92回目 悪弊が蔓延る理由
新人同然の連中。
それがいきなり大きな成果をあげる。
そんなの理解出来るわけがない。
それはそうだろうと思う。
これが、少しずつ実力をつけていって成功した、というならまだ分かるのだろうが。
そうではない、新人同然の連中がいきなり大量の魔石を持ち帰る。
理解が追いつくわけがなかった。
そして出て来るのは、「あいつら、どんな(汚い)手段を使ったんだ?」といった考えになる。
なるほど、とヒロトシは思った。
前世でも何度か見たものだ。
やり方を知らないから驚く、そして疑う。
自分の考えや常識と違うから信じられない。
その結果出て来るのがこれだ。
「きっと、不正な手段を使ってる、そうに決まってる」
そこには何の根拠もない。
ただの憶測と願望しかない。
こうだろうという思い込み。
そうに違いない、そうであってほしいという願い。
何にしても、自分の思い込みの中でしか考えてない。
その範囲でしかものを見ていない。
分からない事を否定する。
そんなものあり得ないと考える。
その結果だろう。
実際に出て来た結果があっても認めない。
ヒロトシもそういうのをよく目にしていた。
前世での話だ。
いや、今生においてもそれは言える。
こうした連中には共通するものがある。
自分の理解出来ないものを否定する。
自分の知ってる範囲が全てになっている。
それは転じて、分からないという事を否定するようにもなる。
こういう連中の決め台詞は、
「そんな事も知らないのかよ」
これだ。
自分の知ってる範囲を常識として考える。
その延長なんだろう、自分の知ってる範囲は誰もが知ってるものと思い込む。
だから、それを知らないでいると、「そんな事も知らないのか」となじる。
何にしても了見が狭い。
了見の狭さ。
心の視野の狭さ。
許容量の無さ。
これらが共通するところだ。
心の狭さというべきか。
そして心が狭いから、自分の常識以外は認めない。
そんな連中が成功した新人同然の者達を貶めていく。
それが、よりよいやり方を否定していく。
だから発展もしない。
ただただ今までのやり方を踏襲するだけ。
行き着く果ては根性論である。
それは悪弊というべきものであろう。
旧弊というのとも違う。
単に古いものに拘ってるわけではない。
真贋や良否などを見定めてるわけではないのだから。
ただただ今までに固執してるだけだ。
それが今回もあらわれる。
新人達に襲いかかっていく。
具体的な形になるのは暫くしてから。
ヒロトシからやり方を聞き、場末の宿から卒業していく者達。
稼ぎがあるなら迷宮近くの便利な所へ、と彼等は宿を出て行った。
「宛が外れたな」
「まったくだ」
ヒロトシは苦笑を。
宿の親爺はため息を漏らした。
しかし、そうして出ていった者達は程なくして戻ってくる。
憔悴した顔をして。
「周りから文句やケチをつけられました」
彼らの口からポツポツと事情が語られていく。




