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1-13 そしてリベルタム大森林へ

 アンテッサは北イミュトス山の麓にある。


 エイレティア東区域でも最東端にあるこの地区は、年々拡大するリベルタム大森林を用いた林業従事者が多い。中層以下の濃密な魔素を含んだ魔木はともかく、ダンジョンとの境界付近から採れる木々は人体への影響がほぼない。むしろ研究材料や、魔術具作成の素材としての価値が高く、都市外への輸出品としてエイレティアを潤す一端を担っていた。


「よし、まだ残ってるな」


 イェカレスの駅で降り、バスで三十分ほど揺られたヴィンセント達は、かつて脱出するときに偶然見つけた入り口の前に立っていた。


 広大なリベルタム大森林だが、入り口となるような場所は数が限られている。それは森の地形が絶えず変化するリベルタムの特性もあるが、何よりも重要なのは安全性の確保にあった。


 ダンジョンの危険性は、何も魔物だけとは限らない。道がないとはそれだけで方向感覚を狂わせる。鬱蒼とした高い木々は陽の光を遮り、三百六十度同じような景色が十分も続けば、自分達がどこから来たのかもわからなくなる。これはダンジョンではない普通の森や山でも同じだ。


 ギルドの作成した地図も、それは潜行士や冒険者の努力によって安全な道が確保されている場所のみを記載している。目印となる地形や魔物の生息域、木の種類や魔素の濃度だけが漠然とあるに過ぎなかった。


「もう普通に夕方だよ。これ、僕達が死ぬんじゃないの? ミイラ盗りがミイラになるってやつ」


 ジョエルの店でヤケクソ気味に参加に同意したアランは早くも後悔していた。


「――ン。今更泣き言を言うなよ。握りつぶされかけた左腕、まだ痛てえよ。少しは加減を覚えろ」


 ヒューマン族の潜行士のみが潜行前に飲む、対魔素抗体の薬剤を水で押し流しながらヴィンセントが言った。


 魔素器官を持たないヒューマン族は、ダンジョン内に満ちる魔素の影響に対し無防備だ。魔素は呼吸だけでなく音の波や感情の揺れからも体内に染みこむ。


 魔素の研究はまだ世界中で行われている。


 しかしその全貌は未だ入れず、多くの学者はそれぞれに固有の名前を付け、魔素について定義していた。


 その中で最も有名なのは、大陸の文化人類学者が残した、

『マナは単なる一つの力、存在にのみならず、作用であり資質および状態である。つまりマナとは、名詞であると同じように、形容詞であり動詞でもある』

 という言葉である。


「んじゃ、行くか」


「あーい」


「了解」


 いまいち気合いの入らないヴィンセントの掛け声と共に、三人はリベルタム大森林へと足を踏み入れる。


 すでに辺りは暗く、森の中は幕のかかったような闇が拡がっている。風に揺れる木々はまるで急かすようにざわめき、どんな無警戒な者でも肌を刺すような緊張感を全身に覚えるだろう。


 リベルタム大森林の通称は『生きる森』


 森全体が命を宿し、体内に入りこむ異物を排除しようと蠢動する大ダンジョンである。


 人類の発展と共に数多くの未踏破ダンジョンが攻略されていった。ヒューマン族の科学力、ドワーフ族の鍛造力、エルフ族の魔術力。他にも数多くいる人類種の英知が結集し、かつては神秘の代名詞だったダンジョンは、豊富な資源を得られる自然環境の一つと成り果てていった。


 そうした時代の変遷においても、未だに神秘の名を冠し続ける大ダンジョンは、押し寄せる人の歩みを振り払い続けている。


 その有り様は限りある生命そのものであり、また、途方のない死そのものでもあった。


「あ、サンドイッチ買い忘れた。戻ってもいい?」


「ドワーフは土でも食ってろ」



         ◆



「ねえ、ホントにこれで良かったのかな」


 ヴィンセント達がリベルタム大森林に到着する少し前、進めば進むほど静けさを増す森に、『銀の風』のカーラは不安げな声をあげた。


「いまさら何を言ってるんだ。時間がないことぐらい、カーラにもわかっているはずだ」


 エリックは潜行を始めてもう何度確認したかわからない方位磁石に目を落としながら言った。


「クソ、事前に調べた深度よりも早え。エイレティアのギルドは全然当てになんねえよ」


 磁石の針はグルグルと刺すべき方角を見失っていた。


 ダンジョンにはこうして磁場が乱れる環境が多くあったが、それは特別魔素が濃い場所に限る。彼らはまだ上層の中頃に到達したばかりだが、すでに潜行における最も重要な武器の一つを失っていた。


「それもわかっていたことじゃないか。カーラに八つ当たりをするのはやめようエリック。少なくとも、ここまでは順調に来られてるんだから」


 ダミエルは腰に下げた魔装具の柄頭を撫でながら、気が立つ仲間をなだめるよう笑みを浮かべた。


「でもダミエル、もう一時間以上は歩いてるのに魔物の一匹もでないんだぜ? こんなの異常だ。何かがおかしいに決まってる」


 エリックが必要以上に警戒心を露わにし、しきりに周囲を確認しているのはこれが原因だった。


 ダンジョンにおいて魔物と遭遇しないことなどあり得ない。彼らとて、自分達が今いるのが人類未踏破の大ダンジョンであることなど百も承知している。いかに違法潜行をしていたとしても、警戒心を怠りはしていない。


「それは僕も気にしてた。これじゃダンジョンというよりただの森だ」


 あまりに何事もなかったので、エリシュカに先行させ周囲を探索させているが、彼女からはまだ何も異変の知らせがない。足跡は続いているので、身に危険が及んでいる様子もなかった。


「……でも、僕達もこのダンジョンは初めてだ。無意識に歩くのが遅くなっているのかもしれない。まだダンジョンの端の方にいるのかもしれないね。それなら魔物がいなくとも不思議なことじゃないよ」


 焦りや不安に冷静さを失っている仲間を落ち着けるために、ダミエルはあえて普段通りの気楽さを装う。


 しかし内心では、カーラと同じような疑問がわいては消しわいては消しを繰り返していた。


 このように魔物はおろか獣すらも気配がないのは、太古に絶滅したという魔人族が建造したダンジョンか、資源が取り尽くされた廃ダンジョンでしかありえない。


 リベルタム大森林のように、自然環境とダンジョンが魔素によって一体化した場所では、魔物だけでなく動物も生息しているものだ。なのにここまでに見かけたと言えば、精々ヤモリか羽虫ぐらいである。今ダミリル達が歩いている獣道にも、鹿や熊、狼の足跡すらない。


「なあ、もしかしてとっくに魔物の影響下にあるんじゃないか? レィシーとかアウラウネとかさ」


「いや、それならすぐにわかるはずだよ。アウラウネなら特有の匂いがするし、レィシーは中層の深いところにいる。僕達はまだ上層にいるはずだから、どちらもありえないよ。それにほら、見て――」


 ダミリルは立ち止まり、袖を捲る。


「エリシュカが危険な目にあってるなら、これは赤色になってるはずだろ? ちゃんと青色だ」


 その腕には四つの青い宝石が装飾されたブレスレットがある。ダミリルはそれをわかりやすく揺らし、神経質になっているエリックに見せつけた。


「大丈夫、上手くいくさ。今までだって困難は多くあった。でも四人の力で乗り越えてきたじゃないか。今回だって同じさ。僕達なら必ず上手くいく」


「……ああ、そうだよな。イラついて悪かった」


 エリックの謝罪に肩を叩くことで答え、ダミリル達は再び前へと歩みを進める。


 先行するエリシュカの足跡を辿り、徐々に光が少なくなっている森の奥へ。太陽が西へと沈んでいき、ダンジョンは人の手にあまる暗闇へと姿を変えていく。


 本音を言うなら、ダミリルは陽が沈みきる前に何か魔物の一匹でも現れて欲しいと思っていた。


 本来なら体力や魔装具に内蔵された魔素を温存するため、魔物との遭遇は極力最低限に抑えておきたい。


 しかしいまは静かすぎる現状に、仲間達が不安を覚えている。


 何か簡単に討伐できる魔物と対峙し、ダンジョンでの普通を感じることで士気を回復させたいところだった。


 今回の目的地は大ダンジョンの中層。この進み具合では最悪、明後日の到着になりかねない。それまでに段階的に魔物と遭遇し、それらを乗り越えることで緊張に負けず、平静さを維持しておかなければならなかった。


「――しっ、エリシュカだ」


 後ろの二人が息を飲み、すぐさま臨戦態勢へ。


 ダミリルは全身に緊張感をみなぎらせ、前方へと目をこらす。


 彼が気がついたのは、木々の奥に揺れる仄かな赤い光。それは彼女が魔物を発見した合図であり、音では感づかれてしまう種類であるということ。


「なにか魔物を発見したみたいだ。いつも通り冷静に対処しよう。僕とエリックが前衛、エリシュカとカーラは後方の基本陣形だ。種類によっては魔術具を使う。二人とも集中して」


 声を落とし、仲間にエリシュカの合図を報せる。


 二人は静かに頷いて、それぞれの魔装具に手をかけ足音を消した。


 これもダンジョンに潜る必須スキルの一つだ。


 魔物達は何も、すべてが共存してダンジョンに生息しているわけではない。時に捕食し、時に共生し、時に争う。その点においては自然の動植物と同じである。避けられない場合は狩人のように気配を消して近づき、先手必勝で仕留める必要があった。


 ダミリルは足下を確認しながら前進し、後ろの二人はその足跡をトレースしながら周囲を警戒しつつ続いた。


「――」


「……」


 先行していたエリシュカは、倒れた大木の影に隠れその先にいる魔物を観察していた。


 ダミリルとエリックは少し後方にカーラを待機させ、その隣にしゃがみ込む。


 エリシュカは指を唇に当てると、そのまま前方を指さす。


 ダミリルがのぞき込むと、そこには成人男性と同じぐらいの体格の魔猪が一匹、地面に生える茸を食していた。


 それが魔物だとわかるのは、まるで鱗のように硬質化した濃褐色の体毛と、人一人なら簡単に貫けそうな剣のような牙、そして二十メートル以上は離れているのに漂ってくる腐肉のような悪臭である。


 ダミリルは最初に遭遇した魔物がこの魔猪であることに、舌打ちをしたい気分になった。


 かの魔猪は全世界の森や山型のダンジョンに広く分布している魔物で、リベルタム固有の種ではない。しかしエイレティアではその伝承として、かつてカリュドーンの猪として謳われた驚異的な魔物だ。


 その突進力は大型トラックにも引けを取らず、剣のような牙に刺されでもすれば人類種ではひとたまりもない。また並大抵の武器では体毛で弾かれてしまい、ダメージを与えることすら困難である。


 つまり、士気を上げるには余りにも討伐が難しく、一つ間違えればパーティが全滅しかねない危険な魔物ということである。


 ちなみに危険度は要注意指定であり、頑強な肉体以外には特筆すべき特性のない、普通の猪に近い魔物だ。


〈どうする?〉


 ダミリルが悩んでいると、エリシュカがハンドサインで尋ねてくる。


 すなわち討伐すべきか、迂回すべきか。


 可能なら迂回したい相手だった。


 しかし問題は、迂回するには大きくルートを外れなければならず、他の魔物に遭遇しかねない。さらには仮に気づかれでもすれば、どこまででも追って来られる可能性が高いことである。最悪の場合、別の魔物と同時に相手をしなければならない。


 だがここで戦闘に入るのも気後れするような魔物だった。ダンジョン踏破パーティとして、魔猪が討伐できないわけではない。ただ体力の消耗は必至だ。違法に潜ったダミリル達は出直すことはできない。治癒のポーションはいくらか用意してあるが、それはこの先のもっと危険な魔物相手に使いたかった。


 ダミリルが選択を決めかねていると、エリシュカがダミリルの反対側を指さす。


 そちらに顔を向けて、ダミエルは討伐を決断した。


 エリックは今にも魔猪に突撃しかねない状態だった。魔装具の槍を握りしめ、必死に押さえ込むとしていても呼吸は荒くなっている。魔猪は普通の猪よりも音の気配に敏感ではないが、これではいつ感づかれてもおかしくない。


〈やろう。僕とエリックが先手を取る。エリシュカとカーラは援護を頼む。閃光弾と魔装具の使用はいざって時まで温存する〉


 ハンドサインでそう伝えると、エリシュカアは頷き後方にいるカーラのところまで後退していく。


 魔猪から目を離せないエリックの肩を叩き、自分に注意を向けさせる。エリシュカにしたのと同じように作戦を伝えると、生唾を飲み込んでまた前を向いた。


 一度大木の影に顔を埋め、静かに、しかし長く深呼吸をした。


 今まで数多くダンジョンに潜ってきたのにエリックが浮き足立っているのは、この潜行が命懸け以上に危険だとわかっているからだ。まるで初めての冒険の時のように、心は冷静さを保てていない。


 それもこれも、ダミリル達には時間がないことが原因だった。


 本来研修や下調べを何度も繰り返し、その上でトライアンドエラーを前提とする大ダンジョン。


 成功してもギルドからは除名処分となり、二度と冒険ができなくなるとしても、彼らはリベルタム大森林に潜った。偶然手に入れることができた、目的の魔物への情報とそのルートがなければ諦めていたかも知れない。多くの犠牲を払ったとしても、為すべきことがダミリル達にはあった。


 再び目を開けたとき、迷いは消えていた。


 覚悟を瞳に宿し、鞘に収めた片手半剣の柄を握りしめる。


「――行くぞ」


 小さく、しかしハッキリと決意を込めて、ダミリルは立ちあがった。


 エリックが短く封印していた槍の魔装具を解き放ちながら続く。


 茸に夢中だった魔猪が、現れた外敵に気がつき牙の先を向ける。


 為すべきことを為すために、ダミリルは剣を鞘から抜きながら魔猪へと駆けだした。



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