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1-19 つまらない死

 ――間に合うか?


 ヴィンセント達は武器を構えたまま走っていた。


 二度の魔術による爆発音と怒声、そしてつかの間の静寂の後、絶叫と剣戟がまた始まっていた。


 ヴィンセントはそれをダミリル達が下層の魔物に襲われたのだと判断した。


 先の魔術はエルザイルによると、水中で発動し、すぐに連続で行使されたと言う。


 その後に静かになったところを鑑みるに、彼らはオルキュドラの狩猟に成功したのだ。


 しかしそこに、下層の魔物が襲いかかった。


 今なお続く戦闘音はその証拠だ。


 ヴィンセント達はこの戦闘によって活性化した魔素に他の魔物が引き寄せられてこないか警戒しつつ、前進を続けていた。


 夜の森は空気が落ち着く。それにより遠くまで音は遠くまで響くので、ダミリル達との距離が厳密には測れない。全力疾走で体力を使うわけにもいかず、周囲にも気を配らなければならないのでヴィンセントはもどかしさを覚えていた。


「――構えろ」


 再びエルザイルが警告し、三人は立ち止まる。


 今度は前方にだけ意識を集中し、アランが先頭、ヴィンセントとエルザイルがその後に続く隊列を取る。


 アランは自作の魔装具である斧を構え、いつでも魔術を発動できるよう準備する。ヴィンセントはその背中越しに、ダンジョン用に改造した愛銃のジグを構えた。


 何かが走ってくる。


 足音は弱々しい。


 まるでほうほうていで逃げ出したような、しかし辺りを気にする余裕もないような、手負いの獣のようだった。


「――たす、け……」


 木の陰から現れたのはヒューマン族の女性。


 何かに噛みつかれたらしい右腕は血に塗れ動かないらしい、左手で庇いながら足も引き摺っている。


 その身にはなにも持たず、武器もバックパックもない。


 まさになんとか逃げ出してきたという様子だった。


「アランッ!」 


 叫んだのは倒れそうになるエリシュカを支えさせる為ではない。


 その後から追いかけてきたスカルウルフを排除させるためだった。


 数えて四体のスカルウルフを、アランが一手に引き受ける。


 先頭を走る一体の頭を斧で叩き砕き、飛びかかってきた個体の顎めがけて突き込んだ。


 残りの二体はエルザイルが石を投擲し、ヴィンセントが撃ち抜くことで無力化した。


 一呼吸の間で行われた討伐だった。


「お前、エリシュカだな。何があった!?」


「……あなたは――」


 誰と出会ったのか気がついたエリシュカはその場に倒れ込み、ヴィンセントは咄嗟に彼女を支える。


「……どうして」


「そんなのは後だ。他の仲間はどうした。まだ沼にいるのか?」


 一瞬、エリシュカの瞳が暗くなる。


 しかしすぐさま懇願するようにヴィンセントの腕を掴む。


「お願いッ、ダミリルを助けて。私を逃がす為に、彼はまだ――」


「ゼア、魔除けの香を焚いてくれ」


「いいのか? 今はむしろ危険では?」


「デケえ連中ならなにしたって無駄だ。それなら小型の魔物を寄せ付けない方が良い」


「わかった、ローリエにするか?」


「いまはタレイアの加護があるからな、それで頼む」


 ゼアは見張りをアランに任せ、エリシュカの周囲に燃え移らないよう草木を払う。


 そうして出来た剥き出しの地面に、背嚢から取り出した薬草袋から乾燥させたローリエの葉を盛り付け、マッチで小さな火を灯していく。


 その間に、ヴィンセントはエリシュカの応急処置を済ませていく。


「お願い……早く、ダミリルを」


「わかってる。いいからここで大人しくしてろ。魔術具は使うな、魔物が寄ってくる」


 そう言い聞かせると、手早く済ませたヴィンセントが立ちあがる。



「魔物がどんなのか聞かなくていいの?」


「時間が惜しい。それに見た方が早い」


 言うが早いかヴィンセントは走り出す。


 エルザイルは結界を完成させるとすぐに後を追う。


「――じゃあ、悪いけど行くね」


 気遣うようにそう言ってアランも続いた。


 エリシュカはその背中を見送る事しかできず、三人が森に消えると糸が切れたように意識を失った。

 


        ◆



「ハハハ、良く踊るな人間。いいぞほれ、頑張れ!」


 悦に入った魔物が叫び、また錆びた剣を振り下ろす。


 ダミリルは途切れそうになる意識の中で、もう何度受けたかわからない一撃をまたいなす。


 魔物は明らかにダミリルを嬲っていた。


 本当ならとっくに殺されているであろう事を、ダミリルは理解していた。


 魔物の一振りには技術などという駆け引きはなく、ただ漠然と上から振り下ろしているだけに過ぎない。


 現に魔物は嗜虐的な笑みを浮かべ、絶妙にダミリルを壊さない力加減を維持していた。


 そして周囲には、号令一つでいつ襲いかかってきてもおかしくないスカルウルフの群れが、骨をカタカタ打ち鳴らして取り囲んでいる。 


「そらそら、そんな有様でどうする。貴様が死ねば女は我が喰ろうてしまうぞ」


 全身のあらゆる骨と筋肉が悲鳴を上げていた。


 筋断裂を起こした両腕は、すでに再起不能まで壊されていた。魔物の剣を受け流す度に腰の骨が軋み上がり、踏ん張る膝と足首の関節は潰れかけている。幾たびの衝撃を受け止め内臓は損傷し吐血は止まらない。


 それでもダミリルは、この魔物の注意を一秒でも長く引き付けるため、文字通り死力を尽くして嬲られ続けていた。


 それがなぜなのか、もうわからなくなっていた。


 もちろん魔物はダミリルの惨状などお見通しである。


 その上で嬲り殺すのを止めようとはしなかった。


 この暴虐も、魔物にとってはオルキュドラを食す前のちょっとした余興に過ぎないのだ。


「あの傷では遠くまでは逃げられん。今すぐ骨共に追わせても良いのだぞ? 女をここまで引き摺ってこさせ、貴様の前で喰ってしまおうか?」


 ダミリルには、魔物の挑発は聞こえていなかった。


 血液を失い過ぎたのだ。甲高い耳鳴りが頭の中で響き続け、少なくなった血を懸命に巡らせようと心臓が脈動している。


 ひとえに、ダミリルが未だ立っていられるのは、魔物がそのように加減しているからだった。ほんの少し手を止めるだけで、ボロボロの身体はその場に崩れ落ちる。


 皮肉にも、魔物の悪意がダミリルを突き動かしていた。


 まるで操り人形で遊ぶかのように。


「――む、なんだ?」


 突然、暴虐の雨がやむ。


 ダミリルは最後に身をかばおうと振り上げた剣の勢いに負けて、その場に崩れ落ちた。


 血を失い霞んだ視界の中で見えたのは、噴水のように噴き上がった沼に気を取られた魔物の背に振り降ろさんとされる、煌々と燃え上がった斧だった。



        ◆



 木の上から飛びかかったアランは魔術を作動させ、岩すら叩き折る膂力で斧を振り下ろした。


 同時に破裂した魔素の気配に気を取られていた魔物は、咄嗟に片手で剣を掲げるも押し切られる。


 まさに一刀両断。


 頭をかち割らんとしていたアランの一撃は、辛うじて間に合わされた防御にズラされはするも、肩の付け根から腰にかけてを切断される。


 同時に発動していた魔術の炎によって、腐った肉が焼ける嫌な音がした。


「ナンダ貴様ァ!!」


 痛みを感じていないのか、魔物は悲鳴ではなく怒号をあげる。


 アランの頭を砕こうと、残った拳を一切の遊びなく振り下ろそうとした。


 だがそれも、獲物に届くことはない。


 死角より迫り込んでいたヴィンセントが、渾身の膝蹴りをその顔面にたたき込んだからだ。痛みは感じずとも勢いに押され、魔物の重心が大きく揺れる。拳は空を切り、片腕を失ったことでバランスを失った魔物が地面へと転がった。


 着地したヴィンセントは、続けざまに愛銃のZW-C6をベルトより引き抜き、その頭部に三度発砲した。


 掛け声一つない、一切の無駄のない連携だった。


「グォォォォオオオ!!」


 それでも止まらない魔物は言葉にならない咆哮をあげる。


 歯を食いしばりながら身体を起こし、残った腕を振り回した。


 闇雲に振り回された腕だが、それでも当たれば人類種には致命傷だ。ヴィンセントは後方へと大きく跳び退り、地面で一回転するとすぐさま体勢を立て直して再度発砲した。


 すべて命中、胸を貫き血肉が舞う。


 ヴィンセントは眉を顰める。


 今回装填していたのは、動く死体などのゾンビ種を葬るための魔術的加工が施された弾丸だった。


 ヴィンセントはすぐに二つの可能性について考えを巡らす。


 すなわち、この未知の魔物は特別優れた耐性を持っているか、そもそもゾンビ種ではないのか、ということである。


 腐乱し爛れた肉体。まるで継ぎ合わされたかのような巨大な体格。存在しない痛覚。脳を破壊しても動き、特別仕様の弾丸にも効果が見られない。


 ヴィンセントはすぐ結論づけた。


「――プランB!」 


 プランB、すなわち逃走である。


 この魔物が何であれ、奇襲は失敗した。


 今はただ怒りに単純な暴力しか振るっていないが、下層出身の魔物であればどんな魔力を持ち合わせているか


 わからない。それに今の装備で倒せるかも不明なのだ。


 主の転倒に下僕のスカルウルフ達も混乱している。


 逃げ出す好機である。


 ヴィンセントは銃をベルトに挟み込みながら、倒れているダミリルに駆けより担ぎ上げる。


 一方でアランは再び斧を振りかぶり、魔物の腕をかいくぐり、地に着いた脚をたたき切った。


 そして切断する瞬間に魔術を作動させる。


「――ッ!?」


 肉体に触れた時間はおよそ0.5秒にも満たなかったが、曲がりにも人体である魔物には効果があった。


 斧より迸った電撃は、100ボルト以上の電圧で魔物の肉体に電流を駆け巡らせる。


 全身の筋肉や組織が硬直した魔物は、初めての電撃に理解が出来ず言葉なく再び倒れる。


 そこでようやくスカルウルフの群れが主の窮地に動き出した。骨を打ち鳴らしながらヴィンセント達へと殺到する。


 しかしそれは対策済みだった。


 ヴィンセントとアランは、ジョエルの店で買った聖光のポーションを地面へと叩きつける。


 月光を飲み込む魔素の光が、沼一帯を埋め尽くした。


 粉となって消えるスカルウルフ達。


 ヴィンセントとアランは目を覆った腕を降ろし、沼地の外へと一目散に逃げ出していく。


 その後では、電気硬直から復活した魔物が切られた脚をくっ付けていた。


「マテニンゲンドモォ! タタダジャスマサンゾ! ナブリゴロシテヤ――ッ!?」


 最後まで言い切ることが出来なかったのは、離れたところで魔術を行使していたエルザイルが再び水を操ったからだ。


 沼から吹き出した水流が魔物を包み込む。


 水が流れ落ちたとき、魔物は半狂乱になっていたが、決して沼から離れはしなかった。


 まるで意味があるかのように、足首に蔦が巻き付いていたことと、ヴィンセントのプランBという言葉を警戒してのことだった。


 それらに意味がないと悟った頃には、ヴィンセント達は夜の森の中に消えていた。






「――ヤバすぎなんだけど!? マジで死ぬかと思った! 見た? あの魔素っ、めっちゃ気持ち悪ぅ吐きそうぅ」


 未知の魔物から距離を取り、エリシュカが倒れている位置にまで撤退すること十分。


 安全を確認した途端にアランが悶えた。


「……そうなのか?」


「体内の魔素は異様な巡り方をしていた。気持ち悪いはアランの感性だが」


 エルザイルはなんとも言えない顔でアランを見下ろす。


 汚い物でも見たかのようにアランは目をこすり、必死に唾を吐いていた。しまいには鼻をかみ始め、排泄物を茂みの葉に押しつけてヴィンセントにはたかれた。


「痛いよ」


「加護があるって言ったろ。タレイアに見られてると思っとけ」


「監視なんて良い趣味じゃないよまったく……」


 ブツブツ文句を言い続けるアランを無視して、ヴィンセントは振り返る。


 ローリエの結界の中、横たわる『銀の風』の二人。


 オルキュドラの死骸の側に倒れていたエリックにヴィンセントは気づいていたが、そこまで回収する余裕はなかった。万が一、あの魔物がスカルウルフを召喚したり復活させたりした場合、聖光のポーションはエルザイルの持つ分しかない。アランの手を塞ぐわけにはいかなかった。


「どうする? 女性だけ連れて帰るか?」


 エルザイルが淡々と提案する。


 それには答えず、ダミリルの側に膝をついた。


「――は――は――は――」


 蚊の鳴くような息は短く、その灯火が消えかけているのがわかる。


 ダミリルは目に見えて重体だった。


 出血は多く服が血だらけで、あの魔物に痛めつけられていたのがわかる。


 もっと酷いのはその内側だろう。


 ヴィンセントがダミリルを抱えたとき、一切の反射がなかった。


 それは気絶しているからというよりも、もはや筋肉が機能していないような感触だった。損傷しすぎて熱を持ち、内出血でぶよぶよなのだ。それでいて痛みに意識を取り戻すことすらないのだから、ダミリルにはすでに感覚が失われているのだろう。


「どっちか、こいつらの荷物回収できたか?」


「そんな余裕なかったでしょ」


「……」


「ま、だよな」


 ヴィンセントはそう言うと、ベルトに取り付けたポーションの内、神経興奮剤を取り外しダミリルの口に押し込む。


「えー、もったいないじゃん。どうしてそんな酷いことするの?」


「アラン」


「なにゼア?」


「静かにしておけ」


 本来、この薬はアウラウネなどの植物型の魔物が操る幻覚に対抗するためのものだ。


 五感を活性化させ、身体の内側から幻覚の魔力や粉の効果を打ち消す効能がある。


 それはある意味で、気付け薬のようなものだ。


 この状態のダミリルには刺激が強すぎるが、最後の時間を与えるには必要な処置だった。


 無理に嚥下させられ咳き込んだ後、ダミリルが目を開ける。


「……ヴィンセントさん?」


「よお、散々だったな」


「……あの、魔物は?」


「ぶっ飛ばしといたから安心しろ。それに、ほら、お前の連れもまだ生きてる」


 隣で眠るエリシュカを指さす。


 ダミリルはゆっくりとその指を追い、心の底から安堵のため息を小さくついた。


「……よかった。無事だったんだ。彼女も、ヴィンセントさんが?」


「お前が助けたんだ。俺はほとんどなにもしてない。もう一人に関しては悪いが無理だった。お前を回収するので精一杯だった」


「――そうですか……ご迷惑を、おかけしました」


 友人を悼むように目を閉じ、ダミリルの目の端から涙が流れる。


「……すみませんでした。僕、あなたに嘘をつきました。あなたは僕に警告してくれたのに、こんな――」


「そんなつまんねえことは気にすんな。それより時間がない。言い残すことがあるなら早くしろ」


 事ここに及んで、ヴィンセントは嘘をつかなかった。


 お前はもう死ぬ、それを端的に伝える。


 ダミリルはヴィンセントの瞳をじっと見つめると、弱々しい微笑みを浮かべる。


「……エリシュカは、助かりますか?」


「正直、五分だ。それ以上は保証できない」


「なら、念の為にお願いがあります。ハラプのカロリヌム病院に、マリカという女性が入院しています。僕達の幼馴染みなんです」


「ああ、それで?」


「彼女に申し訳ないと伝えてください。愛しているとも」


「わかった。ハラプのカロリヌム病院のマリカだな。間違いなく伝える」



 ヴィンセントが約束すると、ダミリルは安堵したようにエリシュカに目を向ける。


「……それと、エリシュカにも、どうか生きてくれと」


「わかった」


「……ありがとう、ございます」


 そしてダミリルは空を見上げた。


 木々の隙間からは、満月が彼を見守っている。


「……くやしい」


 その声は震えていた。


「悔しいです。こんな、こんなことになるなんて……」


「……そうだな」


「僕達は……ぼくは……まちがえ――」


 そうして、ダミリルの瞳から光が失われた。


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