面倒事が向こうから走ってきた。恐るべき速さで。
お姉ちゃん回。ふわふわ姫の事情。
「逃した魚は大きかっただろう。思い知るが良い!」というシリーズの5つ目です。→https://ncode.syosetu.com/s8970h/
「奥様。このような手紙が届きましたが」
執事から差し出された1通の封筒に、ざっと血の気が引く。
クレマチスの花に、胡蝶の透かし。あまりにも繊細な意匠に、伸ばした指先が震えた。
少々焦りながら便箋を取り出す。
流麗な文字で書かれてあったのは、ほんの一文。
「城へ参ります。先触れを」
執事に申しつけ、頭の痛い問題をいかに穏便に解決することができるかを考える。
「面倒ばかり。やはり駄目だったわね」
呟いて、登城用の装いをするために自室へ急いだ。
「コーネリアには無理だと、止めておけと散々反対したでしょうが」
だから言ったのに、と今更責めても仕方ないと思いながらもどうしようもない。
面倒事が向こうから走ってきた。
しかも恐るべき速さでだ。
対応を間違えば、いや早々に解決しなければあっという間に追いつかれ、坂道を転げ落ちる羽目になることは請け合いだ。
父は私たちの責める視線に、うるさいとばかりに手を振った。
ぷいと横を向いたきり、目を合わせない。子どもか、とぎりぎり歯を食いしばる。
母もこのときばかりはため息を吐くばかり。想定していたより数倍悪い面倒事に、どうするべきか悩んでいる様子が見て取れる。
「それで、書状には何と?」
比較的冷静な宰相に、件の手紙を渡しながら馬車の中で何度も読み返して覚えてしまった内容を伝える。
「訳すると、『花は、囲ってこそ美しく咲くものである。野に咲くならば手折られてしまうだろう』。さらに要約すると『何故外に出してるんだよ阿呆が。放っておくなら殺すぞ』という所でしょうね」
ああぁ、と姉が嘆いて頭を抱える。
同士よ。私もそうしたい。
しんと静まった場に、場違いな程爽やかな風が吹き込む。
「封筒をよく見せて頂戴」
母が差し出した手に、宰相が美しいそれを、そっと乗せる。
真っ白できめ細やかな紙。二重になっていて外側の紙は透ける程薄く、でも張りがあって簡単に破れそうになく丈夫なそれに、細やかで繊細な透かしが入っている。
恐ろしい程高度な技を見せつける品だった。
「間違いないわね。『胡蝶の君』からのお達しね」
間違いであってほしかったと言外に滲ませる様子に、それな、とはしたない言葉で同意しそうになった。
どうしようかなぁ。どうすればいいかなぁ。
あの国にも悪いことをした。
悪いのはこの男だけど。
場が悪いのを自覚しているのか、腕を組んでひたすら黙り込む父を余所に、皆がため息を吐いた。
コーネリアの母である唯一の側妃が出産で儚くなったとき、父の嘆きようはすごかった。
暫くは政務に身が入らなかった程だ。それほどに愛されていた。
コーネリアは父と同じまっすぐな黒髪と、夏の空のような真っ青な瞳を持っていた。
金の髪と水色の瞳を持つ、彼女の母である側妃とは色合いこそ似ていなかったが、おっとりした所や柔い雰囲気、そして浮雲のような、地に足がついていないような、ふわふわとしたところが似ていた。
血は争えない。
だから私たちもコーネリアが嫌いになれないのだ。
なさぬ仲である母でさえもそうだ。猫かわいがりこそないが、明らかに私たちに対するより当たりが柔らかい。
正妃である母と父は、政略での婚姻をただしく体現したような関係性だった。
私たちと母もそう。時に厳しく、時に優しく導いてはくれたが、手放しで可愛がられるようなことはなかった。
コーネリアの母は、そんな私たちにもある意味平等に、屈託無く接してくれた。
だから好きだった。彼女のそばに居ると楽しいし、安らいだ。
父もそうだったのだろう。公の場では母を遇し、全面の信頼を持っていたが私的な時間はコーネリアの母と過ごすことを好んでいた。
特に幼かった私は、彼女によく懐いた。
乳母達はあまり良い顔をしなかったけれど、会いに行くといつも笑顔で美味しいお菓子とお茶を共にしてくれて、私の拙い、子ども特有の支離滅裂な話にもにこにこと笑って頷いてくれていた。
長じるについて、その屈託の無さはコーネリアと同じように、常に夢を見ているかのようなふわふわとした気質がそうさせているのが分かってきたのだが。
ある日、話があると姉と共に呼び出された。
その時の事は今でも思い出す。
姉は呆気に取られ、どうしたものかと思い悩んでいた。私はまだ7歳と幼かったせいか、常にない皆の雰囲気に飲まれておろおろするだけだったけれど。
その時コーネリアは3歳。
そろそろ王女として教育を始める必要がある年齢だった。
「コーネリアは女公爵とする。婚約者はロイド家次男。ただしこれはロイド家次男の出来如何によっては別の者を宛てるとする。また教育は様子を見て順次行うが、本人が望む物のみとする」
伝えられたのはそんな内容だった。
一緒に彼女を取り巻く『大人の事情』も聞いたのだが、その当時はあまり理解できていなかった。
理解できないなりに、彼女と私たちの扱いや待遇の違いに対し疑問を持たないようにとするための情報共有だったのだろう。
「お姉様。コーネリアの将来について伺いましたが、よく分からなかったのです。どうしてコーネリアだけにそんな決まり事を?まだ小さいのに」
ある日、就寝前の姉のところに乗り込んで疑問をぶつけた。
私にわかりやすいように噛み砕いて説明するために、ううん、と唸る様子に不安を覚えた。
「我が国は大きさこそあまり誇れるものではないけど、建国から数百年経っているのは知っているわね?」
「はい」
「帝国って知っている?」
「はい?」
突然飛んだ話に首をかしげる。
「5代前の王様がね、帝国から姫を拐ったの」
「……拐った?」
「帝国は遠いでしょう?おまけにその頃、帝国は後継者争いでごたごたしていたものだから、その隙に。本当なら戦を起こされてもおかしくなかったけど、王様はまんまと逃げおおせてしまったの」
「はぁ」
「お姫様は大層美しくてね。一目惚れした我が国の王様が、無理矢理」
「無理矢理」
「帝国が落ち着いて、やっと使者が来た頃には既に子どもが居て」
「子どもが」
「改めて戦を起こすにも既に時が経ちすぎていたし、お姫様も子どもが犠牲になるのは望まなかったと聞くわ」
「ええ、はい」
「帝国としても、お姫様が拐われたのは醜聞でしかなかったし、戦を仕掛けられても我が国では勝てそうになかったから、お約束をしたの」
「約束?」
なんだか話の終着点が想像できて、嫌な予感がする。
「姫の子孫は帝国に復することならず。力を持つべからず。当然よね。また後継者争いが起こったとき、血筋だから、って担ぎ上げられたり、況して我が国が争いに手を貸したりなんてとっても嬉しくないもの」
「でも、王族は、貴族は血を以て契約を持つって」
政略結婚の意味くらい、既に習っていたから知っていた。
結婚して縁を繋いで、それを契約とするのだと。
「それは力を合わせて利益が出るときよ。帝国にとって、我が国なんて味方になってもあまり得は無いし。むしろ血筋だからって大手を振られる方が迷惑よ」
「そんな。では、コーネリアは?」
姉がため息を吐く。
「お姫様のお子は、王族との縁を切って伯爵位を授けられたわ。それ以降血筋は密かに管理され、あまり広がらないようにしながら王家が見守っていたの。それを、お父様が…」
「側妃様は確か、ロイド家の」
「そう。ロイド伯爵家がそのお姫様の血筋。本来なら王家に関わらないようにしなければいけなかったのだけど。側妃様は大層美しかったから」
「コーネリアの婚約者は?」
「ロイド伯爵の次男ね。側妃様は前伯爵のお姉様の娘だから、再従兄弟にあたるわ。コーネリアを公爵として家を興すけど、血はロイド家に還す、といった所ね」
「コーネリアにそれは?」
「言うわけないわ。血筋を管理されて良い気分ではないもの。子どもだってそうよ。恐らくコーネリアは一人か、多くて二人しか子は持てない」
ロイド家は、婚姻に関しては他の貴族家よりも遙かに厳しい審査を受けていること、当主が二人子を設けた場合、次代は一人しか許されないこと。次男、次女は子爵家として家を興すことが許されるが、一代限りで爵位の継承は許されず、子は必ず平民になること。もしロイド家主家の血筋が絶えてしまったらそれまで。養子を取るなどして存続はさせないことになっているとも聞いた。
なんてこと。
幼いながらも妹の運命を思い、頭がくらくらした。
「王女としてのお勉強は」
「それも帝国とのお約束を守るためね。万が一にもコーネリアがおかしなことを考えないように」
「おかしなことって」
「コーネリア自体がそう思わなくても、その子どもや周りがこのことを知っても、担ぎ上げられることがないように。知恵をつけさせないようにすること。ロイド家自体は自分たちの血筋をよくよく知っているから、管理をさせるってこと」
「……そんなに帝国って偉いの?」
「偉いわよぅ。我が国の何倍もの国土を持っていて、倍近い歴史があるのよ。目を付けられないに越したことはないわ。無用な争いを起こさせないようにするためにもね」
「もし破ったら」
「どうなるかしらね。既に5代も前の約束だから戦争まではいかないと思うけど」
姉が笑って、私の頭を撫でる。
「あなたもね、コーネリアの扱いをよく考えないと。でも、間違いなく私たちの妹なのだからあまり構えることはなくてよ。私たちに任せておきなさい。ただし、これを他に漏らしては駄目よ。帝国との密約だから、文書には残していなくて口伝だし、代々宰相くらいまでしか知らないことなのよ」
はぁ、とか、はい、とかぼんやりと返事をする。
あまりの情報の多さに頭が破裂しそうだった。秘密の重さにも。
でも、姉の言う「妹なのだから」という言葉にはっと息を飲む。
妹。
そう、確かに妹なのだ。
不憫な彼女を思い、目一杯可愛がろうと決心したものだった。
それを。あの男が!
当初の予定どおり、大変頭の良いロイド家次男を筆頭にして、密かに皆で万全の支援体制を敷いて、このまま行けば妹の一生は不自由なく暮らせるはずだった。
側妃様とおなじようにふわふわと浮ついた、捉えどころの無い性格になってしまったがそれはそれ。
婚約者であるロイド家子息も「必然です」と言いながらよく支えてくれていた。
当然だろう。本来なら子爵家となるか、下手すると平民になるところだったのだから、公爵家当主代理、というのは美味しい話のはずだった。
二人の相性も悪くないと思っていた。
子息は大層優秀だったから巧みにコーネリアを誘導し、可も無く不可も無い、取り立て優秀ではない、といった王女像を仕立て上げることに成功していてた。
不自然に思われないよう、国を訪れた外国人に対する外交、国内の社交を主な役割として宛てがい機嫌良く過ごさせていた。それなのに!
あの国の王太子に初めて会ったとき、恋に落ちる様子が有り有りとわかった。
頬を赤らめ、潤んだ瞳を向け、手を胸の前で組んで。
まずい、と思った。
ロイド伯爵子息もその様子を横目で見、思わずといった体で天を仰ぐ。
止めてよね。
燻った火種に火薬を放り込むような真似、やめてよね!と切実に願う。
妹に話すことはできない。ふわふわと余計な夢を持たれても面倒だ。
ここは穏便に、なんとか諦めさせる方に導かなければならない。
そう皆が考えてのに!あの男が!
「良いではないか。あの国の王太子妃だ。なに、心配無い。あの国は小国から片足を踏み出した程度の国だ。わざわざ帝国に報告することも無い。知らせなければ気付かれることもない」
「そのような甘いことを!」
「コーネリアたっての希望だ。叶えてやるのが親という物」
「お待ちください。王太子には婚約者が居られます」
「そのような者」
存外野心家の父は、にやりと悪い笑みを見せる。
「これは好機だ。コーネリアに息子が生まれれば、次の世代で口を出すことも容易になる。祖父としてな」
「余計な色気を出すな!この馬鹿者!」
宰相が怒声を張るが、父に堪えた様子は見られない。
「上手くすれば海路が手に入る。さすればもっと貿易に力を入れることができる。今の王族では我が国の事情も知らんだろうしなぁ」
実際あの国の王家は若い。
国名こそ歴史あるが今の王家は先々代、当時圧政を敷いていた王家を簒奪した地方貴族が主筋となっている。
当時の王家関係者は軒並み処分されているし、だからこそ我が国と帝国の関係性も知らないし、同盟国とは言いつつこちらの方が上手に立てている。
同盟と言う名目で、派兵の懇願にも理解できた。
ごく最近まで海賊に悩まされていたあの国は、海の軍備により力を入れていて、陸の戦はあまり勘定に入れていなかったのが見て取れた。
そこにつけ込めば、こちらの意見を通すことも可能だろう。
だからと言って無理を通すのは如何なものか。
「駄目だと言っているでしょう!」
「うるさいうるさい。今まで我が儘一つ言わないコーネリアが望んでいるのだ。それより、どうやって帝国の目をくぐるかを考えろ」
「あなた!」
夫婦喧嘩に発展した言い争いを見て、頭が痛くなってきた。
あの王太子も王太子だ。いくら印象を良くするためだと言っても、あの態度は無い。
普通の令嬢なら、あの柔らかい物腰は礼儀の範疇だと理解できるだろうが、コーネリアは箱入りだ。がっちりと、これ以上無いほど厳重な。
「婚約者がいる。とても良い関係を築いている」と言って、コーネリアの熱い視線を躱そうとしているのは分かるのだが、あの娘はもっとはっきり言動で示さないと理解できないし、しても見えぬふりをするだろう。
我が国の子息は皆優秀で、下手をすると手に縄がかかると知っているからコーネリアを誤解させるような隙は見せないのだが、彼はそのようなことは知らないだろうし。
今まで、希望や要望は先だって叶えていたのが裏目に出た。
自分で考えないよう、大それた望みは持たないよう、不満を持たせないよう忖度しすぎたのだ。
初めての恋に、与えられた相手ではなく、自らが見初めた彼に夢中になってしまったのだ。
今になって教育方針が間違っていたと気づいても、遅い。
わかっている。あの国や王太子に責は無い。読み取れない妹が悪い。それは認める。
認めるが、ついつい八つ当たりしそうになる。
帝国との関係を知らせるか?
いや、駄目だ。こちらの弱みとなる。
悶々と手を拱いているうち、父が公の場でコーネリアと王太子の婚姻に言及してしまった。
おまけに帝国との関係を知らない大方の貴族が、この婚姻に賛成してしまったのだ。
やられた、と愕然としたが、後手に回ってしまったのが痛い。
ここまで来たら祈るのみだ。
なるようになれ。
半ばやけくそ気味に、彼らの結婚式で笑顔を振りまいておいた。
さて、ここで問題はこの手元にある書簡である。
目の前の机に鎮座するそれを、皆で見つめる。
「胡蝶の君とはどこで?」
「皇太子様婚姻発表の夜会で接触されたそうだ」
「最悪」
「それで、どんな具合だって?」
「コーネリア嬢は簡単な問いに答えられなかったそうです。それで「密約を続行するに値しない」と判断されたようです」
「それはどこから?」
関係者として同席しているロイド家親子に問う。
ロイド家関連の情報は、彼らの元に集約されている。
「帝国に潜ませている間者から。誰が間者か知られてないはずなのに、胡蝶の君から直接声をかけられたそうですよ。「事情を理解し、立ち回ることが出来ないと見受ける。よき判断を」と。訳が分からず戸惑う間者に「とにかくそのまま伝えるように」と」
先ほど届いた最新情報です、と乾いた笑いを漏らしながら報告される。
胡蝶の君。
帝国でも一番の旧家の令嬢である。
あの家は、旧家であるが故、紋章官として帝国内の血筋の全てを把握している。
皇家に阿ることなく、代替わりの際の混乱にも加わることなく、ただ淡々と血統を記録し、国にとって都合が悪いことが起こった場合ある程度の判断と権力の行使を許可されていると聞く。
拐われてきた姫君に関する交渉で我が国と密約を交わした貴族も、胡蝶の家紋を掲げていたそうだ。
まずい方に目を付けられてしまった。
額に手を当てて嘆息する。
あの国にも悪いことをした。本来ならこんなごたごたには関係ないのに、巻き込んでしまった。
こうなると妹を早々に引き上げる他無い。
どうすれば良いだろう。方法を考えるが、良い案が浮かばない。
「さぁさぁ!皆で考えるわよ!早めに手を打たないと、どんどん状況は悪くなるわ!」
ぱん、と姉が手を叩いて皆の気を引き締める。
取りあえず、父は排除一択。
恐らく皆同じ見解を持っているだろう。母さえも。
これから先、ひたすら忙しくなる事が想像できて。でも久しぶりに姉や母と一緒に問題解決に取り組むことができて、ほんの少しだけ、小指の先程度嬉しくなる心に気づかないふりをした。
お馬鹿なのはとーちゃんでしたとさ。
対等な同盟とは言いながら、実質的な国力が ふわふわ > にーちゃん なのも悪かった。
実は浚われた姫様関連の話を考えていたところ、長くなりそうで断念。
派生でふわふわ姫を思いついて書き始めた一連の話でした。