第3話:男湯は無理です副長
風呂が、怖い。
いままでで一番切実に、そう思った。
汗と土埃で体はべたべた。帯の中の包帯も汗を吸って重くなっている。
でも、湯に浸かることはできない。
理由は簡単。
私は――女だからだ。
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「隼人ー! 風呂行くぞー!」
脱衣所の前で、永倉新八が手ぬぐいを振り回していた。
後ろでは沖田がにやにや笑いながら手を振っている。
「みんなで入ったほうが楽しいだろ? 隊の絆ってやつさ!」
「い、いえ……僕はその……今日はちょっと……」
「何言ってんだよ、新入りが一人で風呂入ってどうすんだ? 副長に睨まれたくないだろ?」
――その名前を出すのはずるい。
私は必死に笑顔を作った。
「そ、それよりも……少し剣の素振りをしたいなって思ってたんです。遅れを取り戻したくて!」
「おっ、やる気じゃねえか! 偉い偉い!」
永倉が陽気に背中を叩いてくる。
心臓が跳ねる。肩に巻いた帯がほどけそうで、息を殺した。
(危なかった……)
毎日が地雷原。
いつバレてもおかしくない状況の中で、私は綱渡りのように生きている。
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その日の夜、私は湯屋の裏手に回って、そっと腰を下ろしていた。
男たちの笑い声が風に乗って届いてくる。
その中に、どこか穏やかな――けれど鋭さを隠しきれない声も混じっていた。
「……副長」
湯屋の中に、あの人もいる。
鬼の副長・土方歳三。
風呂場では無防備にならざるを得ない。
だから私は、決して同じ空間には入れない。
もし何かの拍子で見られでもしたら――すべてが終わる。
(本当に、いつまで隠し通せるんだろう……)
誰にも言えない不安が、胸の奥に沈殿していく。
でも、それでも私は、ここにいなければならない。
父の真実を、この手で暴くと決めたのだから。
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「……なぜ、ここにいる」
低く、冷たい声が耳に届いた。
瞬間、心臓が跳ね上がる。
顔を上げると、湯屋の陰から――土方が立っていた。
髪を下ろし、浴衣姿。だがその眼光は鋭く、まったく隙がない。
(いつからそこに……!?)
「……す、すみません。風が気持ちよかったので、つい」
「風が、な。……そうか」
土方はそれ以上何も言わず、私の横を通り過ぎようとする――が、ぴたりと足を止めた。
そして、私の肩を一瞥する。
「……帯の巻き方、独特だな。誰に教わった」
背中に冷たい汗が伝う。
「じ、自分で……我流です」
「……そうか。なら、矯正しておけ。崩れやすい」
「は、はい……ありがとうございます」
背後から、足音が離れていく。
私は動けなかった。
(気づかれてる? いや……まだ、決定的ではない……)
けれど確実に、あの人の中に“疑い”は芽生えている。
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部屋に戻ったあとも、眠れなかった。
風呂ひとつ、気を抜けない。
帯の締め方まで見られていたなんて、思ってもいなかった。
――私は、女としてここにいちゃいけない。
でも、“こはる”としてじゃなく、“隼人”としてしか、今の私は生きられない。
⸻
翌朝、土方は何事もなかったように私を通り過ぎた。
けれど、ほんの一瞬だけ、足を止めて、こう言った。
「今日の稽古、見ているぞ」
それだけ。
それだけなのに、私の心臓はまた跳ねた。
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(いつまで、持つだろう)
でも、今はまだ――ここにいたい。
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