第6話 まずは基礎の基礎からです
師匠の名前を変更しました
「ルリちゃ、起きて」
可愛い声に、頬に触れるフワフワした感触で、私は眠りから引っぱりだされた。
目を開けて窓の外を見ると、今日も今日とて雪がしんしんと降り続けている。
部屋の中は暖炉の火でしっかり温まっているので、問題ない。
もしかして、真夜中に誰か薪を焚べてくれたのだろうか。
(ルージュさんかな)
凄腕メイドである使い魔のルージュさんの姿を思い浮かべていたら、本人がドアを開けて入ってきた。
「ルリ様、お目覚めでしたか」
「うん。アミュが起こしてくれたから」
話しながら布団から出て、クローゼットを開ける。
今日は紺地に銀糸で刺繍してあるワンピースを着ることにした。
頭からすっぽり被る形のものなので、一人で着替えられる。
今日も、ルージュさんが髪をまとめてメイクをしてくれた。
「朝食が出来ておりますが、召し上がりますか?」
「うん。食堂まで行くね」
昨日、屋敷の中は一通り案内してもらっている。
食堂もその時案内してもらった。
普段は、師匠がほとんど食事をしないか、食べても何かしながら片手間に摘めるようなものばかりだったらしくて、ほとんど使われていないらしい。
結構な広さのある食堂なのに、非常にもったいない。
そう思うのは、私が貧乏性の会社員だったからだろうか。
とはいえ。
(一人で食べるには、広すぎるよね)
食堂のテーブルの前に腰掛けて、辺りを見回す。
「えっと、師匠は……」
「主様は、普段から召し上がらないのですが、」
「おぅ、おはよ」
「師匠」
ルージュさんの言葉を遮るように、師匠が挨拶をしてきた。
「一緒に食べますか?」
「おう」
聞けば、特に嫌そうな様子もなく頷いてくれる。
「お前一人じゃ、味気ねぇだろ」
やっぱり、この人は優しい。
独り暮らしをしていたから、一人の食事にも慣れてはいるけど、やっぱり誰かと一緒に食べたほうが、美味しく感じる。
こんな広い食堂じゃ、なおさらだ。
嬉しくてへにゃっ、と笑うと、師匠はすっ、と目を逸らした。
なぜだ。
でも、黒髪の間から見える耳は、赤いような……
「師匠、寒い?」
「あ?何でそうなる」
怪訝そうな師匠に、私はそれ以上は言うのをやめた。
だって、それじゃあまるで、師匠が照れているみたいじゃないか。
こんなイケメンが、どこにでもいる容姿の私に、そんな照れるようなはずがないのに。
ルージュさんは、そんな私達に口を挟むこともなく、淡々と料理を並べていってくれる。
私の前には、パンとオムレツ、サラダとスープ、それからフルーツだ。
師匠の前を見ると、ほぼ私と同じメニューだったけど、ウィンナーらしきものとマッシュポテトが付け加えられている。
食に興味はないって言ってたし、さっきルージュさんも、師匠は朝は食べないようなことを言っていたけれど、どうやら、それなりに食欲はあるらしい。
それでも、成人男性にしたら少ない方だと思うけど。
(おじいちゃんだから?)
「おい。お前いま、なんか失礼なこと考えただろう」
「師匠、読心術ですか?」
「バカタレ。お前の顔見りゃわかる」
ここで自分の顔を擦るようなベタなことはしない。
しないが、表情にあまり出さないように、頬は揉んでおいた。
似たようなものか。
「あ、師匠。夜中に薪焚べてくれたのって」
「俺だが」
「えっ」
てっきりルージュさんだと思っていたので、かなり驚いた。
「夜中に乙女の部屋に入るなんて……」
「何もしやしねぇよ!いいから食え」
ちょっとからかっただけなのに、怒られた。
別に、師匠のことを信じてないわけじゃないのに。
「食い終わったら、魔力を流す練習するからな。慣れないうちは魔力使うと、尋常じゃなく腹減るから、覚悟しとけ」
「間食の用意をしておきます」
打てば響くような対応をするルージュさん。
流石だ。
「そういや、確か倉庫に米があったな。お前の元の国の主食は米だろう?ルージュに、コメで何か作ってもらえ」
(お米!お米あるんですか!)
一気にテンションが上がる。
「何かご希望はありますか?」
「えっと、出来るならおにぎりを」
ルージュさんに聞かれて、素直に食べたいものを伝えてみる。
おにぎりと言ってそれが何かわかるかはわからないけど。
「ああ、東の国の伝統料理ですね。かしこまりました」
「ありがとうございます!」
すごい。
通じた。
おにぎりを食べられる!
異世界に来ちゃったからには、日本食は食べられないだろうと諦めていたのに。
「さんかくがいいですか?それとも俵形?」
「さんかくおにぎりで!」
ルージュさん、気遣いの鬼だ。
いや、神だ。
ルンルンと食事を済ませて師匠を見ると、眠そうに目を擦りながりも完食していた。
「食い終わったなら、リビングに移動するぞ。まずは自分の魔力を感じるところからだ」
そう言って立ち上がった師匠に、トコトコと着いていく。
師匠は私の前を歩いているけど、たぶん、歩く速さを私に合わせてくれている。
だって、明らかに師匠の方が足が長いのに、私は自分のペースで歩けているのだから。
(優しいのに素直じゃない。ツンデレ?)
生まれてこの方、本物のツンデレさんに会うのは初めてだ。
ちょっと心が弾む。
リビングに着くと、師匠はソファに座って、隣に私を座らせた。
「まずは、俺がお前の中に魔力を流して、お前の魔力を誘導する。危ないことはまったくないから、心配するな」
「はい」
私の答えに師匠は頷くと、私の両手を握った。
少しゴツゴツした、大きな男の人の手。
子供の頃ならのともかく、大人になってから男性に手を握られたことなんてない。
(やばい、めっちゃドキドキする)
想像してみてほしい。
すぐ隣にイケメン。
そのイケメンが自分の両手を握っているのだ。
誰だってドキドキするんじゃなかろうか。
「目を閉じて集中しろ」
言われて、とりあえず目を閉じる。
集中しろと言われても、どこに集中したらいいのかもわからない。
でも、そのうち、何かが自分の中に入ってくるのを感じた。
あったかくて、心地よい何か。
それが、まるで血液みたいに、身体中を巡って、また繋いだ手から流れていく。
そのあったかい何かと一緒に、自分の身体から少し熱めの別の何かが、一緒に流れていくのを感じた。
(これが、魔力?)
すっ、と手が離されて、心地よい温度が消える。
「流れたな。自分でも感じただろ?」
「はい、たぶん」
さっきの、一緒に流れたアレが、たぶん私の魔力だ。
師匠は満足そうに口角を上げた。
「おし。んじゃ、次は誘導しないから、自分で俺に魔力を流してみろ」
師匠が手を握ってくれたので、目を閉じて、さっき身体を流れていったモノに集中する。
イメージは、自分の中の熱が師匠に流れ込む感じ。
「道」はもうわかる。
頭よりも身体で理解できた。
しばらく魔力を流していたら、突然ズルっと何かが自分から引き出されるような感触がした。
「待てっ!止めろっ」
慌てたような師匠の声。
目を開けると同時に、師匠の手が離される。
やけに身体がダルい。
「流し過ぎだ、バカタレ。体調は悪くないか?」
「少し、ダルいです。でも、大丈夫」
「悪い。俺の方で調整するべきだった」
師匠は少し落ち込んでいるみたいだ。
失敗したのは私なのに。
「今日はこれが限界だ。これ以上はお前の身体が危ない。お疲れさん」
ぽん、と頭をなでて、師匠は部屋を出ていった。
その背中は少し、元気がないような気がした。