1-11 英雄に憧れて
ヴィンセントは自分が出した推測が、必ずしも正しいとは思っていなかった。
むしろ間違いの可能性が遙かに高いと理解していた。
それはダミリル達への推測が、すべて状況証拠、もしくは希望的観測によって行われたからではない。
ヴィンセントが結びつけた情報は、すべてある一つの方向性があっての事だと自覚していたからだ。
だからヴィンセントはむしろ、この推測が間違いであってほしいと思っていた。
「まあ、あくまで仮説、前提が間違ってたら意味のない推理だ」
「いえ、そんなことはありませんよ。仮説でも範囲を絞り込めたのは幸いです。さっそく潜行門に連絡を入れます。もしかすると近辺で依頼を遂行している潜行士の方達がいるかもしれません」
マクシムは立ち上がりスマホで指示を飛ばす。
ヴィンセントはその様子を眺めた後、再び自分のスマホに目を落とす。
多くの書き込みが加えられたリベルタム大森林の地図。
これらはヴィンセント達が集めた情報だけではない。仲間の潜行士達とのやり取りや、ギルド図書館の書物、ネット上にある魔物の論文、そしてウィリアムの知識。それらすべてが詰まったダンジョン潜行の命綱だ。
なぜ、自分がこれを手にしていて、ダミリル達がダンジョンに違法侵入し、そしてマクシムが赴任してきたのか。
朝からずっと続くモヤモヤ。
『ラブディ』での邂逅とジョエルとのやり取り。
まるですべてが繋げられているような錯覚までする。
エイレティアで長く過ごしていると、たまにこういうことがあった。
「――ええ、お願いします。すべての連絡が取れる潜行士にこのことをお伝えください。え? ええ、それでもです。人の命がかかっています。よろしくお願いします」
電話の向こう側にする誰かが困惑しているだろうと、ヴィンセントにはわかった。
こんな指示は未だかつて一度もなかったのだから。
「――これでいま打てる手は打ちましたね。……無事だと良いのですが」
やり取りを終えたマクシムはまだ心配そうにしている。
ヴィンセントは確かめなければならないことを尋ねる。
「なあ、聞いてもいいか?」
「なんでしょう?」
おもむろな問いかけにマクシムは目を瞬かせた。
「どうしてアイツらを助けようとする? どうしてそこまで他人に必死になるんだ? 違法行為が見逃せないは関係ないんだろ?」
矢継ぎ早な質問だったが、マクシムは気を悪くする素振りは見せなかった。
「もちろん、管理官補佐として全力を尽くしたいからです。潜行士や冒険者の皆さんはギルドの大切な資産ですから。大事にするのは当然ですよ」
その当たり障りのない返答に、ヴィンセントは満足しなかった。
顔も見たことのないダミリル達のため、職務のためと言うには、マクシムの言動は感情的に見えたからだ。
「建前はいい。あんたの潜行士として知りたい」
そうじっと見つめると観念したのか、マクシムは照れくさそうな笑みを浮かべた。
「流石に誤魔化せなさそうですね。ヴィンセントさんにはご協力いただきましたし、これも何かの縁でしょうから、答えさせていただきます」
そして何でもないという風に、マクシムは理由を口にした。
「ありていに言ってしまえば、僕は皆さんのようなダンジョンに潜る人達を尊敬しているんです。憧れていると言ってもいいですね」
「憧れている?」
「ええ。ご覧の通り、僕は潜行士には成れませんでした。生まれが生まれでしたので、親からは許されなかったんです。一人息子でしたし、いつ命を落とすかわからないダンジョン潜行など、もってのほかだと。まあどのみち無理だったでしょうけどね。いくら鍛えてもこの腕は太くならなかったので」
白い細腕を曲げながら、マクシムは言った。
現代になって、貴族という身分はほとんどないに等しくなった。
しかし彼らが蓄えた財産や地位はまだ生きている。
マクシムは家を継ぐ者として育てられたと言う。
「でも憧れは抑えきれません。子供の頃は潜行士や冒険者のドキュメンタリー番組に齧り付いていましたよ。『ラックアップ』というテレビ番組をご存じですか? 僕はあの番組の大ファンだったんです」
「ああ、知ってるよ。俺も観てたシーザーの冒険シリーズは最高だったよな」
「そうなんです! 『ラックアップ』が素晴らしいところは、本当に脚本がなかった事です。やらせのない本物のダンジョンの冒険。シーザーがクルーを守りながら世界各地のダンジョンの謎を解き明かしていく。彼の背中にいつも興奮していました」
子供の頃に返ったかのように、マクシムは目を輝かせた。
「でもあの番組は――」
「――そうです。『ラックアップ』は打ち切りで終わってしまいました。以降ああいったダンジョンに潜る番組は作られなくなってしまった。シーザーがダンジョンで命を落としてしまったから……」
かつて世界中で放送されていた大人気テレビ番組『ラックアップ』は、非業の最期を迎える。
次々とダンジョンを踏破していくシーザーに視聴者は期待をかけすぎたのだ。踏破の度に次はより困難な、次はより過激な冒険を視聴者は求めた。
結果、シーザー・リヴィングストンと番組クルーは禁断の地に赴いてしまう。彼らの死でもって放送されずに終わった悪夢の回。それはすでに踏破され、一定の知識や対策が共有されたダンジョンではなく、未だ誰もその最奥を覗いたことのない危険領域、大ダンジョンだったのである。
「シーザーの死をニュースで知った時、僕は酷く落ち込みましたし、悲しかったです。憧れの英雄が、誰にもその最後を看取られることなく、砂漠に埋もれていったんです」
マクシムの瞳にある種の感情の色が強くにじみ出す。
「僕はそれが許せなかった。あってはならないと思いました。そんなの、あまりにつまらなさすぎる――」
その言葉が出てきて、ヴィンセントは決心する。
やはりこれは、そういうことなのだと。
そんなヴィンセントの内心の変化には気づかず、マクシムは続けた。
「だから僕は親の反対を押し切ってギルドに就職しました。まあ、すぐそれなりの地位につけたので、最後には何も言わなくなりましたけどね」
自分の親を嘲笑うかのような皮肉的な笑み。
それもすぐに引っ込んで、マクシムはヴィンセントの目を見て言った。
「僕が潜行士や冒険者の死亡率を下げたいのはそんな普通の理由です。もうあんな死はあってはならない。僕の憧れるヒーローには、最後までカッコよく、有終の美を飾って欲しい。僕はその手伝いがしたいんです」
「……そうか。ガキなんだな」
その言葉に悪意は含まれていなかった。
「親にも言われました。でも恥ずかしいとは思いません。もちろん理由はアレコレ言えますけど、これが僕の本心です」
そうマクシムは締めくくった。
ヴィンセントにマクシムを馬鹿にする気持ちはなかった。
それはヴィンセントがこの街に来た理由と似ているからだ。
故郷では普通の大学を出て、普通の会社に就職した。
毎日の仕事が嫌だったわけじゃない。
恋人もいて、友人もいて、家族もいた。
何一つ過不足ない人生だった。
しかしある日、出勤前に靴紐を結びながらふと考えてしまったのだ。
連続する素晴らしき日々、延々と続くその先。
その最後に、自分が何を感じるのかを。
そして、ヴィンセントはエイレティアに来た。
そうして得たクソッタレな命懸けの生活と、出会ったネジの外れた人々。
ヴィンセントはこの先に何を感じるのかを、まだ考えられていない。
昨夜までは。
「……潜行士に伝えても無駄だ。誰もダミリル達を助けようとは思わない」
スマホを見つめたまま、ヴィンセントは呟いた。
「あいつらは余所者だ。ギルドでも騒ぎを起こしたしな。馬鹿なガキ共が名誉ほしさに突っ込んでいったと思われて終わりだ。精々、晩飯の賭けになるぐらいさ」
「そうかもしれませんけど、でも何もしないわけにはいきませんから。それにこれがいま僕のできる唯一の手段ですし」
「だな、お前は潜行士じゃない。だからダンジョンには潜れない。あいつらが生きて返るのを祈るしかできない」
それは無情な事実である。
どれほど高い志があっても、何もできなければ意味はない。
マクシムは唇をかみ締めた。
「だから俺が行ってやる」
「え?」
「俺がダミリル達を探してきてやるよ。運が良ければ助けてやる。悪ければ、まあその時は諦めろ。気持ちだけじゃどうにもならないからな」
マクシムはヴィンセントの申し出が咄嗟に理解できなかったかのように、また呆然と目を瞬かせた。
「……よろしいんですか?」
ヴィンセントは苦笑する。
「ちょっとはこうなることを期待してただろ? 初対面の人間にアレコレ語ってさ」
図星を突かれたと言わんばかりに、マクシムは気まずそうに口を閉じる。
「いいよ気にしてない。まあ俺にも気になることがある。それを確かめるついでだ」
「気になること……ですか? それはなんでしょう」
善意だけではない申し出に、マクシムが尋ねる。
ヴィンセントは誤魔化すように立ち上がった。
「ただし、ちょっと目を閉じてもらう必要がある」
「目を閉じる? どういうことですか?」
椅子に座ったままマクシムはヴィンセントを見上げて言う。
ヴィンセントはスマホを振りながら言った。
「これ、違法。だから何も聞かず、知らなかったことにしてくれ。世の中、ルールの中だけじゃどうにもならないことはあるからな」