1-21 エピローグ、あるいはプロローグ
「……そうですか。ダミリルさん達の事はとても残念ですが、エリシュカさんだけでも救出できたのなら、僥倖としか言いようがありません。ヴィンセントさん、今回は本当にありがとうございました」
再びギルド三階にある会議室に通されたヴィンセントは、悲痛な面持ちで感謝を述べるマクシムの差し出された手を、微妙な気持ちで握った。
「いや、力不足だった。全力を尽くして幸運にも恵まれてもこの様だ。啖呵切っておいて恥ずかしいな」
事のあらましは全てマクシムに伝えている。
しかし話したのは客観的に起こった出来事のみに絞り、自身の本心に関しては口にしなかった。
「とんでもありません。ヴィンセントさんは僕の予想以上に良くやってくれました。ヴィンセントさんがいなければ間違いなく全滅だったわけですし、エリシュカさんだけでも助けられたのは本当に幸運としか言えませんよ」
「マクシムが手を回してくれたおかげだ。正味なところ、潜行門からじゃなきゃ彼女は死んでた」
「僕に出来ることはそれぐらいでしたから。実際に大ダンジョンに潜行するヴィンセントさんとは違いますよ」
違法潜行したヴィンセント達は、ダミリル達を追いかけるために通常の手続きを取らなかった。近道をするために別の入り口を使わざる得なかったが、帰る頃には深夜もいいところ。彼らが利用したアンテッサは都市郊外の田舎町で、バスもタクシーも使えなかった。
そこでやむなく、ダンジョン入り口の潜行門を使うしかなかった。
潜行記録も、依頼受注も記録にないヴィンセント達は、そのままでは潜行門で必ず通報される。
受付の当直からマクシムに連絡が付いたときは、これもタレイアの加護のおかげなのかとヴィンセントは思ったほどだ。
「しかし……未知の魔物ですか。不死性を持ち、痛覚もなく、人型の魔物となれば、突然変異の魔物の可能性が高いですよね」
マクシムがヴィンセントの報告を受けて作成した書類を見ながら唸る。
ヴィンセントが頷く。
「そうだな、森の精霊も困惑してた。問題は、そいつが負けて上がってきたって事だ。知性もあって凶暴なら、魔素の流れ次第ではもっと上に来てもおかしくない」
「……潜行に規制をかけるべきだと思いますか?」
マクシムの問いにヴィンセントは鼻を鳴らす。
「馬鹿言うなよ。危険な魔物なんて他にもごまんといる。それぐらい、エイレティアの潜行士ならわかって当然だ。未踏破の大ダンジョンがどれだけヤバいのかなんてな」
潜行士や冒険者の死亡率を下げたいと言うマクシム。
しかしヴィンセントからすればそんなもの、この職を選んだ時点で当然のリスクだと考えている。
今回は自身の疑問を解消するべく救出に向かったが、そうでなければ放置していただろう。
あるいは、まるで自分を善良な英雄のように褒めるマクシムに、居心地の悪さを感じていただけかもしれない。
「それか、討伐が専門の奴等に依頼を出すかだな。そういうのはギルドの管轄だ。俺は口出ししない」
ヴィンセント達の専門は、もっぱら植物や動物型の魔物からの採取である。マンドラゴラやケリュニスから、依頼人の求める素材を採取することを生業としている。
しかし中には、ダンジョン内に潜む危険な魔物を討伐することを専門としている者達がいる。一定ラインとしてヴィンセント達も魔物との戦闘技術も習得しているが、特に討伐に特化した者達だ。
ヴィンセント達も潜行士として当然の戦闘技術やサバイバル技術を習得しているが、やはり専門家達と比べると明確な違いがあった。
「そうですね、ギルドでも議題にかけておきます。しかしよく生き残れましたね。攻撃性の高い未確認の魔物との遭遇時における死亡率は、通常の潜行よりも格段に高いのに」
「不意打ちをするだけしてすぐ逃げたからな。高い不死性とスカルウルフを使役する以外なにもわかってない。手負いで魔素が枯渇してたかもしれないし、ダミリルに気を取られてたから出来たことだ。万全の状態なら殺されてた」
「それが出来るだけでも凄いですよ。状況判断も潜行には必要な能力です。新人や中堅やどうしてもその辺りが疎かになってしまいがちですから」
通常であれば、当事者以外にこのような物言いをされればムっとくるものである。
しかしヴィンセントは、このマクシムに至ってはそのようには感じなかった。
マクシムが真剣に向き合っているようにも見えたし、実際問題としてそれぐらいの潜行士や冒険者にはよくある話だったからだ。
「ギルドでも注意喚起はしていますけど、こればっかりは当事者問題ですからね。メンタルケアや面談では限界がありますし、そんなことをしても適当に流されるだけですし……」
どうしたものかと悩むマクシム。
ヴィンセントは頃合いだと口を開く。
それこそヴィンセントがギルドに足を運んだ目的であり、報告はそのついでに過ぎなかった。
「それなんだけどな。やっぱり当事者じゃないと潜行士って連中は聞く耳を持たない。実際にダンジョンに潜って、その場を経験した人間の言葉じゃないとな。ちょっと研究や観光感覚で潜った連中じゃない、ちゃんと実績もあってダンジョンに精通した人間の言葉でないと」
「そうですよね……」
自分の言葉では届かない言われ、マクシムは落ち込む。
ヴィンセントは笑いながら続ける。
「それに、止めろって言われたからって止めるような連中は、そもそもダンジョンなんかに潜らない。潜行士や冒険者になるような連中は、どこか頭のネジが緩んでるもんだ。リスクなんか当たり前、ルールは続けるために守ってるだけで、いざとなれば簡単に破る。――今回が特にいい例だろ?」
その昔、まだギルドがただの斡旋所でしかなかった頃、それよりも遙か以前からダンジョンは存在し、ダンジョンに潜る者達はいた。
人種間の交流は乏しく、ヒューマン族の技術革新がなかった頃だ。人類にとってダンジョンは危険領域でしかなく、その外に生息する魔物だけでも驚異だった時代。
潜行という言葉もなく、法整備などまるでなかった時代だ。
潜るとは自殺行為そのもので、ダンジョンには近くの若者が度胸試しや通過儀礼の為に、入り口付近に片足を突っ込む程度しか入ることはなかった。
そんな時代にも、ダンジョンに焦がれ、潜行する者達はいた。
彼らは時に英雄と呼ばれ、ほとんどの場合は愚か者と呼ばれた。
国や宗教によっては立ち入りが厳しく禁止され、時には死刑もありえた。それでも人類種はダンジョンに潜ることをやめなかった。
あらゆる国、あらゆる街で、あらゆる理由で、その歩みは止まらなかった。
ある哲学者は、この歩みこそが人類という生物の本質であり欠陥だと語った。
すなわち、心という名の欠陥。
潜行や冒険は、その欠陥の発露の一つだ。
命は金よりも重く、命は心よりも軽い。
そんな本質と欠陥に突き動かされてきた者達と共に、人類種は前へと進み続けてきた。
「だけど、まあ、お前の言うこともよくわかる。どんな理由であれ、死んだら終わりだ。つまらない人生も最悪だが、つまらない死はもっと最悪。なにも面白くない。アーサーの死が最悪だったみたいに」
「……ですね」
「だから、俺なりにその間を考えてみた。潜行も冒険も止めない。でももっと歩き続けるためにどうしたらいいのかをな」
「どういうものでしょう。ぜひ聞かせてください」
まるで夢のような考えにマクシムが前のめりになる。
ヴィンセントは思わず苦笑する。
色々語ったところで、すべて建前でしかないからだ。
ヴィンセントは自分の心に従って、この街に来た。
そうしてまた、心に従って歩みを進める。
それが自分本位で、ヴィンセント・ハドソンのいう人間の欠点であることを、彼自身がよくわかっていた。
それでも彼は歩くと決めた。
誰よりも尊敬し、誰よりも焦がれた存在が、つまらない死を迎えないように。
「このエイレティアって街は潜行士には楽園だろ? 世界中からネジの緩んだ奴等が集まってくる。でも無事引退できたのはほとんどいない。みんな死んだか、続けられずに故郷に帰った。ようするに、頭の冴えたベテランの潜行士が街には残っていない」
「そうですね。それがエイレティアの死亡率に繋がっているのではないかとも言われています。大ダンジョンの特異な魔素の影響か、そういった人材の確保が難しいのが現状です。――その心当たりが?」
「西区域に『イ・イェフィラ』ってタヴェルナがある。そこの店主が頭の冴えた元潜行士だ。そいつに、ギルドで教官をするよう働きかけてみてくれ」
「タヴェルナの店主? なんというお名前なのでしょう」
「そいつの名前は――」
そしてヴィンセントは、憧れた男の復活を目論む。
それが目の前に座る、ある野望を持った若者の目論みの一つだとは知らずに。




