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1-14 遅すぎた忠告

「……やっぱりなんか変だな」


 始末したケリュニスという鹿の魔物を見下ろしながら、ヴィンセントは誰にあてるでもなくそう呟いた。


「なにが?」


 アランはお手製の魔装具である斧を杖代わりにもたれかかりながら、乱れた息を整えつつ尋ねる。


「こいつら、こんな上まであがって来るような奴らだったか? しかも一匹で。ケリュニスは群れる魔物だろ?」


 噎せ返るような鉄臭さに顔を顰めることなく、ヴィンセントはその死体を観察する。


 苔のむした角はアランの斧にたたき折られていた。


 競走馬もかくやという強靱な脚が、容易く引き千切れるであろう蔦に絡め取られているのはエルザイルの魔術によるものだ。


 そして心臓のある胸には、ヴィンセントの打ち込んだ弾丸が穴を開け、どす黒い赤が地面を染め上げている。


「今の季節は雄でも群れるはずだ。それに魔素を蓄える為に可能な限り下層に移動する」


 ケリュニスの側にしゃがみ込んだヴィンセントは落ちた角を持ち上げた。


「見ろよ、まだ枝が三本しかない。ハーレムの主導権争いをする歳じゃないってことは――群れからはぐれたか? 俺達を見て襲いかかってくるぐらいに興奮してたってことは、別の魔物に襲われて群れのリーダーが殺されたのかもしれないな」


 ヴィンセントはそう言って、折れた角を投げ捨てることなくゆっくりと地面に置く。


 ケリュニスの角はギルドでも高額の依頼品として受注される希少な採取物である。その粉末は撒けばたちまち痩せ細った土地を癒やし、育てるのが難しい魔性植物をも安全に飼育することができるようになる。


 そんな金のなる角をヴィンセントがうやうやしく置いたのは、まだこのケリュニスが若い個体だったからだ。仮にこれを持ち帰ったとしても違法であるし、持って進めばその魔素にどんな魔物を引き寄せるかわからない。


 それにケリュニスは豊穣を司る神の使いだと言われていた魔物だ。他のダンジョンでは魔物の一種として扱えても、このリベルタム大森林では命のすべてに意味がある。粗末に扱いどんな災いが降りかかろうと、それは愚か者の自業自得となる。


「この子が若い雄なのはわかったけど、それのどこが変なの? 魔物の縄張り争いなんかしょっちゅうじゃん」


「変なのはコイツじゃなくて、リベルタム全体の話だよ。静かすぎると思ったらこれだ。なんかきな臭くないか?」


「そう? 僕はわかんないけど、ここら辺っていつもあんま魔物いないじゃん。魔素もあんまり変化してる感じしなし、ヴィンスの思い過ごしなんじゃないの?」


「……なら、いいんだけどな」


 エルフ族ほどではないが、ドワーフ族にも魔素器官は存在する。全くないヒューマン族よりも魔素を知覚できるアランが違和感がないと言うのだ。ヴィンセントは森に入ってずっと続く違和感が、単なる思い過ごしではないかとも疑い始める。


「いま、戻った」


 ケリュニスを仕留めた後、おもむろに周囲を探索してくると言ったエルザイルが木の上から降りてきた。


「どうだった?」


「ひとまず、周囲に魔物の気配はない。アランの言うとおり、魔素の異常も感知できなかった」


 アランがなぜか得意げにヴィンセントを見下ろす。


 イラッとしたヴィンセントは石ころを投げつけた。


「だがヴィンセントの言うとおり、静かすぎると私も思う。この辺りはエンプウサの縄張りだが、気配をまるで感じない。まるでどこかへ移動したかのようだ。エンプウサの討伐依頼はあったか?」


「そんなのいちいち覚えてねえよ」


「だな。だが戦闘が行われた気配も痕跡もない。魔物同士の争いがあったようにも思えない」


「おい、じゃあなんで聞いた」


「となると、やはりどこかへ移動したのだろう。他の魔物や動物達も同じだ。もしかしたらこの若いケリュニスは、その移動の際に群れからはぐれたのかもしれない」


「それはさっき俺が言ったよ」


「なら問題は、これからどうするかだ。私としては、直接彼らを追いかけるより『森の耳』に話を聞いた方がいいと思う」


「ああ、それがいいねっ。森のことは森に住むモノに聞くのが一番だよ」


 アランのそれは、賛成するというより面白がる声色だった。


 その証拠に、ヴィンセントは苦虫でも噛み潰した顔になる。


「それは……どうしてもか? わざわざ行かなくてもいいんじゃないか? 行き先は決まってるわけだし」


 先程の推測とは打って変わり、奥歯に物でも挟まったかのような物言いになるヴィンセント。


 それは嫌で仕方がないというより、回避できるなら回避したいという億劫さが現れていた。


「決めるのはヴィンセントだ。これに関してはお前の右に出る者はいない。しかしもうすぐ日が暮れる。決めるなら今すぐ決めないと間に合わないぞ」


 エルザイルは淡々と事実を突きつけていく。


 ヴィンセントはしゃがみ込んだままうな垂れ、心の内の葛藤が貧乏揺すりとなって現れる。


「いや、これは思い過ごしかもしれない。俺は所詮はヒューマン族、魔素に関しては目も耳も鼻も利かないわけだ。つまりこれは、俺の不安が頭の中で巡り巡って出た錯覚に過ぎないんじゃないか? 本の表紙で中身を判断するなって言うだろ? 恐怖は物ではなく心にありってさ」


「知らない」


「聞いたことはないな」


 こうして無駄話を為ている間にも、森はどんどんと闇に姿を変えていく。


 夜は魔物にとって最も活動的になる時間帯だ。


 昼間に風と光によって沸く魔素が落ち着き、空気中を穏やかに漂い始める。古来より魔物が人前に現れるのが夜や闇の中に多いのは、人の恐怖ではなく魔素の動きによるものである。


 今は静まりかえるリベルタム大森林も、夜まで同じとは限らない。


 森の民と呼ばれたエルフ族のエルザイルの言だ。ヴィンセントも潜行士として長い。未知に対して適切な対応を取るには、その道の専門家の言葉に耳を傾けなければならないことを知っている。


 ヴィンセント自身も内心ではエルザイルに賛成している。


 ただ手段がヴィンセントに取って負担が大きいだけである。


「……寄り道してる場合か?」


「これを寄り道と取るかはヴィンセントに任せる。私は適切だと思われる意見を出しただけだ」


 最後の抵抗はむなしく終わった。


 ヴィンセントはもう一度大きくうな垂れる。


「……仕方ないかぁ」


「ぷぷ、ヴィンセントざまあ。モテるリーダーはツラいね」


「うるせえアラン。捧げ物はお前が持ってきた蜂蜜な」


「なんで!? てゆうかどうして持ってきたの知ってるのさ!」


「知ってるに決まってんだろ甘党ドワーフ。あとその角もお前が持てアラン。リーダー命令だ」


「ヤダよ重たいし。これ持ってたら狙われるの僕じゃないか。それでも仲間なの?」


 ヴィンセントは立ち上がり、ズボンについた土を払い落として言う。


「荷物持ちがお前の役割だろ」


「昨日はヴィンスがマンドラゴラ持ったじゃん」


「あれはジャンケンに負けたからだ。そんで今回はジャンケンはしない。その角にはお前の魔装具の臭いがこびりついてる。俺が持ってたら不誠実になるだろ」


「折れって言ったのはヴィンスだろぉ?」


「死にたくなかったらお前が持て。アイツらに冗談は通じねえぞ」


 言うが早いかさっさと歩き出すヴィンセント。


 エルザイルはアランに向かって頷き、その後に続く。


「……もー、僕こんなのばっかじゃん」


 ぶつくさ言いながらアランは折れたケリュニスの角を拾い上げ、背負うリュックの中へ丁寧に差し込んだ。



       ◆



 ダミエル達『銀の風』は、闇に飲まれていく森の中を全力で駆けていた。


「次はどっちだ!?」


 頭部から額に流れてくる血を拭いながらエリックが叫ぶ。


 服も土まみれになっており、折れた魔装具の槍を後生大事に抱えながら必死の形相だ。


 スカウトの役割を担うエリシュカが誰よりも先を走りながら叫び返す。


「知るわけない! ここがどこかもわからない!」


 延々と同じ景色が続くリベルタム大森林。


 木々はカーテンのように行く道を覆い隠し、獣道はないにも等しい。


 慎重に進んでいても十分以内に方角を見失うと言われる森という自然環境だ。


 彼らはとっくに自分達が大ダンジョンの何処にいるのかを見失っていた。


「このままじゃジリ貧だ! 木に登るしかない!」


 最後尾で背後を気にしながら走るダミリルが仲間達に向かって怒鳴る。


 ダミリルも無傷というわけではなく、顔には擦り傷が奔っている。鞘に収めた片手半剣が重心をずらさぬよう手で支えているが、その手にも腕から地が流れていた。


「登ってきたらどうすんだよ! そうなったら逃げ場なんかないぜ! それより隠れるところを探そう!」


「この状況で隠れられるわけなんかない! ダミリルの案しかない!」


 まだ不安に叫ぶエリックを無視して、エリシュカは必死に辺りに目を配る。


 しかし辺りはイチイの木の群生地で、凹凸が少なく登るには適さないモノばかりだった。


 おまけにイチイの葉や樹皮には有毒成分が含まれており、今の負傷したダミリル達には危険すぎた。


 魔素を含まない普通のイチイでも、場合によっては不整脈や神経障害を引き起こす。丁寧に登る余裕がないこの状況では枝葉を気にすることなどできず、ダンジョン内の魔素を大量に含んだイチイではどうなるかわかったものではない。


「駄目! この辺りは危険すぎる! せめて抜け出してからじゃないと!」 


 絶叫に近いエリシュカの提案に、エリックのパニックはいっそう加速する。


「これなら戦った方がマシだ! カーラの仇を取ろう!!」


 ダミリルの顔に悲痛の感情が宿る。


 『銀の風』はすでにメンバーを一人失っていた。


 それはカリュドーンの猪と恐れられた魔猪によるものではない。


 無事とまではいかないが、彼らは魔猪を討伐することに成功していた。


 カーラが命を落とし、その死を悼む暇もなく彼らが逃げ出すハメになったのは、討伐直後に現れた別の魔物が原因だった。


「アラクネに対抗できる魔術具がない! 戦ってもやられるだけだ!」


 ダミリルはそう叫びながら迫り来る死を振り返る。


 鬱蒼と生い茂るイチイの木の奥から、土に杭を打ち込むような足音が絶え間なく鳴り続けている。


 その音の発生源、カーラを殺し、逃げ惑うダミリル達をなお捕食しようと追いかけてくるのは、アラクネという巨大な蜘蛛の魔物である。


 闇の中でも爛々と光る赤い複眼と、その頭部から生える人類種の女性。体長は軽自動車と同じぐらいはあり、木々の隙間を縫うように走るその姿は多少の窮屈さはあるものの、ダミリル達の全力疾走となんら変わらない。


 糸でグルグル巻きにされた何かを背負いながら走っており、それが誰なのかは疑いようもない。


「今は逃げるしかない! なんとかこの場所を抜けよう! 木の上なら奴も追いかけられないはずだ!」


 振り切るように正面に向き直り、ダミリルはまた叫ぶ。


 蜘蛛の脚を持つアラクネは、しかしその巨大な質量のせいで木や壁を登ることができない。他にも小さな洞窟や水の中ならば逃げ込むことも可能だが、そんな都合のいい場所は付近にはなかった。


「チクショウ! チクショウ!! なんでこうなったんだよ!」


 深い悔恨の念を吐き出しながら、エリックは走り続ける。


 余計な体力を使うなと注意したかったが、その気持ちは痛いほどダミリルにもわかっていた。


 これは自分の間違いだとダミリルは悔いていた。


 魔猪を見かけた時、戦うのではなく迂回を選ぶべきだった。エリックをなだめ伏せ、無理にでも戦闘を回避すべきだったのだ。


 でなければ余計な体力を使わず、周囲への警戒も解くことはなかった。魔猪とアラクネの同士討ちを狙うことも、鞄の中にある魔術具を使ってその場しのぎをすることもできた。


 しかし状況は予断を許さなかった。


 魔猪を仕留め、つかの間の油断が命取りとなった。


 エリックと二人掛かりで魔猪の荒れ狂う力を防ぐのに精一杯で、背後から忍び寄るアラクネに気がつかなかった。


 獲物を仕留めるのに最も効率がいいのは、その獲物が別の獲物を狙う瞬間なのだ。


 それを失念したせいで、カーラは命を落とすことになったのだ。


 まだ為すべきことも為せず、その目的地にたどり着いてすらいないのに。


 そしてダミリルは、カーラの亡骸を家族の下に届けることすらできない。


 ――チクショウ! アラクネが上層に現れるなんて情報、ギルドには一切なかったのに!


 そんなことを考えて、ダミリルはふいに先日のギルドでのやり取りを思い出す。


 ギルド本部と、魔術具店の前であった潜行士の男。


 騒ぎを起こした自分達にも邪険にすることなく、嘘の研修に発破すらかけてくれたエイレティアの潜行士。


 その忠告。


『でもここで嫌われてどうする? もう誰もお前らを助けてはくれねえ。精々、あっちのロビーでたむろってる連中の賭けの対象になるだけだ。いつまで保つかってな。ちなみに最短記録は二日、ギルドにいたら誰でも耳にした情報を知らなかったせいだ』


 これはその忠告を守らなかったからなのだろうか。


 上層にアラクネが出現するという情報は、潜行士の中では既に広まっていたのだろうか。


 せめて周囲と上手くやれていれば、故郷で死にかけている恋人の為に目が曇っていなければ、こんなことにはならなかったのだろうか。


 答えのない後悔と恐怖がダミリルに襲いかかる。


 それでも彼らは走り続ける。


 少なくとも彼らは、まだここで死ぬわけにはいかなかったのだから。 


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