つないでいきたい
「う~~、さむっ」
すっかり日も暮れてから外に出れば、いくら上着を着ていても冷たい空気が肌を刺す。でも、やらなければならないのが、冬休みの宿題だ。冬休みの日誌の中に、夜空の星を観察するものがある。夏休みの日誌にもあったのだから、冬休みの日誌にもやっぱりあるんだよね……。
家の近くだと街灯の明るさで空が見づらくて、ちょっと離れた街灯の少ない方へ向かう。家が幹線道路に面していると、こういうときに不便だ。
小学校の四年生のときだったかな、家の近くにある歩道橋の上からなら地上よりも見えるかもしれないとのぼってみたら、歩道橋を照らす街灯がまぶしくて全然見えなかったのは。階段が照らされていることに気がついたのは、このときだった。階段が明るいのは当たり前に思っていたけれど、本当は違った。
集合住宅の駐車場は、この時間だとたいていの家の人が帰宅済みで車でほぼ埋まっていて、通路はほぼ安全。明かりの数も少ないから、ここなら。
理科の授業を思い出しながら、北の空を見上げてみる。ぱっと見でひときわ輝く星をひとつ見つけるけれど、それが「そう」とは限らない。
『北極星の見つけ方はね、実はとーってもカンタンなの』
先生の声が頭の中によみがえる。えーっと、なんだっけ。
握りこぶしをつくって、肩の高さまで腕を水平にもちあげる。反対の手で同じように握りこぶしを作って、先にもちあげたこぶしの上に乗せる。その上に、最初のこぶしを移動させて乗せて、と。
『その、いちばん上の三つ目のこぶしの少し上にね、まわりの星よりも明るい星が見えて、時間が経ってもその星だけが動かなかったら。それが北極星なの!』
その星を中心にして、周囲の星が円を描くように動いていたら、間違いない。
東西南北の方向がわからなくても、昼間なら自分の立っているところから見える太陽の方向が南、夜ならこうして北極星を見つけることができれば北。迷子になってもおおよその方角がわかるんだよ。
そう言って、先生は笑った。
「あれだ、北極星」
みつけた。
本当は北極星を見つけるよりも先に北斗七星やカシオペア座を見つけた方が北極星を見つけやすいのだけれど、あたしはこの北極星の見つけ方のほうが好きなのだ。
そして、北極星を中心に北斗七星とカシオペア座を確認すると、街灯の明かりの下まで移動して日誌に書き込んでいく。うう、手がかじかんで痛い。
次に南の空を見上げる。冬の大三角形を見つけるためだ。これは簡単に見つけられる。オリオンの右肩、自分から見たらオリオン座の左上にあるベテルギウスさえ見つけられれば、それを起点として正三角形になる明るい星、こいぬ座のプロキオンとおおいぬ座のシリウスが見つけやすいからだ。
おおいぬ座とこいぬ座のかたちはなかなか覚えられないけれど、オリオン座は覚えやすい。あたしはオリオンの腰にある三連星をまず探すことにしている。
あたしは、冬の大三角形が好きだ。夏の大三角形はもっと上の方を見上げないと見つけられないけれど、冬の大三角形はそんなに見上げなくてもすぐに見つかるから。
夏の星はちょっとモヤモヤして見えるけれど、冬の星ははっきり見えるから。
大雑把に日誌に書き込んで、あたしは家に帰った。あたたかい。
清書はあしたでいいや、そう思ってその日の活動は終えることにした。
◇◇◇◇
「あそこで輝いているのが金星でね。肉眼でも見えるけれど、望遠鏡でも見てみてね」
「そのちょっと斜め上に見えるのが土星。木星は見えるかな~? ああ、いたいた。あれだね」
校舎脇、芝生の上に設置した天体望遠鏡を児童に順番に覗かせてくれながら、先生が言う。
北の空は雑木林と山に阻まれて星が見辛いから、南の空を中心に見ていこうか。
この先生は、一般向けの天体観測会も主宰されていらっしゃるのだという。夕方に集まってキャンプのように食事をしながら意見交換などをし、その後は夜通し。
ただでさえお忙しい中、定期的にそういう会を開き、なおかつ四年生以上の児童向けに学校で毎月星の観察企画までしてくださるとは。児童向けは日没あたりから一時間ちょっとの会になる。
子どもたちの興味が途切れるまでの時間かもしれない。さすが先生。
案内のプリントを見て、つい子どもよりも母が食いついてしまった。あまり興味がなさそうな息子を「こんなすごい機会はないぞ」と説き伏せて申し込ませ、保護者送迎だから子どもをダシにしてあたしも参加している。
時間に余裕があったら参加してくださっている他の先生方には、母誘導だとしっかりバレていた。息子があまりこういうイベントに興味をもたない姿を見ているのに、なぜ参加しているのだろうかと。
「今日はお天気がいいから、さっき話した土星の、輪っかがはっきり見えるかもしれないよ」
「こっちの望遠鏡で見たほうが、きれいに見えるからね。覗いてみて」
児童だけではなく保護者にも積極的に勧められた複数台の望遠鏡に、少しだけ怯む。総額いくらするのだろうか。歳を重ねて下手に知識を持ってしまったせいで、おおよその価格を弾き出せてしまう。覗かせてもらうときも恐る恐るになってしまって、さすがに先生に気づかれた。
「そんなに緊張されなくても、大丈夫ですよ」
いいえ、あたしの心臓がもちません。心の中で返答しながら、参加する度に機会をいただけることの感謝を伝えている。
この日は土星の輪だけでなく、衛星も少しだけ見えた。たくさんあるというのに、望遠鏡でもいくつかしか見えないのだとか。もっと高性能のならもう少し見えるんですけどって、小学生相手にひと財産盛っていいのか。
カメラと同じでこっちも大概な沼だよな。と、また余計なことを考える。
星の観察は好きだったけれど、あたしには天体望遠鏡を手に入れる夢は叶えられなかった。部屋の本棚にはカタログだけが増えていき、それを眺めてはため息をつき。
――いつしかすっかり諦めてしまっていたけれど。
――でも、望遠鏡は関係ないか。
星の観察会を終えた学校からの帰り道、北方向の自宅へ向かいながら、あたしは小学生の頃に学んだ北極星の見つけ方を身ぶりつきで再現するのだ。
息子から、授業では習わなかったと聞いて驚きながら。
北極星の高さは自分のいる緯度と同じなので、緯度の高い地域なら高い位置に、低い地域なら低い位置に。
水平からこぶしひとつ分の高さが一〇度あり、こぶしを重ねて北極星を特定できれば自分のいる緯度もわかるということに。
本作の居住地はおよそ北緯三五度の地域のため、作中の表現になりました。