にケルンに逃がされたはずだ。もう十年も前だぜ」


 その言葉に、初めて若者の顔に感情がよぎる。


 しかしそれも一瞬の事で、チラリとアダムに目をやったニコラオスも、事情を知りたそうにしているダミトリスも、そしてアダムも若者の揺らぎに気がつかなかった。


「その三男さんだよ! マルコス・サマリス! 最近ケルンから帰ってきた正真正銘アフェンティコの息子さんだ! だから頼むよ! これ以上は勘弁してくれ!」


 いよいよ悲痛なアダムの説得に、ニコラオスもようやく冷静になってくる。


 それにマルコスとは、先程の書斎でセオドロスとパトリツィオのやり取りに出てきた名前だ。


 どうやらこの若者は本当にセオドロスの三男らしい、そうニコラオスは理解し、怒気と拳銃を収めた。


「ならそう早く言え」


「聞かずに突っかかったのはニコだろ……」


「悪かったな。知らなかったとはいえ、カペタニオスの息子に突っかかるつもりはなかった。謝るよ、許してくれるか?」


 そう言ってニコラオスは手を差し出す。


 若者――マルコスはその手をじっと見つめてから、素直に握った。


「もちろんだとも。謝罪を受けいれる」


「ありがとう。俺はニコラオス・スタヴロス。ファミリーにはガキの頃から世話になってる。何かあったら何でも言ってくれ。カペタニオスの息子なら俺の弟も同じだ」


「マルコス・サマリス。申し出は嬉しいけど、僕はファミリーの仕事はしてない。だけど、嬉しいのは本当だ。僕は最近エイレティアに帰ったばかりで、土地勘がまだない。美味しいタヴェルナがあったら紹介してほしい」


「ああ、とっておきの店に連れてってやるよ」


 ニコラオスはそう言って手を離し、改めてまじまじとマルコスを眺める。


 最近のエイレティアの若者事情からすると、マルコスはどこか古風だった。派手さもなく、黒髪はきちんとなでつけられ、背筋は自然と伸びている。それでも野暮ったく見えないのは、顔立ちが端正だからかもしれない。


 声色にしても大人びていて、落ち着いた低くよく通る声は、なるほど父親のセオドロスとよく似ていた。


 特にそっくりなのは、その目だ。


 微笑んでいても、それは油断なくニコラオスを観察している。こうした目をセオドロスがしているのを、ニコラオスは度々見たことがあった。


 冷静になってみると、セオドロスの息子だと紹介されても何の違和感もない雰囲気が、マルコスからは感じられた。


「良かったなニコ。セオドロスの息子をぶっ飛ばさなくて。危うくタコのエサになるところだったぜ」


 一触即発の気配がなくなって、ニヤニヤしたままのダミトリスが冷やかす。


 ニコラオスが言い返す前に、マルコスが口を開いた。


「君からの謝罪は受けていないが?」


「あ?」


 意味がわからずダミトリスは口をポカンと開ける。


 マルコスは無表情に戻り、今度はダミトリスと向き合った。


「君がニコラオスを怒らせたんだろ? それに、僕に突っかかる彼を止めようとしなかった。アダムがやめてくれと頼んだのにだ。けしかけたのと同じじゃないか?」


 感情こそ表に出さずとも、その視線はダミトリスを慌てさせるのには十分だった。


 ダミトリスが急いで手を差し出す。


「悪かった。俺も謝る。すまなかった」


 マルコスはふっと表情を和らげ、またその手を取った。


「もちろん、受けいれる」


「俺はダミトリス・パパデモス。ニコと同じでセオドロスにはガキの頃から世話になってる。俺にも何でも言ってくれ。タヴェルナでもカフェでも、何でも紹介する。仕事だってロハで請け負うぜ」


「さっきも言ったけど、僕はファミリーの仕事はしてない。けど申し出はありがたく思ってるよ。父を助けてくれる二人は僕にとっても恩人だ。これから仲良くしてくれると嬉しい」


 和解の場が済むと、マルコスはアダムに向かって言った。


「アダム、ありがとう」


「い、いえ、とんでもありません」


 そしてまた、二人に目を向ける。


「それじゃあ、僕はこれで家に入るよ。この後、父と会う約束をしているんだ。二人とも、また会う機会はあるだろうから、これからもよろしく頼むよ」


「ああ」


「もちろんだ」


 マルコスはそう言って、会釈をすると敷地の中に入っていった。


 その姿が玄関の内へ消えるまで、その場の三人は目を離せず見送っていた。


「……凄えな。さすがはセオドロスの息子だ」


「一番似てるんじゃないか? 兄貴二人とはえらい違いだぜ」


 ニコラオスとダミトリスがしみじみと言う。


「……次からは誰もいないところで喧嘩してくれよ? もうこんな胃に穴が空きそうな思いはしたくないからさ」


 そんなアダムの懇願を、ニコラオスとダミトリスは聞いていなかった。


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