1-1 ダンジョンからの帰還と骨と
朝の瑞々しい香りの森で、鈍い発砲音が響いた。
続けて地を駆る多くの足音。
朝のダンジョンを走るモノがいるとすれば、それは獲物を追う魔物と、しくじった潜行士だ。
「アラン! オイ! お前フザけんじゃねえぞ!」
ヒューマン族の男、ヴィンセント・ハドソンは拳銃片手にそう叫んだ。
青い瞳に甘いマスク、やや無造作でクセのある髪、異性からすれば魅力がたっぷり詰まった面持ちである。
しかし今は、汗と必死の形相にすっかり台無しになっていた。
「何のための斧だよ! お前が持ってるのは丸太かよ!」
ヴィンセントは前方を走るドワーフ族の男に向かって怒鳴り続ける。しかしドワーフの男は一切の躊躇いを見せず、猪のように枝葉を突き抜けていく。
ヴィンセントが小柄なドワーフ族に追いつけないのは、その背中に大量の採取物を背負っているからだ。育ちすぎた大根のようなマンドラゴラを五本。手足のような根っこがうねうねと揺れているせいでバランスが悪く、呪符で顔を縛り上げているが今にも外れそうである。
「――クソッ、集まってきやがった!」
ヴィンセントは器用にも、全力で走りながら振り返る。
鬱蒼とする木々の奥、場違いなカラカラとした音が鳴り響いてくる。
彼らを追いかけてくるのはスカルウルフの群れだ。
毛皮や肉、内蔵など肉体を全てを失い、骨だけとなって動く魔物である。群体で行動し、特に捕食するわけでもないのに生物を襲う。一匹一匹はたいしたことはないが、多く集まると非常に厄介だ。鳴き声の代わりに、顎の骨を打ち鳴らしている。
「このヤロ――ッ!」
すでに死んでいるスカルウルフに弾倉に残った全弾を撃ち尽くす。
まともに狙いはつけられなかったが、偶然にも一発だけ先頭を走る一匹に命中した。
肋骨が一本、砕けて落ちた。
「ゼア! 魔術はどうしたよ魔術は! 火の玉でも水鉄砲でも何でもいいから撃て!」
銃弾が意味をなさないと諦め、同じく前方を走るエルフ族に向かってまた怒鳴る。
しかし彼も振り返りはしなかった。
近代以前は森の住民と呼ばれていたエルフ族だ。道らしい道もない森の中を滑るように駆けていく。
エルフもドワーフも、危機的状況にあるヴィンセントを助ける素振りは微塵も見せなかった。
「薄情者共! 仲間だろうが!」
そう罵る間にも二人との距離はどんどんと離れていく。
代わりに迫り来る骨の群れは、着実に数を増やしていた。カタカタカタと壊れた人形のような骨の音が、波のようにヴィンセントへと押し寄せてくる。
「――ガァァア! クソッ!」
止めどない魔物の群れ、血も涙もない仲間達。
頭の中で計算された報酬と経費の差し引き、そして命の天秤。
どうしようもない損失に雄叫びをあげ、ヴィンセントは懐から小さな試験管を取り出した。
試験管には『対骨』と書かれたラベルが張ってある。中は上下で二つの物質が入っており、下には粉末状の個体が、上には透明の液体が満ちている。
「金より命……金より命……金より命ッ――!」
湧き上がった未練を振り切り、ヴィンセントは試験管を群れへと投げつける。
試験管内の物質は破損と共に混ざり合った。
途端に眩い光が、薄暗い森の中で炸裂した。
先頭を走り光が直撃したスカルウルフが塵と化す。突如として仲間を失った群れの仲間達は、光を警戒するように立ち止まった。やられた仲間の仇のように、ヴィンセントに向かって顎の骨を打ち鳴らす。
ヴィンセントは光が効力を発揮したのを確認すると、一目散に退散した。
すでに背中が見えなくなった仲間達を追いかけて。
リベルタム大森林はエイレティアの東に拡がる樹木の海だ。半島の大半を埋め尽くすほど広大で、肥沃と言うには危険すぎ、現代において人類が踏破出来ていない数少ない大ダンジョンの一つである。
東区域の門から路線で一本。ギルドが設置した入り口まで中央区域から乗車して一時間とかからない。
駅を出てすぐにあるのはギルドの潜行基地。ダンジョン入り口には簡易の門がある。リベルタム大森林に潜行するにはこの門をくぐらなければならず、また脱出するにもここで手続きをする必要があった。受付には24時間、ギルドの職員が詰めており、いまは脱出してきたヴィンセント達を呆れたように見下ろしていた。
「まーたなんかやらかしたのか? 飽きないな」
「――ゼェ……――ゼェ……――ゼェ……うるせえ」
息も絶え絶えにヴィンセントが書類にサインすると、職員はそれを受け取り確認する。
「ドワーフのアラン・ガルババ、エルフのエルザイル、ヒューマンのヴィンセント・ハドソン。採取依頼からの帰還を確認。死者なし、不正採取なし、ID確認よし」
「ID確認してねえじゃねえかよ」
「お前らなら顔パスでいいだろ?」
「荷物置いてっていいか? 来週にはまた来るからさ」
「働きもんだな。いいぜ、他の連中には伝えとく」
簡易小屋の受付を抜けるとすぐにベースキャンプだ。
リベルタム大森林の特異性から、他のダンジョンとは違い大半の施設は仮設で建てられている。といってもエイレティアに近いため、登山キャップにあるようなテント村はない。緊急時の医療施設と、軽食の取れる飲食店、踏破を目的とした冒険者パーティが使う駐車場などだ。
「――ハァァァアッ、アアァァ……」
受付を出るやいなや、ヴィンセントは括り付けたマンドラゴラを放り出した。
そのまま身体も投げだす。ロクに舗装もされていない地面に横たわり、壁のような大森林から抜けてくる風に身をさらした。
「だらしないねヴィンス、あの程度で根をあげてさ」
「不摂生が祟ったな」
疲労困憊のヴィンセントとは違い、アランやエルザイルは多少肩で息をしているに留まっていた。
「うるさい。お前らが俺を見捨てたせいだろうが。今回の取り分は俺が六でお前らで四だからな」
「なんでだよ。その呪符を用立てたのは僕だぞ」
アラン・ガルババは手製の斧に寄りかかりながら言った。
ドワーフのアランは小柄だが筋骨隆々で巌のような体格である。斧の柄を持つ手の平は革の手袋をしているかのように厚い。赤褐色の髪を含めてドワーフ族を象徴する外見だが、山岳に住む者達よりも肌が浅黒く、髭は短く刈り込んでいる。
平野に住むドワーフには、このような伝統的ではない出で立ちをする者が多かった。
「見つけたのは私だ。ヴィンセントが一番なにもしてないだろう」
エルザイルと呼ばれたエルフは澄まし顔で肩をすくめた。
流れるような金髪と、牡鹿のような尖った耳が特徴的だ。ドワーフとは対照的に長身痩躯な体格はイチョウのようである。青みがかった灰色の瞳は長命種であるエルフ族らしい智慧を感じさせるが、むっつりとした表情のせいで気難しい人物に見える。
そんな二人の反抗に、再びヴィンセントの火が噴いた。
「守ったのは俺だろうが! 契約とったのも俺! 呪符巻いたのも俺! スカルドッグを追い払ったのも俺! それにお前らのせいで魔術具を使うハメになったんだろうが! 赤字なんだよ赤字!」
「ジャンケンに負けるヴィンスが悪い」
「そうだな。それにアレはスカルドッグではなくスカルウルフだ。頭と脚の骨の形がまるで違う。潜行士のくせに見分けがつかないのか?」
「犬だの狼だのどうでもいいんだよ! 問題は、お前らが見捨てたせいで赤字になったって事だろうが! 絶対に俺が六だからな! それでも大赤字なんだよくそったれ!」
朝のダンジョン前で騒ぐ潜行士パーティ。
太陽が真上に来る時刻には賑わうこの場所も、まだひとの気配が少なく木々の風に揺れる音がよく目立つ。
始発の電車に乗ってきた軽食屋の店員が、またやってるよと言わんばかりに肩をすくめ、受付のギルド職員に挨拶を交わす。
彼らの言い争いが終わったのは、次の電車に乗ってきた他の潜行士パーティの相手をしたギルド職員にうるさいと追い払われるまでだった。