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1-17 森だけがすべてを知っている

 タレイアの聖域から出ると、そこは入り口とは別場所だった。


「……どこ、ここ」


 げんなりとしたアランがヴィンセントに尋ねる。


 タレイアにケリュニスの群れのところに送られたアランは、ヴィンセントが迎えに来るまでの間ずっと兄弟を亡くした彼らに睨まれていた。


 襲いかかられこそしなかったが、怒りに満ち満ちた眼差しを向けられ続けるのは針のむしろよりも精神的に参るものがある。


「知らねえ。森のどこかだろ」


「えー? じゃあもう無理じゃん。てか帰れなくない? 見逃すって言ったくせに」


「いや、道ならわかる。このまままっすぐ進めばいい」


「どうして?」


「前に道があるからだ。それにハマドリュアスは嘘はつかない。加護も貰ったしな」


 ヴィンセントの言うとおり、彼らの前にはまるで木々が避けたかのような道が続いていた。


 人の手の入っていない森の中では、獣道でもあり得ないアーチのような木々が連なっている。


「……大丈夫なの?」


「加護を貰ったって言ったろ? 俺を害するようなことはしないはずだ。走るぞ、時間がない」


 そう言うとヴィンセントは返事を待たずに駆けだした。


「――え? ちょっと!」


「余所者達に何かあったようだな。急ごう」


 エルザイルは唐突な行動に驚くでもなくヴィンセントを追いかける。


 アランも文句を言いながら後を追った。


「こんなことになるなら昨日飲まなきゃ良かった。蜂蜜も盗られるしサンドイッチは食べられないし、もう最悪だよ」


「状況を教えてくれヴィンセント」


「余所者連中はアラクネに襲われてる。一人はやられたらしい。けどオルキュドラの沼の近くにはいる」


「森の耳がそう言ったのか?」


「ああ。下層で魔物の争いがあったらしい。それが原因で他の魔物が上がってきた。アラクネもその内の一体だ。昨日のスカルウルフも、同じ理由だそうだ。魔素に飢えてたんだと」


「もしかすると、持ってたマンドラゴラを狙ったのかもしれないな。しかし飢えていたとなると、魔素を取り込む魔物の可能性が高いな。森への影響は?」


「タレイアが言うにはそこまで酷くはないらしい。母様の許容範囲内だと」


「母様――最下層の神樹か。判断の難しい基準だ」


 広大なリベルタム大森林だが、その全貌はイミュトス山から俯瞰することが出来た。


 すると密集する樹木の中で、一本だけ取り分け巨大な大木が顔を出しているのがわかる。計測では全長百メートルを超え、幹の太さは十メートル以上はある。樹齢に至っては三千年近いとも言われ、古くから信仰の対象となっていた。


 ギルドはこの木がリベルタム大森林の中心最奥だと指定していた。ヴィンセントもエルザイルも、木々の精霊であるハマドリュアスが母と呼ぶ存在は、この木以外にはあり得ないだろうという認識だった。


「厄介なのはオルキュドラの沼地付近が騒ぎの場所に近いらしいってことだ。魔素が特に濃くなっているとタレイアが言ってた。もしかすると争った魔物のどちらかがいる可能性がある」


「特定は出来ているのか?」


「わからなかったらしい。ただ下層の聖樹は怒りと戸惑いを感じているって話だ。つまり――」


「この森の木々をなぎ倒すような戦闘が可能で、聖樹達が止められないような魔物の争いがあったということか。未確認の魔物である可能性は高いな。ますます、神樹の意思は読めない。そのような魔物を放置するのか」


「ウン千年も生きる連中の考える事なんてわかるわけねえよ。俺達が気にするべきは争った魔物がどんなヤツかだ。もしオルキュドラの花を狙って近づいてるなら、負けた手負いの方かもしれない。だとしたらかなり好戦的になってるかもしれない」


「――走りながらよく舌を噛まないよね。てゆうかますます帰りたくなったんだけど。絶対僕達も死ぬじゃん」


「加護があるから大丈夫だ」


「それってヴィンスだけだろ?」


「なら俺から離れるな」


 しばらくそのまま三人は暗い夜の森を走り続けていた。


 加護の力か元々そうなのかヴィンセント達にはわからなかったが、木々の隙間からは満月の力強い月光が差し込んでおり、魔術具で明かりを灯さずともよかった。


 それに道を間違えていないと確信出来るのは、道を挟んだ木々の枝に時折鳥が止まってヴィンセント達を見下ろしていたからだ。


 あれがタレイアの言っていた鳥の導きなのだろうと、ヴィンセントは考えていた。


「――止まれ!」


 エルザイルが叫び、ヴィンセントとアランは即座に立ち止まり臨戦態勢を取る。


 前方を見つめるエルザイルに対し、二人は死角を補うように位置取り武器を構えて気配を探る。


 半日近く走り続けた昨日と違い、三人の息が乱れている様子はなかった。


「……前方二十メートル付近に魔素の残滓を感じる」


「魔物と森のどっちだ?」


 ヴィンセントの問いにエルザイルは意識を集中させる。


「……どちらも、片方はおそらくアラクネだ」


 魔物の気配にヴィンセントとアランはさらに警戒を強める。耳をそば立たせ、枝や葉の擦れる音一つ聞き逃さないよう集中する。


「近くにいるか?」


「いや、気配はない。だがこの魔素は――」


 エルザイルが何かを言いかけたその時、彼の耳元にだけ小さく風が動いた。それは囁き程度に小さなものであり、自然のものではい。ヴィンセントとアランが気づかない程度の些細な風だ。


「どうした、魔素がなんだ?」


「――いや、どうやら事が済んだ後のようだ。近くにアラクネはいない。警戒を解いても大丈夫だ」


 エルザイルはそう言って魔力の高まりを抑える。


 率先した行動に、ヴィンセントとアランも疑うことなく武器をおろした。


「毒は大丈夫なのか?」


「問題ない。空気に異常は感じない」


 三人が先に進むと、そこには明らかにアラクネがいたであろう痕跡があった。


 地面には特有の突き刺したような足跡と、何か巨大なものが引き摺られたような土の乱れがある。そして切り裂かれた糸が二箇所で散らばっており、掘られ埋め直されたかのような土の盛り上がりがあった。


 そしてその盛り上がりには、供えるように赤い宝石と一本の短刀が突き刺さっている。


「……あいつか」


 ヴィンセントはすぐさまこの下にいるのが、ダミリル達の内の一人なのだとわかった。彼らがギルドやアゴラで身につけていた魔装具からすると、カーラと呼ばれたヒューマン族の女性だ。


「これってお墓だよね。じゃあこれが?」


「カーラって女性だ。タレイアが言ってた話と合致する」


「そっか……まあ、残念だよね」


 さしものアランも、こうして目の前に墓があれば茶化すような真似はしなかった。


「でもこれ結構貴重な魔装具だよ。こっちの宝石も」


「アラン、墓盗りは本物のクズのすることだぞ」


「……わかってるよ。ただ良い出来だって言いたかったの。ドワーフとしての感想だよ」


 ヴィンセントが睨むとアランは拗ねたように唇を尖らせた。


「連中はアラクネを倒したわけじゃなさそうだな」


「そうだな、何らかの干渉があったのかもしれない。それこそ、例の下層の魔物の可能性もある」


「わかるか?」


「いや、ここは複数の気配があって判別するのは無理だ。それにあれを見ろ」


 エルザイルの指さす方には、木に巻き付き切り裂かれたアラクネの糸があり、その近くには割れた試験管と零れた液体が地面を濡らしている。


「霊薬の類いだ。かなり品質のが高い。あれの魔素が感知の邪魔をしている」


「連中の物だろうな。ただ、墓を作る余裕があってってことは、アラクネは襲ってきてすぐにどこかに引き摺られたんだろう。あれは賢い、こんな物騒なモンもってる人間をなぶり殺すようなことはしない」


「同意だ。それに彼らはまだ諦めていない。足跡は先に続いている」


 エルザイルはしゃがみ込み地面の様子を確認して言う。


「走っている様子はない。危険は完全に去ったようだ」


「なら、もう近いかもな。俺達も進むぞ」


「あいあい。ここまで来たら彼らには無事でいて欲しいよ……」


「集中しろ。今のリベルタムはいつもより普通じゃない。リスクは常に一定だと思っとけ」



         ◆


 

 満月が天上にたどり着く頃、ダミリル達はようやく目的の場所であるオルキュドラの住む沼へと辿り着くことができていた。


 森の中にぽかりと出来たその空間は、沼のおかげで木の傘から外れており、膝上ぐらいの深さの沼地が月光を反射して光っている。


「ここで間違いないのか?」


「ああ、事前に調べた情報と合致してる。沼のそばに胡蝶蘭が咲いてるだろう? あれはオルキュドラから分かれた種が咲いた花だよ」


「一応確認しとくけど、あれを持って帰っても意味がないんだよな?」


「うん。花の効能はオルキュドラから採取したものでないと駄目なんだ。あれは魔素を含んだただの胡蝶蘭だよ」


「――なら、少し休まないか? 正直、もうクタクタでまともに動けそうにない」


 エリックは休めそうな木を探すと、そのまま腰を下ろし荷物を置いた。


「待ってよ、やっと沼にたどり着いたんだ。早くオルキュドラを探そう」


「すまないダミリル。俺もそうしたい、本当だ。でもこんな状態じゃ、馬鹿デカい蛇とやり合うなんて無理だ。頼む」


 不満そうにエリックを見つめるダミリルの肩をエリシュカが叩く。


「三人とも消耗してる。エリックの言うとおり、このままじゃやられてしまう。少し休みましょう。作戦を練りながらなら、時間のロスにもならない」


 そしてエリシュカもエリックのそばに腰を下ろし、魔装具である弓の手入れを始める。


 ダミリルは沼に目を向け、逸る気持ちの高ぶりを感じていたが、仲間達の意見に従って休むことにした。


「……すまなかった」


 ダミリルが腰を下ろすと、エリックがぽつりと切り出した。


「こうなったのは俺のせいだ。あの魔猪と戦うと決めたのは、俺がテンパってたからだろ? 本当ならあそこは避けて迂回するべきだった。そのせいで、余計な怪我もしてアラクネに襲われることになった。全部俺のせいだ」


 エリックは自責の念に苛まれていた。


 すでに止まっているが、頭部から流れていた血はまるで涙のように頬に痕を残していた。


「すまない。もし失敗したら全て俺のせいだ。カーラが死んだのも、マリカを助けられないのも全部……」


 エリシュカは後悔に打ちひしがれているエリックの手を取る。


「まだ失敗したわけじゃない。カーラの為にも絶対に成功させる。それに責任があるのは私。迂回を提案しなかったし、カーラの一番近くにいた。それなのに、アラクネにはまるで気がつかなかった」


 森に入ってからは常に平静さを装っていたエリシュカだったが、最後には声が震えていた。


 仲間の後悔を感じ、ダミリルの心も落ち着きを取り戻した行く。


「違うよ。パーティのリーダーは僕だ。魔猪と戦うと決めたのは僕だし、そもそもギルドの知らない抜け道の情報を手に入れたのも僕だ。皆の将来を台無しにすると分かってたのに、無理強いさせた僕の責任だよ」


「違う! ダミリルは無理強いなんかしてない。俺達は全部承知の上でここに来ることを決めたんだ。ただ覚悟が足りてなかった。ダンジョンで一番やっちゃいけないのはビビることだって知ってたはずなのに」


「……やめましょう。これ以上は答えがない。後悔も反省も、全てが片付いてからにするべき。今はこれからどうするかを話し合いましょう」 


 沈みきりかけた空気を察知し、エリシュカは話題を切り上げる。


 こういう冷静さをダミリルは尊敬していた。


「そうだね。エリシュカの言うとおりだ。問題はここからなんだ」


 そう言ってダミリルは沼を眺める。


 オルキュドラは巨大な蛇の魔物だが、そんなものなどいないかのように静かで落ち着いている。風も凪いでさざ波一つない水面の下に、本当に大蛇がいるのかわからないぐらいだ。


「オルキュドラは蛇の魔物だけど、注意するべきは牙の毒と頑丈な鱗ぐらいだ。もちろん強靱な筋肉も警戒すべきだけど、バジリスクと比べると普通の蛇だよね」


 平静さを取り戻したダミリルは、またあえてお気楽な口調でそう始めた。


「……おいおい、どこが普通の蛇だよ。普通の蛇には花は生えねえよ。あと十メートル以上もデカくなる蛇がそうそういてたまるかって」


 エリックもダミリルの気遣いを台無しにはしなかった。


「それに、バジリスクと比べたらどんな魔物だって普通の蛇だぜ。あいつを退治するのどんだけ大変だったか」


「懐かしいね。僕達の仕事の中でも、あれは特に大変だった」


「大変なんてもんじゃないぜ。あれぐらいヤバかったのはシュニシュカの巨人ぐらいなもんだ。あれもかなりヤバかったけどさ」


「エリック、危うく踏み潰されかけたもんね。実際には巨人の親指がエリックの足の親指を踏んだだけだったけど」


「そんなしょうもないことはさっさと忘れろ! それにいきなり目の前に車みたいな足が降ってきてみろ、誰だって漏らすっての」


「え? エリック、漏らしてたの?」


「今じゃねえよ! あと例え話だ例え話! 俺は漏らしてなんかねえって」


 少しだけ距離を置くエリシュカに、エリックが叫ぶ。


 するとダミリルが笑い、エリシュカがクスクス笑うと、エリックも照れくさそうに笑った。


「絶対に成功させよう。マリカのためにも、カーラのためにも」


「……ああ」


「ええ」


 幼少期より幼馴染みだった彼らは、お互いに良いところも悪いところも全て知っている。


 冒険者となり危険なダンジョンに潜るうえで、その絆はさらに強固となった。


 仲間の死が心に影を落としているのは間違いない。


 しかし為すべきことがまだ残っている中で、自分達になにが必要なのかもわかっていた。


「――おい、見ろ」


 エリックが沼を指さし、二人がその先に目を向ける。 沼の中心からダミリル達とは別方向へ、妙な波が出来ていた。それは中心から横へと広がり、風によって出来ていないことがわかる。


 三人が注視していると、その波が沼の端に到着する前に頭が水面から出てくる。


 人間の頭よりもさらに大きく、蛙や兎はおろか、猪や人間すらも丸呑み出来そうなそれは、まさしくオルキュドラである。


 オルキュドラは沼の主とばかりに悠々と泳ぎ、岸までたどり着く。濡れた身体が光を反射し、するするとその全貌が明らかになると、それがいかに巨大な蛇なのかが明らかになる。


 隙間のない鱗に覆われた全身は一切の余分がなく、足もないのに地面を滑らかに這い進む。そうしてようやく現れたその尾には、普通の物よりもさらに大きな胡蝶蘭が帯のように身体から生えていた。




 えてして、彼らはまた選択を迫られることとなった。


 そしてリベルタム大森林は、ヴィンセントの言うとおりリスクは常に一定である。


 ハマドリュアスの介入はもう起こりえない。


 ヴィンセント達の到着も、まだ少しばかりかかる。


 森の奥からこちらを伺っている影の存在を、ダミリル達もオルキュドラも気づいていない。


 これら一連の事情を、この場にいる誰にも知るよしがなかった。

 


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