第20話:閉ざされた口
山科為景の潜伏先だった裏長屋は、もぬけの殻になっていた。
昨日までは確かに人の気配があった。
今は、ひと気もなく、引き戸も少し開いている。
風に吹かれて軋む音が、妙に耳に残る。
「……遅かった」
私は小さく息をついた。
(誰かが、彼の“口”を封じた……)
何者かの手によって、山科為景はこの街から“消された”のだ。
いや、表向きには――“いなかった”ことにされる。
⸻
屯所に戻った私は、土方副長の部屋を訪ねた。
副長は書類に目を通しながら、私の顔を見るなり言った。
「山科の件か」
「はい。……もう、姿はありませんでした」
しばらくの沈黙の後、副長は小さく呟いた。
「……幕府内部には、表に出せない“証人”が多すぎる。
今回の件も、上が手を回したのかもしれんな」
「口封じ……ですね」
「ああ。だが、ただ消すだけではない。“記録”も同時に改ざんされる」
土方は机の引き出しから、一通の古びた書状を取り出した。
「昔、似たようなケースがあった。ある役人が粛清されたとき、
その存在すら記録から消された――まるで“最初からいなかった”ようにな」
その言葉に、背筋がぞくりとした。
(父の記録も、まさか……)
⸻
午後、私は屯所の資料庫に再び足を運んだ。
桜井柾真の名前が記された文書は、昨日まであったはずの場所から消えていた。
「嘘……」
棚の隙間まで探し尽くしても、どこにも見つからない。
誰かが意図的に動かしたとしか思えなかった。
(これは偶然じゃない……誰かが、“父の痕跡”を消している)
⸻
その夜。
中庭の灯籠の前で、榊原主膳が月を見上げていた。
「隼人君。こんな夜に、どうしたのかな?」
「少し、考え事を……」
私は表情を変えずに答えた。
榊原様は、相変わらず優しく微笑んでいる。
「最近、君は随分と疲れて見えるよ。心配してる人も多い」
「そうですね。でも、知りたいんです。何が、父を殺したのか」
その言葉に、榊原は微かに目を細めた。
「知ることは、時に大きな代償を伴う」
「それでも、私は進みます」
主膳はしばらく黙っていたが、やがて穏やかに言った。
「ならば、せめて誰かに話すことも忘れないでください。
ひとりで背負いすぎると、折れてしまいますよ」
その言葉には、優しさと――どこか計算された距離感があった。
⸻
自室に戻ると、机の引き出しに“差出人不明の封筒”が入っていた。
中に入っていたのは――父の勤務記録の写し。
ただし、一部が黒く塗りつぶされ、名前が消されている。
それでも、私は見逃さなかった。
(……これは、昨日まで私が見ていたものとは“編集の構成”が違う)
配置、文字間、記号の位置――明らかに“別の人間”が作った偽の写し。
「誰かが、“正しい記録”を消して、偽の文書に差し替えた……!」
私は拳を握った。
父の死は、組織の都合で塗り替えられた。
そして今、同じように“私自身”が狙われているのだ。
⸻
深夜。
私は風のない夜に、一人そっと呟いた。
「誰が仕組んだか知らないけど……私は、“真実”を塗り直す側になる」
刀を手に取り、静かに鞘に納める。
風が吹いた。
まるで、父の声のように。
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