第24話:かつての稽古場
その場所は、京の北端――
誰も通わなくなった竹林の奥に、ひっそりと佇んでいた。
朽ちた木造の稽古場。
柱は苔に覆われ、板間はところどころ腐りかけている。
それでも、私の中にはこの空間が色濃く残っていた。
(あの日、私と蓮司は、ここで初めて竹刀を交えた)
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風が吹き抜け、木の扉がきぃと鳴く。
私はそっと中へ入った。
陽の射す角度で、埃がきらきらと舞っていた。
そこにはもう、稽古に励む声も、父の笑い声もない。
けれど、足を踏み入れた瞬間、心があの頃に引き戻される。
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「こはる、構えが甘い。剣は心のままに振れ」
父の声が、耳の奥に蘇る。
「痛い! 痛いってば!」
泣きそうな声をあげていたのは、小さな蓮司だった。
私が一撃を決めたあと、鼻を押さえて蹲っていた。
「蓮司、しっかり立て。悔しかったら、また挑め」
「……う、うん!」
その時の蓮司の瞳は、まっすぐだった。
何度倒されても、何度でも立ち上がる。
そんな少年だった――はずだった。
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私は稽古場の柱にもたれ、ひとり呟いた。
「どうして……あの時のままじゃいられなかったんだろうね、蓮司」
もちろん、答えは返ってこない。
でも、心の奥で何かが少しだけ、揺れた気がした。
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ふと、壁の板の隙間に紙片のようなものが挟まっているのが目に入った。
埃を払い、そっと取り出す。
それは、父の筆跡だった。
『剣は心を写す鏡。
まっすぐに振れば、まっすぐに人を打つ。
ねじれた想いで振れば、己の心を裂く。』
(父さん……)
その言葉を胸に刻みながら、私はそっと目を閉じた。
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その時だった。
後ろから、足音。
ゆっくりと、軋む板の音が近づいてくる。
「……来たのか」
私は背を向けたまま、静かに言った。
「隠れるつもりはないよ。どうせ、また“命”を受けてるんでしょう?」
「……お前は、変わらないな」
懐かしさの混じった声。
振り返ると、そこにはまた――仮面の蓮司が立っていた。
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「……ここが、俺たちの始まりだったな」
仮面越しでも、声の色でわかった。
いつもの冷たい無機質な刺客の口調ではなかった。
「懐かしいね。あなた、よく鼻血出してたっけ」
「うるさい」
短く返すその声に、微かに笑みが滲んでいた。
「じゃあ、今日はどうするの?」
「試されている。――俺自身が」
「……誰に?」
「“主”に、だ」
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その言葉に、私はゆっくりと間合いを詰めた。
「蓮司。あなたはまだ、自分の剣が何のためにあるのか、分かってないんじゃない?」
「……黙れ。俺は……俺はただ、命じられた通りに――」
「嘘」
私はすかさず遮った。
「あなたの剣は、あの頃のままだよ。まだ迷ってる。だから、私はあえて言うよ」
私は、刀を鞘から抜いた。
「ここで決めてよ、蓮司。あなたの剣が“主のため”なのか、“自分のため”なのか」
⸻
風が吹いた。
舞い上がる埃の中で、仮面の男は沈黙を守った。
やがて――
「……次に会うときは、決めている」
そう言い残し、蓮司は静かに踵を返して去っていった。
その背中に、私はそっと言った。
「もう一度だけ、信じるから」
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