キャッシュレス化の果ての果て
さて、今日は「電子決済」の話。
時代はとっくにそっちの方に着々と向かっているのに加え、この新型コロナウイルスの影響もあって、今後、決済のキャッシュレス化が急加速で進むことは間違いない。
そんな時代の渦中あって、僕はといえば、お恥ずかしい話、今だカードやネットで買物をしたことが一度も無い。
クレジットカード・電子マネー・QRコード決済・ペイペイ、聞いたことはあるが、違いが分からない、よく意味が分からない。とほほ。
自慢じゃないが、わずらわしいことは一切合切妻にお願いしているからである。
時代の渦、呑まれまくり。ぼ~く、ドザえも~ん。
いや~、でも、さすがに、ぼちぼちヤベえな、何となく。
一応、一通りのことは出来るようにしておこうかな、そこはかとなく。
ちゅ~かさ。
素朴な疑問あんだけど。
滅びゆく恐竜の、断末魔の叫び、聞いてくれる?
仮にこのままキャッシュレス化が進んで、近い将来、生活の中で現金を見ることが、さほど無くなって、いずれ現金を一度も見たことのない世代、そんなヒトたちが現れるとして。
その頃のヒトたちは、例えば、一千万円。
という、金額を耳にした時にね、
脳内の視覚的イメージとして、どんな画像を思い浮かべるんかいな?
例えば、こんなん?
まさかね。
年貢じゃあるまいし。
例えば、こんなん?
ははは。
海賊じゃあるまいし。
ウホウホ!
ギャートルズじゃあるまいし!
僕ら的には、一千万円って聞いたら、即座にこの画像をイメージするっしょ?
札束の山、百万円の束10個。
んで、この札束をドンと目の前に出されたら、普通にビビってしまうっしょ?
間違いなく体が反応してしまう。冷汗が出たり。震えたり。
それは、僕たちが「お金の価値」というものを、お札や硬貨のデザインという視覚的要素もさることながら、手にした時の感触や重さ、印刷物の臭いや金属の臭いなど、様々な感覚で肉体的に認識しているからである。
身体がお金の価値を知っている、ちゅうことね。
では、キャッレス化の果ての果てに生きるヒトたちは、
一千万円。
と聞いて、何をイメージするのだろう?
おそらく、これかな?
いきなりアラビア数字!
一千万円と聞いて、「1」をひとつ「0」を七つイメージする。
この調子でキャッシュレス化が進めば、いずれ僕たちも紙幣や硬貨の存在を忘れ、数字だけをイメージするようになる。
このまま電子決済が浸透すれば、従来のお金の価値の「感じ方」は確実に変わる。。
だからキャッシュレス化がよくないと言っているわけでは、決してない。
現金なんて、いっそさっぱりと無くなればよいと思う。
ただ、間違いなく「お金の価値」というものは希薄になるなあ、と思うだけであってね。
先日さ。
家族そろって夕食を食べていたら、妻と長女が、何事か交渉をしていたのさ。
「このあいだ、お風呂掃除したから、5ママペイでしょ、昨日は肩揉みしたから、3ママペイでしょ、合わせて8ママペイで【動物の森】をもう1時間プレイする時間を買いたい」
「8ママペイは、安い。今からお皿を運んだら、2ママペイ支払うから、合計10ママペイで、任天堂DSプレイ時間、1時間延長を販売します」
「オッケー! 買った!」
これまで、うちの子供たちには、お手伝いをするたびに、現金でお小遣いをあげていたのであるが、どうやら最近は「ママペイ」という我が家独自の架空の価値でやり取りをしているらしい。
知らぬ間に、我が家もキャッシュレス化が進んどったでかんがや。
長女はお手伝いをするたびに、妻が口頭で支払う「ママペイ」をノートに控えている。
そして、この「ママペイ」の交渉のポイントは、驚くべきことに、お手伝いという労働の対価を「お金」に換算せず「時間」に換算しているところである。
後々分かったことであるが「時間」のみならず、「場所」や「秘密」や「ママの優しさ」なども買えるらしい。
世の中は、お金だ!
そう当たり前のように教えられて育った僕たちの世代には、考えにくいことであるが、何でもかんでも価値をいったんお金に換算すればよい、という時代は終焉を迎えているのであろう。
キャッシュレス化の果ての果ては、それこそ「マネー」という概念すら無くなるのかもしれない。
いずれは、ある「価値」をいきなり別の「価値」へと換算するという、離れ業がまかり通る世の中が、やって来るのかもしれない。
それもそんなに遠い未来の話ではなさそうだ。
ありふれた中産階級のサラリーマンの食卓に、思わぬ近未来が転がっていたのである。
僕、慌てふためいて、あわわわわあ。