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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

恋をした、僕の右手はモザイクがかかっていた。

作者: たまぞう

勢いだけでさっくり読めるノンストップ現代ファンタジー! さあ、本編へどうぞっ!

 僕の世界は唐突に変貌を遂げた。陰鬱な青春になるかと思われていた中学校生活に美少女が舞い降りて待ち焦がれ恋焦がれた華やかな世界へとその一歩を踏み出した。


 そんな希望あふれる僕の手には、モザイクが入っていた。




 僕は学校が嫌いだ。


 小さな頃から人がたくさんいるところが苦手で、とくに女の子とは会話もまともに出来ない。


 教科書を音読するのも、どもるし、噛むし、挙句声が小さいと注意されれば顔が真っ赤になってどうにもならなくなる。


 算数の授業なんかで当てられて、黒板に答えを書きに行くと足が震えるのがわかる。こんな目立つところに呼ばれて答えて間違ってたなんてなった日には、先生だって居た堪れなくなるくらいの惨状になった。


 もちろん大勢の前で発表なんてなったら……その辺りはもう記憶にない。というかそもそも記憶出来る状態じゃなかったと思う。


 そんなこんなで僕は圧倒的コミュ障で、圧倒的シャイボーイのまま中学に上がった。


 小学校よりも、たくさんの人たち。知らない子たちに知らない話題。大人も怖そうな人たちが一気に増えたみたいで僕は一層──教室の隅を愛するようになった。


 なのに──。




「ねえ、音無くん。いつも何読んでるの?」


 まるでここが僕の居場所かのように、入学以来席替えのくじ引きを繰り返しても必ず教室の出入り口よりも教壇よりも一番遠い隅っこが僕の席になる。


 誰にも、関わることなく一日を過ごすためにも、誰の動線にもならない、そんな隅っこで授業中はもちろん、休憩時間でさえ顔を上げずに本を読んでいる僕にわざわざ話しかけてくる人がいたのは意外だった。


「別に……にゃにも……」


 噛んでしまった。だけどそれも当然で、僕に話しかけてきたのはクラスの委員長で誰にでも平等に優しく誰からも支持され、とりわけ男子からの人気が高い美少女であり紛うことなき優等生の南野さんだったからだ。


 ひとが苦手で、女の子ならなおさら。そして入学したころの自己紹介以来まともに言葉を発しなかった僕と、みんなのアイドルな優等生の接触に三時間目を終えた休憩時間をくつろぐクラスメイトの視線が多く注がれている。


 噛むのも致し方なし。


 けれど僕の返事はまずかった。噛んだことよりも、返事の内容が、だ。


 ──何を読んでるの? に対して、何もっていうのはどう考えてもおかしい。手に本を持って読んでいるのだから、そこには印刷された文字が並んでいて、アニメチックな挿絵が入っているにしてもきちんとタイトルがあり物語があるのだから。


 だから、僕はそのタイトルを答えるか、君の興味ないタイプの本だとでも言えばよかった。


 そんなコミュ障っぷりを発揮した僕の顔を怪訝そうに、ではなく、優等生南野さんはあろうことか座っている僕の横に、顔がくっつきそうなほどに並んで中を覗こうとしていた。


「──っ」

「ほうほう異世界もの、ですかぁ」

「うぅ……」


 本屋で掛けてもらったカバーで読み取れない表紙よりは手っ取り早く内容が確認出来るから、だろう。


 しかもまだ読み始めたばかりとあって、僕の開いていたのは冒頭の数ページ目。よくある異世界転生するシーン。とても使い古されズタボロにされてそうな典型的なテンプレとも言える、ある意味でこのジャンルに興味がない人でさえ知っているご都合展開。


 だからこそ、南野さんもそこだけでこの本のジャンルを言い当てたのだと思った。けどそれは少し違ったみたいで──


「わたしは異世界に転生するより、現代が異世界化する方が好きかなあ」

「え、それって──」


 僕の胸が高鳴る。緊張しているのは間違いない。だって、未だに南野さんの顔は僕の隣にあって、なのに僕に向き合って話しかけてきたんだから、その距離は間違いなく、大問題だ。


 教室がざわめいたのが分かる。


 僕もあまり教室を、クラスメイトを眺めることはないけど、こんな距離で話す男女は少なくともこの教室で見たことがない。


 ハジマル、僕の恋が。


「合いそうで合わないって感じだよねえ」


 ははは、と笑い去っていく南野さん。顔を真っ赤にして固まる僕。何だったのだろうと首を傾げるクラスメイトに鳴り響くチャイム。


 真っ赤に染まった僕の顔をさらに赤くさせたのは恋心ではなく羞恥心だったに違いない。




 胸の鼓動が止まないまま、四時間目のチャイムとともに教師が入ってきた。


 だけれどドギマギする心は現実を把握していない。なんで僕にそんなラッキーが舞い降りてくると思ったのか。


 数分前の僕に言ってやりたい。


 その優等生は現代ファンタジーの方がお好みだと。


 違う。それだと擦り寄ってるだけじゃないか。だからこう助言するんだ。寝たフリしてやり過ごせ、と。


 そんなわけで僕の心は軽いパニックに陥っていて、教師が何をしていたのかは知らない。


 辛うじて記憶に残っているのは、文部科学省が──とか、このクラスで──とかの断片的な言葉。


 そして、やっと前に向き直った僕の目に飛び込んできたのは、教師が授業中に書くとは思えない言葉。


 “異世界”


 黒板にでかでかと書かれたそれを見た僕は、そのままこちらを振り返り驚いた表情をしている南野さんと目が合った。




 AI。そう呼ばれるものが世界を豊かにしたり、やがて人から仕事を奪うのではなんて危惧されたりしてるのは知ってる。


 けれどまさか、異世界を喚べるなんてのは、そんなのは聞いていない──。


「世界的に資源不足が深刻になっている昨今、我が国は他所から資源を調達しようということになった」


 僕たちのよく知る教室が、その壁を、窓を、床をむき出しの土塊に変わった中で、教師の言葉とクラスメイトのざわめきが響いていた。


「コンピュータってのはすごいんだな……先生もまさか異世界なんてのがあるなんて……それもこんな機械ひとつで……」


 教卓にはたくさんのケーブルやコードが繋がった箱がある。教師は感心したふうに箱をポンポンと叩いているが、僕の頭では状況把握が出来ない。


 これは今時のプロジェクトマッピングってやつなのか? でもだとしたら僕たちや机とか、椅子とかが邪魔になるはずだ。


 手で触れば土がつく。ひんやりとした感触にわずかなしっとり感。


 教師はなんて言ってた? 資源の調達? それで異世界? いやいや……地球によく似た惑星でも見つけてそこから持ってくるとか、ワープするとかの方がよっぽど科学的で現実的だろ。


「そしてこの中学校で行われることになったのは厳正なる抽選の結果で──」


 雑誌のキャンペーンみたいなことを言い出した。


「このクラスなのは、多数決っていうか……はは、先生が押しつけられたからっていうか……」


 知ってる。気弱なこの教師は僕らのクラスの担任であり、新任で去年まで学生だった一年目だ。


「あとこのクラスでするのは資源の調達じゃなくってだな……その足がかりとなる、異世界で活動するための大前提の調査──」


 とても嫌な予感がする。なのに僕の心は高鳴りを隠せない。ずっと南野さんが僕と合った視線を外さないから。それどころか、話が進むほどにその表情に興奮が蓄積され満たされ昂揚していくのが分かるから。


 現代ファンタジー好きなのは本当らしい。僕もこれからはそっちにしよう。擦り寄ろう、南野さんの好みに。そこから始まる恋を予感している。


 だから僕は、とりあえずやらなきゃならない。


「想像力豊かで柔軟性があり、肉体的にも出来上がり始めつつ、進化の余地を残しているであろう生徒の君たちに、異世界生存プログラムを適用して彼の地の脅威に立ち向かえるか、それを調べるのがこのクラスの役割になった」


 教師が謎の箱についたボタンを押したのだろう。


 かつては硬いタイルの敷かれた床だった地面が、その中央から隆起し、みんなが座る椅子も机も押し退けていく。


 前の方の席だった南野さんは僕とは離れたところに押し込められた形で、クラスの机も椅子もが移動させられ円形に囲む形で中央に空間を作っている。


 乱雑に散らかった机やらの下敷きになったり挟まれたりした生徒もいたけど、怪我はしていないらしい。


 そうなる気がした僕を含めて何人かは机の上に避難していたりしたけど、その先はまだ読めない。


 口々に興奮の声や不安な声を上げるクラスメイトたちも僕と同じく隆起したままの地面を眺めている。


「説明書によると──あそこからモンスターが生まれてくるから倒してくれってことらしい」

「倒すって……そんな武器もないのにっ」


 子どもらしく僕らはある意味で現状に対応出来ている。すなわち現実に起こる非現実を受け入れる柔軟さ。それは実際のところ大人たちの目論み通りなんだろう。


「だからこその異世界生存プログラムなんだ、そうだ。君たちの全員、とはいかないらしいけど、適応出来る子には専用の武器とスキルが付与されるらしいから、なにか体に異変とか感じた子はモンスターと戦ってほしい」

「異変って! そんなのわかんないっ」

「先生も分からないよっ。だけどもう起動しちゃったからぁ、何とかしてくれよぉ」

「先生が泣くなんて……」


 カオスだ。よく分からないシステムを起動させる機械を、よく分からずに与えられて使わなければならないなんて、大人は大変だ。


「見て! 地面が……切り離されて……っ」


 隆起した地面は天井に届きそうなほどになる手前で、地面側も細くなっていき、クラスメイト女子が言うように切り離されて形を変え、球体になっていく。


 そして土色のボコボコした表面が綺麗にならされ、半透明に薄くなっていけば、教師の言ってたモンスターのお出ましだ。


「スライム……くそデカいのを除けば、間違いなくスライムだ」

「ちょ、かわいいっ。みんなで写真とろーっ、絶対バズるからっ」


 カシャカシャと鳴り響くシャッター音。大人たちの考えた適応とは少し違うと思うけど、こんな状況でよくやるものだ。


 分かってる。僕も南野さんも。ここで調子に乗ってはしゃぐやつが最初に犠牲になるんだってことは。あばよ、クラスメイト女子。名前も知らないリア充女子。


 そう心の中でクールに決めた僕だったけど、実際にはそんな残酷なことにはならず、むしろ活躍の場を失うことになっていた。


 はしゃぐ女子の背に近づき、その軟体を伸ばして踏み潰そうとでもしていたのか。しかしスライムのその先の行動を見ることはなかった。


「くらえ、このっ!」


 横あいからの強烈な衝撃に、スライムはその巨体を壁に打ち付けて派手に飛び散った。


「あれは……!」

「サッカー部の古林くんっ」

「へへっ……なんかよ、上履きが知らないスパイクに変わってたからもしかしたらって」


 古林くんのことは知っている。僕と同じ小学校の出身で一年生のころから地元のサッカークラブに所属しているゴールキーパーで全国にも出ている実力者。その脚力は自陣のゴールから相手のゴールまでノーバンで届けるほどだとか。


 その古林に武器が与えられたらしい。元々の脚力に加えて異世界向けの武器らしいスパイクと何らかのスキルもあるんだろう。大きくて重そうなスライムをまるでサッカーボールを蹴るみたいに軽く力強く壁に叩きつけた。


 さっきまでスライムを背景に自撮りしていた女子たちがこぞって囲んでいる。腕に巻き付いたり抱きついたりして……思えば古林は小学生の頃からモテモテだった。キーパーなのにひとりでドリブルしてゴールしたりして体育の授業でサッカーがあったときはあいつ一人でヒーローだったな。だから僕はサッカーが嫌いだ。


 そうして勝利のムードに湧く彼らの足元がまた大きく揺れて膨らんでいく。


 慌てて逃げて転がる古林と女子たちに乾いた笑いを漏らしたのは僕だけではなかった。


「気をつけろっ、まだまだ現れるぞ!」


 僕に負けないほどの隅っこで机の陰に伏せながら叫ぶ担任教師はなんなんだろう。


 ともかくも、再び膨らんだ地面は、けれども最初ほど大きくはならず、せいぜい僕と同じくらいで止まり、形を変えていく。その形はまるで人のようで──。


「おいおい、あれはまさか」

「そのまさかだろ。見ろ、あれが──」


 ゴブリン。緑色の体色をした小柄な小鬼。手には棍棒らしきものを持っているけれど、見るからに雑魚。これはまた古林のハーレムを助長することになる予感しかない。


「俺がこんなモンスター蹴っ飛ばしてやるよっ!」

「ギイィッ」


 起き上がった古林が駆け出して、あのデカいスライムを蹴飛ばした蹴りを見舞う。


「ぐっ……あだああああああっ」


 ボキリ、と。聞こえたのは何かが砕けた音。見れば地面に転がり派手にのたうち回っているのは古林だった。


「ぶきっ、武器なんて卑怯だあっ」

「グゲゲ」


 どうやら古林の鋭いキックをゴブリンが細い棍棒で迎え討ったらしい。古林の左脚は脛のところであり得ない角度に変えて血を流していた。


「武器が卑怯って……あっ、古林くんのスパイクは武器だけど、それは足先だけで他は生身なんだっ」


 だから負けたのだ、と。保健委員の女子があたふたしながらも古林を掴んで下げていく。さっきまで古林にべったりだった女子たちは、生々しい流血に顔を覆って近寄りもしない。


「じゃあ誰があいつを倒せるんだっ」

「いやっ、私はあんなの無理よ!」


 みんなが避けるように教室だった部屋の隅に下がってくる。いやいや、隅っこは僕の聖地だぞ、おい。


 ゴブリンを囲む円がその直径を広げていくなか、一人のクラスメイトが悠々とした足取りで出て行く。


 まるでそこに決められた枠があるかのように、その定位置に立ち止まると、彼は構えて左足を軽くあげたのちに力強く踏みしめて渾身の一撃を放った。


 聞いたことのない破裂音とともにゴブリンは首から上を爆散させていた。


「ゴッドスイング……それが俺に与えられたスキルらしいぜ」

「きゃーっ、小谷くんーっ!」


 どこもかしこも野球部はモテる。ということもないらしいが、エース級というのがモテるのは確かで、小谷は違う小学生だったけど校区が近いこともあり名前だけは知っていた。


 野球好きの親に育てられた未来のエース。高校を待たずして今の中学校でも既に一般にまで名前を知られるほどに実力のある四番候補だ。


 体力作りと称してランニングさせられたのちに、硬い球を殺す気かってくらいのスピードで投げてくる野球が大嫌いだった。小谷はそんな野球で打ってよし投げてよしのスーパーマンでモテモテである。


 今もクラスにファンを増やした小谷は、先の古林の二の舞になることを避けるためゴブリンを倒したあとは外周に下がって待機している。そう、机の上に立っている僕の目の前で数人の女子といちゃつきながら。


「次が来るぞっ!」


 ここだけ威勢のいい担任教師の声が響くと、ゴブリンのときと同じように、しかしゴブリンよりもずっと大きな人型の変化を遂げた土塊がまた姿を現していく。


「あれは……!」

「今日はトンカツだあ」


 人型の脅威。カラッとジューシーに揚がっていれば子どもたちはおろか大人さえもが声を大にして喜ぶであろうそれの、モンスターバージョン。オークだ。


 テレビで見る横綱よりも、デカい。


 取り巻きの女子たちの声援を受けながら、小谷は再び戦場に身を投じる。


 ゆったりと、バットを振りながら近づく小谷は、けれど暴漢のように走って襲いかかるなんてことはしない。


 確実に仕留めるため、か?


 そう考えたところで僕は小谷のスキルに致命的な弱点を見つけた。なんてことはない、彼は言っていた……ゴッドスイングだって。


 バッターの彼がそれを発揮出来る場所なんて限られているんだ。そう、さっきのように定位置であるそこだけだ。


 小谷を待ち構えるオークの斜め前に陣取った小谷は肩に担ぐようにバットを構えてみせる。


 僕らには見えないけれど、きっと小谷本人には見えているんだろう。スキルを発揮するための、バッターボックスが。


 けどなぜ、オークは待っている? 先手を取れば、負けない相手なのに……?


 ザリっと、小谷の足が地面を抉る。脚から腰、腰から背中、肩、腕と力が伝達され相乗効果でバットが燃え上がる。


 あれが炸裂すれば今夜はポークステーキだろう。そうみんなが確信するなかで、バットはオークの腹でバウンドして弾かれた。


 大きくのけぞる小谷は姿勢を保てない。


 腰を落としたオークの突っ張りが、小谷の腹を打ち抜く。


 声も上げられない。出てくるのは汚い胃液と朝飯だったであろう納豆と食パンだけだ。その食べ合わせに僕は顔をしかめ、周りも糸ひく液体に近寄りたくないのか保健委員の女子が一人で撤収と掃除をしていた。


「今度こそ……もう駄目なのね」

「まだ給食も食べてないのにっ……!」


 失われた平和にすすり泣く声が聞こえる。


 この場を救える者はいないのか。


 そのとき、いくつものどよめきとともに集団から弾かれるようにして飛び出す影があった。


「いざ尋常に──勝負っ!」

「ブヒィッ」

「──胴オオオオオウオオオオオッ!」


 今度こそ、無敵の王道のお出ましだった。


 ただその彼がなぜ今頃になって出てきたのかという理由にも同時に気づいて何とも言えないけれど……ともかく、オークは圧倒的武器の性能によって真っ二つにされていた。


 真剣。刀。太刀。厨二が憧れ何にでも登場させたくなる武器ナンバーワンであるそれをもってオークを倒したのは剣道部の武倉だ。


「武器しか与えられぬのであれば守りを固めるまで……」


 同じ中学一年とは思えない口ぶりなのは、彼も陶酔しているからだろう。中学一年が厨二病なら飛び級かも知れない。


 あの混乱の中、集団に隠れるようにしてせっせと剣道着を着込んでいた武倉は、見事その全国レベルの剣道の腕前で弾力性に富んだオークの腹を斬り裂いたのだ。


 彼も見た目からしてイケメンでモテモテのはずなのだが今回は少し様子が違う。みんな知っているんだ。あの剣道着が鼻が曲がりそうなほどに汗臭くてたまらないことを。僕もそれゆえに剣道とかしたくない。しかも今は盛大に浴びたオークの肉汁でもっと悲惨なことになっている。


 モンスターを倒したというのに誰も寄ってこないことに寂しさを覚えたらしい武倉は、しょんぼりしてモンスターが現れる中央から離れていくが、その先で避難しているクラスメイトたちが避けて離れていくことに傷ついて三角座りしてしまった。


「そろそろ終わりでいいんじゃないか? 武倉が最強で異世界でも通じるってことでさ」

「だめなんだ……一度起動するとモンスターを五体喚ぶまでは終われないらしくって」


 それがクラスメイトの誰かが言った落とし所みたいなものだが、担任教師が即座に否定する。どうやっているのか生徒の机に顔を突っ込んでまで身を守ろうとする浅ましさは見習いたくない。


 やがてまたモンスターが現れる兆候が起きたが、今度はスライムの時ほどにデカい。


 息を呑み、その姿を確かめたクラスメイトたちの誰もが声を上げることが出来なかった。


 これまでとは一線を画す威容。


 昔に遠足で見たよりもずっと大きな馬は所々に金属製の鎧を身につけており、その背に乗る人物も全身鎧の巨体であった。それほど高くない元教室の天井になら頭が埋まりそうなほどではあったが、そうはなっていない。


 そのモンスターには頭部が存在しなかったからだ。


「デュラハン……っ」


 デュラハンが小脇に抱えた兜から覗く光は武倉をすでに捉えている。オークを倒した者として敵と認識しているのだろう。


 武倉は武倉で失意の中であっても己の役目と割り切ったらしく、立ち上がり刀を構えて間合いを詰める。


 互いのサイズは大人と子どもほども違う……というより実際にデュラハンは身長二メートルほどの体躯で、武倉は厨二病の中学一年生になったばかりの子どもだ。


 デュラハンが腰にはいた剣を抜く前に仕留めなければいかに強力な刀とスキルを持っていたとしても勝利は絶望的だろう。


「武倉くんっ、きっとそいつの頭が弱点よっ!」

「──っ!」


 敵と対峙する武倉に助言したのは僕のアイドル南野さんだ。彼女はみんなに等しく優しい優等生。武倉もその声援に満たされたらしく、頷き少しの間を置いてデュラハンへと向き直る。


 僕のこの角度だからこそ、まだ南野さんよりも近かったからこそ見えたけど、武倉……面の奥でウィンクしても相手には見えないぞ。


 そんな馬鹿なツッコミを心の中でしているうちに、武倉は先手必勝とばかりに打ち込む。


「メエエエエエエエエアアアアウンッ!」


 デュラハン相手にその面は小手であろうとまたしても僕は心の中で呟いたわけだけど、武倉の渾身の一撃は当然ながらデュラハンに軽く防がれた。


 攻撃するところを叫びながら振り下ろしてるんだから、相手からすれば舐めてるのかってところだろう。


 案の定、というか意外にもデュラハンは剣を抜くことなくその拳で武倉を殴り一撃で昏倒させた。デュラハンにしてみれば剣道の面など防具未満でしかなかったのだろう。


 武倉のダウンを見て駆け寄った保健委員の女子が予め準備していたであろう糸を倒れ伏せた武倉の面の隙間に差し込む。


 何をしてるのかと見ていたが、その糸が軽く揺れたのを確認して胸を撫で下ろした姿に合点がいった。呼吸しているかを確かめていたのだ。臭い武倉になるべく触れたくないから、そうして確認したのだ。


 もし僕が保健委員だったならあの役目は僕がしていたのかもと考えると彼女を責める気になどなれない。むしろよくそこまで献身的に役目を果たせるものだと賞賛したいほどだ。


 そうして保健委員の女子が武倉をモップで引っ掛けて退場させたあとに残ったのは巨大なデュラハンとそれを取り囲む僕たち。


 しかし考えても見て欲しい。広くない教室に大きな馬に跨った大きな鎧の人物というかモンスターがいるんだ。ここで戦えと言われてももはや誰が名乗り出ることが出来るのか。


 それでも次は……とクラスメイトを見渡す僕は何故かオロオロとする南野さんと目があった。


 僕の方を見て、足元を見て、また僕を見る。


 南野さんは少し顔を赤くして、目を潤ませたかと思うと、今度は意を決したように口を真一文字に結んで大きく頷いた。


 僕と南野さんがこの騒ぎのなか、見つめ合っていた時間はそれほど長くはなかっただろう。


 けれども彼女が何かを決心して、僕に託そうとしたのが分かる。


「あけて……っ、ごめんなさい、通して……っ」


 そうして人だかりをかき分けて、気づけば南野さんがデュラハンに相対していた。


 その右手には黒く長いケースが握られている。


 僕から見る角度では背中しか見えないけど、その左手は胸に手を当てて、上下する肩は恐怖に乱れる呼吸を、鼓動を如実に表しているのだろう。


 そんな彼女が僕に振り返る。それは自惚れでも勘違いでもなく、確信できる。美しく可愛く、優しく聡い彼女は僕へと振り返り、声にして託してくれたのだから。


「音無くんっ! わたしたちならきっと、やれるから! 君なら分かるから……だからその時はお願い……っ! わたし、頑張ってみるから!」

「──ああっ、頑張れっ!」


 柄にもなく、大きな声を出せたと思う。


 僕の返事を聞いた南野さんは、再びデュラハンに向き直って、右手に持つ箱を開け中身を取り出した。


 箱から出てきたのは一本の棒。銀色に煌めく細やかな装飾が美しい棒だ。


 僕はそれをテレビでしか見たことがない。けれどとても綺麗だと思った記憶がある。僕には到底出来ないものだ、とも。


 彼女は銀の棒を口にあてて、整えた呼吸で奏ではじめた。


 美しい旋律を。


 完全無欠、どこからどう見てもいいところの育ちの彼女は習い事も良いところの子らしくピアノに書道、華道やバレエといくつも掛け持ちし、その全てで優秀な成績を収めている。


 その美しきフルートの音色も彼女が得意とするひとつだとあとで聞いた。


 心安らぐ旋律が皆の疲労を癒していくようで、とはいえ肉体の損傷までは及ばないらしいのが残念ではある。


 しかし……


「……長くね?」


 そう、かれこれ二分は彼女の音色を聞かされている。


「デュラハンそれでいいのか」

「モンスターも聴き惚れてるんだよ、きっと」


 次第にクラスメイト側のざわめきが大きくなるなかで、それでも南野さんは演奏を止めない。一瞬音が途切れたかと思えば調子を変えた感じでまだ続いていく。


「これは……そんな!」


 そのうち一人の女子が何かに気づいたらしく、南野さんを見て絶望的な表情をしていた。


「どうしたんだ?」


 誰もが注目するなか、彼女は言った。


「この曲……年末に予定してた讃美歌の演奏で……とりあえず練習しまくろうってことで繋げて繋げて……やり過ぎて五十分にまでなったやつなのよ……」

「授業時間丸々じゃないか……っ!」

「そんなっ、演奏しきる前に南野さんが酸欠になるわっ」

「立ってるだけでもつらいのに!」


 どうも彼女のお友だちらしい女子の発言で南野さん大好きなクラスメイトたちに激震が走った。


 演奏する彼女のそばに椅子を置いて、水筒のお茶を待機してうちわで扇ぐやつまで出てきた。みんなデュラハンへの恐怖心より南野さん好きの心がそうさせたのだろう。


 その甲斐あってか、南野さんは長きにわたる演奏をやり遂げ、クラスメイトのスタンディングオベーションを一身に浴びていた。


 ちなみにデュラハンは演奏が終わった時には光の粒になって消えていた。


「いよいよあと一体ってことね」

「南野さんで倒せるのか……?」

「それにしてもデュラハンはなんで」

「そりゃあ聴き惚れていたからに決まってるだろ?」


 勝利の拍手が鳴り響くなかで聞こえたそんな会話だったが、僕は別の解を導き出し、こちらを見つめる南野さんの視線がそれを肯定していた。


 もういっそそれだけでいい。見つめあえて分かり合えるだけで幸せなのに。


 僕にお鉢が回ってくる。南野さんはそこまで読んでいて僕に伝えてくれる。


「最後のやつがくるぞ!」

「うっせえ、役立たずっ」

「ひぃんっ!」


 とうとう担任教師が罵倒されたがそれも致し方なし。


 これが最後の敵。モンスターが生まれる光景も見納めだろう。最初のスライムを除けば以降はずっと人型に変化した土塊は、またしても人型で──妖艶な美女だった。


 金髪金眼、透き通るような白い肌に柔らかな布一枚の姿はまるで天使か聖女か。


 最後のモンスターはそのうえ、口をきけた。


『言っておくぞ小娘……音の魔術は妾には効かぬ。妾のまとう魔術障壁が音波など簡単に防いでしまうからの』

「うぅ……っ!」


 恐らくも何も、南野さんのスキルはそういうことなのだろう。彼女の奏でた曲は終わりと共にデュラハンを消滅させたのだ。いわゆる浄化というやつとみて良い。


 対して現れた美女、もといモンスターはいかにも魔術特化ですよといった見た目に美しさ。とにかく美しい。輝くほどに、心乱される。


「え、えいっ!」

『たわけ』


 戦闘はいきなり始まりいきなり終わった。


 音が効かないと告げられた南野さんは、あろうことかフルートで美女を叩いて、代わりに額にチョップという突っ込みを食らっていた。


 美しいチョップだった。その指、その手、その腕から繰り出されるチョップを僕も受けたいと思うほどに。


 そんな羨ましい攻撃を受けた南野さんは、泣く演技をしながら駆け寄ってきた保健委員女子の懐に飛び込んで退場していく。


 よく分からない茶番にクラスメイトも動揺が隠せないようだ。


 そして当然この美女をどうするか、という問題に行き当たる。


 だけれど僕は動じない。すでに託されているのだから。


 ずっと陣取っていた隅っこを今こそ出ていこう。


 クラスのアイドル、優等生美少女委員長のバトンを受け取るため、隅っこ族から脱却するため。


 今日この日のことは全て僕のためにあったんだ。


 静かに、クラスメイトの人垣をすり抜けて、彼女がいるところへ。


 美女と相対するため。


「音無くん、やってくれるよね?」

「うん、任せて──」


 そう、今僕の手には武器が握られている。目の前の美女を、これまでのモンスターたちの中でも最強格であるだろう美女を倒せる武器が。


 スライムにサッカーキックが有効で、ゴブリンには負けた。そのゴブリンを仕留めたスイングは弾力のオークに負け、オークを斬り裂いた刀は硬い鎧に防がれ、堅固な死霊騎士は聖なる音色に消え去った。


 これは出来レースだ。最後に僕にそれが回ってきたのは南野さんだけが知る法則だろうけど。


 そして何故オークが避けなかったか、デュラハンが邪魔しなかったのか。それもルールなんだ。


 ──ターン制。


 何よりも絶対に守られるルール。こちらが動かなければ一生終わることがないとさえ言えるルールが敷かれている。きっとあの機械によって、だろうけど。


 だからそう、今僕の手の中で蠢き姿を現そうかという武器が完成するまで……いつまでだってこうしてゆったりと待ち構えていられる。


 ヴイイイイイイイイイイン……


 くっ、この振動……まさか超振動を起こしどんな獲物をも真っ二つにしてしまえる、そんなテクノロジー武器か?


 早くその姿を見せてくれ……こんなモザイクタイルみたいな見た目の棒から早く……。


『いやあああああぁっ、おぬし何を手にして妾の前に立っているっ⁉︎』

「ああっ、僕の聖剣(予定)が⁉︎」


 くっ、まさか向こうから僕の武器を叩き落としに近づいてくるとはっ! 変身中は敵も黙って見てるのがマナーじゃないのか⁉︎


 僕は美女にはたかれて落とした聖剣(予定)を拾い上げて非難の視線を投げかける。


『お、おぬし……そのナニカで妾をどうしようと……?』

「ふっ、やはり恐れるか……この振動はお前を仕留める正義の力! 勘弁してくれと、許してくれと懇願したところでこの手は止まらないだろうっ!」

『ひ、卑猥な!』


 卑猥? 卑怯の間違いなら分かるが。いや、まだ武器が出来上がってないうちに手を出してきた向こうのが卑怯だし。そう、みんな順番に出てきたのは、前の選手が負けてから武器が生産されるからだ。南野さんが美女に負けてからまだ時間も経ってない。僕の武器はこれから──


「お、音無くん……それなんなの?」

「南野さんまで……僕の武器はまだ完成じゃないんだ。南野さんたちと同じでもう少し時間が──」

「いや、俺たちのは突然完成も何もなくそこにあったぞ?」

「え?」


 ヴイイイイイイイイイイン……


「え?」

「え?」


 ヴイイイイイイイイイイン……


 そんな、ばかな。それじゃあこの絶えず振動してなんかぐるぐる回っている風に見えるピンク色っぽいモザイクの棒は──。


『妾の貞操の危機なのじゃああっ!』

「うわああああっ、音無のやつやべえもん持ってるぅっ!」

「きゃああっ、近寄らないでえっ!」

「おい、ちょお前ら……」


 美女が、クラスメイトが僕から離れていく。


「ちょ、南野さんもなんか言って──」

「──変態」


 保健委員女子とともに、南野さんもいつのまにか僕とは大きな大きな距離を取っていた。挙句にいま聞こえたのは僕を擁護してくれる声じゃなくって……。


「変態」

「へーんたいっ」

「へんたいっ」

『変態なのじゃっ』


 いくつもの、心無い言葉は何に向けられているのか。


「せっかく仲良くなれそうだったのに……そんな人だったなんて……」


 美しく可愛く、優しく聡い彼女の頬を濡らすのは、さっきの演技のそれではなかった。


「待ってくれっ、僕のこれはっ、僕のこれはみんなが思ってるようなものじゃなくって──」

『妾には分かるっ、それは妾にあんなことやこんなことをするためのあの、あれなのじゃ!』

「うっせえっ! ぶっ刺すぞ!」

『どこにっ⁉︎』


 ……終わった。これほどの静寂は小五で漏らした時以来だ。


「先生はあっ! どんな音無でも応援するぞおっ! 何なら先生も先生の彼女も愛用しているっ!」

「──っ!」


 もはやその全身が机の中に収まるほどに隠れている担任教師になんてなんの価値もないと思ってたけど、どうしてなかなか……心強い味方じゃないか。彼女さんはとばっちりもいいとこだけど。


「くそっ、僕の評価なんて元々クソッタレ以外の何でもなかったんだ! こうなったらお前の醜態も晒してくれるっ」

『なっ、この期に及んで……!』


 死なば諸共。僕の手の中の振動棒は、きっと束の間でも得難い快感を与えてくれるだろう。


 僕も、お前も。


 その快楽の海に呑まれてイケばいい。


『一人でイッておれ、童貞めが』

「なっ──⁉︎」


 美女に突貫した僕だったはずなのに、美女は霞のように消えて勢い余って倒れ込む僕を見下ろしていた。


『時間がの、ちょうどほれ』

「ああっ」


 美女がその手を横に振るうと、クラスメイトたちに向けて白い光の波がふわりふわりと迫っていく。


 光の波はクラスメイトを触れたそばから凍らせていく。進行の速い者遅い者とあるけれど、確実に氷に閉じ込めていく。


「ああっ、みんなっ、南野さんっ!」


 勝てない。モザイクで隠しきれないピンク色の振動棒ではこの美魔女には。


 できることはクラスメイトを、南野さんだけでも助けることくらい……。


「音無くん、ダメよこっちに来ちゃっ!」

「そんなっ……こんな時まで!」


 相変わらず僕の右手にある震えるこいつが嫌らしいけど、すでに足先から凍りついて来ている時にまで毛嫌いしなくても……っ!


「ううん、違うの。狙われてるのはまだわたしたちだけだから……音無くんにはあの人を倒す役目があるから……」

「南野さんっ、そんなこと、僕ではもう……っ!」


 ヴイイイイイイイイイイン……


 それでも希望として捨てられず、こんなものを握りしめて近寄る男子はどれだけキモいだろうか。


「聞いて、音無くん。武器を受け取ったわたしたちは、みんな物語が好きな人だったの。だからっ、きっとわたしよりもずっと本を読んでる音無くんが最後の砦なんだって、そう思ったの」


 物語が好き。それは、でもあいつらにそんな共通項なんて。


「彼らは自分が主人公の物語を走り続けていたのよ。だから得意武器で──」

「じゃあっ、南野さんだって!」

「わたしは……フルートはそんなに得意じゃないもの。彼らと同じならベースが出てきたはず。あのサウンドがたまらなく好きなのに、フルートが出てきたのは……昔に読んだ本の女の子がそうして人々を幸せにする物語が好きだったから。ベースよりも、ずっと」

「……っ!」


 もう、喉元まで──! これ以上進めば命に関わるっ!


「だから、きっと音無くんのそれは……その、それは……」


 時間がないのにそこで言い淀まないで南野さん──っ!


「きっとあの人を倒せる、そんな特効武器……なんだ、よ……」

「南野さんっ!」


 最後までどうにか話せたのに、どうして、どうして顔を赤らめたまま氷漬けに……。


『お別れの挨拶は済んだかえ? ならそろそろ──』

「お前は絶対に、許さないからなっ!」

『ふんっ、許さないとは面白いことを言うものだが……実際のところどうしてくれると言うのかえ?』


 僕らのやり取りを、観劇するように静かに楽しんでいたらしい美魔女だけれど、そんな余裕はすぐに消してくれる。


 僕は無言のまま左手を高々と掲げる。


 美魔女には残念だろうけど、僕の好きな物語は昨日たまたま読んだひたすらに長い射精音の出てくる物語ばかりじゃない。


 エロもハーレムも必要ない、コッテコテのファンタジー。どんな苦境だって剣と魔法で乗り切ってみせる、そんな物語。あとは狂おしいほどの愛があれば尚よし!


 右手の武器とは別に、僕の左手がその力を放つ。


 いつだって、間違った選択を、結末を塗り替えたいとさえ思う後悔と懇願が僕にこのスキルを与えてくれたんだ。


『おぬし一体何をしたっ⁉︎』

「見て分からないか? お前の好きな──」


 僕たちの他には氷漬けになったクラスメイトと担任教師ばかりの元教室を。


「──モザイクだよ!」


 解像度の低い、荒いモザイクで僕たち以外を埋め尽くす。


 そこに見えるのは、氷かクラスメイトか。


「それを選択出来るのは、僕だけだ!」


 バラバラと、モザイクのひとつひとつが並べたプリントを散らかすかのように崩れ消え去ったあとには、氷漬けになんてなってない、無事なクラスメイトたちが震えて抱き合っているだけだ。


『そんな馬鹿なっ! モザイクってそういうものじゃ──っ』

「誰だって、モザイクの向こうには自分の想像する物があって欲しいって願うだろ?」

『おぬし本当に中学生か⁉︎』

「そっちは海苔弁世代か?」


 美魔女の狼狽ぶりは正直笑えるけど、ここは楽しむべきじゃない。みんなの生命も視界も聴力もじきに戻っていく世界でモザイクを武器に美女を追い詰めて悦に浸っていたら、いざ終わった時にいらぬ誤解を受けてしまう。


 ヴイイイイイイイイイイン……


 僕は手にしていた振動棒のモザイクを長く引き伸ばし地面に突き刺す。


「お前に想像出来るか? 地面に突き立って抜けない武器ってのは昔から決まってるんだ。お前にそれが何なのか、想像出来るか?」

『ま、まさか……妾にはどんな武器も魔法も通じぬっ! 通じぬ、が……それだけはあってはならんのじゃっ!』


 どうやらこいつ、本当に無敵のボスだったらしい。ひとをすり抜けたし、一瞬で大勢を凍らせたり、凍らせずに楽しんだり。


 だからこそ、モザイクの向こう側に見てしまうんだろう。


 想像してしまうんだろう。


 ヴイイイイイイイイイイン……


『聖剣エクスカリバーだけは──っ!』

「ふっ──サヨナラだ、美魔女っ!」


 美魔女がその全身を震わせよがりながら恐れの声を大にして叫んだところで僕のスキルは発動する。


 この強大すぎる敵を葬るための聖剣が、そのモザイクを剥がされて解き放たれる。


 一閃。避けるそぶりも見せず、僕が振るう聖剣を全身で受け止めて、美魔女は堕ちた。




「ん、うう〜ん……」

「南野さんっ!」

「音無……くん?」

「良かった、無事で本当に……良かった……」

「音無くん……」


 すでに元教室がかつての姿を取り戻していることから、機械が止まったことを告げている。つまりはミッションコンプリートだ。


 出来レースとはいえ、最後は正直生きた心地がしなかった。肉体的にももちろんだけど、この歳で社会的な死を間近に恐ることになるとは思わなかった。


 戦いの勝者はしかし無様に泣きながら好きになった子の手を握って名前を呼び続けていたし、いざ名前を呼ばれたら感涙で声にならなくなって。


 触れたその手が暖かくてほっとしてる。氷漬けになっていたままならきっと初夏にもなってないこの時期に用具室からありったけのストーブを持ち出してでも溶かしたことだろう。


「音無くん、その……色んなことがあったけど、わたしと友だちになってくれませんか?」

「ぐすっ……もちろん、喜んで……」


 僕は静かに驚いていた。こんなに人前で泣いているのもそうだけど、今もすっと声が出てきたことに。


 微笑む彼女となら、僕はきっと輪の中にだって入っていけるんだろう。


 彼女の手を握りなおし、祈るように額を押し当てて温もりを感じる。


 この時が永遠に続けばどんなに幸せか。


 けど幸せってのは僕の人生の中で長く続いたことはない。


 ヴイイイイイイイイイイン……


「この音……え?」

「おい、何だあれは」

「ちょっとどうなってんの⁉︎」

「先生もこれは擁護出来んなあ……」


 次々と意識を取り戻し平常心に返ったクラスメイトと手のひら返しなくそ担任教師が困ったように、或いはたまらないと言った風に見るのは教室の中心。


 そこでは耳障りに響く例の音の元凶があった。


 ヴイイイイイイイイイイン……


『おっほおおぉ、たまらんのう、たまらんのうっ』


 学校の教室の床で、六尺ほどはありそうなピンク色の振動棒にしがみつき、身体のいいところを押し当てては嬌声をあげる金髪金眼の美少女がそこにはいた。


「音無くん、これは──」

「南野さん、落ち着いて聞いて欲しい。僕を信じて聞いて欲しい」

「予防線は張らなくていいから、これはどういうことなの?」


 言葉に抑揚がない。なのに突き放すような、それこそ心を氷漬けにしそうな言葉はもしかしたら南野さんは魔女になってしまったのかもしれない。


「いらないこと考えてないで、早く」

「うっ……その、僕のスキル“モザイク”は“見たものの想像通りのもの”をその下に隠しているってスキルで、僕の意志ではがしたときにその結果が現れるわけで……」


 僕は悪くない。そう思えば思うほどにだらだらと汗が噴き出るのを止められない。この結末を招いたのが僕のスキルであることも理解しているからだろう。


「みんなにモザイクをかけたときも僕のスキルで“みんな元通りになっている”と思わせたから助けられたわけで……」


 このスキルで助けられたんだよって言い訳を入れておくのも忘れない。いや、実際みんなを助けたわけだし。


「で、あいつを倒せる妙案も他に思い浮かばなくって、モザイクの下にあいつに対する特効武器を想像させたんだけどさ」

「それがあれ、だったわけ」


 しかも美魔女は楽しむために自分の肉体年齢を変えたりして遊んでいる。今はちょうど僕たちと同じくらいの年恰好で……女子たちがみんなどうにか立ち上がっているのに、担任教師以外の男子が誰も立ち上がれないどころか、前屈みになって動けず教室の真ん中にいる美少女を凝視しているのだからなんとも言えない。


「そう、そうしてわたしたちを助けてくれたんだね」

「う、うん。だからさ、その──」

「じゃあ立とうか。教室の片付けもしないと、だし」


 試されている。僕はこの状況で、みんなを救ったヒーローであるにも関わらず。


「そう、だね。うん、片付け……しよう」


 もちろん僕は問題なく直立出来るさ。猿が人類に進化するほどの時間をかけるつもりもない。担任教師だって無傷に平静でいられるのに、自分が倒した相手にここでやられる僕じゃあない。


 もうかつての僕じゃあない。


「そんなに自信満々で誇らしげに胸を張って立ち上がるくらいなら──その腰の大きなモザイクも外してみようか」

「ぐぬっ……これは今は……」

「大丈夫大丈夫。わたしたちみんな、音無くんを信じてるから」

「南野さん──」


 かくして、そんな南野さんの言葉を信じてモザイクをはがした僕の腰は──。


 みなまで言うこともない。僕は人生で一番赤面したとだけ言っておこう。



 ヴイイイイイイイイイイン……


 腰から下はみんなの想像通りというのか、これなら最初からモザイクをかけることなく、どうにかポジションで誤魔化した方がましだったと言える結果だった。


「音無くんサイテー……なんてのは言わない。だってこれもそのスキルのせいで……っていうかわたしたちが想像したせい、なんだよね?」


 おや? 南野さんがものすごく赤面しながら斜め下に視線を落としてそう言うのはなんとも……いいのか、中学生でこんな体験をしても。


『よくないに決まっておろう?』

「どわああっ、いきなりでてくるなっ! ていうかおまっ──背中にくっつく……」

『よいのかの? 妾を負かした男じゃから妾は全然構わんのじゃが、こうして密着してるというのは、おぬしにとって僥倖とも言えると思うのじゃが?』

「ぐっ……」


 さっきまで特大の振動棒と戯れていた美女改めて美少女はある意味の賢者にでもなったのか、火照った身体で僕の背中にべったりとくっついている。


 それはつまり、遠目にもわかる美しいプロポーションを惜しげもなく押しつけて、なんなら絡みついているわけで、そんな状態を嬉しく思わないわけもなく。


「いやっ、そもそもお前はモンスターなんだろっ⁉︎」

『ふふん……そう聞いておるのか』


 そう……? なんとも妙な言い回しをする。


「音無くん……?」

「うっ──」


 さっきまで恥じらいの乙女だったはずの南野さんの表情はまたしても零下二百七十三度を思わせる冷たさを帯びて僕の正面に立っている。


 背中に美少女、目の前にも美少女。なのに何故だろう、屹立していたものさえ萎んでいく。


「ずいぶんと仲良くなったのね……っ」

「ぐっ……うぅっ⁉︎」


 僕とてさすがに予想だにしていなかった。まさか鷲掴みされてしまうとは。生命を握られてしまうとは。


『ふむ……なんという積極性。妾も負けておれんかのぅ』

「ひうっ……⁉︎」


 背中では握るものもないからと油断していた、わけではない。そもそもそんな状況を想定したこともないのだから。


 だから、今や自分のスキルと南野さんたちの断罪というべき想像の賜物であるむき出しの下半身に、美少女モンスターの彼女が自らの脚を絡めてくるなんて。しかもさっきまで楽しんでいたせいで何だか熱っぽく、しかもよくわからないけど湿っている気がする。


「この、エロモンスターめ……っ」

『なにを。さっきまでこの男を毛虫を見るような目で見ていたくせに。さっさとその手を離せい』

「いやよっ」

『離すがよい』

「やっ、邪魔しないでっ」

『うぬっ……手強いの……ならば両手で……』

「ちょっ、ちぎれちゃうっ」

『そう思うなら離してやるがよい』

「い、いやよっ」

「ちょ、二人とも何をムキになってるのか知らないけど、そろそろやめっ、やばっ、や、やあああああっ」

「え?」

『ほう、早いのう』


 何が、と言わなかったのは美少女モンスターの優しさだろうか。僕がここでボカしていれば誰にも伝えることなく隠せるだろう。


『そうそう。おぬしが妾に背中を取られた瞬間に妾たち三人をモザイクで覆い隠して見られずに済むようにしたようにの』

「あ、そうだったんだ」

『というわけで美少女二人に挟まれて握られて果てたなんてのも知られずに済んだわけで』

「みなまで言ってくれてんじゃねえかこいつ」


 この恨み墓場まで……いや、話に聞いていただけの初めてがこれっていうのはそれこそ僥倖なのか。


『ふむ、病みつきになられても困るから一生賢者になる魔術でもかけておくかの?』

「だ、だめよっ、そんなことしちゃあ」

『なぜおぬしが言う』

「そ、それはその……」


 これはまさか南野さん。本当に僕のことを……?


「わたしが不能にしたと思われて慰謝料とか請求されたら困るもの……」

「南野さんんっ!」




『さて、今回の件についてじゃが……』


 僕たちは今、机と椅子を並べ直して元通りとなった教室で着席して教卓に座り何かしらの説明をしてくれる様子の美少女の話に傾注している。


 それにしても……彼女はモンスターのはずで、現れた時よりもずっと幼く年齢を変えてしまえる存在なんだけど、どうだろう。教卓に座り、前に並べて下ろしている脚の美しさときたら。薄い白のワンピースはうっすらと地肌が見えそうなくらいで……。


『すまんの、ニップレスをしておる』


 今何人の男子が項垂れただろう。僕はむしろこうふ……いや、話に戻ろう。日本と異世界の協定。


 しかも話を聞くうちに分かったひとつとして、美少女で美女で美魔女であるところの妾さんは、どうやらモンスターではなく異世界にすむ種族で、魔法なのか魔術なのか知らないけどそういうのを使えるところを除けば僕たち人間にずっと近い種らしい。


『おぬしたちの国……ニッポンじゃったか。その交渉の詳細はつまらんから省くとして、妾たちがこうしておぬしたちの呼びかけに応じて現れたのは取引があったからよ』


 そうして美少女が語ったのは、異世界とニッポンは確かに繋がることが出来たが、それはたまたま求めるニッポン側と同様に求める異世界側とのチャンネルが合致したせいだと言う。


『つまりお互いに欲しいものがあった、ということじゃ。ニッポンは資源。妾たちは人財じゃ』


 異世界には魔術というのがあり、それを元に造る魔法石というのがあるそうで、それらを上手く調整すれば現代の化石燃料や発電設備の代わりにも出来るそうで。


「人財というのは?」


 これはすでに体操服のジャージに着替えた僕の質問だ。そしてそれにはわざわざ教卓から降りた美少女が僕の席まで来て答えてくれる。


『妾はおぬしが欲しいのじゃ』

「ちょ、あなたっ!」


 教室中がどよめき、一番前の席で南野さんが抗議の声を上げる。南野さん、もしかして本当の本当は……。


「人数が合わなくなったら行事に支障が出るじゃないっ!」

「そんなあっ」


 とうとう僕もたまらず妙な声をあげてしまった。


『ふふ……おぬしはどうよの? ここではどうやらただの数でしかないようじゃが、妾とともにこちらの世界にくれば──悪いようにはせんぞ?』

「わ、悪いようにはしないって、それは──?」

『つまりは、こう──』


 僕のスキル展開も早くなったもので、危機感を覚えたその時には、モザイクが僕らを世界から隔絶してくれる。そして分かったのはこの場合、僕がモザイクの内側にいる場合には外からの他人からの干渉を受けない、ということだ。


『やりたい放題じゃの』

「ちょ、今の時間で一体何をしてきたの──って音無くんっ、生きてる⁉︎」

「危うく天国行きだったよ」

「どういうこと⁉︎」


 というのは流石に嘘だけど、これだけ慌てる南野さんが見られるのはなんだか嬉しい。


『人財……つまり戦力であり、駒ということじゃの。おぬしらの言うところの異世界では絶えず争いが起こり、いつだって救世の勇者を求めておる。モザイク、か……使いようによっては勇者にだってなれる素質。現に負け方を模索していたとはいえ、妾を倒すポテンシャルを見せたからの』

「思いっきり楽しんでたものね」

『ニッポンの技術の中でひときわ気に入ったものがアレだったからの。こやつのスキルを察知した妾が誘導したとはいえ大満足じゃった』


 負け惜しみとは到底思えないこの発言を信じると、あの必死で手にした勝利も僕のスキルを吟味するために必要だっただけのプロセスらしい。こっちは死ぬ気で絞り出した策なのに……。


『じゃから妾も搾り出してやったであろう? それで手打ちにするがよい。足りぬならまた──』

「分かった分かった! 分かったから……教卓にもどってくれ」

『相変わらずシャイボーイな……ん? それもそうか。おぬしまだ済ませておらぬからのぅ』


 一歩二歩と歩き始めたかと思うと、少し考えてののちに振り返りそう言う美少女。


「済ませてない、って……な、なにを、かな?」

『それはもちろん……』


 美少女の手が僕の手を取り、指を……。


「チェストーっ!」


 そんな僕らのあいだにフライングクラスチョップで割り込んできたのは南野さんだ。


『ぬっ、邪魔するか』

「邪魔するわよっ! わたしたちはまだ中学生になったばかりなんだからっ!」

『つまらぬ倫理観よ。のう、少年。異世界ではそんなの気にすることもない、というか異世界ならその歳はれっきとした成人じゃ』


 僕は目の前の二人のやり取りが次第に面白くなってきた。


「いいよ、僕は異世界に行こう」

『ん? やはり少年の欲望に訴えかけるのが最良であったか』

「ちょ、音無くんっ、そんなに急がなくても──」


 どうやらタイミング的にすごい勘違いをさせてしまったようだけど、それはそれで僕も願ったり叶ったりだからいいか。


「僕は行きたい。異世界に……みんなとは違うかも知れないけど、憧れたものがあるかも知れない異世界に生きたい」

『──歓迎する、ニッポンの少年よ』




 その後僕は担任教師を介して正式な手続きを踏み異世界へと移住することになった。


『まさかおぬしも来るとは、の』

「全然まさかって顔じゃないのはなんでかな」

「僕は嬉しいよ。また一緒にいられるなら」


 移住にはなぜか南野さんもついてきた。他の男子三人については逆に美少女が不要だと跳ね除けていたのが不憫だった。


『ふふっ、では行くかの。覚悟はよいかの?』

「今さらよ」

「うん。望むところ……ううん、すっごく楽しみだっ」


 教室に異変を起こした機械、それの政府管理施設設置型を使い僕らは異世界への扉を開いてその先へと踏み出した。


『なに、一生戻れぬわけでもない。いずれは相互通行も叶うであろうし──今回の妾たちのように、選別の側で訪れることもあろう』


 ともあれここから僕の人生は始まる。


「恋も、ね?」


 ということらしい。僕の人生も恋もここからハジマル。





 ─あとがき─


 いかがだったでしょうか。考えようによってはとってもチートな能力でしたが、連載にするならその辺のバランス取るのも考えなきゃなって感じのお話でした。

 最後に南野さんがついてこれて、他のサッカー少年も野球少年も剣道少年もだめだったのは何も能力のお話ではありません。妾さんには全く通用しなかった南野さんは、それでも音無くんをめぐってのライバルとなり、少年の成長に寄与するだろうという目論みからです。


 ここまで読んでくださった皆々様であれば、面白かったか或いはそうでもなかったかと感想も抱いてくれてることかと思います!

 感想もレビューもいただけると創作意欲が泉のように湧いてくること間違いなしなので、もしよろしければお言葉を頂戴できると嬉しいです。

 あとは少し下にスクロールしてお星様を……。


 最後まで読んで頂きありがとうございました!


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