第1話:スカウトされましたけど女です
剣の道を選んだその日から、私は“自分”を捨てた。
この髪も、声も、名前も――全部、仮の姿。
女として生きる場所を失くした私が、この世に居場所を作るには、男として振る舞うしかなかった。
だから今も、意識する。
歩幅、声のトーン、視線の強さ。
たった一つの仕草で、全部が崩れてしまうのだから。
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三人の荒くれ者に囲まれていた男は、京の通りの真ん中で殴られていた。
けれど、その顔には、どこか余裕の笑みが浮かんでいる。
「……あちゃあ。ついてないなぁ、今日は」
地面に倒れ込んだ男の頬が赤く腫れていた。
一見すれば、ただの間抜けな浪士。
けれど私の目には、彼の構えが“崩れていない”のが見えた。
(……あれは、わざとだ)
そう分かっていても、私は動いた。
正体を隠している立場で、騒ぎに首を突っ込むのは得策じゃない。
それでも、身体が先に動いたのは――あの日の後悔が、まだ私の中に残っていたから。
「その方から離れてください」
男たちが、同時にこちらを振り向く。
「なんだ小僧、お前も浪士気取りか?」
「下がって」
私は一歩踏み込み、刀を抜いた。
一撃、二撃。
斬らずに落とす――身体の芯にだけ、正確に力を加える。
「うぐっ……な、なんだこいつ!」
「通りすがりの剣客です」
残った男が怯えた目で逃げていった。
私はゆっくり刀を納め、地面の男へと手を差し伸べる。
「……立てますか?」
「いやぁ、助かったよ。君、すごいねぇ!」
埃を払いながら立ち上がった彼は、にこやかに笑う。
見た目は派手じゃない。むしろ地味なくらい。
だけど――妙に人を惹きつける笑顔だった。
「俺は近藤勇、壬生浪士組の隊長だ!」
「なぁ君、名前は? いや、その前に、男で合ってる……よな?」
「桜井……隼人です」
返事をしながら、私は意識する。
声が高くなっていないか。動きが柔らかすぎないか。
視線を合わせすぎると、“女”だと気づかれる気がして、つい逸らしてしまう。
「よし、隼人くん! 君、うちに来ないか? その腕、うちで活かしてみない?」
「えっ……それは……」
驚いた。まさか、こんな形で“入り口”が開かれるなんて。
(……この場所が、目的に近づく鍵になるかもしれない)
心の奥で、静かに思う。
でも、その表情は、あくまで戸惑いを装って。
「……はい。もし、お役に立てるのなら」
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こうして私は、“桜井隼人”として、壬生浪士組の門をくぐった。
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「ここが屯所だ! みんなクセ強いけど、良い奴らばっかりだぞ!」
近藤の声が大きすぎて、鼓膜が震える。
屯所は活気に満ちていた。
……いや、正直に言えば、うるさい。荒れてる。男くさい。
(最悪の環境……けど、逃げるわけにはいかない)
稽古場の隅では、木刀を打ち合う音が鳴っている。
その中から、ひとりの青年がこちらに歩いてきた。
「新入りか?」
「君、名前は?」
「桜井隼人……です」
「へぇ、隼人くんか。俺は沖田総司。よろしくね」
朗らかな笑顔に、思わず息が詰まる。
顔が近い。じっと見ないでほしい。
少しでも“女らしさ”が出ていないか、不安でたまらない。
「細いけど、剣はやってたの?」
「はい……少しだけ」
「そうか! じゃあ今度、手合わせしような!」
「……はい。お願いします」
(頼む、バレてませんように……)
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ふと、別の視線を感じて振り返る。
廊下の奥。
黒髪を後ろで束ねた、整った顔の男がいた。
その目は、冷たい。
無言のまま私を見据える、その視線は――明らかに、他とは違っていた。
(……あの人は、気づいてる?)
「副長だよ。土方さん」
沖田がぽつりと呟いた。
副長――土方歳三。壬生浪士組の“鬼”。
その眼差しが、鋭く私を貫いたように感じたのは、錯覚ではなかったはずだ。
⸻
(私が女だって、気づかれてるかもしれない)
(でも……今は、まだ崩せない。絶対に)
私はゆっくりと息を吐き、表情を整えた。
この場所で、生き抜くために。
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