28回目 帰還後の一服
「ただいまー」
戻ってきた場末の宿の扉をくぐる。
いつものように無愛想な親爺が顔を向けてくる。
そんな親爺に、
「いつもの部屋、空いてる?」
と聞く。
返事の代わりに、鍵が放り投げられた。
それを手にとる。
新人もヒロトシの後ろに続く。
彼も部屋の鍵を受け取った。
あとは部屋に戻るだけだ。
二人とも、ここに戻って来るまでに、換金はしてある。
当面の生活に必要な以上に金はもっている。
しばらく宿屋でグータラする事も出来る。
だが、それより先に片付けておく事がある。
「オッサン、こいつの教育は終わったから。
あとは他の連中に話をつけてやってくれ」
そう言うと、返事も待たずにヒロトシは部屋へと向かった。
言われた新人は驚いて足を止める。
いったいどういう意味なのか分からない。
「あの、あれってどういう意味なんで?」
無愛想な親爺に尋ねる。
基本的に口数が少ない親父が答えてくれるとは思わない。
だが、今この場に他の人間はいない。
尋ねるしか親爺しかいないのだ。
返事は当然ない。
ただ、黙って広間の方を顎で示された。
仕方なく新人は、そちらに腰をおろす。
宿の一階にある広間は、宿泊客の利用場所になってる。
食事やら談笑やら。
あるいはテーブルゲームとか。
そんな事に使われていく。
場合によっては、一緒に迷宮にいく者達の作戦会議にも。
今は他に客もいないので、静かなものだ。
もっとも、客がいてもそれほど騒がしいわけではない。
場末の宿らしく、宿泊客が少ないからだ。
そんな広間に座った新人に、親爺が水を出す。
「何か食うか?」
客に尋ねてるとは思えないような平坦な声。
特に腹は減ってなかったが、新人は軽い食事を頼んだ。
「おう」とだけ言って親爺は厨房へと向かっていく。
その背中を見て、新人は息を吐いていった。
体から力が抜けていくのを感じる。
緊張がほぐれていくのが分かった。
迷宮にいるとどうしても気を張るから、体も気持ちも強ばる。
それがここでようやく解消していった。
そうなってくると、減ってないはずの腹が減ってきたように思えた。
食事による影響補給などの生命維持は、魔力で行っていた。
なので、腹が減るという事はないはずなのだが。
何日も食べないでいたせいか、食事が恋しくなってるようだった。
そんな新人の前に、親爺がサンドイッチとサラダとスープを持ってくる。
本当に軽く食べられるものばかりだ。
だが、栄養状態そのものは悪く無い新人には丁度良い。
「いただきます」
小さくそう言ってから、それらに箸をつけていく。
まずはサンドイッチ。
素手で掴める簡単さからそれに手を出して行く。
それを口に入れたると、途端に味がひろがる。
その事に驚いた。
(美味い…………!)
びっくりするほど美味しく感じられた。
腹は減ってない、栄養状態も問題は無い。
それでも、10日も何も食べてない。
久しぶりに味の付いたものを食べたのだ。
刺激を感じるのも当然なのかもしれない。
それもあって新人は、出された軽食を勢いよく食べていく。
それでいて、口の中に拡がる味を楽しみながら。
「美味い……」
小さく声が漏れる。
この時まで新人は知らなかった。
美味しいという事がこれほどまでに素晴らしい事だという事を。
実際、美味いのである。
少なくともこの都市において上位に入るくらいには。
この世界の料理の雑さに頭を痛めたヒロトシのテコ入れのせいである。
現代日本の記憶を持つヒロトシは、持てる全てを注ぎ込んで味を再現。
その調理法の全てを親爺に渡している。
それを元に料理を作ってる親爺は、この世界ではかなり腕の立つ料理人になっていた。
なお、料理人でもなかったヒロトシは、味の再現のために魔力を使用。
前世の記憶を可能な限り再現するために知力を強化。
文字通り知恵を絞って調理法を作り上げた。
これが魔力の無駄遣いなのか有効活用なのか悩ましいところだ。
その恩恵を知らず知らず受けてる新人は、久々に食べる料理の味に素直に感動していった。
今後の事を忘れるくらいに。
至福の一服だった。
ものすごい贅沢をした気分になった。
栄養状態の良い空腹という、とてつもなく矛盾する状態と。
そこにぶちこまれた、この世界では滅多にありつけない美味。
その合わせ技が新人を呆然とさせていく。
(こんな良い物が世の中にはあったんだ……)
新たな発見だった。
そんな幸福感満載な新人に親爺が近づく。
食器の片付けにだ。
そのついでに言葉少なに語っていく。
「他の連中もそのうち帰ってくる。
その時に紹介する」
それだけ言って。
それが、ヒロトシ以外の者達への紹介だというのは、暫くしてから分かった。
以前の探索者集団から放り出されて一ヶ月。
早くも新人は次の居場所を見つけられそうだった。




